活字デジカメ

益なし,根拠なし,言いっ放しの電脳写真機机上妄想コラム。できれば毎日更新したい。

事実,画素数はどれだけあれば十分か―こんなモノいらない!?編

2008-11-30 09:17:17 | Weblog
“ガバサク”鐸木能光(たくきよしみつ。読めないw)さんの「デジカメに1000万画素はいらない」(講談社講談社現代新書)は結構評判のようで,4万部突破とか。
ですが,1000万画素はいらない,について書いているのは第一章の十数ページだけで,そのあとは延々とありきたりなハウツーものがあるだけ。
これでは看板にイツワリありというか,サギに近いかも。
何かと制約があるのかも知れないけど,もっと“1000万画素はいらない”について書いて欲しかったなあ。

ところで,この中に「200万画素時代の幸せ」というコトバがあって,これは気に入った。
オリンパスキャメディアC-2000のことをべた褒めしていますが,全く御意であります。
『デジカメに1000万画素はいらない』(講談社講談社現代新書)の追記事項
Q:古い(画素数の少ない)デジカメのほうがきれいな写真を撮れると言っているのか?
A:いいえ。そんなことはありません。
本文中でC2000やC2040のことをかなり持ち上げて紹介しましたが、これは当時の技術レベルとしてはすばらしかったということであり、現在の技術レベルで作ったデジカメと比較するのは可哀想というものです。(中略)
ただし、C2000と同じレンズを持ち、現在のレベルで中身を入れ替え、C2000と同じ1/2型撮像素子で200万画素というデジカメを作ったとしたら、すばらしくきれいな写真が撮れるカメラになるでしょう。

まあ,その通りですが,ないものねだりですよね。
200万画素は極端としても,500万画素くらいで超高画質・超高感度が新たなトレンドになったりしないでしょうかねえ。

一方,画質だけでデジカメを語る必要もないと思います。
C-2000のコンセプトやデザインのようなデジカメが今はないですもんね。
IXYデジタルが出て以来,コンデジの主軸が皆IXY風味になってしまったのが残念。

200万画素時代は画素数Upこそ正義と未来であり,デジタル一眼なぞ夢また夢の時代でした。
いわばデジカメ高度成長時代の“3丁目の夕日”。
未来が実現した今,こんなはずじゃなかったと人はレトロフューチャーをみたがる,ものなのかも知れません。

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