三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

あの日 あの時 トムに会えた

2022年06月08日 | ノスタルジック航空写真館
映画「 Top Gun Maverick」を見てきたと書いたが

その興奮が冷めないうちに、初代「TOP GUN」を見返してしまった

とは言っても、オープニングとエンドのみを見るつもりが
結局は通しで見てしまったのだが

ん~、やっぱりF-14はイイゾ! ドッグファイトの迫力も違うわ

コレ見ちゃうと新作よりも~ なんてヤボな事は言わないけど~
F-14 トムキャットが、今はもう米軍から全機退役してしまい
フライトする姿を見られないなんて信じられないくらい

そんな事を考えていたら、昔々に F-14 との初対面を思い出してしまった

それは 1976年の事
今から46年も前に、夢のような航空ショーが日本で開かれたんだ


1976年は、航空自衛隊の次期主力戦闘機のFX選定目前で
当時の米軍 新鋭機、F-15、F-14が揃って国際航空宇宙ショーに来日
会場の入間基地で、連日デモフライトを見せつけてくれた

上画像の背景に見えるのは、現役の C-46輸送機やRF-86偵察機
そんな時代だったんだ


会場エプロンには、F-14とF-15が並んで展示され

機体にとりつくスタッフの背中、「 Grumman 」の文字が懐かしい

空母艦載機を数多く輩出してきたグラマン社だが
この F-14 が最後の艦載戦闘機となってしまう




デモフライトを行ったのは
手前がパイロットの リック・ブラッドレー
後方は NFO の  ジョリー・ホール
昔なので、彼らのフライトスーツの色さえ記憶から消えてしまった



当時、まだ望遠レンズは 200mm しか持っておらず


人垣の隙間を狙うが・・・
報道エリアのカメラマン、服装や髪型がいかにも70年代だわ (笑






同時に展示されていた F-15に比べると

デモフライトでは可変翼を作動させるのが見せ場






デモフライト中は、何度か主翼角度を変えて見せてくれたが

後に廃止される主翼付け根にあるグローブベーンが
速度の関係か、一度も作動されなかったのを
残念に思った記憶がある              
 
                            ~つづく
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自分が見ても懐かしい

2020年09月17日 | ノスタルジック航空写真館
今回は1978年のたぶん 2月~3月頃の写真だと思います

デジタル時代の今とは違い
コマめにキャプションデータを書きとめていないと後悔します(笑

40年以上も昔の画像ですが、我が家の近くで行われていた
主幹送電鉄塔の土台工事現場への、生コン輸送?


 燃料用ドラム缶など、一見 今と変わらない場外の風景ですが
 大判の鉄板を敷く事ができなかったのかな?
 ヘリの足場が、大丈夫かな(笑 と思ってしまう

 このキチンとしたスペースで離着陸するPさんは凄いね


機体は 川崎重工 の子会社だった エアリフト社 の
 川崎 KV-107 バートル JA9505  飛騨  




 場外は天竜川の堤防横で、県道から数メートル下った冬場の農耕地
 このあたりの川幅は10m程だが、川を挟んで小高い山が連なる谷間で
 対岸に道路はなく、山肌に古い廃用水路のコンクリート製 トンネル抗 が残るのみ
 背景の山はマムシの宝庫と言われる、地元では有名な場所
 






今ならさしずめ、ピューマの活躍場所でしょうが
当時は輸送用の大型ヘリは希少価値だったのでしょう




この画像を見ると、生コン用のバッケトではないような
でも、丸々と膨らむバケット画像もあるので
天竜川から汲み上げた水を運んでいたのかな
水だとして、その目的は???




コックピットの撮影許可を期待していたような遠い記憶~ 



でも、画像はないのでダメだったのだろ


 今でもこの時に完成した赤白塗装の大きな送電鉄塔の近くを通るが
 エアリフトのバートルは、その後も自分の仕事場で遊覧飛行に利用したり
 大物政治家が乗って仕事場近くに来たこともあったので
 懐かしい顔と共に、色々と昔の記憶がよみがえる

 こういった蔵出し画像を見返すと
 今使う デジイチ 持って当時にタイムスリップできたらなぁ~
 と思ってしまうのは、マニアの常なんだろうな(笑
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初めて幽霊(Phantom)と対面

2020年06月02日 | ノスタルジック航空写真館
古い話しがつづきますが、ご勘弁を
今回は 1975年(昭和50年)10月10日
 
常磐線の石岡駅から関東鉄道というローカル 列車に乗り換え
降り立ったのは小川駅
さらにここからシャトルバスに乗り換える

この日は航空自衛隊 百里基地航空祭
渋滞で動かないバスから降り、歩き出す人の列につづいてしまった自分
まさか基地まで、こんなに遠いとは・・・


1972年から毎年出かけることとなった入間基地航空祭と航空宇宙ショーだったが
当時の第1線 戦闘機のF-104(マルヨン)や 新鋭 F-4 (ファントム)は
入間の滑走路は短く降りられず、上空通過の編隊を眺めるだけ
目の前に展示された マルヨン や ファントム を見たくなるのが人情というもの

航空雑誌と時刻表を調べ、初めてやってきたけど
基地にたどりつく前に、汗と土埃にまみれてしまうとは想像もしなかった

やっと見えた百里フィールド

パッと見、今とそれほど変わらない基地の風景
半世紀近く過ぎた今でも「陸の孤島」という代名詞にピッタリなのは変わらないよね

 これは保存してあった、当日のパンフレット
 
  B5程度の紙に片面印刷されたモノ

 当時はまだカメラを持っておらず
 友人から借りた一眼は50mmの標準レンズのみ
 フィルムも2本のみ持参とは
 なんとも世間知らずの遠征だったこと(笑


でもエプロンに入れば、気持ちはたちまち MAXに
先程までの歩き疲れも吹っ飛んでしまっていた

 F-104J マルヨン は思ったよりも背が低く小さく感じた


 F-4 ファントム(幽霊)とついにご対面
  昭和46年から百里に配備が始まったファントムだが
  この時にもまだ部隊マーク、ケロヨンが描かれていない真新しい機体

 中学時代には我が家上空を、毎日飛んでいた横田基地のベトナム迷彩 F-4Dファントム
 入間基地で見上げた編隊航過飛行の空自 新鋭ファントム
 そんな大好きなファントムにやっと間近で対面することができた


 RF-4E 偵察ファントムも当時の米海軍機に似た
 上面ガルグレイに下面ホワイト、凄みはないがこれはこれでイイ感じ

 更に、入間基地で見慣れた 引退間近の RF-86F 偵察機も一緒に展示されていた

 後方は救難展示のバートル V107 だが
 この時のバートルも新鋭救難ヘリだったはず
 

当日の米軍機は、岩国海兵隊のハリアーが2機飛来

当然だが、初期の AV-8A
1機が空中停止を含めたデモ飛行を実施してくれるとは


格納庫の裏側にも機体と共に武装装備を展示



ファントムの武装も、今では考えられないような品々
旧式だけど貴重な画像、左端に見える空対空ミサイル「ファルコン」なんて
ファントムの制空ミサイルの代表だったけど即消えていったね





マルヨンの 鳴くようなエンジン音 と ハリアーのデモフライト
その大爆音を体中で浴びることができたが



フライト画像はあまりに小さく証拠のみ程度だった

その時はまったく気にならなかったけど
使いやすかった友人の一眼に憧れ
翌年にはバイトして望遠レンズを含め手に入れることになる


最後に航空祭といえば、今も昔もブルーインパルス
配られた昭和50年(1975年)10月付けのパンフを見ると
 

 編隊長は長野県 諏訪出身の小口雄二郎1尉とあるので
 この時も小口1尉がリードと思われる





航空祭が終われば、再び 乗り換え のりかえで都内にやっと帰れたが
初ファントム、初マルヨン 初ハリアーの3連発に打ちのめされ
アパートに帰宅したあとも、気持ちも体も火照ったままだった
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1973年秋、沼へ落ち込む始まりだったかも

2020年05月24日 | ノスタルジック航空写真館
なんとも意味不明なタイトルではじめてしまったが

1973年 10月5日 ~ 11日の7日間にわたり
第4回 国際航空宇宙ショーが航空自衛隊 入間基地 で開催された

 第3回の国際航空宇宙ショーは、1971年に小牧基地で開催され
 超目玉の米海軍 ブルーエンジェル が来日した航空ショーだった
 当時は子供が一人で名古屋へなんて、家出でもしないと無謀な時代で(笑)
 親に強請っても今のように高速はないし、長距離公共交通機関も不慣れ
 というわけで諦めた苦い記憶を、長~く引きずっていた 1973年の秋

前年に入間基地航空祭で 航空祭デビュー した自分
入間基地への訪問に少しは慣れた父に再度 強請り
弟の友人も交え家族で出かけることに

10月10日は体育の日、晴れの得意日となれば大混雑だったが
人出よりも、初めてみる航空機の数々、晴天下のデモフライト
前年は雨で流れたブルーインパルスのアクロ飛行に興奮状態だったことを覚えている


米国からの飛行可能な旧日本陸軍の四式戦「疾風」がデモフライト
当時のソ連からも大中小の航空機が多数来日、地上展示と飛行も披露してくれるなんて

ただ当時の私の撮影装備は、父のレンジファインダーのカメラのみ
フィルムも2本持参しただけで(それでも頑張って買ってもらった本数だった)
記録的には証拠写真で終わってしまったのは残念だった

 国際航空宇宙ショーは有料の航空ショーで、入場料は 800円?だったかな
右は公式パンフレット、左が後日に販売された爆音入りソノシートが付録だった冊子 600円
ソノシート、捨てた覚えはないが見当たらないや・・・

このショーでの目玉は、米国から日本に里帰り? 売却?された旧日本陸軍の四式戦「疾風」

沢山の人垣を掻き分け、やっと撮れた疾風だったが
レンジファインダーの画像は豆粒で
今回のフィルムスキャンでデジタル化し、拡大できたが粒子の荒れが目だつね

さらに、ショーでのデモフライトは超豆粒画像でボツに

ところで、せっかくフライアブル状態にレストアして日本に帰ってきたのに
その後の扱いは・・・
自分が次にこの「疾風」に会えたのは  京都の嵐山博物館
そして機体はさらに人手を渡り、知覧の博物館でも会うことになったが
元々展示のみの機体なら仕方ないが、日本は動態保存する土台が貧弱で・・・



米海兵隊のシースタリオン大型ヘリ、グリーン系の海兵隊塗装が時代を感じさせてくれる

 

それに比べると、CH-47チヌークは陸軍のオリーブドライブ色で大きな変化はない
それにしてもチヌークは改修を重ねたとはいえ、長く使われているもんだ
いまだ世界的に現役だし、国内でも自衛隊機として見かける機会も多い



前年の入間基地航空祭でも展示されていた、米海兵隊 OV-10A ブロンコ
個人的に大好きな機体で、プラモも レベル と ハセガワ で2機を完成させた記憶

 ところで、展示機の背景に見え隠れする
 当時の入間基地、格納庫の姿が今とはだいぶ違い古さを感じるが
 このショーでは格納庫が各国の航空会社のブース(シャレー)となっていた
 航空宇宙ショーの目的はあくまでトレード、航空機や軍用機の売り込みなのだ 
 

こちらはイギリスからの飛来機
コメット旅客機をベースに造られた対潜哨戒機 ニムロッド



下面にあるボムベイ(地上展示でも少し開いているのがわかるね)
をオープンしてのデモフライトもあり、イギリスでの航空ショーと変わらぬ飛行だったよう
この約20年後に渡英し、飽きるほどニムロッドを撮ることになるとは~

ニムロッドも日本への次期 対潜哨戒機 としての売込みだったが
残念ながら、米国のP-3 オライオンに敗北している
 


同じくイギリス ショート社の民間輸送機 スカイバン
この機体はショーの後、レジ(機体番号)を書き換え JA8793 になり商社の社有機に
5年後、撮影に出かけた仙台空港で JA8793 と再会することに

スカイバンは売り込みに成功?したのか、後に海上保安庁でも導入していた




つづいて、ソ連から大挙飛来したアエロフロートの展示機を
持参カメラは35mm程度の広角レンズだと思うが
機体が大きく、全体は入りきらないので2コマを合成して


大型ヘリと言うよりも 巨大ヘリ 、こいうデカブツはソ連が上手い!
当時は世界最大のヘリだった Mil-6  NATOコード名 ヒップ
この機体、横から見るより斜め前方から見たほうが迫力あるのだが・・・
飛んでいる姿が見られなかったのは、ホントに残念


これも巨大な輸送機 IL-76

 

こんなにアゴ部分が目立つんだ! デカイ顔!

改修を受けながら今でも運用を続けており、時々は日本の空港でも見る事ができる
上の画像には観客の姿も写っているが、着物姿のお歳よりは当時の お出掛け スタイル
入間の小さな管制塔も写っているし、時代がわかる画像です


 
次はアメリカの B727 に似た、T尾翼に3発エンジンのソ連 旅客機 TU-154

新潟空港や名古屋空港では、定期便や貨物便として見ることができた機種



いかにもソ連らしい小型ヘリ、カモフ Ka-26 
カモフ伝統? の二重反転ローターは現代でも健在だ
大きなキャノピーのおかげで、昆虫のような容姿が可愛い感じ
展示されていたソ連機のうち、唯一 日本に輸入された機体だった

この外にも、エンジン音がやかましい Yak-40 も展示していたが
デモフライトの準備でこんなところに機首のみチラリ見え

一時、新潟空港へも定期乗り入れしていたことがあった Yak-40
エンジンの大きな音を覚えている方も多いのでは

 

薄い画像になってしまったが、民間ヘリの異機種 ダイヤモンド編隊飛行
先頭から順番に Bell206 (JA9100)、SA341G (JA9098)、Bo105(JA9515)
後尾の ヒューズ500(369 HS)(JA9052)は川崎重工がライセンス生産することになる
Bo105 や ヒューズ500 はデモフライトで宙返りも見せてくれた
「ヘリが宙返り出来るんだ!」
ノーヒンジの樹脂製ローターで可能となったことを帰宅後に知る


 この日の帰りがけ、居並ぶ売店の中で 航空機のジャンクパーツ を扱う店に足が止まった
 目が釘付けになったのは、形式不明の パイロットヘルメット
 とても手が出せるような値段ではなかったので
 旅客機のピトー管とシートベルトを買ってもらった記憶
  ~これが マニア の深い沼に足を滑らせる一歩になるとは・・・(爆
 

最後に
先のソノシート付き冊子(航空宇宙ショー協議会本部発行)の裏表紙に載っていた会場写真をお借りして
 
 消防庁の大型ヘリ ピューマ と Mil-6 が並んで写っているが
 世界最大のヘリだというのがわかる
 ローターのダウンウォッシュでピューマなんか飛んでちゃいそうだよ
  ~ピューマのダウンウォッシュに、大木にしがみついて撮影したことある自分です・・・(笑
 
 混雑具合は入場料がかかることもあってか
 一日の入場者は最近の入間航空祭よりも少ない感じかな
 ちなみに、この冊子に載っていた期間トータル入場者数は 609,000人とある
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もう30年も経つのか

2020年04月27日 | ノスタルジック航空写真館
時間ができたので、部屋のかた付けをはじめたが
昔のアルバムを見つければ手が止まってしまう

開いてしまったのは、B727 ラストフライトのアルバム
日付を見たら、1990年の4月27日
もうあれから30年も経ってしまったのか~、写る自分も若いや

エッ? 27日といえば~ もうすぐじゃん
いつかブログに残したいと思っていたので良い機会かも


 ~ということで、あの日の思い出を~

1990年4月27日 金曜日の朝、新宿のホテルをあとに羽田空港を目指す

ホテルのチェックイン時にもらった前日の新聞記事



そう、この日は全日空 B727のラストフライトが運行され
仲間たちと山形行きの午前 往路便と、羽田に戻る午後の復路便に搭乗する

新聞記事には、ラストフライトを担当する 石川等志雄 機長が
 (727だけで5千時間の経験をもつ教官でもあった方)

 高空での気象変化や着陸時の難しさはあるが
 それをマスターすれば比較的運用が楽な機体だった と

的確にこの機体の飛行特性を現したコメントはさすが


自分はB2(B727の略語)に搭乗するのはこの日が2度目
ラストフライトの当該機はわかっていたので
同機を以前に撮影したキャビネ版を持参した

もちろん、これにパイロット達のサインが欲しくてね



全日空 803便 10時45分出発なのだが
この日はラストフライトなので、搭乗前にはエプロンで撮影OK

特徴的なT尾翼と尾部の3発エンジン、それとオケツの搭乗口を入れて記念撮影する

おなじ尾部でも、この角度から見るのが B727 の一番特徴的な姿を現している



そんな撮影タイムがあったとしても、定刻に出発できたのは奇跡!?

 
 窓から見えた機材、当時は見慣れた MD-81 と YS-11
 

機内の画像 3列×3列のシート 天井高めの空間は現代機に負けないような



 離陸後、真下に見えた 夢の国 も
 建物や施設が少なく、今と比べれば寂しい姿だね
 





山形空港上空では8の字飛行で、左右両側座席から空港を見せるサービス

でも慣れない飛行姿勢変化に、気分が悪くなってしまった


11時27分、山形空港到着
機体は折り返し便として羽田に戻るが、自分たちは懇親会の為にバス移動

ほんのひと時、天童温泉で初めての山形滞在気分を楽しんだ後
本当のラストフライト、午後の羽田行き 806便へ


報道や空港関係者も混じり、ここでも記念撮影




この復路便、コックピットの機長2人は午前の便と同じだったが
FE(航空機関士)と機内乗務員の4人は全員が交代していた

15時30分 出発 予定だったが
記念撮影や報道インタビュー等の為、8分ほど遅れてのプッシュバック

 15時47分 定期便として最後の離陸

マニアだけではなく、一般乗客からもログブックを頼まれたのか
山のように抱えたCAさんは、笑顔でコックピットへ運んでくれた
もちろん自分の写真もその中にある

このあと間違うこともなく、頼まれた乗客の元へ返却するのはさすがはプロ!
 
 巡航高度  26000ft 、 速度 マッハ 0.82
 CB(積乱雲)を避けるために阿見から東へよけ飛行をすると
 こまめなリポートがコックピットから流された

16時31分 羽田のRW33(当時の滑走路で離陸専用だが特別許可)に最後の着陸
 タッチダウンした瞬間、機内からは一斉に拍手が沸きあがった


14番スポットインした機体の周囲は凄いことになっている

降機する前に、なんとかコックピットを一枚だけ撮影させていただく



報道陣や全日空職員が多数待ち構える中を降りていく
こんなに沢山のフラッシュを浴びるなんて、やたら経験できない

タラップを降りるとCAさんから記念品を手渡され 気分は最高!

でもこの後の主役は乗客ではなく乗務員

 (左から CA 藤井、CAP 石川、CAP 北条、FE 松永)




多数の全日空職員たちが見守る中で花束贈呈
報道による先任機長の石川機長へインタビューがつづいた

上の画像、撮影用に何か踏み台があったのか、少し上からのアングル
もう記憶からは消えてしまったが
そういった気遣いも関係者がしてくれていたのかと、今更ながら感謝

セレモニーの途中で指示を受け、バスに乗り込み到着ロビーへ
思い出深いラストフライトは終わってしまった

 最後に胴体へハイタッチ! しなかったことを
 今でも悔しく思い出すことがある

次回は記念品等を少しだけ紹介します
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