三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

初めて幽霊(Phantom)と対面

2020年06月02日 | ノスタルジック航空写真館
古い話しがつづきますが、ご勘弁を
今回は 1975年(昭和50年)10月10日
 
常磐線の石岡駅から関東鉄道というローカル 列車に乗り換え
降り立ったのは小川駅
さらにここからシャトルバスに乗り換える

この日は航空自衛隊 百里基地航空祭
渋滞で動かないバスから降り、歩き出す人の列につづいてしまった自分
まさか基地まで、こんなに遠いとは・・・


1972年から毎年出かけることとなった入間基地航空祭と航空宇宙ショーだったが
当時の第1線 戦闘機のF-104(マルヨン)や 新鋭 F-4 (ファントム)は
入間の滑走路は短く降りられず、上空通過の編隊を眺めるだけ
目の前に展示された マルヨン や ファントム を見たくなるのが人情というもの

航空雑誌と時刻表を調べ、初めてやってきたけど
基地にたどりつく前に、汗と土埃にまみれてしまうとは想像もしなかった

やっと見えた百里フィールド

パッと見、今とそれほど変わらない基地の風景
半世紀近く過ぎた今でも「陸の孤島」という代名詞にピッタリなのは変わらないよね

 これは保存してあった、当日のパンフレット
 
  B5程度の紙に片面印刷されたモノ

 当時はまだカメラを持っておらず
 友人から借りた一眼は50mmの標準レンズのみ
 フィルムも2本のみ持参とは
 なんとも世間知らずの遠征だったこと(笑


でもエプロンに入れば、気持ちはたちまち MAXに
先程までの歩き疲れも吹っ飛んでしまっていた

 F-104J マルヨン は思ったよりも背が低く小さく感じた


 F-4 ファントム(幽霊)とついにご対面
  昭和46年から百里に配備が始まったファントムだが
  この時にもまだ部隊マーク、ケロヨンが描かれていない真新しい機体

 中学時代には我が家上空を、毎日飛んでいた横田基地のベトナム迷彩 F-4Dファントム
 入間基地で見上げた編隊航過飛行の空自 新鋭ファントム
 そんな大好きなファントムにやっと間近で対面することができた


 RF-4E 偵察ファントムも当時の米海軍機に似た
 上面ガルグレイに下面ホワイト、凄みはないがこれはこれでイイ感じ

 更に、入間基地で見慣れた 引退間近の RF-86F 偵察機も一緒に展示されていた

 後方は救難展示のバートル V107 だが
 この時のバートルも新鋭救難ヘリだったはず
 

当日の米軍機は、岩国海兵隊のハリアーが2機飛来

当然だが、初期の AV-8A
1機が空中停止を含めたデモ飛行を実施してくれるとは


格納庫の裏側にも機体と共に武装装備を展示



ファントムの武装も、今では考えられないような品々
旧式だけど貴重な画像、左端に見える空対空ミサイル「ファルコン」なんて
ファントムの制空ミサイルの代表だったけど即消えていったね





マルヨンの 鳴くようなエンジン音 と ハリアーのデモフライト
その大爆音を体中で浴びることができたが



フライト画像はあまりに小さく証拠のみ程度だった

その時はまったく気にならなかったけど
使いやすかった友人の一眼に憧れ
翌年にはバイトして望遠レンズを含め手に入れることになる


最後に航空祭といえば、今も昔もブルーインパルス
配られた昭和50年(1975年)10月付けのパンフを見ると
 

 編隊長は長野県 諏訪出身の小口雄二郎1尉とあるので
 この時も小口1尉がリードと思われる





航空祭が終われば、再び 乗り換え のりかえで都内にやっと帰れたが
初ファントム、初マルヨン 初ハリアーの3連発に打ちのめされ
アパートに帰宅したあとも、気持ちも体も火照ったままだった

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
店長さん こんにちは (ノザワヤ)
2020-06-03 19:39:07
6×7版のカメラ、三脚ということは本格的なカメラ熟練者だったようですね。
でも、持ち運びが大変だったのでは。

私が初めて岐阜基地航空祭に出かけたのは1976年でした。
今も昔も逆光の航空祭ですが、カメラ素人の私は気ににもせず
一生懸命 普通に撮影してました。
少しは撮影の事を考えはじめたのは、同じ飛行機マニアの知り合いができてからでした。

フィルムのデジタル化する度に、当時 デジタルカメラがあったなら~。
もう一度、あの日に戻りたいと思ってしまいます。
返信する
はつたかさん こんにちは (ノザワヤ)
2020-06-03 19:34:27
さすが はつたかさん、鉄道も詳しいですね。
関東鉄道は本数が少なく、待ち時間が長かった思い出しかないです。

確かに、スペシャルマーキングが登場したのはいつだったのか。
一時期、仕事の関係で航空祭等からまったく離れてしまったので
記憶も、フィルムも無い期間がありますから
そんな時に現れたのかも。

マルヨン、 はつかたさん のモデルはフィギュアーもGoodでかないません。
返信する
いい時代でしたね・・ (はつたか)
2020-06-02 22:14:37
お疲れ様であります。
いやー、観客が少ない(笑)。
昔はスペマ機なんて無かったけど、飛行機そのものが美しかったですね。
グレーのRF-4Eがカッコイイです。
ハチロクも新しいキットが欲しいですね。
やっぱしマルヨンやね!
関東鉄道(後の鹿島鉄道。廃線)も、古い気動車がたくさんで楽しい鉄道でした。
ジェット燃料も、貨物列車で運んでましたね。
やっぱり、いい時代でしたね。
返信する
懐かしいですな・・ (店長です。)
2020-06-02 20:21:58
あの当時は、今の無茶混みを考えると、嘘みたいです。私は長い間、カメラ持参の航空祭は出かけていません。見るだけでした。でも当時からあちらこちら出かけていましたが、本式にカメラをかまえたのは、実は岐阜基地です。なんと6×7版のカメラ、三脚を立てて撮影したが、だれからも文句は出なかった。それから数年で35ミリに変更して写真にはまりました。今はストックした写真に悩んでいます。良い時代でしたね・・
返信する
ごろんたさん お疲れ様です (ノザワヤ)
2020-06-02 12:18:53
グレーと白の塗装、米海軍はこれでベトナムを過ごしました。
空自の戦闘機は、それまで無塗装銀か銀塗装だったので
初めて戦闘機に塗装が施される、ということで
制空色という意味で選択されたカラーリングなのかも。
でも機体のアチコチに描かれたコーションデータが目だち
ファントムらしさが出ているような。

ハリアーの塗装も国籍マークが大きく時代を感じますね。

ところで、百里ファントムは昭和47年の航空祭(4/29)の2日後に
#304 が空中爆発で墜落、新編されたばかりの飛行隊長を含む2名の隊員が亡くなっています。
そんあ事もあり、私の気持ちの中ではファントムに特別な想いで対面しました。


今回の記事を書いている時に入ってきたのが三沢基地航空祭 中止の報。
小松も時期的には近いので中止になるだろうし。

状況的には仕方ないと思いますが、今年の百里航空祭はファントムのラスト年。
なんとしても行きたいのですが、どうなるか不安です。

今日は気温上がりそうです、御自愛くださいね。
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(*^◯^*) (ごろんた)
2020-06-02 11:22:53
お疲れ様です〜〜〜

臨場感がひしっと!伝わってきますね〜〜〜
そうそうそうそう!
百里の空! 
そして距離!
これこそ百里ですね!
あまりの遠さに「もう来年はいかない」と決めてしまうのですが
百里航空祭の魅力には敵いません、結局
また出かけてしまうのであります…

ファントムがすっごく新品に見えます
日本でのファントム時代の幕開け!
不思議なことに…なんか…すごく軽そうな機体に見えます。
塗装の色調が明るいからかな????

うははははは! ハリアー!!!!!!
生で見たかった〜〜〜
昔の機体は(そんな昔でもないですけど)
味があっていいですねえ…
ブルーさんのフライトスーツが!!!オレンジ!!!
オレンジですよ〜〜〜織田裕二思い出しましたよ〜〜

この航空祭見ちゃったらもう、底なし沼ですね〜〜〜♪
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