ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/10/26 芸術祭十月大歌舞伎夜の部②封印したくなる仁左衛門の「勘平」

2006-11-04 02:03:57 | 観劇
仁左衛門の「勘平」についての渡辺保氏の評価が高かったので、我慢できずに10/8にまず幕見。娘の要望で10/21に2度目の幕見。千穐楽で3回目となった。演じる方も観る方もどんどん深まっていく。
先月は文楽でも観たところなのでいろいろ比較して観ることができたのもよかった。先月の文楽の感想はこちら

2.『仮名手本忠臣蔵』五・六段目
配役は以下の通り。
早野勘平=仁左衛門 女房お軽=菊之助
斧定九郎=海老蔵 与市兵衛女房おかや=家橘
千崎弥五郎=権十郎 不破数右衛門=弥十郎
一文字屋お才=魁春 女衒源六=松之助
【五段目 山崎街道鉄砲渡しの場、同 二つ玉の場】
浅葱幕が切って落とされると舞台中央には蓑笠をつけた狩人姿の勘平。仁左衛門が笠をはずして顔を出しただけで客席は「待ってました」で割れんばかりの拍手。う、美しい~。もう、この場面から惚れる!この場面を反芻していて思い当たったのは『天守物語』富姫の蓑笠姿の登場。泉鏡花は勘平のこの登場を意識してこの場面を書いたのではなかろうかと勝手に推測。いずれも美男美女の登場場面、こういう蓑笠姿だとご本人の美しさがよりくっきりと際立つのではないだろうか。

文楽と大きく違うのは与市兵衛惨殺のくだり。与市兵衛は一文字屋からの帰途、雨宿りをかけ稲の傍でしていて、これまでの説明を一人語りし、お軽を売った半金の50両を縞の財布ごと頭上にいただいて一文字屋への感謝の気持ちを表す。これは絶対ありえない話だが、話を早く運ぶための手法だろう。

そしてその稲藁の中から腕が伸びてきて50両を強奪。なんだかよくわからないうちに与市兵衛は刺し殺されて谷底に蹴りこまれる。そこで斧定九郎が登場するが、台詞はたった一言「ごじゅう~りょう~」。海老蔵の色悪の拵えはかなり見栄えがする。雨に濡れた裾を絞って破れた傘をさして花道をゆうゆうと引っ込もうとするところに猪がかけてくる気配を感じ、かけ稲の傍に隠れる。人が入った猪人形が花道から舞台を横切って通過してやれやれ状態のところを銃声がして、打ち抜かれた定九郎が血を吐いて白い足に血をたらしてひっくりかえって絶命。海老蔵もいいが、私にとって仁左衛門の魅力には遠く及ばない。死んでからがマグロ状態という話もきいたが、死体の演技ってどうしたらよいのだろうか。そのへんはまだよくわからない。

江戸時代の中村仲蔵による工夫で色悪の拵えで演じられている。文楽の大男の定九郎と与市兵衛とのやりとりの末の惨殺の方がドラマ性では勝っているが、ま、歌舞伎はいい役者の出番を増やしているということで。

猪と思って射殺したのは旅人だったと気づいて仰天。あわてて印籠を探して金に気づき、道ならぬ金と思いつつ「天が我に与えた金」と自らを言いくるめて金を弥五郎に届けにいく。この時の表情の細やかな変化にいちいちうっとりしてしまう。それまでのところどころの見得や暗闇の中で獲物にたどりつくまでの所作がきちんと決まっていて、こんなに動きも表情も美しい「勘平」はそうそう見ることができるもんじゃないと、今回は3回観るハメにはなったが満足な気分でいっぱいになる。
【六段目 与市兵衛内勘平腹切】
文楽と違ってお軽を一文字屋から迎えにくるのは女将のお才と女衒源六のふたり。女の迎えに女将まで来るわけがないとツッコミを入れたくなる。ま、これも女方役者の出番を増やしているということで。ただし、魁春のお才は初役だというが京都弁を使いこなすのは難しそう。秀太郎丈だったらどんなによかったろうなぁと勝手に妄想する。女衒源六のチャリ場をつくることでこの後の悲劇性がぐっと高まる効果あり。

お軽の菊之助は眉を落とした地味な石持ちの着物姿でもったいない感じ。勘平が戻ってきて足を洗ったり浅葱色の紋服に着替えたりするのをかいがいしく手伝う姿がとても可愛い。そして回を追うごとに「お軽、待ちゃ」「こちの人!」とかけ戻ってきて勘平の腕の中で別れを惜しんで以降の情感の出し方がよくなっていった。仁左衛門とどんどん組んで成長してほしい。
与市兵衛女房おかやの家橘は2回目の観劇くらいまではどうしても幇間のイメージが抜けず、段取りっぽい動きも垣間見えてしまってしっくりこなかった。千穐楽はさすがに板についてきて、仁左衛門の勘平の「母者人~」という呼吸にしっかりと合うようになってきていた。初役だったのだ。
縞の財布から自分が撃ち殺したのは舅だと思い込む勘平。何も言えずにうつむいてひたすら自分を責め苛む全身から漂う悲壮感。その財布を見られた姑から疑われ、髪をつかんで折檻されても言い訳もできずにされるがままになっている。この八の字眉の表情の美しさ。美しい人は悶え苦しむ様まで美しい。被虐美的なものまで感じてしまう(サド侯爵はこういう世界にハマリこんでいたのかもとかふと思ってしまった)。

千崎弥五郎の権十郎、不破数右衛門の弥十郎がしっかりと演じてくれていて、おかやと三人で心理的に勘平を追い詰め、いよいよ殺意はなかったと身の潔白をあかす切腹。与市兵衛の遺体の傷が刀傷だとわかって疑いも晴れ、百両を二人におさめるが、二人はおかやに夫と婿の供養に使えと半分を返してよこす(文楽は全部返してきたんじゃなかったかな?記憶が曖昧)。
勘平に「仏果を得よ」と言い残して立ち去ろうとする二人になおも敵討ちの執念を見せる。その忠義心に報いるために連判状を見せて名を連ねさせる二人。
最後は姑の腕に抱かれて末期の苦しみに耐えながら、満足げに微笑んでからがっくりと頭を垂れて絶命。この表情の細やかな変化と納得の最後を迎えられたという表現に私もすっかり胸が熱くなり落涙。

歌舞伎座での20年ぶりという仁左衛門の勘平。ところどころの決まりの型も美しく、心理描写の細かいのもとてもいい。音羽屋型に上方風を加えた折衷型ということだが、とにかくしばらく仁左衛門以外の勘平は観たくない気分。封印したくなっている。まあ愛之助だったらいいかな。継承され具合も気になるしね。

写真は今月のポスターよりの部分アップ。
反芻しながら何日もかけて書いていたら長くなってしまった(^^ゞ
関連の感想記事はこちらm(_ _)m
10/26夜の部①「髪結新三」
10/15昼の部①「寿曽我対面」