会社に勤めていた中国人の方が、今日で会社をやめて帰国することになりました。
働いている部署が少し違うので、今まで一度も話をしたこともなかったのですが、私は少なからずこの人に好感を抱いていました。
というのも、根本的に私は中国人が好きなのです。
それで、この人とは仕事上の接点はなかったのですが、昼休みなど廊下ですれ違ったりするときに、同じ会社に勤める人というだけで簡単な会釈をするくらいでした。
するとこの人はいつもにこにこして会釈をし、挨拶を交わしてくれました。
まさか会社を辞めてしまうなどとは思っていなかったので、そのうちに機会があったら、いろいろな話をしたいなあと思っていたのですが、その機会もないままに終わってしまい本当に残念でした。
今月の初めころ、この人が辞めることをしりました。人が会社をやめるときは決まってメッセージカードというのが回ってきます。社員会の幹事が準備をするのが恒例です。
それで、ぜひともそのメッセージカードに私が一度お話したかったことなど書き、さらに中国語の言葉をそえようと考えていました。
ところが、そのいつも配られるメッセージカードの記入が今回は全然回ってこないのです。
その人の部署のパートさんに、まだ回ってこないけどどうしたのかな?と聞いたところ、今回はその人の部署の内部でしかメッセージを書かないことになったのだとのことでした。
どうして?なんで今回に限ってまわさないのだろう?
きょう、残業をしていつもより遅くまで残っていると、社内で5時過ぎにその人のお別れをするということでみんなが集まったので、私もその場に行きました。
花束などを贈呈したのですが、そこでその人が簡単な挨拶をしました。とてもウィットに富んだスピーチでしたが、そのとき、自分は外国人だが皆さん差別もしないで接してくれてありがとうございましたという話もされました。
確かに差別なんかしなかったとは思いますが、でも、なんかちょっと違うんじゃないかな?と思いました。なんとなく、会社の人たちは日本人に対するよりも他人行儀なんじゃないだろうかと思いました。メッセージカードにしたって何で全員に書く機会を与えなかったのか?どうして幹事がその人の部署だけにしようという判断をしてしまったのか?どうせ他の部署に親しい人はいないからと勝手に決め付けたんじゃないだろうか?そして、実際に他の部署の人が積極的にその人と親しくなろうとは思っていなかったのかな?などと思います。もちろんその人と本当に親しい人は身近なところに多くいたとは思いますけど、他の部署の社員さんたちも仕事上多少のやりとりはあったはずです。
とにかく今回は今までやめて行った日本人社員に対するのとは違うやり方だったわけです。
私は中国の人ときくと、自ら寄っていきたくなってしまうのですが、もしかしたら他の人の感覚はそうではないのかもしれません。
それが欧米人だったらまた違う反応を示すような気がします。
中国の人と一口に言ってもいろいろな人がいます。それは日本人でもいろいろな人がいるのと同じです。悪い例ではマナーが悪く常識を外れたひともいますが、逆にものすごく紳士的で教養のある人もいます。会社で働いていたそのひとはその後者のほうです。
私が今までつきあってきた中国人にも本当に立派な人がたくさんいました。
一番最初に知りあった中国人は日本の大学に招聘された客員教授でしたが、それは私が最初に日本語のボランティアをした人で、その教養といい誠実さといい、最たるものでした。
日本社会の中で暮らす中国語の先生たちも尊敬できる魅力的な人ばかりでした。
日本語学校の中国人の学生はピンからキリまでいろいろですが、中国人に信頼できる優れた人が多くいることは事実で、それは中国という品格を感じるものでした。
日本語教師をやめて全く違う分野の今の会社に勤めた時に、そこに中国の人が勤めているというのを知って、なんだかとてもうれしかったのです。
その人がひとりいるだけで、過去とのつながりが保てるような気がしました。
今の会社に勤めるに至ったのは、会社のホームページが日本語・英語のみならず中国語版もあったことにも関心をもったのが原因でした。きっとその人が作ったのかなと思いました。
そんな張り合いをもたらしてくれた人ですが、一言もコミュニケーションを交わさないまま終わってしまい、本当に残念でした。
またいつかどこかで会えればいいなと思います。
(写真:季節はずれのつつじ。もう咲いちゃってる。5月になったらどうなるのか?)
働いている部署が少し違うので、今まで一度も話をしたこともなかったのですが、私は少なからずこの人に好感を抱いていました。
というのも、根本的に私は中国人が好きなのです。
それで、この人とは仕事上の接点はなかったのですが、昼休みなど廊下ですれ違ったりするときに、同じ会社に勤める人というだけで簡単な会釈をするくらいでした。
するとこの人はいつもにこにこして会釈をし、挨拶を交わしてくれました。
まさか会社を辞めてしまうなどとは思っていなかったので、そのうちに機会があったら、いろいろな話をしたいなあと思っていたのですが、その機会もないままに終わってしまい本当に残念でした。
今月の初めころ、この人が辞めることをしりました。人が会社をやめるときは決まってメッセージカードというのが回ってきます。社員会の幹事が準備をするのが恒例です。
それで、ぜひともそのメッセージカードに私が一度お話したかったことなど書き、さらに中国語の言葉をそえようと考えていました。
ところが、そのいつも配られるメッセージカードの記入が今回は全然回ってこないのです。
その人の部署のパートさんに、まだ回ってこないけどどうしたのかな?と聞いたところ、今回はその人の部署の内部でしかメッセージを書かないことになったのだとのことでした。
どうして?なんで今回に限ってまわさないのだろう?
きょう、残業をしていつもより遅くまで残っていると、社内で5時過ぎにその人のお別れをするということでみんなが集まったので、私もその場に行きました。
花束などを贈呈したのですが、そこでその人が簡単な挨拶をしました。とてもウィットに富んだスピーチでしたが、そのとき、自分は外国人だが皆さん差別もしないで接してくれてありがとうございましたという話もされました。
確かに差別なんかしなかったとは思いますが、でも、なんかちょっと違うんじゃないかな?と思いました。なんとなく、会社の人たちは日本人に対するよりも他人行儀なんじゃないだろうかと思いました。メッセージカードにしたって何で全員に書く機会を与えなかったのか?どうして幹事がその人の部署だけにしようという判断をしてしまったのか?どうせ他の部署に親しい人はいないからと勝手に決め付けたんじゃないだろうか?そして、実際に他の部署の人が積極的にその人と親しくなろうとは思っていなかったのかな?などと思います。もちろんその人と本当に親しい人は身近なところに多くいたとは思いますけど、他の部署の社員さんたちも仕事上多少のやりとりはあったはずです。
とにかく今回は今までやめて行った日本人社員に対するのとは違うやり方だったわけです。
私は中国の人ときくと、自ら寄っていきたくなってしまうのですが、もしかしたら他の人の感覚はそうではないのかもしれません。
それが欧米人だったらまた違う反応を示すような気がします。
中国の人と一口に言ってもいろいろな人がいます。それは日本人でもいろいろな人がいるのと同じです。悪い例ではマナーが悪く常識を外れたひともいますが、逆にものすごく紳士的で教養のある人もいます。会社で働いていたそのひとはその後者のほうです。
私が今までつきあってきた中国人にも本当に立派な人がたくさんいました。
一番最初に知りあった中国人は日本の大学に招聘された客員教授でしたが、それは私が最初に日本語のボランティアをした人で、その教養といい誠実さといい、最たるものでした。
日本社会の中で暮らす中国語の先生たちも尊敬できる魅力的な人ばかりでした。
日本語学校の中国人の学生はピンからキリまでいろいろですが、中国人に信頼できる優れた人が多くいることは事実で、それは中国という品格を感じるものでした。
日本語教師をやめて全く違う分野の今の会社に勤めた時に、そこに中国の人が勤めているというのを知って、なんだかとてもうれしかったのです。
その人がひとりいるだけで、過去とのつながりが保てるような気がしました。
今の会社に勤めるに至ったのは、会社のホームページが日本語・英語のみならず中国語版もあったことにも関心をもったのが原因でした。きっとその人が作ったのかなと思いました。
そんな張り合いをもたらしてくれた人ですが、一言もコミュニケーションを交わさないまま終わってしまい、本当に残念でした。
またいつかどこかで会えればいいなと思います。
(写真:季節はずれのつつじ。もう咲いちゃってる。5月になったらどうなるのか?)