順番があとさきになったが、国立劇場小劇場2月文楽公演第二部の感想。
そのメイン演目の「曽根崎心中」についてちょっと書く。
先月の歌舞伎座・坂田藤十郎襲名披露公演で扇雀時代から50年以上持役にされてきたお初を初めて観た。その時の感想はこちら
その前後のお勉強2つ。①NHK「その時、歴史が動いた」で「曽根崎心中」の初演についてとりあげていたのを見た。②演劇界の別冊版『平成の坂田藤十郎』を読んだ。その中で得た知識からご紹介。
竹本義太夫の一座の座付き作者としてスタートした近松門左衛門は坂田藤十郎のために10年くらい歌舞伎作者として活動していたが、歌舞伎に客をとられて困っていた竹本義太夫に頼まれて「曽根崎心中」を書いて一座の危機を救った。しかし心中の大流行を招き、幕府による上演禁止をくらって以来ずっと途絶えてしまっていた。それを昭和28年に武智歌舞伎の公演として復活上演(宇野信夫脚本)、扇雀ブームを巻き起こすほど大ヒットして以来人気狂言になったのだ。扇雀は文楽に息の継ぎ方、詰め方を学んだのだという。だからあの緊張感が出せるのねと納得した。
そしてこの歌舞伎のヒットから文楽でも復活上演したのだという。こういう関係もあるのか、それもまた面白いと思った次第。
以下、今回観劇の感想に入る。
1.『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』
生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段
文楽では通常女の人形は足を出さず、足遣いが着物の裾の裏に拳骨の形で手をあてて足があるような感じを出しているのだ。ところがこの演目ではお初が独り言のふりをしながら床下にいる徳兵衛に足先で心中の覚悟を確認する場面がある。そこで出ました出ました、白い小さな足が!それを喉に押し当ててかき切るしぐさをする徳兵衛。これはたまらん、人形なのに官能を感じてしまった。(翫雀徳兵衛に二枚目を感じないからいけなかったのだ。上記の写真集でみたら数年前の舞台写真の翫雀徳兵衛、まだ許容範囲だったのがわかった。一体どうしちゃったの?父上も昭和61~62年頃は丸々してたから太りやすい体質は遺伝なのね)
我當がハマり役でみせてくれた平野屋久右衛門が甥を許して金を持って扇屋に迎えにきたのだという場面は歌舞伎での入れ事らしくこちらにはない。そのために無理やり九平次も扇屋に泊まっていて悪事がバレテ...という場面もないし、物語がシンプルでスピーディーに心中に向かってすすんでいく。
道行の場面も♪「この世も名残~」♪をたっぷりききながら、背景画をするすると右から左へと移動させることで天神の森へと深く分け入っていく様子がうまく出ている。
そうして人形だからこそできる心中の場面。お初を先に脇差で刺し殺すと徳兵衛は自分の喉をかき切って、お初の上に重なって果てる。そうか床下での覚悟を伝えたイメージそのままの最後なのねと納得。歌舞伎では徳兵衛が脇差を振り上げてそこでストップだったからね。
その美しい死に様よ。これは流行しますよ、心中が~。これは文楽の方が好みだなと自覚した。あと新企画「ロックで曽根崎心中」という公演が昨年やはり国立劇場小劇場の文楽公演であったらしいが、再演があったら是非観たいと思っている。
徳兵衛・お初を吉田玉男・簑助のゴールデンコンビが遣うところを観たかったのだが、玉男さん休演で代りに桐竹勘十郎。簑助さんの弟子ということで呼吸はぴったりだった。でもやっぱり一度はゴールデンの観劇を切望。大夫さんでは道行の徳兵衛を今人気が出ている咲甫大夫チェックしたけれど、声量が細くて印象に残らなかった。若手さん人気に負けずに力をつけてほしい。
2.『小鍛冶(こかじ)』
これも能に原作があって猿翁が歌舞伎で初演したものを文楽にした作品とのこと。第二部は歌舞伎→文楽の作品で統一したのかな。
お話の概要は...帝の詔勅で刀をつくることを命じられた小鍛冶宗近が自分の力と対等の相槌をつとめる人材がいないと嘆いている。そこに常日頃に信心している稲荷明神が化身してあらわれ、相槌をつとめてくれて立派な宝刀「小狐丸」が打ちあがるという内容。
白狐の化身らしく真っ白いザンバラ髪の頭の上に狐の姿をいただいた稲荷明神が頑張っていて、ついつい双眼鏡で頭の狐のつくりものを何度もチェックしてしまった。刀を鍛える場面でふたり(?)が交互に金属音もリズミカルに打つところがなかなか観ていて目にも耳にも心地よかった。
人形遣いが主遣いを含めて皆さん顔を出していなかったと記憶しているが、顔を出す出さないってどういう決め事があるのかしらとちょっと疑問がわいたのだけど...。どなたがご存知ないでしょうか?
写真は今公演のチラシ写真。公演のサイトより。
そのメイン演目の「曽根崎心中」についてちょっと書く。
先月の歌舞伎座・坂田藤十郎襲名披露公演で扇雀時代から50年以上持役にされてきたお初を初めて観た。その時の感想はこちら
その前後のお勉強2つ。①NHK「その時、歴史が動いた」で「曽根崎心中」の初演についてとりあげていたのを見た。②演劇界の別冊版『平成の坂田藤十郎』を読んだ。その中で得た知識からご紹介。
竹本義太夫の一座の座付き作者としてスタートした近松門左衛門は坂田藤十郎のために10年くらい歌舞伎作者として活動していたが、歌舞伎に客をとられて困っていた竹本義太夫に頼まれて「曽根崎心中」を書いて一座の危機を救った。しかし心中の大流行を招き、幕府による上演禁止をくらって以来ずっと途絶えてしまっていた。それを昭和28年に武智歌舞伎の公演として復活上演(宇野信夫脚本)、扇雀ブームを巻き起こすほど大ヒットして以来人気狂言になったのだ。扇雀は文楽に息の継ぎ方、詰め方を学んだのだという。だからあの緊張感が出せるのねと納得した。
そしてこの歌舞伎のヒットから文楽でも復活上演したのだという。こういう関係もあるのか、それもまた面白いと思った次第。
以下、今回観劇の感想に入る。
1.『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』
生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段
文楽では通常女の人形は足を出さず、足遣いが着物の裾の裏に拳骨の形で手をあてて足があるような感じを出しているのだ。ところがこの演目ではお初が独り言のふりをしながら床下にいる徳兵衛に足先で心中の覚悟を確認する場面がある。そこで出ました出ました、白い小さな足が!それを喉に押し当ててかき切るしぐさをする徳兵衛。これはたまらん、人形なのに官能を感じてしまった。(翫雀徳兵衛に二枚目を感じないからいけなかったのだ。上記の写真集でみたら数年前の舞台写真の翫雀徳兵衛、まだ許容範囲だったのがわかった。一体どうしちゃったの?父上も昭和61~62年頃は丸々してたから太りやすい体質は遺伝なのね)
我當がハマり役でみせてくれた平野屋久右衛門が甥を許して金を持って扇屋に迎えにきたのだという場面は歌舞伎での入れ事らしくこちらにはない。そのために無理やり九平次も扇屋に泊まっていて悪事がバレテ...という場面もないし、物語がシンプルでスピーディーに心中に向かってすすんでいく。
道行の場面も♪「この世も名残~」♪をたっぷりききながら、背景画をするすると右から左へと移動させることで天神の森へと深く分け入っていく様子がうまく出ている。
そうして人形だからこそできる心中の場面。お初を先に脇差で刺し殺すと徳兵衛は自分の喉をかき切って、お初の上に重なって果てる。そうか床下での覚悟を伝えたイメージそのままの最後なのねと納得。歌舞伎では徳兵衛が脇差を振り上げてそこでストップだったからね。
その美しい死に様よ。これは流行しますよ、心中が~。これは文楽の方が好みだなと自覚した。あと新企画「ロックで曽根崎心中」という公演が昨年やはり国立劇場小劇場の文楽公演であったらしいが、再演があったら是非観たいと思っている。
徳兵衛・お初を吉田玉男・簑助のゴールデンコンビが遣うところを観たかったのだが、玉男さん休演で代りに桐竹勘十郎。簑助さんの弟子ということで呼吸はぴったりだった。でもやっぱり一度はゴールデンの観劇を切望。大夫さんでは道行の徳兵衛を今人気が出ている咲甫大夫チェックしたけれど、声量が細くて印象に残らなかった。若手さん人気に負けずに力をつけてほしい。
2.『小鍛冶(こかじ)』
これも能に原作があって猿翁が歌舞伎で初演したものを文楽にした作品とのこと。第二部は歌舞伎→文楽の作品で統一したのかな。
お話の概要は...帝の詔勅で刀をつくることを命じられた小鍛冶宗近が自分の力と対等の相槌をつとめる人材がいないと嘆いている。そこに常日頃に信心している稲荷明神が化身してあらわれ、相槌をつとめてくれて立派な宝刀「小狐丸」が打ちあがるという内容。
白狐の化身らしく真っ白いザンバラ髪の頭の上に狐の姿をいただいた稲荷明神が頑張っていて、ついつい双眼鏡で頭の狐のつくりものを何度もチェックしてしまった。刀を鍛える場面でふたり(?)が交互に金属音もリズミカルに打つところがなかなか観ていて目にも耳にも心地よかった。
人形遣いが主遣いを含めて皆さん顔を出していなかったと記憶しているが、顔を出す出さないってどういう決め事があるのかしらとちょっと疑問がわいたのだけど...。どなたがご存知ないでしょうか?
写真は今公演のチラシ写真。公演のサイトより。
戸浪と申します。よろしくお願いします。
文楽>歌舞伎>能という順番で(懐具合とも
相談しながら・・苦笑)観ております。
>人形遣いの黒衣と出遣いについてですが:
私のわかる範囲でカキコさせていただきます。
人形遣いは「黒衣」が基本です。が色んな事情で近年は「出遣い」が増えました。
色んな事情とは:
観客:誰が遣っているか知りたい。
人形遣い:顔を出す事で、ことに若い人形
遣いは、励みになる。
興行主:出遣い、ことに美男の人形遣いは
昔も今も大変な人気(例・故桐竹紋十郎など)スターを作り、人形浄瑠璃の人気を演出
したかった。松竹の時代から出遣いが増えたと聞いています。
等などが非常に大まかですが出遣いが増えた理由です。
例外的に左・足遣いが「出遣い」になる
のは「景事」の様式性の強い演目です。
例えば「阿古屋」「奥庭狐火」「勧進帳」や
先日の「小鍛冶」など。
これらの演目は、左・足遣いの見せ場も多いので出遣いになります。また、主遣いは肩衣を付けて出る場合もあります。
あっ、それと、必ず全員黒衣という場面は
大序(物語の発端)。
それと何体も人形が出る場面。人形遣いの顔がうるさいので必ず、黒衣です。
少数だそうですが、近年の出遣いが増えた
上演に対して、「気が散る」と言う人形
遣いもおられるそうです。
ついで、ですが、先日の曾根崎は道行だけ
出遣いで、他は黒衣。あれは初演当初の演出
に戻しての上演だったそうですよ。
こちらはTB成功\(^O^)/
数打ちゃ当たる!って沢山やってみたら、「曽根崎心中」の方じゃなくて「小鍛冶」になっちゃいました…。
お!戸浪様だ!
咲甫大夫は、上達してきましたよ。
今発展途上の人です。今後が楽しみですね!
「床本」の有り難味が、「字幕」で薄れました~。
パラパラと「床本」をめくる音がさっぱりしなくなったし。
字幕見るからイヤホンガイドを卒業した人もいます。
でも、家でゆっくり思い出すことが出来るので、やっぱり「床本」さまさまで~す。
雑食のとみです。
国立で上演されれば見るということで,年4回文楽を観劇します。人形のすばらしさもさることながら重奏低音の太棹と太夫さんの野太い語りに,癖になりそうです。
三人出遣いは,じっちゃん,とーちゃん,にーやんと三世代が一体の人形を遣うということを目の当たりにしますので,文楽の来し方行く末を見るようでいいですね。
四月は,道明寺抜きの菅原伝授手習鑑がありますので行って参ります。
★戸浪さま
かしまし娘さんの「河庄」の記事のコメント欄の盛り上がりの中でお見かけした方ですね。こちらこそはじめましてm(_ _)m
>人形遣いの黒衣と出遣いについて...レクチャーありがとうございました。文楽はまだNHKの「文楽入門」くらいの知識しかないのでご説明なるほどなるほどと読みました。
けっこう文楽はハマリそうです。これからもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
★かしまし娘さま
「小鍛冶」の記事のTBありがとうございます。その記事の中のリンクをたどれば「曽根崎心中」にたどりつけるので、とても有難いです。「ロックで曽根崎心中」という公演にも観にいかれたのですね。そちらのレポも楽しく読みました。
国立小劇場の字幕の電光掲示板、本当にいいです。歌舞伎でいつもお世話になっているイヤホンガイドは文楽では使わないでおこうと思ってます。耳からだけでなく目からも義太夫の内容を頭にたたきこむということで貧乏性の私は寝ないですみます。目は文字も追いつつ人形の動きも見逃さないように裸眼でみたり双眼鏡でみたりと忙しく、寝るひまがないくらいです。あとは家で床本を楽しめるくらいになりたいなあ。
★「風知草」のとみ様
国立文楽劇場での通し狂言・本朝廿四孝のTBをありがとうございました。大阪の国立文楽劇場は昔幸四郎が江守徹と『アマデウス』を上演した時に行ったことがあります。文楽は東京に戻ってきてから、それも最近楽しみになってきたというレベルです。
>人形のすばらしさもさることながら重奏低音の太棹と太夫さんの野太い語りに,癖になりそう...というのは、全く同感です。
5月文楽も楽しみになってきました。
「文楽にもはまりそう!」とのコメントを受けて、ならばもっとはまっていただこう!と思い(笑)、遅ればせながら2月文楽公演記事をTBさせていただきました。
TBはしていませんが、第一部のレポ&感想や、第二部を観ての二人トークなどもブログにアップしていますのでよろしければあわせてご覧ください!!
歌舞伎と文楽を比べながら観る面白さに目覚めてしまいましたので、深みにハマりそうな感じがします。まずは住大夫さんをマークし、玉男さんの人形遣いもぜひぜひナマで観ておきたいと思っています。