ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(2)初めて堪能できた「熊谷陣屋」

2010-04-26 23:59:53 | 観劇

義太夫狂言の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」は、「熊谷陣屋」だけでなく「組討」なども観ているのだが、これまではどうにも感想を書く気が起きなかった演目。
Yahoo!百科事典の「一谷嫩軍記」の項はこちら
今回初めて感想を書く意欲が湧いたので、しっかりアップ!

【一谷嫩軍記 熊谷陣屋(くまがいじんや)】
以下、公式サイトよりあらすじと今回の配役をほぼ引用、加筆。
熊谷直実(吉右衛門)が自らの陣屋へ戻ってくると、堤軍次(歌昇)と国元にいる筈の妻の相模(藤十郎)が出迎える。熊谷は妻を叱り、一子小次郎の働きや平敦盛を討ちとったことを告げると、敦盛の母、藤の方(魁春)が熊谷に斬りかかる。これを止めた熊谷は、敦盛の最期の様子を物語る。
そこへ源義経(梅玉)が亀井六郎(友右衛門)、片岡八郎(錦之助)、伊勢三郎(松江)、駿河次郎(桂三)を引き連れて敦盛の首実検にやって来る。熊谷が敦盛の首を差し出すと、驚く藤の方と相模。義経は敦盛の首と言うが、実は小次郎の首。義経は「一枝を伐らば一指を剪るべし」という制札に託して後白河法皇の落胤である敦盛を救うよう熊谷に命じていた。ここへ梶原平次景高(由次郎)が現れ義経が敦盛を救った事を頼朝へ言上すると駆け出すところへ、石屋の白毫弥陀六(富十郎)が石鑿を投げ、梶原は絶命。弥陀六が平宗清であると見抜いた義経は、救った敦盛を預ける。そして義経の前に進み出た熊谷が兜を脱ぐと...。

今月の第二部の「寺子屋」ともどもに子どもをお身替りにして首を差し出す悲劇なのだが、母の相模はそのことを事前に知らされない。原作(人形浄瑠璃では今も)では夫婦して出家するのを九代目團十郎が熊谷のみが剃髪、出家というようにしたらしい。→All Aboutの「熊谷陣屋」の記事はこちら
これまで観た熊谷は、吉右衛門の時も幸四郎の時も時代物の台詞回しが口にこもるので聞き取りにくく、どうにも物語りに入りにくかった。今回はようやくなんとか聞き取れたのと、藤十郎の相模とのやりとりが実に大芝居で、ぐいぐいと引き込まれた。藤十郎の相模が小次郎への思いに引かされて、夫の戒めを破ってはるばる東国から京の都の陣屋まで来てしまったという母親像を浮かび上がらせる。さすがに藤十郎だと思った。

実はここがこの芝居のポイントになるということに今回初めて気がついた。「寺子屋」の千代のように夫が子を身替りに死なせるということを聞き分けるような女ではないのだ。だから熊谷は一人でこの悲しい計略をすすめてしまうし、陣屋に押しかけてきた妻を罵倒するまで不機嫌になるのだ。
宮中の官女だった相模は熊谷と不義密通して身ごもってしまい、後白河院の寵愛を受けている藤の方の口添えで東国で一緒になることができたという過去がある。熊谷もいくら主の義経が命じたこととはいえ、恩ある藤の御方の産んだ院のご落胤を助けるためだからこそ、自分の子どもを身替りにする決断をしたのだと思う。
しかしながら事前に相模を説得することはしなかった。そのことを心苦しく思う熊谷の心持ちを今回ほど感じ取れたことはない。藤の御方に首を見せよと相模に命じ、首桶の蓋を開けるまで相模を息をつめたようにじっと見つめる吉右衛門の熊谷の思いつめた姿に驚き、一気にこの男の悲しみ苦しみに打たれてしまった。それからの藤十郎の相模の驚きと煩悶にも心を揺さぶられる。

身替りの計略を頼朝に注進しようとする梶原を成敗した白毫弥陀六の富十郎の芝居も堪能。さよなら公演の大顔合わせで「熊谷陣屋」の面白さが一気にわかってしまって嬉しさをかみしめる。

最後に、暇乞いをゆるされた熊谷が一人で出家の姿に変わり、黒谷(浄土宗)へ向かうのだが、相模はただただ打ちひしがれている。熊谷は相模には合わせる顔がないので、顔をそむけ、ただ一人この世の無常さを嘆き、悲嘆の涙にくれながら、走り去っていく幕切れ。

吉右衛門の抑制を効かせた悲嘆の熊谷は実に大悲劇の主人公にふさわしく、鼻をすすりながらの泣き顔に私もついついもらい泣き(T-T)
しかしながら、舞台の上に取り残された妻の相模の悲劇にも今回はあらためて焦点をあてて観ることになり、子を失うことで夫婦がそれぞれの悲しみを共有することもなく別れていくという「男の独りよがりの美学」的な演出の功罪を感じることにもなった。
九代目團十郎に言いたい!「熊谷の悲嘆振りが際立つけれど、その分やっぱり相模が可哀想すぎるよ~」

写真は歌舞伎座正面の御名残四月大歌舞伎の垂れ幕。手前にカウントダウン時計が見える。
4/24御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」


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4 コメント

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★スキップさま (ぴかちゅう)
2010-05-03 18:27:33
相模をじっと見続ける熊谷の吉右衛門丈の表情に釘付けになってしまいました。藤十郎丈の相模と吉右衛門丈の熊谷の間の芝居が濃かったですよね。
>同じように自分の子供を犠牲にした母であっても、それぞれに違った悲しみを持っている......そうなんですよ。共感していただいて嬉しいです。
御名残四月大歌舞伎、第三部の「助六」までのアップが完結しました。そちらもよろしくです(^O^)/


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相模と千代 (スキップ)
2010-05-01 12:54:05
ぴかちゅうさま
御名残四月大歌舞伎は、さよなら公演の最後を飾るにふさわしい力作ぞろいで、本当に楽しめましたね。


「熊谷陣屋」はこれまで、直実の苦悩や悲嘆に焦点をあてて観ていましたが、今回、藤十郎さんの相模がすばらしくて、改めて相模の悲しみが増幅されて伝わってきました。
二部の「寺子屋」の千代と対比したぴかちゅうさんのレポを読ませていただいて、同じように自分の子供を犠牲にした母であっても、それぞれに違った悲しみを持っていることがより深く理解できました。
すばらしいレポ、ありがとうございました。
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★mayaさま (ぴかちゅう)
2010-04-30 01:40:40
コメント有難うございます。お返事遅れてごめんなさいm(_ _)m
夫にさっさと出家されてしまった相模が本当に可哀想に思えてしまったのです。ただ藤十郎丈の相模は追って出家する心持ちでと筋書にありました。さすがに本業を大事にする藤十郎丈だと思いました。
確かに以下に家来の子とはいえ、自分の身替りで死なせてしまった命があることを受け止めながら生きていかなければならない敦盛や菅秀才も哀れといえば哀れです。重いものを背負って生きていくのですから。ただ、人間は多かれ少なけれ、何かを背負って生きていかなければならないような気がするので、それも運命かもと思いながら、とにかく生きられるだけ生きるしかないでしょうね。
出家後の熊谷は確か法然上人の弟子になったのですよね。昨年「法然と親鸞」という前進座のお芝居も観たし、仏教の本も少しかじったので、さもあらんと納得していたところです。
一度、團十郎丈や仁左衛門丈で熊谷を観てみたいと思っています。
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Unknown (maya)
2010-04-27 10:27:43
お久しぶりです。私もこの芝居は相模が哀れでなりません。そして身代わりになった息子と助けられた敦盛の心中も哀れでなりません。16歳ともなれば、母親がなんと言おうと父親に頼まれたら、この武士の世界では「わかりました」と答えるでしょう。敦盛も自分の代わりに父に討たれた子がいることを、菅秀才よりもっと複雑にとらえるでしょう。
團十郎がその後の熊谷の話を「團十郎復活」で書いてますが、それぞれのその後はどうなるのかなあという余韻が残る芝居ですね。
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