山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

店をふらふら

2007-03-11 23:13:32 | 未分類過去
土日は暇でしょうがない。土曜日の未明、布団の中で寝返りをうったとたんに、この間やった「ぎっくり背中」が再発。また同じ筋を痛めてしまい、痛みで眠れなくなったので、またアリナミンを飲むことになった。ちゃんと治っていなかったらしい。
それで、また区の体育館のエアロビクスやピラティスは中止にした。
大掃除をする気もなし、洗濯もしないで、ぼーっとしていた。起きてしばらくすると背中の痛みはやわらいだのでそっちは特に問題はなかった。
昨日の午後は4時間くらい昼寝をした。

きょうは、2時から4時まで事件物のテレビドラマを見た。
そのあと、ぶらぶらと夕飯の買い物を兼ねてショッピングに出かけた。
春物の服がないので、カットソーを2枚買った。最近は洋服にお金をかけすぎている。
本も買いたいなと思ったが、服にお金を使ってしまったので、予算がない。

先日から、本を話題にした仲間の話についていけない状況なので、本屋で情報収集をした。見えなかった話の内容がいくらか見えてきた。「6巻もあって大変だ」「あさのあつこはあまり好きではない」などという人の話を聞いていたのだが、何のことやらわからず、「浅野温子か・・、浅野温子が主演でもしているのかな?」などと思っていた。
それが、ひらがなの「あさのあつこ」という作家が書いた「バッテリー」という作品だということがやっとわかった。とんだ勘違いである。女優の浅野温子だと思ってたんだから、話に加わらず黙っててよかった、と思った。
10代の子に人気らしく、中学生のお子さんがいる人はよく知っているようだ。
話題についていくためだけに6巻も読む(読むためには買う)元気はないから、やめておいた。また、山崎豊子の「華麗なる一族」3巻も同様だった。こっちのほうが内容には関心があるが、やはり買ってまで読む気力はない。

本屋の文庫本売り場の様相は昔とはずいぶん変わっている。昔は、夏目漱石・太宰治・川端康成・芥川龍之介、等の一連の作品が並んでいたが、今はそのような時代のものは古典文学のようになっていてほとんど見かけない。その代わり新しい作家の新しい作品が並び、さらには平積みして表紙を見せる置き方が主流になってきているようである。棚の上のほうでも、背表紙をだして差し込む形ではなく、表紙を見せて平たく陳列して目立たせている。
村上春樹、東野圭吾、宮部みゆき、島田雅彦、などは名前ぐらいは知っているが、その他知らない名前ばかりである。
まったく浦島太郎だ。

それでも、本屋をふらつくだけでもいくらか情報収集ができるもんだと思った。
なんのことはない、やはり映画化されたりテレビドラマ化されたものが多く、多くの人はそのような話題をもとに原作を読むという動きをしているようである。

お金がないので、自分にはやはり図書館だなと思い帰宅した。図書館で新刊話題作を借りることはほぼ不可能なので、人気作を追いかけるのはやはりやめておく。あとは、また親友が貸してくれた本があるので、それを読むことにしよう。

でも本屋で、これはと思う作家に出会いたいものだなあ。
びびっとくる題名や表紙の本に出会ったら、それを直感的に買って読みたいなと思ったのだが、あいにくそういうのには出会わなかった。

街に出てふらふらしているとついついお金を使ってしまうものである。
暇つぶしはだめだなあ。
でもそういうことをしないと世の中から取り残されれてしまうだろうから、それも必要だな。