三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

家庭菜園 始末記

2015年08月29日 | Weblog
この春プランターも、土も新調し
意気揚々と始めたベランダの家庭菜園でしたが

夏も終盤を迎え、ここらで一段落したので結果報告を


プランターじゃ無理だろ~ と思ったけと・・・
せっかく全て準備していただいた鉢なので大切にを育てたスイカ


雄花だけが元気よく幾つも咲くけど、いつまでたっても雌花はいっこうに咲かず


種付け?  じゃない、人工授粉もできずに立ち枯れてしまった
男ばかり元気でも駄目ということか、 肝心の女性あってのものだね 何事も(笑)


枝豆は葉の病気にやられて全滅
スナップエンドウは、ほんの味見程度を食べただけでこちらも同じ病気で処分してしまった

茄子は今も花だけ咲いてるが、一向に実がなりません

近くの農家さんも「今年は茄子駄目だ~!」と嘆いてました
プロでも上手くいかないのか!? とそれだけが慰め

上手くいったのはレタスと、今も成長中の葉ネギとニラ
ネギやニラはこれからの鍋の時期にちょうど間に合いそう

ミニトマトは小ぶりですが、今も収穫できてます




そんな家庭菜園でしたが、最近 始めたのは「捨て野菜の水耕栽培」


ニンジンの葉はすぐに伸びてきたが、これの天ぷらを早く食べたい!




スーパーで買ったネギも、根の部分をカットしてコップに入れておいたら
一日で根が伸びてきて、その生命力にビックリ!


夏休みの一研究的な観察写真ですが、成長が早くて毎日楽しみです


最後に、家庭菜園とは無縁な画像を
昨日朝の出勤時、信号待ちでのスナップ

隣町にあるお店のようですが、信州人でも一度見たら忘れない車だね

 今年の秋も食べられるかな・・・
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昔々の写真を読み取る 2

2015年08月25日 | ノスタルジック航空写真館
先日紹介したアルバムは、結局 高解像度のスキャナーで複写することに
アルバム自体の作りが、ページを全開できるタイプで助かった


そのアルバムに書かれたキャプションには
叔母の筆跡で 昭和29年(1954年) 5月30日 とある

 この日 従姉のCちゃん(当時10歳)は、花束贈呈の大役
 しかしその要請が来たのは当日の朝だったという

 急な話の中でも、まだ物資不足の国内で精いっぱい着飾っての晴れ舞台
 
 時代を感じさせるが、それよりも後方に集まった凄まじい数のギャラリーに驚く

 それは~
 自分はまだ生まれてはいないこの地に
 初めてヘリコプターが飛来した歴史的記念日


今ではメジャーな航空機のヘリコプターだが
歴史は案外浅く、実用化されたのは戦後のこと
朝鮮戦争の影響で急速に進化もしていっただろう飛び物

戦後 日本は翼をもがれて模型飛行機さえ空を飛ぶことはできなかったという時代を経て
1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効で再開された日本の空
それから2年後に、当時は交通の要所であったこの地で
毎日新聞社ヘリコプターによる訪問飛行が行われた


ヘリの前、薄い色のスーツ姿で花束を受け取ったのがパイロット
叔母のキャプションには、近藤 完 機長と書かれてある

手前右の洒落者は、アチコチのコマに写り込んでるから毎日新聞のブンヤさんなのかな


機長の足元、皮製の短ブーツに目が留まった
これに似たブーツを、私の父がバイクに乗る時に履いてた記憶
それは昭和30年代後半の話だけどね

ヘリのキャノピーに描かれた
Bell の文字と毎日新聞社のマーク、その下に手書きで描かれただろう 「スワン号」 の文字
こんなものも時代を感じさせる

     
    
   コックピットをアップにすれば、メインの操縦桿は見えないが
   コレクティブレバーや、足の棒状のアンチトルクペダル(ラダーペダル)が確認できる
   座席のクッションは、他の Bell機 もこんな感じなのかな
   当時の経済事情からすれば、豪華なクッションに見える



これからが肝心な画像
機体の真横画像はなかったが
全体像が写るのは、わずか 5cm×5cm程度の写真のみ

それをスキャナーで複写、解像度をフルに上げて1200dbiも試したが
あまり意味はなく、600dbi~800dbiが限界のようだ


機体は Bell47 とわかるのだが、なんとかレジ(機体番号)がわかるコマはないものか
スキャンした画像をアップで探してみる

ちょうどレジが描かれている尾部がせっかく写りこんではいたが
ローター止めのコーションタグが邪魔で、末尾が見えないなんて・・・


ギャラリーは学生服?が多く見られるから、小学校の全校見学なのかな
この辺りの詳細は不明だが、当時の地元首長も出席しているので一大イベントだったようだ
(Bell47のトラス奥に見える初老の方がその人)


もう一つの小写真にレジが写り込んでいることを願いスキャン

ローター部に昇っているのはパイロットだが
後部の二人は整備員かな、この飛来時の搭乗人数も不明だ

この画像をアップにすると、尾部に描かれた JA7003 の文字を確認できた

JA7000番台はピストンエンジンのヘリに割り当てられた番号 
 
  JA7001 は産経新聞 シコルスキーR-6A
  JA7002 は産経新聞 ヒラーUH-12B

そして
JA7003 は Bell 47D-1 毎日新聞社
    1952年11月、日本の航空再開に合わせて導入された機体のようだ

そのあとの
JA7004は 欠番
JA7005 、JA7006 も某新聞社の Bell 47とあるので
日本で最初の登録された Bell47となりそうだ

しかし 1955年 5月にはJA7003は大破して登録抹消されている


パイロトに花束贈呈を果たした従姉はこの後実際に Bell 47 で飛行を体験したのだが
これは現場で急に話があったもの

一般庶民が航空機で空を飛べるような時代ではない
パイロットから、Cちゃんの母親(叔母)に同乗させてもよいか話があったという

飛行中、パイロットから「あなたの家は何処ですか?」と尋ねられた従姉

近くに独特な屋根の形をした映画館があったので「あのあたり~」と


  下の画像は、当時の新聞社用写真を後日いただいたもののようだ
  
  画像に添付されてる記者からのキャプションは
  「○○(地名)についた本誌ヘリコプター、 長の版」


こちらのキャプションは「ハナタバゾーテイ! ○○(地名)にて 長の版」
長野電送と書かれた文字が印象的だが
急いでいたのだろう、キャプションは逆のような気がする(汗
もうひとつ、この画像を見て背景の山がおかしいな~ と思ったら コレ裏焼きだ



番外でもうひとつ ふたつ
この日、初めてヘリコプターを見た、知っただろう地元の方々

 このヘリに搭乗したのは、当時の首長だった方とCちゃんのみ
 翌日 Cちゃんが学校へ行くと~ あだ名がつけられていたそうだ
  それは「ヘリコプター」(笑  なんとも直な あだ名 だが
 それだけインパクトがあったからだろう

叔母もキャプションにヘリコプターを 「ヘリコ ター」 と書かれてあった
ヘリの認知度はまだまだ低かったようだ

 ヘリに急遽搭乗できた Cちゃん は後日、近藤パイロットの礼状を書いたということで
 今でもパイロットの名前をしっかり記憶していた


さらに番外は~
この同じ地で18年後、私も同じ Bell47 のG型で、初めて空を飛ぶこととなる
今はなきインペリアル航空の遊覧飛行でね

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ラストオーダー 1分前

2015年08月22日 | 酒場 探訪記
というわけで~

大呆けかまして、電車に乗り遅れてしまったからには
時間つぶしは近場の飲み屋へ直行
 ~これが終電でなくてよかったよ

旧盆で混雑しているだろう店を目指したが、ここは普段はローメンが有名な店

立ち寄るのは超久しぶりだが、空いてるかな~


なんとか席を確保できたが、座った途端「9時でラストオーダーです!」

マスコミで有名にはなったとはいえ
観光客目当ての店ではないので、閉店時間は昔と変わらず早め
時計を見るとすでに 9時を指している

急いでオーダーを
 生ビールに、うしお煮、ローメン三つね 一つは大盛りで
  それから瓶ビール1本ね

生ビールのお代わりを今から注文しておくわけにはいかないので
 お代わりは瓶ビールで我慢したが、それにしても 忙しいぜ!(笑

 落ち着くとテーブル横のコレが気になる

 以前はこんな張り紙看板なかったけどなぁ

昔々は肉体労働者の方で、夕方から賑やかだったこの店
今ではTV取材も多く、この時期 観光客もかなり多い



生ビールが運ばれる頃には、自分のミスはとうに忘れていました(汗


ここの お通し は昔から、イカ刺し
キャベツの上にのったイカと、ワサビではなくカラシが定番

そういえば1週間程前にもTVチームが来ていたが、どこの番組なのかな


先の店でも 煮込み を食べたが、ここの モツ煮 はコレ

この店人気の 「うしお煮」 は、豚モツの水煮?
豚の腸以外何も入ってません

昔は出される前に、オバチャンが 味の素 をたっぷりと振りかけてたが
今はどうなんだろ ~でも美味い!

蕩ける柔らかさは今も昔も変わらない
難点は訪問するたびに値段が上がっていることかな
主役のローメンや生ビールよりかなり高め


 ローメンも続いて登場ね


ここのローメンは 焼きそば風 で汁はありません
自分的にはここのローメンが好き


汁だくのローメンの方が好きという友人は、ニンニクをプラスしてます

ただでさえ、ニンニク効いてるので翌日も仕事の自分は我慢です

ビールが瓶に代わった頃には、完全に出来上がってしまった仲間たち

それにしても、ラストオーダーから1時間近く経っているのに
周りのオバチャンもオジサンも賑やかに騒いでいる
相変わらず、自宅の(店と自宅は一緒)居間にまで居座る客は昔と変わらないね

 請求は~

 3人なら、こんなもんか


ここを後に、次の電車には遅れずに乗り込めた自分達

お盆の雑踏が終われば、信州には涼風が吹き始める
実際、昨晩も寒いくらいだったよ

最近は春も秋も、感じる間もないくらい短くなってしまって
これから駆け足で季節が変わっていく

言い換えれば、雪の心配も目の前ということで
気が付けば年末! 
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気が付いたら一年ぶり

2015年08月19日 | 酒場 探訪記
最近は酒場関連の記事が多くなっている当ブログ
今回も、帰省した友人を交え同級生の店を訪問です

久しぶりの訪問~、ブログで確認したら一年ぶりだった(汗


信州も昼間は連日の猛暑で、ビールが美味い
一気にジョッキを空けたいところだが~
歳を考えろ! と自分を戒める

この日、紅一点のマドンナ的な女子が頼んでくれたのは
モッツァレアチーズ入りにサラダ


仕事を終えての自分は、もっとお腹に入れたいところ


これは「ナス焼き」だったのかな、甘めの山椒味噌がのったナスは田楽風
この地方では定番の郷土料理「五平餅」を思い出し、更に腹が減ってしもた(笑

オーダーはネタになりそうな、メジャーではないものを頼んでね!

みよちゃ~ん、「燻製仕立ての牛ステーキ」もお願い


 燻製がでてくるかと思ったら、普通に ステーキ ぽいけどな



「おたぐり」はモツ煮込みのことで信州は伊那谷の名物料理のひとつ

 パッと見、何処にでもある煮込みですが

 モツは馬モツで、臭いとモツが硬めなので手間暇かかります
 店ごとに味も少しづつ違うのでその店の味が楽しめる

 夕方、帰宅途中にある酒場の勝手場横では
 大きな鍋に入った馬モツ(腸)を、地下水の流水に浸しているのが見られる


この日のメニューにあったけど見慣れないもの
「カモ肉とニラの湯葉巻き白扇揚げ」、長い名でよくわからん料理だな
 「白扇揚げ」って何だろ

 わざわざ天つゆを人数分用意してくれて、手間がかかる同級生で悪いね(汗


 白扇揚げ~ ?
  水で溶いた片栗粉に泡立てた卵白を加え作った衣をつけ
  ふんわりと揚げた料理だそう
  「白妙(しろたえ)揚げ」ともいうのだそうだ


楽しい時間は アッという間に過ぎて
帰りの電車時間が迫ってきた

時間に合わせて店を後にしたつもりだったが
駅の手前まで来たところで、上り列車が踏切通過していく
アララ 行ってしもた、なんで???

 雷雨で時間が乱れていたかな・・・


駅にたどり着いて驚いた!
なんと、私の勘違いで時間を10分間違えてしまった!

この日は朝から健忘症の私
弁当のおかずは忘れるし・・・、他にも・・・

あ~ぁ、穴が有ったら○○たい! なんて古いボケでをかましても落ち込むばかり

ここはローカル線、次の電車までは1時間以上もあるぞ
 みんなスマン!  

というわけで、もう一軒覗くこととなってしまった事案は次回に(爆
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昔々の写真を読み取る

2015年08月17日 | ノスタルジック航空写真館
朝晩の涼しさは ~やはり信州かな~ と思う今日この頃だが

はるか遠い夏の記憶

自分が小学生だった頃だったかな

チョクチョク訪れていた叔母の家では、夏のお泊りは蚊帳(かや)の中

定番は叔母の怖~い話と、蚊帳の上に枕をのせて蹴りあうんだ(笑
飽きることのない世代だったから、叔母も相手するのは大変だったろうな


そんな中で、ひとつ記憶に残っていた事案
蚊帳の中でアルバムを開いて叔母や従姉の姿を見せてもらったことがあったが
従姉の Cちゃん のアルバムを見ている時に目が止まった

その時の様子も聞いた記憶が~


それは私が生まれる以前の話しだったが、貴重な写真があったような・・・

このブログを始めてから、いつか記事にしようと考えていたもの
先日、従姉が訪れてくれた時に 思いきってお願いしてみた

「昔 見た記憶があるけど… ○○が写ったアルバム あれば貸して欲しいけど」

直ぐに従姉も理解してくれ、 二つ返事でOKをいただけた
更には、わざわざアルバムを届けてくれ「この写真しかないけど… 」と開いて見せてくれた
  

   コレコレとは思ったが、記憶に残る写真は別のモノのような

  

  それでもなんとかブログに上げたいな

  部屋に戻りセピアに変わったアルバムをあらためて開く
  ページをめくると あった! これこれ!

  
  
 昔見た記憶に残っている写真だ
 でもこんなに小さかったかな???

古いアルバム台紙に直接貼られた写真は、台紙と共にセピアに変色している
カメラで 複写するか、スキャナーで複写か、とにかくやってみなければ

上の画像ではわからないが、小さなベタの写真は 5cm×5cm程度しかない

さて上手く複写できるか その結果はまた後日報告を

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