顔見世大歌舞伎昼の部の「先代萩」の後半の感想。対決・刃傷の場は初めてなので期待が膨らむ。
1-2.『通し狂言 伽羅先代萩』後半
後半の対決・刃傷の場のあらすじは以下の通り。
【対決】
鶴千代を守護する老臣の渡辺外記左衛門は弾正一味を訴え、幕府の問注所での審議が始まる。細川勝元は上使の任で不在。山名宗全だけによる審議となり、外記の出す証拠の密書と弾正の自筆の手紙を比べるように申し述べるが、弾正側の後ろだてとなっている宗全は証拠を反古同然だと言って採用しないどころか火鉢にくべてしまう。弾正側の勝訴ということになったところに細川勝元が使いの任を終わってかけつけてくる。勝元は宗全の裁定を踏まえながらも弾正側に主君の放埓を知らなかったというのは職務怠慢だと叱責。その上で弾正に鶴千代への家督相続願いをその場で書かせる。その筆を自らが強訴で受け取ってきた半分にちぎれた密書と照合。前半分は外記の息子民部が手に入れてきていたのでそれともつなぎ合わせて弾正一味の悪事が立証される。勝元は後ろだてになっていた宗全にも「虎の威をかる狐」に騙された虎のたとえで釘をさす。弾正は肩衣をはねられてひったてられていく。
【刃傷】
弾正は多分切腹を申し付けられたのだと思うが九寸五部で隙をみて外記を襲い、刃傷沙汰になっているところからこの場が始まる。「狼藉もの~」と叫びながら逃げてくる外記が花道から登場。舞台の上の畳の部屋の衝立の後ろに隠れる。すごい形相の弾正が追って登場し、傷の痛みに唸る声で外記を見つけて二人の立回り。弾正は馬乗りになって外記にとどめを刺そうとする。その寸前に民部たちに取り押さえられ弾正は成敗される。
大広間の襖がさっと開いて千畳敷が見えて勝元が現れる。家督相続の許しの上意書を持っての登場だ。それを外記に与える。瀕死の外記に薬湯を与え、さらに立って歩けないだろうからと自らの駕籠も与える。恐縮して辞退する外記に、勝元は足利家が無事に存続となったことを祝ってひとさし舞えといい、自ら謡う。その謡いについて痛みをこらえて外記は舞うが、すぐに駕籠の中に倒れこんでしまう。そこに「外記、めでたいなぁ」と声をかけ、大団円の幕。
この場の配役は以下の通り。登場順。
山名宗全=芦燕 仁木弾正=團十郎
渡辺外記左衛門=段四郎 山中鹿之助=権十郎
笹野才蔵=門之助 渡辺民部=友右衛門
細川勝元=仁左衛門
渡辺外記左衛門は政岡の父だということで孫の千松が殺されているという忠義の一族だ。段四郎の外記は忠義ひとすじという役柄にぴったり。
勝元の仁左衛門の颯爽とした登場にこれまた目を奪われる。八汐の時から一転しての拵えと高い声でまずは外記たちの無礼を叱責しながら登場するのだ。その後どんどん弾正側を追い詰める速い台詞回しをその高い美しい毅然とした声でされると聞き惚れてしまう。頭の中で反芻しながら陶然と聞いている私。
それに対して團十郎の弾正はあくまでも知らぬ存ぜぬとのらりくらりとするのだが、團十郎の茫洋とした台詞回しがこれまたぴったり。裁きが下って退場のところの呆然自失の表情もすごかった。
対決の場面の勝元の最後の台詞、宗全に向かって「てもおそろしいたくみでござる」と言った時、八汐との二役を同じ役者がやることを前提とした芝居になっているんだなぁと感心した。
刃傷の場面、段四郎の痩せた風貌に目の周りを塗って死相の拵えでの登場にぞくっとしたし、弾正との死闘も凄絶だった。特に両方の手を片方ずつ膝で押さえつけられた絶対絶命の場面は息を飲み、息子たちがかけつけて.....というのは本当に巧くできているなぁと感心。
討たれた弾正の最後も凄絶。後ろ向きに海老反り風に倒れて止めをさされる時の痙攣もすごい。遺骸の片付けは仰向けになって6人にかつがれ、最後まで客席に顔をさらしての退場。やはり大物の悪の最後にふさわしい。
最後に勝元が瀕死の外記になぜ祝って舞えというのかということについて考えたこと。江戸時代には腹を刺されたら人は絶対助からなかった。そういう忠義の士の最後を讃えて問注所で見守る多くの武士たちの前で立派な最後を迎えさせようとしたのではないか。大藩の重臣であれば祝って能の一曲や二曲舞えるくらいは当たり前の身の備えであり勝元の謡いに即応して外記は自らも見事に謡い舞った。薬湯で最後をしゃんとさせて舞うだけの力を振り絞らせ、最後は自らの乗り物を与えて最高の死出のはなむけとしたのだろう。「めでたいなぁ」の表情には一人の立派なもののふを見送る愁いに満ち満ちていた。ここの男二人のドラマにまた泣けたのである。
この大顔合わせの通し上演で「先代萩」も封印したくなった。玉三郎の政岡くらいでないとこの封印を破りたくない気分だ。
仁左衛門の裁きの場面と團十郎の刃傷の場面の写真も買ってしまった。菊五郎は一枚も持っていないというのはアップ写真はちょっと欲しくないから。ごめんなさい(^^ゞ
追記
仁左衛門の声が11/12の時と比べて千穐楽では少しかすれ気味で、一度は台詞の合間に咳払いをされていた。その2日前の23日に観た良弁のお声には聞き惚れてしまったほどなので驚いた。今月は八汐の低い声から夜の部の良弁の高い音遣いまで多様な声を出されていて負担がかかったのではないだろうか。良弁の高い音遣いは菅丞相と同様に何音か高い声でずっと台詞をしゃべるので大変なのだと幕間のイヤホンガイドのインタビューで丈がお話していた。勝元の声は高めでそれも張るような声なので大変なんだろうなぁと思ってしまった。丈の七色のお声の魅力にとりつかれている私である。
写真は今月の『耳で観る歌舞伎』の表紙の仁左衛門の細川勝元を携帯で撮影。
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11/25昼の部①「先代萩」前半・八汐編
11/23夜の部①「良弁杉由来」
11/23夜の部②團十郎の「河内山」
11/23顔見世大歌舞伎の舞踊4本の感想
1-2.『通し狂言 伽羅先代萩』後半
後半の対決・刃傷の場のあらすじは以下の通り。
【対決】
鶴千代を守護する老臣の渡辺外記左衛門は弾正一味を訴え、幕府の問注所での審議が始まる。細川勝元は上使の任で不在。山名宗全だけによる審議となり、外記の出す証拠の密書と弾正の自筆の手紙を比べるように申し述べるが、弾正側の後ろだてとなっている宗全は証拠を反古同然だと言って採用しないどころか火鉢にくべてしまう。弾正側の勝訴ということになったところに細川勝元が使いの任を終わってかけつけてくる。勝元は宗全の裁定を踏まえながらも弾正側に主君の放埓を知らなかったというのは職務怠慢だと叱責。その上で弾正に鶴千代への家督相続願いをその場で書かせる。その筆を自らが強訴で受け取ってきた半分にちぎれた密書と照合。前半分は外記の息子民部が手に入れてきていたのでそれともつなぎ合わせて弾正一味の悪事が立証される。勝元は後ろだてになっていた宗全にも「虎の威をかる狐」に騙された虎のたとえで釘をさす。弾正は肩衣をはねられてひったてられていく。
【刃傷】
弾正は多分切腹を申し付けられたのだと思うが九寸五部で隙をみて外記を襲い、刃傷沙汰になっているところからこの場が始まる。「狼藉もの~」と叫びながら逃げてくる外記が花道から登場。舞台の上の畳の部屋の衝立の後ろに隠れる。すごい形相の弾正が追って登場し、傷の痛みに唸る声で外記を見つけて二人の立回り。弾正は馬乗りになって外記にとどめを刺そうとする。その寸前に民部たちに取り押さえられ弾正は成敗される。
大広間の襖がさっと開いて千畳敷が見えて勝元が現れる。家督相続の許しの上意書を持っての登場だ。それを外記に与える。瀕死の外記に薬湯を与え、さらに立って歩けないだろうからと自らの駕籠も与える。恐縮して辞退する外記に、勝元は足利家が無事に存続となったことを祝ってひとさし舞えといい、自ら謡う。その謡いについて痛みをこらえて外記は舞うが、すぐに駕籠の中に倒れこんでしまう。そこに「外記、めでたいなぁ」と声をかけ、大団円の幕。
この場の配役は以下の通り。登場順。
山名宗全=芦燕 仁木弾正=團十郎
渡辺外記左衛門=段四郎 山中鹿之助=権十郎
笹野才蔵=門之助 渡辺民部=友右衛門
細川勝元=仁左衛門
渡辺外記左衛門は政岡の父だということで孫の千松が殺されているという忠義の一族だ。段四郎の外記は忠義ひとすじという役柄にぴったり。
勝元の仁左衛門の颯爽とした登場にこれまた目を奪われる。八汐の時から一転しての拵えと高い声でまずは外記たちの無礼を叱責しながら登場するのだ。その後どんどん弾正側を追い詰める速い台詞回しをその高い美しい毅然とした声でされると聞き惚れてしまう。頭の中で反芻しながら陶然と聞いている私。
それに対して團十郎の弾正はあくまでも知らぬ存ぜぬとのらりくらりとするのだが、團十郎の茫洋とした台詞回しがこれまたぴったり。裁きが下って退場のところの呆然自失の表情もすごかった。
対決の場面の勝元の最後の台詞、宗全に向かって「てもおそろしいたくみでござる」と言った時、八汐との二役を同じ役者がやることを前提とした芝居になっているんだなぁと感心した。
刃傷の場面、段四郎の痩せた風貌に目の周りを塗って死相の拵えでの登場にぞくっとしたし、弾正との死闘も凄絶だった。特に両方の手を片方ずつ膝で押さえつけられた絶対絶命の場面は息を飲み、息子たちがかけつけて.....というのは本当に巧くできているなぁと感心。
討たれた弾正の最後も凄絶。後ろ向きに海老反り風に倒れて止めをさされる時の痙攣もすごい。遺骸の片付けは仰向けになって6人にかつがれ、最後まで客席に顔をさらしての退場。やはり大物の悪の最後にふさわしい。
最後に勝元が瀕死の外記になぜ祝って舞えというのかということについて考えたこと。江戸時代には腹を刺されたら人は絶対助からなかった。そういう忠義の士の最後を讃えて問注所で見守る多くの武士たちの前で立派な最後を迎えさせようとしたのではないか。大藩の重臣であれば祝って能の一曲や二曲舞えるくらいは当たり前の身の備えであり勝元の謡いに即応して外記は自らも見事に謡い舞った。薬湯で最後をしゃんとさせて舞うだけの力を振り絞らせ、最後は自らの乗り物を与えて最高の死出のはなむけとしたのだろう。「めでたいなぁ」の表情には一人の立派なもののふを見送る愁いに満ち満ちていた。ここの男二人のドラマにまた泣けたのである。
この大顔合わせの通し上演で「先代萩」も封印したくなった。玉三郎の政岡くらいでないとこの封印を破りたくない気分だ。
仁左衛門の裁きの場面と團十郎の刃傷の場面の写真も買ってしまった。菊五郎は一枚も持っていないというのはアップ写真はちょっと欲しくないから。ごめんなさい(^^ゞ
追記
仁左衛門の声が11/12の時と比べて千穐楽では少しかすれ気味で、一度は台詞の合間に咳払いをされていた。その2日前の23日に観た良弁のお声には聞き惚れてしまったほどなので驚いた。今月は八汐の低い声から夜の部の良弁の高い音遣いまで多様な声を出されていて負担がかかったのではないだろうか。良弁の高い音遣いは菅丞相と同様に何音か高い声でずっと台詞をしゃべるので大変なのだと幕間のイヤホンガイドのインタビューで丈がお話していた。勝元の声は高めでそれも張るような声なので大変なんだろうなぁと思ってしまった。丈の七色のお声の魅力にとりつかれている私である。
写真は今月の『耳で観る歌舞伎』の表紙の仁左衛門の細川勝元を携帯で撮影。
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11/23夜の部①「良弁杉由来」
11/23夜の部②團十郎の「河内山」
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