山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

コンロの点けっぱなし

2015-04-14 19:48:32 | 日記
昨日、お吸い物を作りながらパソコンをやってたら、すっかりガスをつけているのを忘れてしまった。何やら妙な臭いがすると思ったら、すっかり煮詰まって焦げようとしていた。
鍋の中に入っていたのは、だしの素とシイタケとお湯。ダシがなべ底で焦げ付いて茶色くなっていた。しいたけも真黒だった。
全く、煮る必要はなかったのだ。沸騰する程度でよかったのに・・・。完全に水分がなくなるまで加熱されてしまった。
それは捨てて、新たにお湯を沸かしダシの素を入れる。椎茸はもうない。
ハンペンと三つ葉を入れてお吸い物を作った。

うちのガスコンロは、温度が高くなると、ピピッと言って、勝手に炎が小さくなるので、さらに熱くなったら安全装置で止まるのかと思っていたら、焦げるまで止まらないということがわかった。もっと焦げれば消えたのかな?
しかも、ピピッという音さえ聴こえなかった。

昨日、そういうバカなことをしたばかりなのに、今日はゆで卵を作っていて、またやってしまった。ゆで卵は半熟くらいでいいから、10分くらいで充分だった。なのに、またパソコンをやっていて、ふと気がつくとなんと30分も経っているではないか。お湯は煮詰まっていなかったけど、とんだ固ゆで卵だよ。

今日も、またピピッという音は聞こえず。
半熟ゆで卵で卵サンドを作るつもりだったのに、固ゆででどうなるかな?


慰めが慰めにならない

2015-04-14 18:11:56 | 日記

私は、自分が若い時もっと頑張ればよかったと思っている。
そうすれば、今以上の自分になれたはずだし、自分の夢をかなえていたかもしれない。
しかし、若いころは、いとも簡単にあきらめてしまったので、今はこんな状況になっている。

いや、「あきらめた」というか、それ以前に「頑張る」ということを知らなかった。「努力する」という習慣がなかったのである。自分の能力を伸ばすために何かをするという意識がない。

それは、自分の親の代からそうなのだ。勉強を頑張れとか仕事を頑張れと言われたことがない。仕事を頑張ると「頑張るな」と言われる。「なんでそんなに真面目に働く必要があるのか」「もっといいかげんにしたほうがいい」「なんであんたが、苦労しなくちゃならないの」と、そういう「テキトー」な「いいかげん」な「やる気のない」一族なのだ。

放送大学も、「まだやっているのか、やめろやめろ、やったって何の意味もない」と言われている。そういう価値観なのだ。

だから、若いころは、何かを達成したいと思っても、半分はそういう意識に染まっているので、自分自身も努力する気が欠如しているし、燃えようとする火があったとしても、常に周囲から水をかけられているようなものだった。

そういう環境に育った自分には、子供に対しても自分が育ったようにしか、育てることができなかった。要するにボンクラな親であって、子どもには食べ物を与えているだけだった。それで、子どもは自然に育ったが、やはり先祖代々頑張ることを知らない人間なので、これもまた「テキトー」に物事を通過して大人になってしまった。

ふと、他人様を見ると、例えば、子供が小さい時から一流大学に入れるようにきちんと勉強させたりしている。「そのままの自分で入れる所に入る」のではなく「入りたいところに入れるように学力をつける」という意識なのだ。「ありのままの自分が辿り着く将来」ではなく、「辿り着きたい将来に合わせて、自分を成長させる」のである。

「ああ、そういう生き方を他人はしているものなのか」と最近になって気がついたというおろか者だ。

私もちゃんと子供をそういうふうな意識で育てればよかった。もっと頑張ってみようね、と励ましてくればよかったと今になって思うのだ。

それで、私は、知人にその後悔について話した。
すると、知人たちは、今の状況で充分だ、と慰めてくれる。
子どもは立派に育っているじゃないか、それで満足すべきでだ、何も足りないものはない、と。

でも、私には、その慰めは全く慰めにはならないし、同意できない。

確かに、全くダメな結果ではない。
でも、「もっと可能性があった」ということは確かだと思う。
もっと頑張れば、もっと違うものになっていたはずだ。

だから、「今も悪くなはいと思うけど、たしかに、もっと頑張ったり、もっとちゃんとやってきたら、もっとすばらしいものになっていたかもね」と同意してほしいのだ。

「誰でも、後悔することはあるよね」と言ってほしいのだ。

「今あるこれが、あなたにとって最高の状態ですよ、何も後悔することはありません」って、それ、逆にバカにしてますか?
「頑張っても、今と同じですよ」ってことになっちゃうんですよ。あるいは「頑張る必要がなかった」って言いたいいの?

「もっと、頑張る必要があったんだ」と私は思っている。

自分も自分の家族も、「頑張れば、今よりもっとよい結果があった」
そういう可能性を認めてもらいたいんです。

「私も同じように思います」「私ももっと頑張ればよかった」「私も後悔してます」って
そういう反応が一番の慰めだと思う。

養老渓谷・・・断念

2015-04-14 00:21:05 | 日記
今週末、どこか近場に小旅行に出かけようと思っていて、私の候補としては千葉県の「養老渓谷」だったのです。ほかに、奥多摩とか秋川渓谷とか、ドイツ村とかいろいろあるんですが、Riceの「あかしあ」のPVに出て来る映像をみて、養老渓谷に行ってみたいなあと思っていたんです。できれば、アカシアの花が咲くころがいいですが、それは終わったかな?すこしずつ新緑が出始めてるかと思います。ゴールデンウィークではないので、それほど混んでいないと思います。

で、小湊鉄道という小さなローカル線の電車に乗って、渓谷に行き、自然の中を歩いてくるという、地味~な旅がいいなあと個人的に思ったのでした。まさしく、櫻井有紀さんと村田一弘さんが、PVの中でやってることを真似するような旅です。

そして、ちょっと調べたら小さな旅館もいくつかあり、一万円以下で泊まれたり、また、小湊線と宿泊のお得なセットなどもあるようでした。
そこまでは調べたんですけど、さて、その宿っていうのが、かなり不便なようなのです。駅からタクシーなのだそうです。ええ~っ、てことは、タクシー代かかるじゃん。送迎とかないのか。

小湊鉄道に乗りたいし、写真など写したいので、車ではダメ。でも車がないと移動が不便。
私の運転で千葉まで行けないしな。

電車の旅にあこがれてたけど、そういえば、有紀さんとヒロさんが、バス停にうずくまっている場面がPVにあったなあ。1日に3本くらいしかバスがないみたいだった。

現実は厳しそうだ。

それに、ピクニックコースみたいなのがいろいろあるようだけど、結局わけわかんない。
1個しかなければそれでいいけど、いろいろあるとわけわかんない。宿も3~4個ある中から選ぶのにわけわかんない。やっぱり土地勘がない。距離感とか全くわかんない。

そして、最後に夫の「マイナーだ」「行く気にならん」というダメ出し。

ああ、やっぱりダメですよ。ダメダメ。あきらめた~~~。

交通費と宿泊で2人で3万以上かかってしまうし、そのわりに面白くなさそうだっていうからしょうがないです。

いつか、日帰りで1人旅でもしてみるかな。