「ALWAYS 3丁目の夕日」で、すごく印象に残っているものがあります。
それは、茶川竜之介(吉岡秀隆)が着ていた毛玉の着いた汚なっちいカーディガンです。
その毛玉がすごくリアルでした。毎日のように長年着ているとそうなるわけです。
そうそう昭和30年代には、こんなものを着ていた人が多かったなあと思いました。
貧しい茶川はその着古した毛玉だらけのカーディガンに防寒されて、風邪もひかず、安全に暮らしているわけで、その姿をみると、いじらしいというか、妙な感動を覚えてしまいました。
子役のセーターもそうですが、当時の子どもは服を一枚くらいしか持っていないから洗濯もしないで、毎日のように同じものを着て遊んでいます。そのようにして着ていることによって出てくる妙な風合いというか、貧乏くさくて汚くて生活にまみれたような雰囲気が、なんかたまらない変な魅力をかもし出していました。
そして、茶色くて襟のついたセーターを着ている子が淳之介だ、というように、一枚の服とその子が一体となってひとつの個性を作っています。その服とその子は運命的に結ばれているようでさえあります。
私が小さいころも同じで、昔の写真を見ると、子どもたちはみなそれぞれに自分なりのセーターを着て写っています。私は昭和35年生まれですが、そんな汚い服を着ていたのは、幼稚園くらいまでのようです。小学校に入ってからの写真は、もう少し身ぎれいな感じがします。
私の母は編み物が得意で、その当時、編み機というものを使って、よくカーディガンやセーターを編んでくれました。
私が小さいころ、母は、内職で近所の人から注文を受けて、いろいろなものを編んでいました。私はよく、買ってきた新しい毛糸の束を、編み機にスムーズにかけられるように一本に引っ張り出してふんわりと毛糸の山にする手伝いをしていました。
母は、自分の家族用には新しい毛糸を買わず、古いセーターをほどいて何度も編みなおして使いました。たまに染め直したりなどもしました。
ところで、今私はセーターの山にうずもれて困り果てています。皆店で買った既製品ですが、1~2年着ると、ちょっと型が崩れたり、なんとなく着ざらした感じがしたりして、外には来ていけないなあというようなものがたくさんあります。しかし、シミもなくほころびもなく、毛玉もないわけです。それは仕事などに来ていけないけれど、自宅で着る分には構わないという程度のものです。
一方、外出に耐える服がないと、外出用の新しい服を毎年何枚か買うことになります。そして、毎年のようにセーターが増えていってしまいます。だめになったら捨てようと思っていると、それらは、何年たっても痛まないので、増える一方なのです。
それはそうです、本当は茶川竜之介が着ているくらい、何年間も毎日着続けても耐え切れるようにすべての服ができているのですから、ひとつを着つぶすのも容易ではありません。それぞれのセーターがそのセーターの寿命を全うするまでなんか、とても着ることはできないのです。
それで、人間に喩えると40歳くらいの老朽化状態で、ゴミにするしかなくなります。中には、30歳くらいでも、美しさが衰えたということで、捨ててしまうものさえあります。
まだ充分使えるのにもったいないですねえ。
そう思って捨てられないでいると、我が家のようにガラクタに埋もれて苦しむことになります。
今は、安物でも新しいものを買ってどんどん捨てていくほうが、合理的で楽しいようです。
あれっ、何か、人間と同じでしょうか?
まだまだ使える人間が不要にされて、若者がもてはやされているような気もしますね。
そして、人との付き合いも、縁あって出合ったら、一生付き合うというのではなく、次々に適当な人材や自分の都合のいい伴侶に取り替えてしまうような気がします。
毛玉のセーターを大切に着ていた時代がなつかしいです。
それは、茶川竜之介(吉岡秀隆)が着ていた毛玉の着いた汚なっちいカーディガンです。
その毛玉がすごくリアルでした。毎日のように長年着ているとそうなるわけです。
そうそう昭和30年代には、こんなものを着ていた人が多かったなあと思いました。
貧しい茶川はその着古した毛玉だらけのカーディガンに防寒されて、風邪もひかず、安全に暮らしているわけで、その姿をみると、いじらしいというか、妙な感動を覚えてしまいました。
子役のセーターもそうですが、当時の子どもは服を一枚くらいしか持っていないから洗濯もしないで、毎日のように同じものを着て遊んでいます。そのようにして着ていることによって出てくる妙な風合いというか、貧乏くさくて汚くて生活にまみれたような雰囲気が、なんかたまらない変な魅力をかもし出していました。
そして、茶色くて襟のついたセーターを着ている子が淳之介だ、というように、一枚の服とその子が一体となってひとつの個性を作っています。その服とその子は運命的に結ばれているようでさえあります。
私が小さいころも同じで、昔の写真を見ると、子どもたちはみなそれぞれに自分なりのセーターを着て写っています。私は昭和35年生まれですが、そんな汚い服を着ていたのは、幼稚園くらいまでのようです。小学校に入ってからの写真は、もう少し身ぎれいな感じがします。
私の母は編み物が得意で、その当時、編み機というものを使って、よくカーディガンやセーターを編んでくれました。
私が小さいころ、母は、内職で近所の人から注文を受けて、いろいろなものを編んでいました。私はよく、買ってきた新しい毛糸の束を、編み機にスムーズにかけられるように一本に引っ張り出してふんわりと毛糸の山にする手伝いをしていました。
母は、自分の家族用には新しい毛糸を買わず、古いセーターをほどいて何度も編みなおして使いました。たまに染め直したりなどもしました。
ところで、今私はセーターの山にうずもれて困り果てています。皆店で買った既製品ですが、1~2年着ると、ちょっと型が崩れたり、なんとなく着ざらした感じがしたりして、外には来ていけないなあというようなものがたくさんあります。しかし、シミもなくほころびもなく、毛玉もないわけです。それは仕事などに来ていけないけれど、自宅で着る分には構わないという程度のものです。
一方、外出に耐える服がないと、外出用の新しい服を毎年何枚か買うことになります。そして、毎年のようにセーターが増えていってしまいます。だめになったら捨てようと思っていると、それらは、何年たっても痛まないので、増える一方なのです。
それはそうです、本当は茶川竜之介が着ているくらい、何年間も毎日着続けても耐え切れるようにすべての服ができているのですから、ひとつを着つぶすのも容易ではありません。それぞれのセーターがそのセーターの寿命を全うするまでなんか、とても着ることはできないのです。
それで、人間に喩えると40歳くらいの老朽化状態で、ゴミにするしかなくなります。中には、30歳くらいでも、美しさが衰えたということで、捨ててしまうものさえあります。
まだ充分使えるのにもったいないですねえ。
そう思って捨てられないでいると、我が家のようにガラクタに埋もれて苦しむことになります。
今は、安物でも新しいものを買ってどんどん捨てていくほうが、合理的で楽しいようです。
あれっ、何か、人間と同じでしょうか?
まだまだ使える人間が不要にされて、若者がもてはやされているような気もしますね。
そして、人との付き合いも、縁あって出合ったら、一生付き合うというのではなく、次々に適当な人材や自分の都合のいい伴侶に取り替えてしまうような気がします。
毛玉のセーターを大切に着ていた時代がなつかしいです。