カフェ・ボヘミアは佐野元春が86年にリリースしたアルバムなのだが
昨年は20周年ということで2枚組CDにDVDを加えた豪華な装丁のものが
リリースされた。86年の私といえば、進行形の洋楽に目配りしながら
ひたすら60,70年代の復習をしている時期であった。
佐野元春の曲はほぼデビュー時から聴いていて「サムデイ」でがっかりし、
「ビジターズ」でざまあみろ、と思った私にとってこのアルバムは発売当時の
タイトルからしてがっかりさせるのに十分なものであった。
アルバムは何となく聴いて棚にしまいこんだきり。
ミュージシャンのこのアルバムに関する発言なども読まずに聞かずに
今にいたった。
20周年もさして感慨も無かったのだが、改めて曲目を見て「あれ、好きな曲が
こんなに多く収録されていたっけ。」と思って、この3枚組を購入した次第。
添付されたブックレットには、佐野自身の言葉でこのアルバムの性格や、当時私を含めた
特に洋楽を聴いているリスナーに与えた「誤解」についての話が掲載されている。
かなり長いインタビューが掲載されているのだが、これを読んでなんとなく
私の中のわだかまりが消えた。何を述べているかはここでは書かない。
このアルバムを好きな人は勿論納得しているだろうし、敢えてもう一度
チャレンジした人に解かればいいことである。
それは精神の問題であり、幾つかのアレンジやスタイルが借り物みたいになったことの
弁明とは捉えていないけれど。
それでも「ワイルド・ハーツー冒険者たち」「インディビジュアリスト」の挑戦的な
態度、「99ブルース」の苛立ちは今でも私を高揚させる。
かつて「仕事も適当に」みんなが待っている店に急いだ若者も、更に数年後には
「仕事がはける」まで責任を全うし、それから「仲間達と罪を重ねる」まで
成長した。あれから20年、私はどのくらい成長しどのくらいダメになったろうか。
そんなことを考えながらこのアルバムを聴くのであった。
昨年は20周年ということで2枚組CDにDVDを加えた豪華な装丁のものが
リリースされた。86年の私といえば、進行形の洋楽に目配りしながら
ひたすら60,70年代の復習をしている時期であった。
佐野元春の曲はほぼデビュー時から聴いていて「サムデイ」でがっかりし、
「ビジターズ」でざまあみろ、と思った私にとってこのアルバムは発売当時の
タイトルからしてがっかりさせるのに十分なものであった。
アルバムは何となく聴いて棚にしまいこんだきり。
ミュージシャンのこのアルバムに関する発言なども読まずに聞かずに
今にいたった。
20周年もさして感慨も無かったのだが、改めて曲目を見て「あれ、好きな曲が
こんなに多く収録されていたっけ。」と思って、この3枚組を購入した次第。
添付されたブックレットには、佐野自身の言葉でこのアルバムの性格や、当時私を含めた
特に洋楽を聴いているリスナーに与えた「誤解」についての話が掲載されている。
かなり長いインタビューが掲載されているのだが、これを読んでなんとなく
私の中のわだかまりが消えた。何を述べているかはここでは書かない。
このアルバムを好きな人は勿論納得しているだろうし、敢えてもう一度
チャレンジした人に解かればいいことである。
それは精神の問題であり、幾つかのアレンジやスタイルが借り物みたいになったことの
弁明とは捉えていないけれど。
それでも「ワイルド・ハーツー冒険者たち」「インディビジュアリスト」の挑戦的な
態度、「99ブルース」の苛立ちは今でも私を高揚させる。
かつて「仕事も適当に」みんなが待っている店に急いだ若者も、更に数年後には
「仕事がはける」まで責任を全うし、それから「仲間達と罪を重ねる」まで
成長した。あれから20年、私はどのくらい成長しどのくらいダメになったろうか。
そんなことを考えながらこのアルバムを聴くのであった。