時間ができたので、部屋のかた付けをはじめたが
昔のアルバムを見つければ手が止まってしまう
開いてしまったのは、B727 ラストフライトのアルバム
日付を見たら、1990年の4月27日
もうあれから30年も経ってしまったのか~、写る自分も若いや
エッ? 27日といえば~ もうすぐじゃん
いつかブログに残したいと思っていたので良い機会かも
~ということで、あの日の思い出を~
1990年4月27日 金曜日の朝、新宿のホテルをあとに羽田空港を目指す
ホテルのチェックイン時にもらった前日の新聞記事
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7f/975e81af82b7ea6b26b29c224194719d.jpg)
そう、この日は全日空 B727のラストフライトが運行され
仲間たちと山形行きの午前 往路便と、羽田に戻る午後の復路便に搭乗する
新聞記事には、ラストフライトを担当する 石川等志雄 機長が
(727だけで5千時間の経験をもつ教官でもあった方)
高空での気象変化や着陸時の難しさはあるが
それをマスターすれば比較的運用が楽な機体だった と
的確にこの機体の飛行特性を現したコメントはさすが
自分はB2(B727の略語)に搭乗するのはこの日が2度目
ラストフライトの当該機はわかっていたので
同機を以前に撮影したキャビネ版を持参した
もちろん、これにパイロット達のサインが欲しくてね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c3/e6bb7240d7a023946727dac3f53c1a86.jpg)
全日空 803便 10時45分出発なのだが
この日はラストフライトなので、搭乗前にはエプロンで撮影OK
特徴的なT尾翼と尾部の3発エンジン、それとオケツの搭乗口を入れて記念撮影する
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f3/38b61921b67027149fae8977ebbaa045.jpg)
おなじ尾部でも、この角度から見るのが B727 の一番特徴的な姿を現している
そんな撮影タイムがあったとしても、定刻に出発できたのは奇跡!?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/df/32019e1a7e68d5557120e69fe651d7b9.jpg)
窓から見えた機材、当時は見慣れた MD-81 と YS-11
機内の画像 3列×3列のシート 天井高めの空間は現代機に負けないような
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f7/71481e0e7303b2b7112f90f1bc264faf.jpg)
離陸後、真下に見えた 夢の国 も
建物や施設が少なく、今と比べれば寂しい姿だね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4e/7206c635b77431602b34fb3c7b4b64ae.jpg)
山形空港上空では8の字飛行で、左右両側座席から空港を見せるサービス
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5a/dbb39ea9966d1317c278c92900f768ad.jpg)
でも慣れない飛行姿勢変化に、気分が悪くなってしまった
11時27分、山形空港到着
機体は折り返し便として羽田に戻るが、自分たちは懇親会の為にバス移動
ほんのひと時、天童温泉で初めての山形滞在気分を楽しんだ後
本当のラストフライト、午後の羽田行き 806便へ
報道や空港関係者も混じり、ここでも記念撮影
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/92/4eba1be0f20ada3f32a68ee35f36f492.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d7/c571b7710d1abff53d25dd7c5a4faabd.jpg)
この復路便、コックピットの機長2人は午前の便と同じだったが
FE(航空機関士)と機内乗務員の4人は全員が交代していた
15時30分 出発 予定だったが
記念撮影や報道インタビュー等の為、8分ほど遅れてのプッシュバック
15時47分 定期便として最後の離陸
マニアだけではなく、一般乗客からもログブックを頼まれたのか
山のように抱えたCAさんは、笑顔でコックピットへ運んでくれた
もちろん自分の写真もその中にある
このあと間違うこともなく、頼まれた乗客の元へ返却するのはさすがはプロ!
巡航高度 26000ft 、 速度 マッハ 0.82
CB(積乱雲)を避けるために阿見から東へよけ飛行をすると
こまめなリポートがコックピットから流された
16時31分 羽田のRW33(当時の滑走路で離陸専用だが特別許可)に最後の着陸
タッチダウンした瞬間、機内からは一斉に拍手が沸きあがった
14番スポットインした機体の周囲は凄いことになっている
降機する前に、なんとかコックピットを一枚だけ撮影させていただく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/02/b77e8c2bb75eca7427c205185682d44e.jpg)
報道陣や全日空職員が多数待ち構える中を降りていく
こんなに沢山のフラッシュを浴びるなんて、やたら経験できない
タラップを降りるとCAさんから記念品を手渡され 気分は最高!
でもこの後の主役は乗客ではなく乗務員
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/49/43baddb98868a52998c0d27c28189567.jpg)
(左から CA 藤井、CAP 石川、CAP 北条、FE 松永)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a0/23596612f5d1eaef2e2f95efda9b5ad7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a9/8ea121eac6133dd38264e77192ad56fd.jpg)
多数の全日空職員たちが見守る中で花束贈呈
報道による先任機長の石川機長へインタビューがつづいた
上の画像、撮影用に何か踏み台があったのか、少し上からのアングル
もう記憶からは消えてしまったが
そういった気遣いも関係者がしてくれていたのかと、今更ながら感謝
セレモニーの途中で指示を受け、バスに乗り込み到着ロビーへ
思い出深いラストフライトは終わってしまった
最後に胴体へハイタッチ! しなかったことを
今でも悔しく思い出すことがある
次回は記念品等を少しだけ紹介します
昔のアルバムを見つければ手が止まってしまう
開いてしまったのは、B727 ラストフライトのアルバム
日付を見たら、1990年の4月27日
もうあれから30年も経ってしまったのか~、写る自分も若いや
エッ? 27日といえば~ もうすぐじゃん
いつかブログに残したいと思っていたので良い機会かも
~ということで、あの日の思い出を~
1990年4月27日 金曜日の朝、新宿のホテルをあとに羽田空港を目指す
ホテルのチェックイン時にもらった前日の新聞記事
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7f/975e81af82b7ea6b26b29c224194719d.jpg)
そう、この日は全日空 B727のラストフライトが運行され
仲間たちと山形行きの午前 往路便と、羽田に戻る午後の復路便に搭乗する
新聞記事には、ラストフライトを担当する 石川等志雄 機長が
(727だけで5千時間の経験をもつ教官でもあった方)
高空での気象変化や着陸時の難しさはあるが
それをマスターすれば比較的運用が楽な機体だった と
的確にこの機体の飛行特性を現したコメントはさすが
自分はB2(B727の略語)に搭乗するのはこの日が2度目
ラストフライトの当該機はわかっていたので
同機を以前に撮影したキャビネ版を持参した
もちろん、これにパイロット達のサインが欲しくてね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c3/e6bb7240d7a023946727dac3f53c1a86.jpg)
全日空 803便 10時45分出発なのだが
この日はラストフライトなので、搭乗前にはエプロンで撮影OK
特徴的なT尾翼と尾部の3発エンジン、それとオケツの搭乗口を入れて記念撮影する
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f3/38b61921b67027149fae8977ebbaa045.jpg)
おなじ尾部でも、この角度から見るのが B727 の一番特徴的な姿を現している
そんな撮影タイムがあったとしても、定刻に出発できたのは奇跡!?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/df/32019e1a7e68d5557120e69fe651d7b9.jpg)
窓から見えた機材、当時は見慣れた MD-81 と YS-11
機内の画像 3列×3列のシート 天井高めの空間は現代機に負けないような
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f7/71481e0e7303b2b7112f90f1bc264faf.jpg)
離陸後、真下に見えた 夢の国 も
建物や施設が少なく、今と比べれば寂しい姿だね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4e/7206c635b77431602b34fb3c7b4b64ae.jpg)
山形空港上空では8の字飛行で、左右両側座席から空港を見せるサービス
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5a/dbb39ea9966d1317c278c92900f768ad.jpg)
でも慣れない飛行姿勢変化に、気分が悪くなってしまった
11時27分、山形空港到着
機体は折り返し便として羽田に戻るが、自分たちは懇親会の為にバス移動
ほんのひと時、天童温泉で初めての山形滞在気分を楽しんだ後
本当のラストフライト、午後の羽田行き 806便へ
報道や空港関係者も混じり、ここでも記念撮影
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/92/4eba1be0f20ada3f32a68ee35f36f492.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d7/c571b7710d1abff53d25dd7c5a4faabd.jpg)
この復路便、コックピットの機長2人は午前の便と同じだったが
FE(航空機関士)と機内乗務員の4人は全員が交代していた
15時30分 出発 予定だったが
記念撮影や報道インタビュー等の為、8分ほど遅れてのプッシュバック
15時47分 定期便として最後の離陸
マニアだけではなく、一般乗客からもログブックを頼まれたのか
山のように抱えたCAさんは、笑顔でコックピットへ運んでくれた
もちろん自分の写真もその中にある
このあと間違うこともなく、頼まれた乗客の元へ返却するのはさすがはプロ!
巡航高度 26000ft 、 速度 マッハ 0.82
CB(積乱雲)を避けるために阿見から東へよけ飛行をすると
こまめなリポートがコックピットから流された
16時31分 羽田のRW33(当時の滑走路で離陸専用だが特別許可)に最後の着陸
タッチダウンした瞬間、機内からは一斉に拍手が沸きあがった
14番スポットインした機体の周囲は凄いことになっている
降機する前に、なんとかコックピットを一枚だけ撮影させていただく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/02/b77e8c2bb75eca7427c205185682d44e.jpg)
報道陣や全日空職員が多数待ち構える中を降りていく
こんなに沢山のフラッシュを浴びるなんて、やたら経験できない
タラップを降りるとCAさんから記念品を手渡され 気分は最高!
でもこの後の主役は乗客ではなく乗務員
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/49/43baddb98868a52998c0d27c28189567.jpg)
(左から CA 藤井、CAP 石川、CAP 北条、FE 松永)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a0/23596612f5d1eaef2e2f95efda9b5ad7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a9/8ea121eac6133dd38264e77192ad56fd.jpg)
多数の全日空職員たちが見守る中で花束贈呈
報道による先任機長の石川機長へインタビューがつづいた
上の画像、撮影用に何か踏み台があったのか、少し上からのアングル
もう記憶からは消えてしまったが
そういった気遣いも関係者がしてくれていたのかと、今更ながら感謝
セレモニーの途中で指示を受け、バスに乗り込み到着ロビーへ
思い出深いラストフライトは終わってしまった
最後に胴体へハイタッチ! しなかったことを
今でも悔しく思い出すことがある
次回は記念品等を少しだけ紹介します
記念写真撮りましたか!? お互い若かったですよね。
ご夫婦で搭乗ならば記念品も二組、売りたい気持ちわかります(笑
30年は今思うと昨日のような感じ、時の経つのは早いです。
あと30年は生きないでしょうから、自分のコレクションもこれからどうなるのか。
飛行機仲間と会うと、おなじ話しになって
売ろう 売りたい 譲りたい! となるのですが
実行した話しはまず聞かないのが、死ぬまでマニアの性ですね(笑
セブンツーセブン、残念ながら乗ってないんです。
伊丹空港のアプローチコース直下に住んでたんですけど、727とCV880は喧しかったですね。
おかげで大阪市が、公害対策で家の防音工事とクーラーの取付工事をしてくれました。
727、佳い飛行機でしたね。世界一周ツアーで伊丹に飛来したルフトハンザの727や、千歳で正体不明の727を撮影できたのはラッキーでした。
橋幸夫・吉永小百合「そこは青い空だった」カラオケでよく歌います。♪・・匂うジェット機セブンツーセブン・・エエ歌や・・
羨ましい!!
やはり地の利にはかなわないです。
防音工事、空港や基地周辺でも聞きますが
飛行機が好きでも毎日となるとやはり気になるでしょうね。
でも今の私にはジェット音が欲しいです。