今日の一大イベントは「自分の大学卒業式」なので、そのことを書かなくては始まらないと思うわけだが、昨日も今日もなんだか気合が入らず、危うく卒業式を忘れるところだった。
着て行く服も決めてあったので安心しきっていたのだが、それが裏目に出て、朝、ハンガーからブラウスをはずして着ようとすると、なんだかシワシワ。ポリエステルなのでアイロンは要らないと思いこみ、次女の卒業式のあと、洗ったままハンガーに掛けておいたらやはりアイロンが必要だったようだ。しかし、もうアイロンなどかけている暇はない。それで違うものをスーツの下に着ることにしたらなんだかやはり合わない。娘も変だというので、またブラウスを着たりして、おおわらわとなった。それで、もう遅刻するかと思ったのだが、意外に早くついて大丈夫だった。
原宿で降りてNHKホールに向ったが、放送大学卒業式の案内板を持った人が角々に立っていたので、間違えることもなく目的地についた。駅を降りたときからそれらしき人が回りを歩いていた。袴をはいて幼稚園くらいの小さい子の手を引き、夫も一緒に歩いている若いお母さんなどがいて、すごく家族的だなあと思った。あんな小さい子がいて大学の試験を受けたり面接授業を受けたりするには、きっとご主人の協力もあったのだろう。なんだかいい風景だ。ホールの前に行くと、着物を着たおばあさんやスーツにコサージュの女性や、年齢も様々な放送大学生の男女と、それに劣らずその人たちと同行し、カメラで記念撮影をする配偶者や親や子供や孫などがたくさん詰めかけていた。
こんなに多くの家族を伴う大学の卒業式って普通はないのではないだろうか?
さらに驚いたのは、会場に入るとステージの上に乗って記念撮影をする人たちが非常に多い。写真のモデルになるのはグループや友達同士ではなく必ずひとりであり、それを写すのが必ず家族のようである。次々にかなりの人数の人たちがステージ上で記念撮影をしていた。10時40分には席に着くようにというのに、11時間際になっても平気で撮影を続けていた。大卒になるのがそんなに嬉しいのかなあとあきれるほどである。校旗のそばに立つ人もいれば、校旗が見えるように広げてポーズをとる人、演壇の横の生け花をバックに撮る人など、後を絶たなかった。校旗に関心を持つ人って普通の学校ではあまりいないような気がする。写真のモデルになる人たちはすごい年配の人もいれば、普通の大学生くらいの人もいた。
いずれにしても、写真撮影をする人たちは、本人のみならず家族の祝福のすごさにも驚く。
家族を連れてこようなどとは夢にも思わなかった私は本当に驚き、また卒業式(学位記授与式)を他の人たちがどれだけ気合をいれ重要なものとしているかに、初めて気がつき、自分も厳粛に受け止めなければと自覚しはじめた。
感動したのは、卒業証書を代表して受取られた石井さんという女性の方が、昭和2年生まれで、産業と技術を専攻されている人であるが、これですべてのコースを卒業されたのだそうだ。私の母が昭和7年生まれで75歳になったところだが、この人は母より5歳も年上なのに、すごいなあと敬服するばかりである。80歳になってもまだまだ人間は成長できるものなのだと思った。初めそのお歳の女性で「産業と技術」の専攻というだけでもちょっと驚いたのだが、すべてを卒業とは本当にすごい。
そのほかに、大学と大学院の人の答辞も聞けてよかった。
学長は丸くて年齢相当の雰囲気をかもし出しており、いい感じだった。
文部科学副大臣と言う人は池坊保子と言う女の人で、50歳は過ぎていると思われる方(あとで調べたところS17年生まれだそうです!)だが、淡く明るいピンクのスーツが似合っていて、非常に品があり華のある人だった。
隣の座席の人は知らない人だったがちょっと話をすることもできた。新潟からいらっしゃったそうだ。午後のパーティーにも出席するとのことだった。今日の式は日本全国から卒業生が集っているんだなと改めて驚いた。知らない人同士でも同じ志を持つもの同士、直ぐに親しくなれそうだ。
数年後に、もう一回この卒業式に出ることになるのかな?
これからも、勉強の機会や人との出会いを大切にしたいと思う。
(娘にデジカメを貸したまま返してもらうのを忘れていました。それで、久しぶりにケイタイで撮影。こんなところも気合が入ってなかったな~と反省。平成18年度放送大学卒業式と書いた表示の前でみんな記念撮影しています。ホール前にて。)
着て行く服も決めてあったので安心しきっていたのだが、それが裏目に出て、朝、ハンガーからブラウスをはずして着ようとすると、なんだかシワシワ。ポリエステルなのでアイロンは要らないと思いこみ、次女の卒業式のあと、洗ったままハンガーに掛けておいたらやはりアイロンが必要だったようだ。しかし、もうアイロンなどかけている暇はない。それで違うものをスーツの下に着ることにしたらなんだかやはり合わない。娘も変だというので、またブラウスを着たりして、おおわらわとなった。それで、もう遅刻するかと思ったのだが、意外に早くついて大丈夫だった。
原宿で降りてNHKホールに向ったが、放送大学卒業式の案内板を持った人が角々に立っていたので、間違えることもなく目的地についた。駅を降りたときからそれらしき人が回りを歩いていた。袴をはいて幼稚園くらいの小さい子の手を引き、夫も一緒に歩いている若いお母さんなどがいて、すごく家族的だなあと思った。あんな小さい子がいて大学の試験を受けたり面接授業を受けたりするには、きっとご主人の協力もあったのだろう。なんだかいい風景だ。ホールの前に行くと、着物を着たおばあさんやスーツにコサージュの女性や、年齢も様々な放送大学生の男女と、それに劣らずその人たちと同行し、カメラで記念撮影をする配偶者や親や子供や孫などがたくさん詰めかけていた。
こんなに多くの家族を伴う大学の卒業式って普通はないのではないだろうか?
さらに驚いたのは、会場に入るとステージの上に乗って記念撮影をする人たちが非常に多い。写真のモデルになるのはグループや友達同士ではなく必ずひとりであり、それを写すのが必ず家族のようである。次々にかなりの人数の人たちがステージ上で記念撮影をしていた。10時40分には席に着くようにというのに、11時間際になっても平気で撮影を続けていた。大卒になるのがそんなに嬉しいのかなあとあきれるほどである。校旗のそばに立つ人もいれば、校旗が見えるように広げてポーズをとる人、演壇の横の生け花をバックに撮る人など、後を絶たなかった。校旗に関心を持つ人って普通の学校ではあまりいないような気がする。写真のモデルになる人たちはすごい年配の人もいれば、普通の大学生くらいの人もいた。
いずれにしても、写真撮影をする人たちは、本人のみならず家族の祝福のすごさにも驚く。
家族を連れてこようなどとは夢にも思わなかった私は本当に驚き、また卒業式(学位記授与式)を他の人たちがどれだけ気合をいれ重要なものとしているかに、初めて気がつき、自分も厳粛に受け止めなければと自覚しはじめた。
感動したのは、卒業証書を代表して受取られた石井さんという女性の方が、昭和2年生まれで、産業と技術を専攻されている人であるが、これですべてのコースを卒業されたのだそうだ。私の母が昭和7年生まれで75歳になったところだが、この人は母より5歳も年上なのに、すごいなあと敬服するばかりである。80歳になってもまだまだ人間は成長できるものなのだと思った。初めそのお歳の女性で「産業と技術」の専攻というだけでもちょっと驚いたのだが、すべてを卒業とは本当にすごい。
そのほかに、大学と大学院の人の答辞も聞けてよかった。
学長は丸くて年齢相当の雰囲気をかもし出しており、いい感じだった。
文部科学副大臣と言う人は池坊保子と言う女の人で、50歳は過ぎていると思われる方(あとで調べたところS17年生まれだそうです!)だが、淡く明るいピンクのスーツが似合っていて、非常に品があり華のある人だった。
隣の座席の人は知らない人だったがちょっと話をすることもできた。新潟からいらっしゃったそうだ。午後のパーティーにも出席するとのことだった。今日の式は日本全国から卒業生が集っているんだなと改めて驚いた。知らない人同士でも同じ志を持つもの同士、直ぐに親しくなれそうだ。
数年後に、もう一回この卒業式に出ることになるのかな?
これからも、勉強の機会や人との出会いを大切にしたいと思う。
(娘にデジカメを貸したまま返してもらうのを忘れていました。それで、久しぶりにケイタイで撮影。こんなところも気合が入ってなかったな~と反省。平成18年度放送大学卒業式と書いた表示の前でみんな記念撮影しています。ホール前にて。)