ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/10/15 国立劇場「将軍江戸を去る」新播磨屋一門によるドラマを堪能

2010-11-09 23:59:31 | 観劇

前の演目「天保遊侠録」の感想を書いてから、ずいぶんと間があいてしまったが、勝麟太郎つながりの2本立てなのでしっかりと書いておく。今年の大河ドラマ「龍馬伝」もちょうど「大政奉還」直前!

「将軍江戸を去る」は2008年4月に三津五郎の徳川慶喜で観ているが、その時は残念ながらあまり面白いとは思えなかった。そういうイメージで2009年5月の前進座の国立劇場公演も見送ってしまっていたのは勿体なかったかもと思えた今回の舞台・・・・・・。

【将軍江戸を去る】二幕四場
作:真山青果 演出:真山美保、織田紘二
第一幕 江戸薩摩屋敷
第二幕 第一場 上野の彰義隊、第二場 同 大慈院、第三場 千住の大橋
今回の配役は以下の通り。
西郷吉之助=歌昇 勝麟太郎(海舟)=歌六
村田新八=松江 中村半次郎=種太郎
徳川慶喜:吉右衛門 山岡鉄太郎(鉄舟):染五郎
高橋伊勢守(泥舟):東蔵 天野八郎:由次郎
間宮金八郎:種太郎 土肥庄次郎:種之助、ほか

今回は「江戸薩摩屋敷」があることで、江戸城総攻前夜の攻防の両陣営の人間たちが必死に思いをめぐらし葛藤し、決断をしていくことで時代が大きく動いていったのかと感嘆させられるドラマになっていた。そして役者たちは、その人物としてそこに生きているが如くであった。

薩摩藩士の若手、中村半次郎と村田新八が言い争う幕開け。大政奉還後も江戸では将軍を支持する勢力が強い。あくまで官軍に抵抗するを迎え撃つという動きをみせ、官軍は城下を焼き払ってでも城を落とす作戦なのだ。それを総指揮たる西郷がためらっているのではないかと口論しているのだが、実は薩摩弁がよく聞きとれず何を言っているのかわかりづらかった(^^ゞ種太郎が大人の役をやるようになったなぁという感慨でよしとする。

歌昇の西郷吉之助は、登場した時からその堂々とした体躯が上野のお山の西郷隆盛像のイメージと重なる。西郷は誰かをじっと待ちながら、藩邸近くの町人の喧嘩を眺めていたという。その姿にも若者たちは苛立って噛みつくが、半次郎が勝手に上野の彰義隊と斬りあったことを逆に軍律違反と叱る。
そこに西郷が待っていた幕府方の海軍奉行勝麟太郎が到着。両軍の参謀同士の直接会談を申し入れに行ったのは海舟の弟子である山岡鉄太郎。有名な絵になっているような座敷での会談ではなく、庭先の陶器の卓と椅子で向かいあう。これは場面を変えないですませる工夫なのだろう。

歌昇と歌六のやりとりの芝居が実に聞かせるのだ。勝は江戸の町を戦火で荒らすことをしないことと慶喜の助命を申し入れる。官軍の要求は慶喜の切腹と皇女和宮を戻すことだが、西郷は慶喜の恭順と和宮を守ることを勝が約束したことで、自分の責任で江戸城総攻をとりやめることを約束する。
それどころか西郷は「こちらの方が救われもうした」と涙ながらに感謝する。意外に思う台詞をじっと聞いていくと、そこに先ほどの町人どうしの喧嘩を西郷が見ていた話が出てきて唸らされる。明日は江戸が戦の火の海になるかもしれないというのに、長屋の住人たちがぼてふりの鰯売りにもっとまけろ、ぼてふりはまけられないと口論していたという。ここで浮かび上がる2点。ひとつは庶民たちは戦があろうとなかろうと日々を生きていくために必死になっているという姿であり、もう一つは市井に生きる彼らの暮らしを壊したくないという吉之助の人間性である。
こんな人物だからこそ、明治になって地元薩摩の若者たちの不満の声を受け止めて、謀反人となっても一緒に死んでいく生きざまを貫いたのだろうということまでイメージの広がる芝居だった。
歌六の闊達な江戸人の海舟に対して、歌昇の田舎くささも漂う情の深い懐も深い西郷の並び立つ姿に予想以上に感動させられた。かくして、江戸城の無血開城の合意はなった。

それをひっくり返しかねないのが上野のお山に終結した人間たちである。上野寛永寺の大慈院に慶喜が蟄居しているのを守っているのだが、そこからのドラマを描くのが第二幕。
種太郎と種之助の兄弟が彰義隊の若者二人を熱演。ここでも新播磨屋一門による舞台だと実感。慶喜に江戸城明け渡しの約束を翻させる上申があったと聞きつけた山岡鉄太郎がかけつけてくる。由次郎の彰義隊副長の天野八郎が徳川家への頑迷な忠義一途さをみせ、山岡を押し返す。
将軍家槍術指南である高橋伊勢守も来て、天野の越権を叱り、二人は奥へ通る。
ここで吉右衛門の慶喜が登場。憔悴しきったような姿ではあるがそこにいるだけで、慶喜そのものであった。高橋伊勢守が慶喜の心変わりを諌めるが、その反論が実に切ない。
尊王の水戸家に育った慶喜を賊軍呼ばわりする薩長に対し、将軍職を返上したのだから一矢報いたいというのだ。
お目見えの許されない山岡が水戸家の悪口を大声でいうのが聞こえてきて、慶喜は堪らずに呼び入れる。そこからがまた見ものだった。
慶喜が刀に手をかけて成敗におよぼうとするのを気合でとどめ、命を賭した諫言をする山岡。「尊皇」と「勤皇」の違いを語り、真の「勤皇」をあらわすためには今こそ土地と民を朝廷に返すべきだと説く。その熱弁に心を動かされ、慶喜は本来の約束に立ち戻る決意を固めるのだ。
ここの吉右衛門と染五郎の息のあった芝居に目を見張る。誠心誠意の必死の訴えで貴人の心を動かすという芝居は仁左衛門の綱豊卿を相手にした富森助右衛門が実によかったのを思い出す(「御浜御殿綱豊卿」)。今回も染五郎は吉右衛門に伍しての迫力ある芝居だった。吉右衛門が染五郎に芸の継承をしてもらいたいと思うようになっていることが納得できる。

最後の千住の大橋の場。慶喜らの一行が大橋にさしかかる。女方が登場しない芝居だが、慶喜をしたって見送りにくる江戸の人々の中に吉之丞らベテランの女方がいるのが嬉しい。
山岡も走り出ると慶喜が「勤皇の大義は決して忘れぬ」と声をかけ、山岡を泣かせる。その慶喜が大橋に一歩踏み入れたところで山岡がそこが江戸の最果てと気付かせる。
そこでまさに最後の将軍が江戸を去るという名台詞となるのだが、吉右衛門が実に聞かせるのである。300年近い江戸の時代が確かにあったことの感慨であり、新しい日本のために潔く去っていく姿がせつなく、そして見事なのだ。

「龍馬伝」でも「新しい日本をつくるため」という思いが満ち満ちている最近であるが、今の日本でも厳しい時流に流されず、「新しい世の中」は願えば切り開けるというような気概をもちつつ、やれることをやっていきたいと思うのだ。
などと気持ちが高揚するようなスケールの大きい芝居を新播磨屋一門によって見せてもらえたのが嬉しかった。
あらためてプログラムを読むと、真山青果と組んでこのような作品を初演していった二世左團次の没後70年が今年だとわかった。青果劇の上演が続くのはこのメモリアルイヤーだからなのだろう。当代の左團次は芸の継承をしていないので、大々的には銘打ってやらないということかもしれない。またまた深読み(^^ゞ
写真は公式サイトより今公演のチラシ画像。慶喜と勝小吉の二役を魅力的に今やれるのは吉右衛門だけだろう。

それとついでに海舟・鉄舟・泥舟の「幕末の三舟」についてもリンクをつけておく。江戸を戦火から救った勝、山岡、高橋の名前にいずれも「舟」がつくことから、こう称される。
ウィキペディアの「幕末の三舟」