NHKの朝の連続ドラマは「マッサン」から「まれ」に代わったけど、「夢」を実現させるというテーマは共通するものがある。
誰にも「夢」はあるもんだ。
私も、夢を実現したくて東京に出てきたのかもしれない。
でも、道は思わぬ方向に逸れて行き、結局は何にもならなかった。
高校の頃は、演劇をやりたいと思っていた。
だから、大学で演劇を専攻したいと思っていた。
演劇専攻のある大学と短大を受けて、短大に入ったけど、演劇のコースは人気がありすぎて進めず、演劇が専攻できない国文コースに振り分けられてしまった。
それで、短大卒業後に、夜間の大学に入り直したいと思って、就職は、勤務時間が4時半に終わる保険会社を受けたりしたけど、落ちてしまった。入社の動機なんて「うそ」が書けなくて、入社試験の作文が全然ダメだった。今思うと生命保険会社なんか落ちてよかった。
合格したのは、印刷会社みたいな出版社だった。思えば、やっぱりそれが妥当なところだったのかもしれない。
その会社は、春から秋までは残業続きだった。でも、冬になると5時に終わった。
もう、夜間大学の道もあきらめていたけど、夜間や休日の演劇の専門学校や養成学校に入ろうとして探したことがあった。高校の頃から「テアトロ」という演劇雑誌を読んでいて、確かその巻末のほうに、いろんな学校の広告が載っていたのだったと思う。
その中から、会社の近くにある学校で、入学試験がないところを探して、体験に行ってみたけど、あんまりぱっとしないところだったので、入りはしなかった。
その後、「東京アナウンスアカデミー」という学校に休日通った。恵比寿だったかな。基礎科と研究科を出て、専攻科には進まなかった。
アナウンサーになるには、現役で大学を卒業しないと無理っぽかった。
私は短大卒で21歳くらいだったから、年齢では大学生と同じだったけど、既に社会人になってしまっていた。中には、26歳くらいの社会人もいた。その人がすごく年上に思えた。慶応大学や立教大学の学生もいた。同じクラスを受けていた大学生で、後にテレビ朝日のアナウンサーになった人がいた。確かに、すごく発音がきれいで飛び抜けていた。
そういえば、「夢」を実現させたこともあるんだ。
それは、子育てが1段落してから、「日本語教師になる」っていう目標だったけど、一応なって何年か働いた。
結局、頑張り続けるのがいやになってやめてしまったけど、一応目標を達成したことは、自分で自分をほめてやりたい。よく頑張ったと。
「日本語教育能力検定試験」ってのがあって、これが結構難しいのだ。ちゃんとした大学を出ている人でも何度も落ちていて、結局受からないままの人もいた。日本語教師の資格は4年制大学卒+420時間の養成講座受講で認められるのだが、短大の場合は大卒ではないので420時間養成講座を受けても資格は得られない。短大卒や高卒の場合は、「日本語教育能力検定試験」に合格しないとダメなのだ。これは、よく受かったなあと思う。その時はまだ40才になる前で、脳みそもちゃんと活動していたのだろう。
ちゃんとした4年制大学を出て、養成講座を出ても、日本語教育能力検定試験に受からないままの人がいるのは、その人たちにとって、受かることが必須ではなかったからなのかもしれない。
学歴のない者にとっては、検定に受からない限り道はないので、何がなんでも受からなくてはならなかったのだ。
しかし、試験に受かっても、私なんかは、外国語が全然できないから、やっぱり必要な能力が足りなかった。大学を出ている人は、外国語ができるのが当たり前だ。だから、仕事も続けられるけど、私は、外国人の学生の言語ができないからダメだ。特に英語。致命的。入学したばかりの中国人の学生に英語で質問されても英語で答えられないという恥だ。
人生をやり直すことができるなら、やっぱり「英語」をちゃんと勉強しておけばよかったと思う。
あと、自分が日本語教師になることに必死になっていて、子どものことをほったらかしにしていたので、子どもの才能を伸ばしてやることができなくて、済まなかったと思っている。でも、うちの子たちは偉い。少なくとも私より偉い。自分で決めた進路をちゃんと歩んで、1人前の社会人になり、親を頼らず自活しているからだ。まともに育ってくれた。私のように不平不満を言わない。私以上に人間ができていると思う。
・・・・・・・・・・・・・・
話は変わるが、このあいだ、車を運転していてふと思ったんだけど、私は小学生のころ、将来の職業の夢として、「タクシーの運転手もいい」なんて作文に書いたことがあった。
あの頃は、車の運転をするつもりでいたのだ。東京では、車が必要なかったので、なかなか運転免許を取るきっかけがなかったけど、50歳を前にしてタイムリミットで免許を取った。やっぱり運転が好きだったのかなあと思う。
タクシーの運転手にこそなってはいないけど、ちゃんと運転してるなあと、ちょっと感動してしまった。小学生の時の魂は、大人になっても変わらないものだね。
・・・・・・・・・・・・・
3年くらいみっちり勉強すれば、何かはものになるのかもしれない。だから、今からでも、何かにチャレンジすれば実現できるのかもしれない。
どれだけ時間が割けるか、どれだけそのことに打ち込めるか、それにかかっている。
50代の夢をかなえることを考えてみようかな。
誰にも「夢」はあるもんだ。
私も、夢を実現したくて東京に出てきたのかもしれない。
でも、道は思わぬ方向に逸れて行き、結局は何にもならなかった。
高校の頃は、演劇をやりたいと思っていた。
だから、大学で演劇を専攻したいと思っていた。
演劇専攻のある大学と短大を受けて、短大に入ったけど、演劇のコースは人気がありすぎて進めず、演劇が専攻できない国文コースに振り分けられてしまった。
それで、短大卒業後に、夜間の大学に入り直したいと思って、就職は、勤務時間が4時半に終わる保険会社を受けたりしたけど、落ちてしまった。入社の動機なんて「うそ」が書けなくて、入社試験の作文が全然ダメだった。今思うと生命保険会社なんか落ちてよかった。
合格したのは、印刷会社みたいな出版社だった。思えば、やっぱりそれが妥当なところだったのかもしれない。
その会社は、春から秋までは残業続きだった。でも、冬になると5時に終わった。
もう、夜間大学の道もあきらめていたけど、夜間や休日の演劇の専門学校や養成学校に入ろうとして探したことがあった。高校の頃から「テアトロ」という演劇雑誌を読んでいて、確かその巻末のほうに、いろんな学校の広告が載っていたのだったと思う。
その中から、会社の近くにある学校で、入学試験がないところを探して、体験に行ってみたけど、あんまりぱっとしないところだったので、入りはしなかった。
その後、「東京アナウンスアカデミー」という学校に休日通った。恵比寿だったかな。基礎科と研究科を出て、専攻科には進まなかった。
アナウンサーになるには、現役で大学を卒業しないと無理っぽかった。
私は短大卒で21歳くらいだったから、年齢では大学生と同じだったけど、既に社会人になってしまっていた。中には、26歳くらいの社会人もいた。その人がすごく年上に思えた。慶応大学や立教大学の学生もいた。同じクラスを受けていた大学生で、後にテレビ朝日のアナウンサーになった人がいた。確かに、すごく発音がきれいで飛び抜けていた。
そういえば、「夢」を実現させたこともあるんだ。
それは、子育てが1段落してから、「日本語教師になる」っていう目標だったけど、一応なって何年か働いた。
結局、頑張り続けるのがいやになってやめてしまったけど、一応目標を達成したことは、自分で自分をほめてやりたい。よく頑張ったと。
「日本語教育能力検定試験」ってのがあって、これが結構難しいのだ。ちゃんとした大学を出ている人でも何度も落ちていて、結局受からないままの人もいた。日本語教師の資格は4年制大学卒+420時間の養成講座受講で認められるのだが、短大の場合は大卒ではないので420時間養成講座を受けても資格は得られない。短大卒や高卒の場合は、「日本語教育能力検定試験」に合格しないとダメなのだ。これは、よく受かったなあと思う。その時はまだ40才になる前で、脳みそもちゃんと活動していたのだろう。
ちゃんとした4年制大学を出て、養成講座を出ても、日本語教育能力検定試験に受からないままの人がいるのは、その人たちにとって、受かることが必須ではなかったからなのかもしれない。
学歴のない者にとっては、検定に受からない限り道はないので、何がなんでも受からなくてはならなかったのだ。
しかし、試験に受かっても、私なんかは、外国語が全然できないから、やっぱり必要な能力が足りなかった。大学を出ている人は、外国語ができるのが当たり前だ。だから、仕事も続けられるけど、私は、外国人の学生の言語ができないからダメだ。特に英語。致命的。入学したばかりの中国人の学生に英語で質問されても英語で答えられないという恥だ。
人生をやり直すことができるなら、やっぱり「英語」をちゃんと勉強しておけばよかったと思う。
あと、自分が日本語教師になることに必死になっていて、子どものことをほったらかしにしていたので、子どもの才能を伸ばしてやることができなくて、済まなかったと思っている。でも、うちの子たちは偉い。少なくとも私より偉い。自分で決めた進路をちゃんと歩んで、1人前の社会人になり、親を頼らず自活しているからだ。まともに育ってくれた。私のように不平不満を言わない。私以上に人間ができていると思う。
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話は変わるが、このあいだ、車を運転していてふと思ったんだけど、私は小学生のころ、将来の職業の夢として、「タクシーの運転手もいい」なんて作文に書いたことがあった。
あの頃は、車の運転をするつもりでいたのだ。東京では、車が必要なかったので、なかなか運転免許を取るきっかけがなかったけど、50歳を前にしてタイムリミットで免許を取った。やっぱり運転が好きだったのかなあと思う。
タクシーの運転手にこそなってはいないけど、ちゃんと運転してるなあと、ちょっと感動してしまった。小学生の時の魂は、大人になっても変わらないものだね。
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3年くらいみっちり勉強すれば、何かはものになるのかもしれない。だから、今からでも、何かにチャレンジすれば実現できるのかもしれない。
どれだけ時間が割けるか、どれだけそのことに打ち込めるか、それにかかっている。
50代の夢をかなえることを考えてみようかな。