Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

1812.06.23 と 2017.06.18 のシューベルト(205周年)(No.2536)

2017-06-13 23:23:52 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

1812.06.23 と 2017.06.18 のシューベルト


 今度の日曜 2017.06.18 に佐伯周子がシューベルト全曲第21回を弾く。これは、シューベルトが「サリエリに師事したことが明らかに判明している 1812.06.18 から『205周年』に当たる。D25 Kontrapunktubungen 1812.06.18 と言う『未出版』作品に日付が入れられている。シューベルトは「記念の日」には(月まででなく)日付を入れる習慣があるので、サリエリに初めて課題を与えられた日と創造できる。尚、この曲は本日現在未出版の上、主題さえ記載が無いのでどのような曲かは一切不明である。


「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 以前のシューベルトの作曲の足どりはあまりわかっていない。今回、佐伯周子が弾く曲の内、D29,D24B,D13,D41/1-8,D128 が該当する。作曲順序も正直判明していない。D29以外は、日付どころか作曲年さえ記入されていないからである。
 D25 の日付の後に、大量の対位法作品が作曲され、そのいくつかは サリエリに提出された。新シューベルト全集編纂の学者はその中で D24B が最初に完成した曲と推定しているようで、D13,D24A よりも前に掲載されている。
 D29 は、風変りな曲で、1812.09.09 の日付が入っているがサリエリに提出されていないだけでなく、同一の曲が29小節まで弦楽四重奏曲D3 として存在しているのである。D29 は62小節。現在はピアノ曲D29 が先で、D3 は 弦楽四重奏曲変ロ長調D36(1812.11.19 - 1813.02.21)の第2楽章の初稿として作曲された、と考えられている。D29に日付を入れたのは「大弦楽四重奏曲ができる!」の思いがよぎったからだろうか?
 12のドイツ舞曲D128 は、舞曲の最初の曲、と考えられている。序奏が11小節あって、その後12のドイツ舞曲が続く。この曲集 "Wiener=Deutsch" と曲数は明記されずに、後に残した "Deutsch" と異なる曲名となっている唯一の曲集。「ウィーン風ドイツ舞曲」とわざわざ書き込んでいるのは、後に「ワルツ王」が手本にするほど爆発的に売れた「シューベルトのワルツ」の原型。次の曲集からは「ウィーン風」を「シューベルティアーデの友人たち」には改めて書き込む必要が無かったからであろう。
 30のメヌエットD41 は、シューベルトが1817年に五線紙が不足した折、余白にスケッチを書き込んだ曲。ピアノソナタ ホ長調D459A の第1楽章、D349,D348 が書き残されているが、9-10, 19, 24-30 は紛失してしまった。


 10の変奏曲へ長調D156,メヌエット イ短調D334,アダージオ ト長調D178 は、おそらくピアノソナタ第1番ホ長調D157 の異稿である。サリエリ は「モーツァルトを手本」に指導した様子で、対位法の基本を短期間に詰め込んだ後は、オペラや重唱曲を教えている。そんな中で、シューベルトは1815.02.11に ピアノソナタ第1番ホ長調D157の初稿D154を作曲する。これはスケッチであり、続く楽章があったハズである。4日後に 10の変奏曲D156 がサリエリへの献辞の言葉と共に清書譜が仕上がる。サリエリが絶賛して清書させた、と推測できる。この時の第3楽章が メヌエット イ短調D334 と推測される。日付が無いのが単独曲ではない証拠。そして1815.02.18 からソナタの第2稿D157 の第1~3楽章が清書譜となった。第4楽章は第2楽章清書の後に作曲されたのだろう、清書されていたと推測。後に「楽章不足問題」が発生した ピアノソナタ第6番ホ短調D566 の時に、転用された。
 アダージオD178 は 1815.04.08 の日付を持つ。単独曲の可能性もあるが、ピアノソナタ第1番D157 の第2楽章差し替え、が大いに考えられる曲である。完成した曲の1部を完全に差し替える、はシューベルトの1つの習性で、ミサ曲第1番D105初演後、翌年再演の際にも差し替え曲を作曲している。まさにこの年! シューベルトは、」ホ長調D157の第3稿 = D157/1 + D178 + D157/3 + D566/2 を想定していた可能性が極めて大である。


 アレグレット ハ短調D900 は1822-23年頃に作曲されたと推定されている。47小節で作曲が破棄されたのだが、第41小節までで完結しているので、そこまで演奏するピアニストは多い。佐伯周子も第41小節まで弾く。


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