ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

ドラえもん のび太と緑の巨人伝@新京極シネラリーベ

2008-04-13 00:37:28 | 映画感想
うぉー、シネラリーベって京都シネマの会員証で300円引きやん!
映画の後、ホームページ見て初めて知った(損)

さて、年に一度のドラえもん映画。
今年は新しい声優さんになり画風も変わってからはじめてのオリジナル作品。

ストーリーのテンポが遅いとか、意味ありげだけど思ったほど意味がなかった枝葉とか、子供たちには説明不足では?と感じる点とか、いろいろと思うところはあるのだけれど、一番気になったのはそのメッセージ性です。かなりストレートにメッセージ色の強いものになりましたよねぇ。

どうなのでしょう。

いままでドラえもん映画の魅力は純粋さであり、そのメッセージは物語とか、のび太たちの心情とか行動とかで自ずと表現されていた、と思うのですね。
下衆の勘ぐりと、分かっていながら言うのですが(まぁ、そういう事を黙っていられないところは、結局同じだとは思うのですが)、4年前にスタッフキャストが替わって、製作側は如何に以前のドラえもんを大切にしながらそれと同等の願わくばそれを超えられるような時代に合った新しい「ドラえもん」を作るかに腐心していることと思います。映画見ていてもね、伝わりますよ、それは。
きっとそれは大きなプレッシャーであり不安なのだろうなと。

今回のお話のテーマは緑です。
人間が破壊している自然環境、その象徴としての緑。
全宇宙の緑を統括している植物型惑星の住民が、地球の自然破壊を見かねて人間たちを滅ぼそうとする。しかし、のび太たちの活躍で計画を思いとどまらせ、地球を救うことが出来た。と。

でもそれだけでは足りなかったのでしょう。最後に緑の星の評議会でキー坊が演説をする。
「今まで人間は間違っていたけれど、これからは緑を大切にすることを約束します!」

そう。約束してしまったのだ。

いいのか?いいのか?地球を代表してそんな事を約束してもいいのか?
子供たちが見ているこの映画の中で、そんな大それた約束をしてしまってもいいのか?

翻って現在の世界。
相変わらず国と国はいがみあい、環境会議はいまだにエゴのぶつかりあいだ。
キー坊は胸を張って演説していたじゃないか!それなのに現実の儂らは胸を張ることが出来るのか!?
子供が少し大きくなってから
「あれ?キー坊が約束したはずなのに、なんで地球から緑はなくなっちゃったの?」
って聞かれたら。。。どう答える?

「なに言ってんだ?、ただのアニメじゃないか!」
なに言ってるんですか?ただのアニメじゃないじゃないですか!

ドラえもんだから、というのは勿論ある。
いや、ドラえもんじゃなくても子供たちが見る映画なのだ。その影響力を考えたことがあるかい?

子供に絶大な影響を与える映画だという自覚があるなら、絶対に無責任なことは言えない。
これを子供たちに見せるのなら、子供たちに対して映画のメッセージを支持する責任が大人にあると思う。
そんな覚悟をみんな持っているの?そんな覚悟を儂はもてるの?(あ、子供はいませんが。。。)

理想を語ることは勿論絶対に必要なことだ。
しかし、理想ときれい事は微妙に違う。言ったことに責任が持てないのであればそれは無責任な理想論、つまりきれいごとでしかない。
この映画でキー坊に明確なセリフを言わせてしまったことで、突きつけられたのは儂ら大人の責任と覚悟なのではないかしらん。

恥ずかしながらドラえもん映画を見ると毎回泣いてしまいます。感動して。
今回も泣けました。しかも今までで一番かもしれへん。

でもね、涙の意味が今までと全然違ったわけです。
キー坊のセリフを聞いていたら、上に書いたような思いが出てきて。
そしたらもう、キー坊のセリフに対して大きく頷けなかった自分が情けなくて、それが出来てない世界の現状が悔しくて、人間の責任を小さな苗木でしかないキー坊に負わせてしまった事が恥ずかしくてねー。
もう、声を上げて泣きたいくらいやった。
まだ上映中。ぐっと堪えたけど。

ドラえもん映画を見て気になるのは、子ども達にこの映画がどう映ったかということです。

案外、子供たちは素直に受け取って、疑問も持たずに忘れてしまうのかもしれない。
 #それはちょっと残念だけど。
案外、子供たちはのび太たちの活躍に目が行って、メッセージには気づかないのかもしれない。
 #それも若干辛いけど。
案外、子供たちはそんな心配も見通してクールに見ているのかもしれない。
 #それはそれで寂しい。。。

それでも、ドラえもん映画を応援し続けます、これからも。

ノスタルジーと言われても、ドラえもんに特別な期待をする事を許してください(願)