山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

明日の予定など

2007-03-28 18:58:32 | 未分類過去
いよいよ明日は休みだが、何をしようかと考えると、掃除か模様替えでもしなくちゃなあ~という程度の、ぜんぜん面白くもなんともない日程だ。
次女が専門学校に入るので、ちょっと気分を変えて自分の部屋らしいスペースでも確保させてやりたい。そのために不用品などを思いっきり捨て、大掛かりな改装をする必要がある。明日にはできないにしても、少し手を付けたいと思う。

明日で健康診断から1週間たつ。汚い話で申し訳ないが、便潜血反応のための検便入りケース2本を病院に持参しなければならない。健康診断から10日以内に持っていくことになっているため、明日持っていく予定だ。

それから、私の給料振込みの銀行で積み立て貯金を設定したい。というのは、5時過ぎにおろしたり、土日におろしたりすることがあるために、そのたびに手数料を105円ずつ取られている。通帳を調べたら、10月から現在までにカード手数料だけで525円もかかっていた。それに対して、利子は1年間で59円しか入っていない。本当にバカらしい。
積み立てを設定するとカード手数料がかからなくなるのだ。
毎月、仕事1日分の5000円ずつでも貯金しようかと思う。そして、それはなんとしても自分のへそくりにしたいところだ。

そういえば、桜が3分咲きくらいになっている。明日はもっと咲くだろう。
近所を散歩して、桜の写真でも撮ろうかと思う。

読書は相変らず進まず、図書館で借りた5冊の本は返却期限を過ぎても、1冊も読み終わらないで山積みになっている。欲張りすぎだ。これからは1冊ずつ借りようか。
読書家は並行して同時にいろんな本を読むなどというのをどこかで聞いてまねをしようとしたのだが、全然だめである。とりあえず何冊も借りた中から一番相性のいいのをみつけ、1冊でも読めれば、あとは中途半端でもいいかな?まあ、適当にやっていこう。

4月の入学式までに、次女の入学式用のスーツも買いに行くことになっている。それから、新しいお弁当箱も用意したい。
今まで使っていたのは、白い中ブタがべとべとしてきてしまった。合成樹脂っていうのはそうなってしまうものなのだろうか?ほぼ同時期に買った私と娘の弁当箱両方が最近そうなってきているのだ。専門学校は売店はあるが、学食はなく、だいたい教室で食べるようだ。手作り弁当持参かコンビニ弁当になりそうである。
今になってわかったことだが、私の作る弁当はいつも手抜きのワンパターンで娘は友達に見られるのが恥ずかしかったという。玉子焼きと冷凍食品と野菜の3品しか入っていないのが普通だった。
今度はちょっと気合を入れてみようかなと思っているのだが・・・。
それで、まず新しいお弁当箱と料理の本でも準備しよう、などと思っている。

毎日が上の空

2007-03-28 01:05:34 | 未分類過去
子供の頃は、日曜日まであと何日か?ということばかり考えていた。
当時は週休二日制ではなかったので、木曜日の夜くらいになると「あと1日行って、次の日は半分だ」と思い、そのあとに来る休みだけを楽しみに生きていた。
今は、まず木曜日の休みを目指して生きるので、火曜の夜になると、明日1日行ったら次は休みだと思い、木曜の休みが終わると、あと1日行ったら2日休みだと思って、そんなことばかり考えて生きている。
休みが早く来ないかなあ~と毎日を急いで生きているっていったい何なんだろう?
どう考えたって、毎日を大切にしていないし、有意義に充実させて生きているとはいえない。
「毎日が上の空」である。こんな人生でいいのかなあ?
しかし、年老いて隠居生活になったら、毎日が休みだから、いったいどんなことを考えて生きるのだろうか?
今でも、いざ休みになると、ふぬけになって何をするでもなく昼寝ばかりしている。
一番楽しいのは、やはり休みの前の晩だろう。
明日は休みだと思うことが楽しみだ。

仕事は最近ちょっとマンネリ化だ。
だから生きがいが薄い。
明日会社に行ったら、あさっては休み。
明日の晩は開放感でいっぱい、たのしいぞ!

がんばれシナプス!

2007-03-28 00:17:19 | 未分類過去
ボケの話の続きですが、どういう法則のもとに頭が勘違いを起こすのだろうかと考えてみました。
よく、アタマで思っていることと、口で言っていることが違うことがあります。
以前も私はこのブログで博物館概論のことを図書館概論などと書いてしまい、あとで直したことがあるのですが、うちの母なども姉の子と私の子の名前を言い間違えたりすることがあります。しかし、必ず末っ子同士の名前を間違えるのです。
ということは、その言葉が似ているということや、何らかの関係が似ているということがあるのでしょう。
私の父は脳腫瘍で亡くなったのですが、頭の手術をしたからなのか、病気のせいなのか、もう最期に近い、だいぶ体が弱ってきたころ、やはり頭の働きもかなり鈍ってきたようでした。
父は私の名前を思い出せず、私に向って姉の名前を呼んだりしました。また、父の一番下の妹の名前を言うこともありました。「自分の娘の名前」「一番小さい女姉妹の名前」というふうな共通点なのでしょう。

それで、私が「有楽町」と「浜松町」の名前を間違えたのは、両方とも「新橋の隣」「○○町」と思っているからなのかもしれません。一方が「羽田空港行き」、一方が「銀座」と言う大きな特徴のある違いを意識の中から欠落させて、両方を特徴のない記憶として把握していたのでしょう。自分が飛行機に乗ってどこかに行くわけでもなく、銀座で買物をするわけでもなく、自分にとっては新橋で降りるその前後の駅という印象が実は強かったということでしょう。それで、今回「有楽町」という浜松町と共通性を持つ言葉が頭に降ってわいたのでしょう。
そういえば、この間の博物館の試験で博物館法(1951年)を何の迷いもなく1959年などと自信満々に書いたのも、「ぴったりより一年ずれてる年」などというふうに記憶しているからでしょう。同じパターンの間違いですね。このような紛らわしい記憶の仕方をする癖があるのかもしれません。

どっちにしろ、脳細胞の連絡、活性化が必要です。
頑張れシナプス!