古い話しがつづきますが、ご勘弁を
今回は 1975年(昭和50年)10月10日
常磐線の石岡駅から関東鉄道というローカル 列車に乗り換え
降り立ったのは小川駅
さらにここからシャトルバスに乗り換える
この日は航空自衛隊 百里基地航空祭
渋滞で動かないバスから降り、歩き出す人の列につづいてしまった自分
まさか基地まで、こんなに遠いとは・・・
1972年から毎年出かけることとなった入間基地航空祭と航空宇宙ショーだったが
当時の第1線 戦闘機のF-104(マルヨン)や 新鋭 F-4 (ファントム)は
入間の滑走路は短く降りられず、上空通過の編隊を眺めるだけ
目の前に展示された マルヨン や ファントム を見たくなるのが人情というもの
航空雑誌と時刻表を調べ、初めてやってきたけど
基地にたどりつく前に、汗と土埃にまみれてしまうとは想像もしなかった
やっと見えた百里フィールド
パッと見、今とそれほど変わらない基地の風景
半世紀近く過ぎた今でも「陸の孤島」という代名詞にピッタリなのは変わらないよね
これは保存してあった、当日のパンフレット
B5程度の紙に片面印刷されたモノ
当時はまだカメラを持っておらず
友人から借りた一眼は50mmの標準レンズのみ
フィルムも2本のみ持参とは
なんとも世間知らずの遠征だったこと(笑
でもエプロンに入れば、気持ちはたちまち MAXに
先程までの歩き疲れも吹っ飛んでしまっていた
F-104J マルヨン は思ったよりも背が低く小さく感じた
F-4 ファントム(幽霊)とついにご対面
昭和46年から百里に配備が始まったファントムだが
この時にもまだ部隊マーク、ケロヨンが描かれていない真新しい機体
中学時代には我が家上空を、毎日飛んでいた横田基地のベトナム迷彩 F-4Dファントム
入間基地で見上げた編隊航過飛行の空自 新鋭ファントム
そんな大好きなファントムにやっと間近で対面することができた
RF-4E 偵察ファントムも当時の米海軍機に似た
上面ガルグレイに下面ホワイト、凄みはないがこれはこれでイイ感じ
更に、入間基地で見慣れた 引退間近の RF-86F 偵察機も一緒に展示されていた
後方は救難展示のバートル V107 だが
この時のバートルも新鋭救難ヘリだったはず
当日の米軍機は、岩国海兵隊のハリアーが2機飛来
当然だが、初期の AV-8A
1機が空中停止を含めたデモ飛行を実施してくれるとは
格納庫の裏側にも機体と共に武装装備を展示
ファントムの武装も、今では考えられないような品々
旧式だけど貴重な画像、左端に見える空対空ミサイル「ファルコン」なんて
ファントムの制空ミサイルの代表だったけど即消えていったね
マルヨンの 鳴くようなエンジン音 と ハリアーのデモフライト
その大爆音を体中で浴びることができたが
フライト画像はあまりに小さく証拠のみ程度だった
その時はまったく気にならなかったけど
使いやすかった友人の一眼に憧れ
翌年にはバイトして望遠レンズを含め手に入れることになる
最後に航空祭といえば、今も昔もブルーインパルス
配られた昭和50年(1975年)10月付けのパンフを見ると
編隊長は長野県 諏訪出身の小口雄二郎1尉とあるので
この時も小口1尉がリードと思われる
航空祭が終われば、再び 乗り換え のりかえで都内にやっと帰れたが
初ファントム、初マルヨン 初ハリアーの3連発に打ちのめされ
アパートに帰宅したあとも、気持ちも体も火照ったままだった
今回は 1975年(昭和50年)10月10日
常磐線の石岡駅から関東鉄道というローカル 列車に乗り換え
降り立ったのは小川駅
さらにここからシャトルバスに乗り換える
この日は航空自衛隊 百里基地航空祭
渋滞で動かないバスから降り、歩き出す人の列につづいてしまった自分
まさか基地まで、こんなに遠いとは・・・
1972年から毎年出かけることとなった入間基地航空祭と航空宇宙ショーだったが
当時の第1線 戦闘機のF-104(マルヨン)や 新鋭 F-4 (ファントム)は
入間の滑走路は短く降りられず、上空通過の編隊を眺めるだけ
目の前に展示された マルヨン や ファントム を見たくなるのが人情というもの
航空雑誌と時刻表を調べ、初めてやってきたけど
基地にたどりつく前に、汗と土埃にまみれてしまうとは想像もしなかった
やっと見えた百里フィールド
パッと見、今とそれほど変わらない基地の風景
半世紀近く過ぎた今でも「陸の孤島」という代名詞にピッタリなのは変わらないよね
これは保存してあった、当日のパンフレット
B5程度の紙に片面印刷されたモノ
当時はまだカメラを持っておらず
友人から借りた一眼は50mmの標準レンズのみ
フィルムも2本のみ持参とは
なんとも世間知らずの遠征だったこと(笑
でもエプロンに入れば、気持ちはたちまち MAXに
先程までの歩き疲れも吹っ飛んでしまっていた
F-104J マルヨン は思ったよりも背が低く小さく感じた
F-4 ファントム(幽霊)とついにご対面
昭和46年から百里に配備が始まったファントムだが
この時にもまだ部隊マーク、ケロヨンが描かれていない真新しい機体
中学時代には我が家上空を、毎日飛んでいた横田基地のベトナム迷彩 F-4Dファントム
入間基地で見上げた編隊航過飛行の空自 新鋭ファントム
そんな大好きなファントムにやっと間近で対面することができた
RF-4E 偵察ファントムも当時の米海軍機に似た
上面ガルグレイに下面ホワイト、凄みはないがこれはこれでイイ感じ
更に、入間基地で見慣れた 引退間近の RF-86F 偵察機も一緒に展示されていた
後方は救難展示のバートル V107 だが
この時のバートルも新鋭救難ヘリだったはず
当日の米軍機は、岩国海兵隊のハリアーが2機飛来
当然だが、初期の AV-8A
1機が空中停止を含めたデモ飛行を実施してくれるとは
格納庫の裏側にも機体と共に武装装備を展示
ファントムの武装も、今では考えられないような品々
旧式だけど貴重な画像、左端に見える空対空ミサイル「ファルコン」なんて
ファントムの制空ミサイルの代表だったけど即消えていったね
マルヨンの 鳴くようなエンジン音 と ハリアーのデモフライト
その大爆音を体中で浴びることができたが
フライト画像はあまりに小さく証拠のみ程度だった
その時はまったく気にならなかったけど
使いやすかった友人の一眼に憧れ
翌年にはバイトして望遠レンズを含め手に入れることになる
最後に航空祭といえば、今も昔もブルーインパルス
配られた昭和50年(1975年)10月付けのパンフを見ると
編隊長は長野県 諏訪出身の小口雄二郎1尉とあるので
この時も小口1尉がリードと思われる
航空祭が終われば、再び 乗り換え のりかえで都内にやっと帰れたが
初ファントム、初マルヨン 初ハリアーの3連発に打ちのめされ
アパートに帰宅したあとも、気持ちも体も火照ったままだった
臨場感がひしっと!伝わってきますね〜〜〜
そうそうそうそう!
百里の空!
そして距離!
これこそ百里ですね!
あまりの遠さに「もう来年はいかない」と決めてしまうのですが
百里航空祭の魅力には敵いません、結局
また出かけてしまうのであります…
ファントムがすっごく新品に見えます
日本でのファントム時代の幕開け!
不思議なことに…なんか…すごく軽そうな機体に見えます。
塗装の色調が明るいからかな????
うははははは! ハリアー!!!!!!
生で見たかった〜〜〜
昔の機体は(そんな昔でもないですけど)
味があっていいですねえ…
ブルーさんのフライトスーツが!!!オレンジ!!!
オレンジですよ〜〜〜織田裕二思い出しましたよ〜〜
この航空祭見ちゃったらもう、底なし沼ですね〜〜〜♪
空自の戦闘機は、それまで無塗装銀か銀塗装だったので
初めて戦闘機に塗装が施される、ということで
制空色という意味で選択されたカラーリングなのかも。
でも機体のアチコチに描かれたコーションデータが目だち
ファントムらしさが出ているような。
ハリアーの塗装も国籍マークが大きく時代を感じますね。
ところで、百里ファントムは昭和47年の航空祭(4/29)の2日後に
#304 が空中爆発で墜落、新編されたばかりの飛行隊長を含む2名の隊員が亡くなっています。
そんあ事もあり、私の気持ちの中ではファントムに特別な想いで対面しました。
今回の記事を書いている時に入ってきたのが三沢基地航空祭 中止の報。
小松も時期的には近いので中止になるだろうし。
状況的には仕方ないと思いますが、今年の百里航空祭はファントムのラスト年。
なんとしても行きたいのですが、どうなるか不安です。
今日は気温上がりそうです、御自愛くださいね。
いやー、観客が少ない(笑)。
昔はスペマ機なんて無かったけど、飛行機そのものが美しかったですね。
グレーのRF-4Eがカッコイイです。
ハチロクも新しいキットが欲しいですね。
やっぱしマルヨンやね!
関東鉄道(後の鹿島鉄道。廃線)も、古い気動車がたくさんで楽しい鉄道でした。
ジェット燃料も、貨物列車で運んでましたね。
やっぱり、いい時代でしたね。
関東鉄道は本数が少なく、待ち時間が長かった思い出しかないです。
確かに、スペシャルマーキングが登場したのはいつだったのか。
一時期、仕事の関係で航空祭等からまったく離れてしまったので
記憶も、フィルムも無い期間がありますから
そんな時に現れたのかも。
マルヨン、 はつかたさん のモデルはフィギュアーもGoodでかないません。
でも、持ち運びが大変だったのでは。
私が初めて岐阜基地航空祭に出かけたのは1976年でした。
今も昔も逆光の航空祭ですが、カメラ素人の私は気ににもせず
一生懸命 普通に撮影してました。
少しは撮影の事を考えはじめたのは、同じ飛行機マニアの知り合いができてからでした。
フィルムのデジタル化する度に、当時 デジタルカメラがあったなら~。
もう一度、あの日に戻りたいと思ってしまいます。