山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

家見学大好き

2007-07-24 19:19:11 | 未分類過去
家を買おうと思い立ったら不動産を見て歩くわけですが、必要だと思って即買うというのも難しいものです。
だいたい、そんなやり方では目が肥えていないわけで、まだまだ研究が足りないのです。
だから、実際には必要になってからでは遅いということもあるでしょう。そうやって急いで買うと失敗することも多いでしょう。

うちの夫は子どものときから貧乏で、父親が早く死に、母子家庭で、その母親も身体障害者になってしまったために、全くバックボーンというものがありません。もともと自分の家もなし、頭金を貸してくれる実家も当然なし、万が一自分が病気になっても助けを求めるところもなしですから、危険を冒すことはできません。石橋をたたいてたたいてたたいて・・・・でも、大丈夫という保証などないのですから、家なんか買えるわけがない。実際、会社はリストラ退職になったので、ローンを組んで家を買わなくてよかったです。

だから夫は家なんか最初から見て歩こうともしないわけです。実際、一家の主が動き出したら不動産屋さんも本気ですから、引くに引けなくなるかもしれません。そして、見ると無理をしてでもこんな家に住みたいな~と思ってしまうわけです。だから、夫の場合、そういうものには最初から近寄らないのですね。

しかし、私は近所に中古の家が売り出されると、好奇心で不動産屋に電話して見せてもらったりしていました。中古だと3700万円くらいのもあるのです。でも、かなり古くて狭いです。一戸建てとは言っても、一階にダイニングキッチンと風呂トイレ、二階に部屋2つなんていう極小な家があるわけです。この公営住宅と同じくらいの広さのものがふたつのフロアに分かれているとは驚きです。その上、日はあたらない、木造で古い、のですから全く意味がないですね。一戸建てに住んでいるといっても、悲惨な家族もいるんだなあと思います。
都内の一戸建てでは、1階はほとんど日が当たらない家も多いです。中古で4600万円くらいだせば、まあ、4人家族が普通に住めるくらいの広さの家があります。

中古でしかもそんなに築年数がたっていない家ってのもよくあるのですが、そういうのが意外にひどい。新しいといって喜べるものではありません。だいたい悲惨な間取りが多いですね。
ある家は、地下に二間つづきの部屋があったのですが、当然電気をつけないと真っ暗。1階はトイレと風呂と狭いキッチン。そう、なぜかキッチンだけです。冷蔵庫はどこに置くのかと思うほどスペースが無い。そして、2階に部屋が二つ。この家はいったいどこでご飯を食べるんだ????いちいち地下か2階に運んでいかなくちゃならないわけだ。
素人が設計したんでしょうか。こんな家はどんなに安くても、毎日ストレスがたまっていくことだろうと多います。だから空き家になって売りに出されているんでしょう。

一見広いスペースがあって面白いなと思っても、安い家はやはり土地がせまくて使い勝手が悪い。部屋のように見えてもロフトだったりするのです。夏は暑いだろうなあ。
3階にステキな窓があって見晴らし抜群だと思ったら、建築違反でした。見晴らしがいいってのは、普通の家の高さを守っていないわけでした。建築違反はローンの金利も高いそうです。だれも買いませんよこんな違法な家。今だに空家です。

不動産屋さんによっては、すごくいい家とか変な家とかを参考に見せてくれてとてもおもしろかったです。1000万高くなるとこういう感じですってわけです。やっぱりいいものはいいです。この家はお勧めできないというのも見せてくれて、見るからに作りが安っぽくて壁がぱかぱかだったりします。そういうのを比較して見せて、お勧めの家のよさを強調するわけですね。
まだ建っていない家の場合、似たような配置や似たような間取りの家、同じ工務店が手がけている家などを見せてくれました。
こんな感じになりますということで非常に参考になりました。

本当に家見学は面白いです。
でも、基本的には、買うまで案内され続けるということですから、家見学を趣味にすることはできません。それに毎週案内されていると、家見学に明け暮れて自由な時間がなくなってしまいます。これもかなり不便です。いい物件がでましたという電話がかかってくるたびに出かけていては他のことが何もできなくなります。
気の向いたときだけ行くというのも、家を本当に探していないことになってしまいます。

あるとき、ある不動産屋さんに案内されて高い家を参考に見ていたら、以前別の家を熱心に案内してくれた不動産屋さんと鉢合わせになってしまいました。もう家は買えなくなったと言って断わった後だったのでやばかったです。
向こうは他のお客さんを案内していましたが、気がつかないはずは無いのに完全無視でした。よほど気を悪くしたのかなoと思ったのですが、別のときに道端で合ったら愛想良くしていました。敵の不動産屋の前では知らない顔をするのが常識なのかな?

最初は中古住宅ばかり見ていたのですが、ローンを組むのに新築のほうが得なんだそうです。絶対に新築のほうがお勧めだというので、安い新築も見たりしていました。

でも、最近は家を買う可能性がゼロになったので、さすがに見学もできなくなりました。

災害と家

2007-07-24 01:46:22 | 未分類過去
新潟の地震で、倒壊した古い家に住んでいたのはお年寄りばかりだったようだ。
そういうのを見ると、つい田舎の母を思い出すのであるが、自分が若い時に苦労して建てた家に愛着をもち、自分が生きているうちは絶対に建て直さないという精神である。
実家は私が幼稚園のころに建てたので、もう40年以上たっている木造住宅だが、母はまだまだ2~30年は大丈夫だと言っている。床下が痛んで補修したりもしているが、ちゃんと手入れをしておけば問題ないと信じているようである。そして、将来もずっとそのまま維持してもらいたいというのが願いのようである。自分の家に限っては100年くらいは持つとでも持っているのか。20代後半まで実家に住んでいた姉も愛着があるため、同様の考え方をしている。
重要文化財でもない普通の家を、そこまでして保存維持しようと思うのはどうなんだろうか。
間取りも使いにくいと私は思うが、母と姉は良い家だと言う。

姉はすでに家を建てたので、実家は家のない私があとを継ぐことも考えられるが、現状の家を維持しろという命令は、なかなか酷な話である。だいたい、どうやって田舎に移住して生計をたてていけばいいのかも見当がつかない。年金生活になって、田舎のおんぼろの家に住むのだろうか?
かといって、母は年老いても東京に出てくるはずはないし、何よりも東京には母を呼べるような家はない。本当に困ったことだ。

災害でせっかくたてた家が壊れてしまったのを見ると、家というのはあってもなかなか大変なものだなと思う。壊れた家は建て直すしかないだろうが、そんなお金はないかもしれない。自分の家を捨てていくわけにも放置しておくわけにもいかないだろう。
となると、持ち家ではなく借家の場合は案外気が楽かもしれない。借家ならば即刻退去し、地震で被害に遭わなかった別の場所に借り直せば良いではないか。

お金がたくさんあって家を買わない人も実際にいるらしい。家賃月額100万や200万円などというマンションに住んでいたりするそうである。そんな家賃を払えるなら家を買ってしまえばいいのにと思ったりするわけだが、そういう人は、ライフスタイルに合わせて、家に縛られず自由に引っ越すことができる道を選んでいるようだ。
家を買ってもまた売ればいいことだとはいいながら、買ってしまうと情が移ってなかなか手放せないことが多いようだ。

考えてみれば、借家でもやっぱり情は移ってますね。うちは、ただでさえエコノミー症候群になりそうな狭い家ですが、やっぱり我が家が一番いいかも。

買わなかった家

2007-07-24 01:11:40 | 未分類過去
先日でかけてついでに、数年前に買おうかと思って見に行った建売住宅が今どうなっているかと思って足を延ばしてみた。
家の値段は4000万円台で、候補は2か所あった。ひとつは南側の公道(幅5m)に接した土地にコの字型に4軒並んだ家だった。道路に接した両外側の2軒は縦に長い長方形、内側の2軒は駐車分だけ空けた奥に玄関があり横に長い長方形で、半分くらいは両側の家の裏に続いているという感じ。買うなら両側の接道している2軒がいいわけだが、やはり値段は高くなり、駐車スペースはない。駐車スペースがあり値段も300万くらい安いのは奥だ。ここを見学したときは、まだ家は建っていなかったので、出来上がりを空想するしかなかったが、空地から建った状況を想像するのは難しい。しかし、良い物件は家が建つ前に売れてしまうのが普通なのだそうだ。
あれからもう何年も経っていて、行ってみると4軒の家が並び人が住んでいた。
感想は、買わなくてよかった。やはり狭いところにひしめき合って建てられた感がある。とくに内側奥に玄関のある2軒は、玄関が半地下のようになっていて、よけいに狭苦しく感じた。そして、南側から陽が入るのは玄関部分くらいしかないから、玄関の上の2階に非常に狭いベランダがあり、そこに洗濯物がぎっしりと干してある。とてもステキな家とは言えない。また、両側の南に面した家も間口が狭いのでやはり2階の一部屋くらいしか陽当たりがよくない。ベランダも無くいかにも窮屈なかんじだ。
ここは、不動産屋おすすめということだったが、近くにタクシーの営業所があり、夜中にもエンジン音がするおそれがあるということもあって没にしていた。普通の家では5000万円はするから、一番安いほうだったのだが、やはりその狭さゆえのものであろう。

もうひとつの候補は、その家から5分もしないところにある。こっちは西側4m私道で、3階建ての3軒の家が並んでいる。ここは借地権で4000万円台だった。
やはり間口が狭く奥に長い長方形の家である。しかし、1階部分はガレージもついていて、2階西側にベランダがある。南側にも窓はあるが、隣と近いのでベランダにはなっていない。
ただ、一番南端に建っている家は、その南側の中層マンションの北側の敷地にかなり余裕があるので、南からも充分陽が入る状況だった。また、東側は神社なので静かであるし、今後建物がたつこともないので、環境は悪くはないと思った。我が家には車はないが、自転車4台を置くには車1台分のスペースくらいは必要だ。また、ちょっとした鉢植えならガレージ部分に置くこともできていいだろう。そこを見たときは建てている途中で、柱が立ち上がったくらいだった。
買うならばそこが一番いいかなと思ったのだが、3階建ては年をとってから大変だとか、西向きはよくないとか、実家の母や姉の反対意見もあり、また、支払いの苦しさを考えて夫も乗り気ではないために思いとどまった。
実際にそこに行ってみると、やはり3軒に人が住んでいた。ベランダも狭くはないし、玄関脇に多少の花なども植えることができ、先に見たほうよりずっといい、借地権で同じくらいの値段だから、その分家の内容はいいということだ。買うならやはりこっちがよかっただろうと思った。

都区内に家を買うとなると、田舎のような条件の良い家を見つけることはなかなか難しい。日当たりにしろ間取りにしろ妥協が必要だ。6000万くらい出さないとまともな家は買えない。普通5000万円はする。
家の近所で最近見たら土地だけ(100平米くらい?)で6500万円していた。とても無理だ。

買う可能性もあった家に、私たちではなく別の家族が納まっているのを不思議な気分で眺めつつ、やっぱり今の公営住宅のほうが中は狭いが外は広々だな~、庭もあるし、南側のベランダも広いしな~と思って立ち去った。
しかし、多少の難点はあっても、新築の自分の家を手に入れるのは嬉しいことだろう。

当時熱心にいろいろな家を案内してくれた若い不動産屋さんには、買いそうな意志まで見せていながら、やっぱり中止ということで申し訳なかったなと思う。
今でもお金があったら、その時の人から買いたいところですが、やっぱり一生無理でしょう。

ココログ

2007-07-23 01:08:26 | 未分類過去
グーブログでココログとは何のことかとお思いでしょうが、
実は、昨年秋よりココログを開設したものの、どうも使い勝手がわからず、ウサギブログを作ろうか、故郷のブログを作ろうかなどと迷いながら、そのままになっていました。

今日になって、いよいよパスワードまで忘れてしまいそうだったのをやっと思い出して、「美術館ブログ」というものを作ろうと思い立ったのです。
そして、記事を書きなんとか編集し、それから写真もアルバムに登録し・・・などと延々時間をかけてやっていたのですが、どうもうまくいかないのですよ。
テンプレートはなんだか秋らしい落ち葉のデザインになったままだし、それもなんとか苦労して変更することができたのですが・・・

とにかく、一言でいうと、ココログの編集は難しいです。
面倒くさいです。
私のアタマでは無理です。

ということで、やっぱりこのグーブログに入れることにしました。

そして、残念ながらココログは完全解除してしまいました!

練馬区立美術館(後編)

2007-07-23 00:28:03 | 美術・美術館
美術館のつくりとしては、外を眺めながら休憩できるソファーなども置いてありなかなかいいと思います。
館の所蔵作品はまだいろいろあるようですが、展示されていないのが残念だと思いました。
常設展示室の展示は、定期的に変わるようなので、入館料が無料ということもあり、度々見に行くといいのではと思います。

場所は西武池袋線中村橋駅のすぐそばで便利ですし、周囲は広場や木陰もあってオアシスのような雰囲気でした。

練馬区立美術館(中編)

2007-07-23 00:25:25 | 美術・美術館
今日は、常設展示室で「麻田鷹司」というひとの没後20年のコレクション特集展示をやっていました。
個人的には特に好みではありませんでした。どちらかというと、立派な額絵よりもスケッチブックの絵のほうに惹かれるものがありました。

そのほかの展示室は、有料で貸し出しして作品を展示するようになっているようです。
それで、有名な画家というよりアマチュアのような人の作品が展示されていました。
1階の展示室では花の絵の展示がされていて、いろいろな人の作品がありましたが、どれも同じような画風でした。先生が同じだからでしょうか。昔の花の図鑑の絵のようでもありました。どの絵も茎や葉のようすがまっすぐで、なんとなく硬い感じがし、緊張しているように感じました。あまり癒される感じではないので、早々に引き上げました。

2階では玄奏展というのをやっていました。47人くらいの人の作品が展示されていました。
入ってすぐのところに千田英彦というひとの「夢の世界への3つの贈り物」という、おもちゃなどがたくさん華やかに描かれた作品があり、楽しいなあと思わずひきつけられました。
上野あすかというひとの「想」という絵もいいなと思いました。象が3頭くらいパステルカラーのようなピンクや水色などの明るい太い線で描かれている大きな絵です。
でも、一番気に入ったのは、鈴木武彦というひとの「なつめ椰子の曙」という絵でした。風景画できめ細かく美しいです。眺めていると心が落ち着き、こんな絵は部屋の中に飾っておいてもいいだろうなと思いました。このひとの作品は他の静物画や川の絵もいいと思いました。

ちょっと気になったのは2階の展示室の中で作品を写真撮影していた人が多かったことです。おそらく作者の関係者(本人か家族か?)だろうと思いますが、普通美術館内は撮影禁止だと思うのでちょっと意外でした。
展示室を出た通路ではやはり関係者の楽屋裏という感じで、なぜかコーラス大会やピアノ発表会などで出番を控えていたり終えた人たちのつどう雰囲気とよく似ているなあと感じました。晴れの舞台ってかんじでしょうか。
確かに絵の発表会ですから、音楽の発表会などと同じようなことでしょうね。
このように、アマチュアの人たちが自分たちの作品を発表できるちゃんとした場があるというのは地域に密着して親しみやすくいいことだと思います。

練馬区立美術館(前編)

2007-07-23 00:21:33 | 美術・美術館
今日は勉強にも読書にも身が入らないので、でかけることにしました。
以前から都内の美術館を見て歩くのを趣味の1つにしたいと思っているのですが、なかなか実行できませんでした。
大きくて有名な美術館は、特設展などやっていると、人が混み合いすぎていやなのです。それで、こじんまりとした美術館はないかと探していたところ、この美術館をみつけました。美術館を持っている区や市はどのくらいあるのでしょうね。

外からみたところ、なかなかきれいな建物です。この建物を作るのには郵便局の簡易保険のお金が使われているようです。
まず、行ってみて驚いたのは入館料が無料だったことです。ただで入っていいのかなあとちょっと不安でしたが、どこにも入館料を払うような窓口はなく、チケットを確認するようすもありませんでした。
しかし、入ってみて、入館料を取らないというのは納得できるように思いました。やはりものすごい名作といえるような作品がないのですね。


20 ブランド信仰

2007-07-22 12:18:45 | 読書
村上龍 「ダメな女」

“ローマのプラダの百人を越す日本人。
道後温泉の全身シャネルの女の子……”

概要
著者(村上)は中田英寿が出場する試合を見るためにイタリアへ行った。そのとき、同行の人の買物に付き合ったが、それはその人が娘さんのためにプラダのバッグを買うものだった。
プラダに入ると、そこには100人を超す日本人(大部分女性)がいて、デパートのバーゲンセールのようだった。
日本は長く不況が続いていて、その原因は消費マインドの冷え込みと言われているが、その購買意欲をみるととてもそのようには思えなかった。
外国で買物をしても日本経済には何のメリットも無いので、ブランド物を買う金があったら日本でお金を使ってもらいたいものだと著者は思った。
日本は不況だといわれてはいるものの、この様子から、すべての人が困っているわけでもないし、日本からお金がなくなっているわけでもないことを実感し著者は妙に安心した。
昔、著者は四国の道後温泉にゴルフに行ったことがある。そこのクラブに背が低く小太りでトリケラトプスのような顔をした女の子が働いていた。その子は、恐ろしいことに全身シャネルで身を包んでいた。シャネルを身に付けるためにクラブで働いているのだそうだ。
以下引用。
「間違っている、と私は言った。あなたがシャネルを買うことで、あなた自身もあなたのお母さんのあなたの客も天国のココ・シャネルも、誰も真の幸福を手に入れることなんかできない。そういうのをまるっきりの無駄というのだ。そういう無駄は今すぐ止めて、そのお金で英会話とか簿記とかを勉強すべきだ……。そういうことをしつこく言っていると、その子はついに怒りだした。~略~」
「ブランド信仰は、近代化を急ぐ国が通過しなければいけないステップのひとつなのかもしれない。」それはいつなのかどういう形なのか、経済的な破局のときか、「ブランド信仰から自由になり、消費に対する個人的な価値観の定着によって」なのか誰にもわからない。
とのこと。

この文がかかれたのは数年前で、日本が不景気だと言われていたときですが、その頃も、今も相変らずブランド信仰はあるようです。しかし、ブランド大好き人間と全く関心の無い人間の二極化があり、しかもその分かれ方は単純に金持ちと貧乏人というわけでもなさそうです。「ブランド信仰から自由になっている人」「個人的な価値観」をよく感じるようになりました。
知人のお金持ちの奥さんの中には、ブランド物にはまったく興味がなく、自己研鑽に励んだりボランティア活動を熱心にしたりしている人が多いと感じます。一般人向けのヨーロッパ旅行なんかもう卒業していて、あまり旅行者が行かない秘境の地などに出かけていき、現地の普通の店で服や装身具などをみつけて買ってきます。それを何げなくセンスよく身に付けていて、聞いてみるとそういうことで、日本円にすると信じられないほど安かったりします。完全に個人的な価値観です。
また、健康に気遣って服装よりも食べ物や飲み物の質に力を入れ、ヨガなどの体によいことをしている人も多いようにかんじます。そういう人は、高級フランス料理やブランド物などにはあまり関心がなく、手作り料理をし、麻や木綿の服などを着ていることが多いです。しかし、そういう自然風の素材や食材も質がよいものは実はかなり高額であり、中流以上でなければできないことがわかります。
中身がからっぽでブランド物を買いあさるような人とはかけ離れているわけで、そういう人も確かに増えていると思います。

私自身は、貧乏でブランドの店にも入れないような身なりなので、当然ブランド物には無縁であり、ブランド信仰の人とも付き合えません。
しかし、不思議に上記のような人との交友が多いのです。こういう人は自分の能力を活かして社会的な活動をしている場合が多いのですが、虚栄心もなく自然体で付き合いやすいと感じます。



19 怖い女

2007-07-22 00:56:57 | 読書
村上龍 「ダメな女」

“愛情に恵まれずに育った子どもが
大人の女になると
ダメな女ではなく、怖い女になる。”

概要
ダメな女の見分け方は残念ながらない。
いい子犬というのはわかる。いい子どももわかる。
友達と元気に遊んでいる子どもはいいが、暗くうつろで仲間に入っていけない子どもに何らかの問題がある。
そういう子どもは、親から虐待されているとか、幼児期に愛情に恵まれなかった場合が多い。そういう子供は自己評価が低く、自分には価値がないと思い、人間関係も不信に満ちたものとなってしまう。
そういう子どもも様々な社会経験を経て大人になる。すると、ダメな女ではなく怖い女になる。
「オーディション」という私(村上)の書いた小説に登場する女がそういう怖い女の典型である。彼女は男が自分の虜になるように振る舞い、そうなったあとは男を試し始める。自分のために男がどこまで自分を犠牲にするかを試し、わがままを行ったり、自殺すると脅したりする。
また、甘やかされて社会性を身に付けないで育った子どもも手に負えない女になる。
怖い女は見分けることができず、誰からでも好かれているが実は怖い女というのもいる。
怖い女というのは非常に魅力的である場合もある。
たぶん林真須美という女は、若い頃、かわいかったのではないかと思う。
とのこと。

毒入りカレー事件の林真須美の様子は私もよく覚えている。案外かわいい顔をしていた。体はちょっと太めだが、健康そうで、明るいイメージだった。陰湿な感じは全然しない。
彼女がどのような幼児期を送ったのかは知らない。だが、怖い女であることは確かだろう。
裁判でも黙秘を続けているそうで、彼女の心は全然見えない。

幼児期の育ち方は人間にとって重要である。事件が起こるたびに育ち方に問題があったことがわかる場合が多い。

その後の事件で思いつく怖い女は、畠山鈴香容疑者だ。彼女は子どもの頃から同級生などにもかなり嫌われるほど変な人物だったようだが、自分の娘綾香ちゃんとその友達の米山豪憲君を殺害した疑いで逮捕されている。彼女の心にもはかり知れないゆがみがありそうだ。

マスコミの人を相手に良くしゃべり、映像の中に積極的に出演していたようなところが、この2人はよく似ていると思う。

怖い女になってしまったら、もう取り返しがつかないのだろうか。


博物館

2007-07-21 17:58:29 | 放送大学
前回、単位を落とした「博物館経営情報論」をもう一度読んでいます。
博物館というのは、昔はうす暗いところに、古いものを陳列してある陰気臭い建物というイメージがありましたが、最近の博物館はもっと積極的で活動的な、来館者に親しみの持てるものになってきていると思います。
それでもまだ、博物館と聞いて、「楽しそう!おもしろそう!」などと思う人はあまりいないでしょう。
利用者の知的関心を高め、興味に答える、あるいは期待以上の感動や好奇心を利用者に与えることができたらすばらしいだろうなあと思います。

「そこに行ったら、何か楽しいことがあるのではないか。行ってみたい!」という欲求を満足させてくれる博物館がたくさんあったらいいなあと思います。
いや、なんとなく、何かを自分にもたらしてくれる博物館があるのではないか思うので、博物館・美術館、あるいは動物園・水族館・植物園などを巡り歩いてみたいななあとは思っています。
そして、いきつけの博物館を見つけたいです。

たとえば、ある美術館に行くと自分のお気に入りの絵があって、その絵の前でしばらくたたずんで眺めていると心が落ち着く。だから月に一度とか年に数回も同じ美術館に足を運んでしまう。
その美術館には何点か好きな作品がある。そして、その一角に素敵な喫茶室があり、そこでおいしいコーヒーとケーキなどを食べてゆっくりと時を過ごす。テラスから庭に出るとベンチなどがあり、そこでもゆったりとした時間が過ごせる、なんてのはいいではないでしょうか。

水族館では熱帯魚を見るのですが、私が行くところはコリドラスの水槽です。いろんな種類のコリドラスがいる。大きいのから小さいのまで・・・。でもその形にはやっぱり共通点があって、みんなコリドラスなんです。それをデジカメで撮影したりもできるのですよ。
熱帯魚屋さんで撮影することはできませんからね。
水族館や動物園にもお気に入りの生き物がいて、そこの前では時間をかけて眺めるのです。

科学系博物館では、いろんな講習を受けたいのです。たとえばバイオ石油の作り方とか原子炉とはどうなっているかとか、センサの仕組みとか、日常使っている物品でもその内部のしくみについては実は何もしらないものってたくさんあります。そういうのを教えてもらえたらいいなあと思います。たろえば、スプレーってのはどうして液体が気体になって出てくるのかな?とか、パーマはどうして髪の毛がウェーブになるのかなどです。
食品添加物の知識や、煮物はどうしてさめると味がしみるのか、翌日のカレーはどうしておいしいのかなど、食べ物の科学も興味深いです。
たまに、子供向けや親子の科学教室ってのはやってますが、おばさん向け、大人向けとかもやってほしいものです。

試験が終わったら、博物館・美術館めぐりをして、自分のお気に入りの博物館を発見したいと思います。

20パーセントの節電

2007-07-20 23:06:32 | 環境
柏崎刈羽原発が地震のために停止してしまったので、今年の夏の一番暑い時期の消費電力が20パーセントくらい足りなくなるかもしれないということです。
となれば、何がなんでも節電しなければいけないでしょう。
しかも、どう考えたって日本は無駄な電力の使いすぎだと思うので、供給電力を増やす努力よりも、使う電気を減らす努力をするべきだと思います。
石油エネルギーに限界があるはずなのに、近年はどうしてこんなに湯水のごとく電気を使うようになったのかと思っていたら、原子力があるから大丈夫っていう考えだったのでしょうか。

近頃は水道の蛇口に、まわすところとかがないじゃないですか。手を差し出すとセンサで水が出たりします。水の節約にはなるかもしれないけど、何も手で回せばいいじゃないかと思います。
トイレのドアを開けると勝手に開くトイレの蓋とか、流れる水音とか、温水ウォッシュレットに温風乾燥、温かい便座、そんなものがどこにもかしこにもできていますね。
痔でもなければウォッシュレットなんかなくてもいいですし、便座だって家庭ではカバーでもすれば冷たいことはありません。うちは公営住宅なので昔の単純なトイレですが会社は最新式ウォッシュレットなんです。夏でも電気が入っていて暑いです。消そうと思ってもどうしたらいいかわかりません。手も風で乾かします。全部電気です。

うちの近くのマクドナルドは24時間営業になりました。コンビニのみならず、西友ストアも24時間営業のところがあるそうです。24時間電気をつけっぱなしにして人を雇って人件費をはらって、真夜中にどれだけのお客さんがくるというのでしょう。
でも、開いているならそう思って来るようになる。人間はこんなに夜行性になっていいものでしょうか。
私はスーパーで働いていたことがあるのですが、その電気代って言うのは1ヶ月100万を超えるものでした。まあ、冷蔵庫なんかはしかたがないのですが、それでも24時間営業にしたら光熱費が莫大に上がることはたしかでしょう。

もうみんな夜は早く家に帰って寝たほうがいいです。

電気の無駄遣い、それはこのように公共のものや町の中のサービス業などに多いと思いますが、個人でも削減したいと思います。
家庭の電気を20パーセント減らすってのはかなり大変かもしれません。5分の1減らすんですよね。
まず、やはり夜更かしをやめる。12時には消灯にしよう。
お皿は手で洗う。掃除機よりも箒。人がいない場所の電気はこまめに消す。
少し努力してみようと思います。

駅などでは最近どこもエレベーターやエスカレーターができつつあります。
それは障害者やお年寄りのためにいいことですが、元気な人までがそれに頼りすぎているのではないでしょうか。
たくさんの人を運べば運ぶほどやはり電力はかかるでしょう。
エレベーターにはなるべく乗らないようにしようと思います。
このあいだ、カンブリア宮殿に東大の総長小宮山宏氏がでていたのですが、毎日8階までエレベーターを使わず歩いて上っているそうです。また、ご自宅の屋根はソーラー電池になっていました。

今、日本は国家をあげて環境にとりくまなくてはいけないと思います。
原発が止まったのを良い機会にして、できるだけ電気を使わない生活を目指すべきだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と言っているところに、東京電力がテレビで発表していましたが、
関西電力だかどこかから電気を調達して、夏の電気は大丈夫とのことです。
これじゃあ、節電の努力なんかするはずがありませんよね。
みんな、がんがんエアコンをつけたり、深夜にあそびまくったりするでしょう。
やっぱり、資本主義って言うのは、消費を増やし儲けを増やすという方向性しかないのでしょうか。
ヨーロッパみたいに、日によって店なども早く閉めちゃうようにしたらいいと思うのですが・・・。

まあ、自分だけは節電を心がけようと思います。



食品添加物

2007-07-20 22:08:23 | 環境
「食品の裏側」(安部司)
この本は、大分前にベストセラーになった本らしいですが、友人の勧めで貸してくれたので、今頃になって読んでいます。
この間、牛肉偽装事件のときに少し書きましたが、加工食品というのは、何が原料にされているかわかりません。牛肉は牛肉で間違いがないにしても非常に質の悪い部分だったりするわけで、結局それをごまかすのに使われるのが食品添加物ということです。牛肉偽装事件の際には添加物についての問題は出てきませんでしたが、この本を読むと、かなり関係があるのだろうと思えます。
中国の「ダンボール肉まん」は“やらせ”だったことがわかりましたが、劇物で固いものをやわらかくし、肉の香りの香料の粉をかければ、肉のミンチと同然になってしまうという似たようなやり方は、きっと実際に行われているのでしょう。

原料がいいものでも加工食品には、防腐剤だのうまみをつける添加物が多く使われ、人体に害をおよぼしかねないものが多々あるようです。
それで、この本の提案のように、売っている加工食品のパックをひっくり返して表示を見て、なるべく添加物の数が少ないものを選ぶようにしたいと思いました。

今日は、梅干を買いました。
今まで食べていたのは「まろやか梅干塩分7%」というものでした。250グラム約400円です。この裏を見ると、
原材料名  梅 しそ(中国産)、
漬け原材料(還元水あめ 食塩 しそ液)、
調味料(アミノ酸 核酸)
着色料(赤キャベツ色素)
香料、ビタミンB1、甘味料(スクラロース)
この梅干、適当な値段でなかなかおいしかったのですが、やはりいろいろなものが入っています。他の商品も同じような感じでした。
中国産の梅ですが、製造者は和歌山県なので、一見紀州梅を使っているのかと思ってしまいます。
こういうのは確かにありますね。「ひもの」で有名な静岡県の沼津も地元でとれる魚だけでは足りないので外国産(ノルウェーとか)のアジやサバを輸入していると聞いたことがあります。加工は沼津でするので、駿河湾の魚だと勘違いしてしまいます。

売り場をいろいろ探したら、添加物の全然入っていないものをみつけたので、買ってみました。これが昔ながらの梅干というものでしょう。
「紀州南高梅 塩分約15%」150グラム約500円です。
原材料 梅
漬け原材料 食塩
製造者はやはり和歌山県でした。全く無添加です。肉厚でいい梅です。
しかし、塩分15%というのは、売っている中でも一番塩分が高いです。そして、値段も量が少ないのに非常に高いです。

家に帰り、以前の残っていた一粒を白いご飯で食べました。おいしいです。
しかし、この味は本当の梅だけの味ではないのですね。
つぎに、無添加の本当の梅干を食べてみました。
しょっぱいです。ものすごくしょっぱいです。梅の味がわからないくらいしょっぱいです。

添加物と塩分とどっちが体に悪いだろうか?と思いました。
高血圧の人は、無添加の梅干は命取りになるかもしれません。
また、うちのような貧乏な家では、他の食料が買えなくなります。

複雑な気分です。
おそらく次回は添加物入りの塩分の薄い梅干を買います。
梅の実は国産のがいいなと思います。

失言問題

2007-07-20 19:15:47 | 未分類過去
自民党の大臣がつぎつぎに失言を起こしていることが問題になっている。

まず、柳沢厚生労働相の「女性は生む機械」。これはけっして「女性は子供を産むだけの機械で、人間ではありません」などと言ったわけではない。「女性を機械にたとえると機械の数は限られているのだから~」ということだ。しかし、女を機械にたとえるなど必要もない比喩であり、「女性は産む機械だ」と思っているとも受取れる発言だったということで、不快な思いをした女性が多いのだそうだ。

次に、久間防衛相の「原爆はしょうがない」発言。けっして許されない原爆投下を容認したかのような発言ということだ。
原爆の被害は計り知れないものである。多くの人々が一瞬にして尊い命を失い、後々まで続く苦しみをもたらされた。それはあってはならなかったことであり、今後もけっしてあってはならないことである。
原爆をとどめとして日本が降伏し、やっと戦争が終わったという気持ちがどこかにあるにしても、やはり原爆を戦争終結の道具にしてはいけなかった。それにしてはあまりにも犠牲が大きすぎ罪のない庶民に地獄をもたらすものだった。
もしそれを「しょうがない」ものとしたら、今後も平和のためには原爆を使ってもしょうがない=使っても良いということになってしまう。
どんな理由があろうと、どんな凶悪な国に対してであろうと、人間に向って原爆を使ってはいけないのだから、これは絶対に言ってはならないことばである。

そして、今日の麻生外務大臣の「どっちの値段が高いかはアルツハイマーでもわかる」発言。アルツハイマーという病気の人をバカにした発言であるということだ。これも比喩として使ったというが、わざわざアルツハイマーの人を持ち出す必要などないわけだ。

これらの言葉は気分のいいものではない。確かに失言だ。言葉には充分注意しなくてはならない。

過去においては、田中真紀子が「小渕さんがお陀仏さんになった」などという失言をしたこともある。これも亡くなった方に対して不謹慎きわまりない言葉だろう。

最近では、宮崎県知事の「タミフル」発言もある。「タミフルをたらふく飲んだから異常言動が起こるかもしれない」とかいった。これもタミフルで亡くなった人がいるのだから、冗談で言うにはふさわしくないということだ。

今回の麻生さんの失言時のビデオを見ていると、その場で多くの人が声を上げて笑っているのがわかる。冗談が受けているということだ。
しかし、これが映像や音声として残るとそうはいかない。その場で消える話し言葉でありながら、活字と同じように永遠に記録され残ってしまうのだ。
だから、本当に十分な注意が必要だ。

だが、これほどまでにいろいろな政治家の失言が多いということは、人間というのは本来失言の多いものなのではなかろうかと思ってしまう。つい面白おかしくしようとか、話を盛り上げようとか思って調子付いてしまったり、心の片隅の本音の一部が出てしまったりすることもある。

もし「失言」をすべて無くすとしたら、それはその場の発言をいっさいしないことである。すべて、あらかじめよく吟味して原稿に書いて、さらにそれを第三者に見てもらって適切であるかどうかを確認してもらい、そうして用意した文章を読み上げることである。
聞かれたことも直ぐには答えず、後ほど答えると言って保留にするか、あるいは「前向きに考えます」とか「善処します」とか「遺憾です」とか「対策を考えます」などと抽象的で意味のはっきりしない無難なコメントを言うことである。
または、「え~あ~う~」などと言いながらよくよく考えながら、聞いている人が眠ってしまうくらいゆっくりと考えながら吟味して話すことである。

そうなったら、また一昔前の、何を言っているのかわからない政治家のようになってしまうのではないか。
それはもっといやなことだ。最近の政治家はやっと自分の言葉で、普通の人間らしい意味のわかる言葉を話すようになってきたと思っていたが、それがまたわけのわからないような表現になってしまったら、わかりにくいしつまらない。

少なくともそのようにはならないでもらいたい。

あんまり周囲が失言にこだわりたたきすぎると、政治家は本音をしゃべらなくなってしまうだろう。あるいは、本音をしゃべらない政治家だけが生き残ることになるかもしれない。




“○○王子”はやめろ!

2007-07-19 15:41:59 | 未分類過去
このごろ、「○○王子」という言い方が流行し、10代のスポーツ選手には何でもかんでも「○○王子」をつけなければいけないような風潮になっている。

高校野球の斉藤投手が「ハンカチ王子」と言われたことが始まりだが、彼の場合、試合中に青いハンカチを使っていて、王子のように品のある容姿だったという特質が実際にあり、その命名は不自然ではなかったといえる。そして、斉藤佑樹という名前も視聴者がちゃんと把握していた。
彼は大学に入ってから青いハンカチを使うのをやめたのだそうで、それは正解だ。世間からそんな名前を付けられたからと言って、そのとおりに同じハンカチを何年も使い続ける人間はいないだろうし、そんなあだ名よりも本名を言われたほうがいいにきまっている。

次にゴルフで話題になった石川遼選手はなぜか「はにかみ王子」と付けられた。
いや、なぜかではない、斉藤投手に合わせて「ハ○カ○王子」という語呂合わせでできた名前だ。いったいどこがはにかんでいるのか?どうも「はにかみ」なんていうのはしっくりこない。そんな恥ずかしそうにはにかんでなんかいないじゃないかと思う。

まだ、このあたりは2人ともまあ「王子」っぽい外見もあり許せる範囲だった。
石川選手と同じ高校のアマチュアゴルフ選手権に出た先輩は、石川が「王子というより王様です」などと言っていたが、外見も王子っぽくなかったからか、年齢も上だったからか、特に個性も無く名前のつけようがなかったのか、王子の名はつけられなかった。

ところが、3人目に変な名を付けられたのは、石川とともに世界ジュニアゴルフ選手権に行った中学3年の「ぽっちゃり王子」である。
こんな名前、ほんとうにやめてもらいたい。ここでもこのような書き方はしたくない。
しかし、名前を知らないので「ぽっちゃり王子」としか書きようがない。テレビで「はにかみ王子とぽっちゃり王子は~」などと連呼しているので、本名がわからずじまいだ。(今調べたところ、古田幸希君というようです。)

若くして実力のある選手を尊重するためにも、ちゃんと本名を使って放送するべきだ。
また、話題の人物に焦点を当てるだけではなく、公正な報道をしてもらいたい。
注目していた個人がどうなったかばかり伝えられ、試合の全体の結果が全くわからずじまい、他にどんな選手がいるのか、どんなプレーをしたのか、入賞者がどんな人だったかもわからないままの報道って、いったい何のためのものなのかと思う。

男に従属する女

2007-07-19 15:11:11 | 未分類過去
自立した女と従属した女というのがこの世にいるのでしょうが、やはり子供を産むという特徴から、女は仕事で社会に出るよりも家庭に入ることが多いといえます。
となると、大部分は男の収入で生活するため、男に従属している女が多いといえます。
しかし、多くの「うだつの上がらない男」と共に暮らしている女たちは、男に期待してもダメなことを知っているので、従属する気もなくなっているのです。
しかし女も自立できるわけでもなく、大した収入も得られないのが現実ですから、その状況のまま、なんとか頑張って自分の道を切り開こうとしているひとも多いです。

私が一番きらいなタイプは、「できる男」の傘下でその恩恵にあずかって裕福に不自由なく暮らしている女で、自分は何も努力せず何もしていないのに、それがさも自分の実力のように振舞う女です。そういう人は働く必要に迫られている女性を見下し、お金のために働く女性を見下します。
自分は女性として魅力があるので、こんな男と結婚できた、だから楽をしてくらせるのよ、という意識です。

私は贅沢をしている女がきらいなわけではありません。自分で一人前以上に働いて贅沢をしている女は格好良いですよ。ブランド物でも大きな宝石でもなんでも身に付けていいです。飛鳥で世界旅行に行こうと豪邸を買おうとかまいません。
でも、スーパーのレジもできず、品だしでもさせたら邪魔にしかならないだろうというふうな暢気で悠長な女が、パートタイマーの店員を貧乏臭いとか所帯じみているとか、時給800円なんかでよく働けたものね、などと言ってバカにするのはおかしいと思う。おまえはそういう立場になったら生きていけないだろうと思う。夫がいなきゃ生きて行けない女だよ。

スーパーの店員で、ものすごくレジの早い人。嬉しいです。品だし陳列だってその手際のよさや美しさは馬鹿にできませんよ。それに発注だって経済や経営を知っていたほうがいい。外国人のお客の質問に流暢な英語で答えているスーパーのおばさんを見たことがありますが、すごい格好いいなあと思いました。

「お隣はまだローンが払えず奥さんはスーパーで働いているのよ、お気の毒だわ。うちはもうとっくに払っちゃったわ」などと人をバカにするのは大バカ者です。

しかし、ふと思うことに、もし自分が働かないで暮らせるような身の上だったら、こんな女になっていたかもしれないということです。働く必要がなければ、家で昼の連続ドラマを見たり、ケーキを焼いたり、テニスをしたり、海外旅行に行ったり、ブランド物を買ったりして人生を謳歌していて、みすぼらしい主婦をみると目障りだわと思っていたかもしれません。

収入の少ない夫を持ったからこそ、社会に出て、いろいろな職場を体験することができた、いろいろなことを考える機会を得ることができた。
それは幸いなことですね。