ぱたの関心空間

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原発をとめた裁判長ーそして原発をとめる農家たち @ 龍谷大学深草キャンパス(原発を考える伏見フォーラム)

2024-05-19 18:24:32 | 映画感想
驚くよね。
原発の耐震設計基準が、住宅メーカーが作る一般の家に比べて段違いに低いとか。
ありえへん。

驚くよね。
裁判官は文系だから、科学的判断はできない(っつーか苦手?)とか。
びっくりだ。

驚くよね。
福島原発は偶然がいくつも重なったおかげで東日本壊滅を免れたとか。
こわすぎる。

驚くよね。
活断層があるとかないとか言っても意味がないとか。
ほんまに。


でも、驚く必要なんてない。
実は全部ちょっと調べたり考えたりすればわかることでもある。

儂等はそういう事に気づかないようにさせられて、原発を容認するように仕向けられてきたのだ。

原発をとめた裁判長とは樋口英明さん、福井地裁元裁判長のこと。
2014年に関西電力大飯原発の運転停止命令を下した。

儂がこのニュースを聞いた時に感動したのは、その判決文の中に、
原発を稼働しないと経済的な国の損失になる、とかいう被告側の言い分に対して、
この国の豊かな自然と国民がそこで生活していることこそが国富であり、それを失うことが国富の喪失なのだ、みたいに言っていたところ。
裁判の判決文に血が通ってることを感じた。

そうだね。
他に裁判の話でそんなことを思ったのは、吉田巌窟王の無罪判決での「吉田翁」の呼びかけくらいかな。

そうなのだ。
これは裁判官の物語でもあるのだ。
わかりやすく言えば、裁判は人(裁判官)による、という話。

法治という建前がありながら、人だというのは矛盾しているわけだけれど、現実的にそうなのだから仕方がない。それを人間の未熟と取るのか法治の限界と見るのかはたまた。。。みたいな小難しい事はわからないので、スルーしておくけれど、少なくとも理解という面でも情という面でも裁判官は人であるという至極当たり前の話は、実は儂らはもっと認識しておいていいんじゃないかな、と思った。

河合弘之さんが言う
「高校生でもわかる理屈でないと勝てない」
ん?どゆこと?

裁判官は頭のいい人たちだ。
だって難しい司法試験に通っているんだもの。
その人たちを捕まえて、高校生でもわかる理屈でないとダメとは?
頭のいい裁判官を馬鹿にしているの?
と、ちょっと思っちゃったけど。。。

いやいやいや、
もちろん馬鹿にしているわけではない。
「裁判官は賢い人たちだから、難しい話でもちゃんと判断してくれる筈」と言う思い込みを正しているだけなのだ。
樋口さんは言う
裁判官はほとんど文系ですよ、と。つまり難しい科学的な話とかされても馴染みがない。
いっくら賢くたって、年間何百という案件を抱えている裁判官が、超絶分厚い科学的な証拠資料出されて、全部理解した上で裁判に臨めるのかっつー話だ。

そりゃそうだ。
裁判官だってフツーに人の子。電力会社が用意する分厚い資料を見て、ついついこんだけの資料があるんだから、科学的にも原発は間違ってないんじゃね?みたいに流されても仕方ないだろう?と思うのだ。

だから、裁判官が惑わされないようにするためにも、高校生でもわかる理屈、が必要になってくるのだ。

映画のテイストが明るい。
んー、今にして思えば、意識してそういう作りをしていたのかもしれない。

確かに樋口さんは原発をとめた。
でも、その後はどうだ?
裁判所の判断は原発をとめ続けているのか?
否である。
政治は原発を縮小しようとしているか?
否である。
世論は原発に反対し続けているのか?
否である。

農家のソーラーシェアリングにしてもどうだ?
日本全国にその動きは広まっているのか?
否である。

でも、
その暗澹たる現状を覆すための芽はちゃんとここにある。
絶望的に見える世の中だけど、ちゃんと希望があるのだと気づかせてくれた。
それを明快に伝える映画だったよね。

テーマ音楽担当も東北6県ろーるショーの白崎映美さん。
いいよね。心が躍る。

まだ高い放射線量の場所だってある福島で、土に触れながら頑張る農家の人たちのことは正直気になるところではあるけれど、文字通りソーラーパネルのある上を見ながら、地に足をつけて希望を語る農家の「原発を止めるためにやってるのだ」という言葉で目の前が開けるような気がしたのですよ。儂は。