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ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

そうだ!「選挙」に行こう♪

2012-01-21 14:42:21 | 日記
いつも無駄にダラダラと長い儂の文章。

でも、だいぢゃうぶ! 今日の主張は明瞭簡潔です。

兎に角、投票率を上げたい!

 「たとえ政治に関心なくても、誰に入れたらいいか分かんねーよっていう人でも、
  あなたが幸せになりたいのなら、なんでもいいからとりあえず 『選挙』 に行こう!」


デス。

以上。
終わりっ。

って言って、終われたらいいんだけど、そういうわけにもいかない(性格上)。 (^^ゞ

が、長くなると読んでもらえないので、もう一つ、書きたいテーマを先に書いておきます。 
#っていうか、最初から「コイツの文はクドイんだよ!」って思って読んでくれない人が多いだろうけど。。。いいのいいの、どうせウェブ上の日記なんて独り善がりだから、ぐすん(/_;)


 「とりあえずなんでもかまわないから 『投票率』 が上がる案を大募集!」


あー、ただし現実的なヤツね。

因みに儂のアイディアは、選管のCMにSMAPかARASHIを出して
 「次の日曜どうする?」
 「次の日曜?あ、投票日だね」
 「投票日って何さ?」
 「○○選挙の投票日だよ。忘れてたの?」
 「え、選挙って、みんな行くの?」
 「いやぁ、選挙行かないとかありえないっしょ。」
 「だよね、国民の権利だからね。当然当然。」
なんて会話をしてもらう。(どのセリフが誰がいいかは各自脳内キャストでヨロ)

知名度好感度抜群の彼らがやったら間違いなく投票率上がるかと。。。

#全然現実的じゃねーよ


てなわけで、話を戻します。
ここから長くなる(予定)です。(ニヤリ)

儂的にはいつもそのつもりなんだけど、
今回も当たり前すぎるくらい当たり前の事を書いているつもりです。
「そんなん当たり前じゃん!」
ってなツッコミはナシよ(欽ちゃん風)

さて、

まず、何より儂の気持ちを暗くさせたのは、3.11以降、直後にあった統一地方選挙だけじゃなく、首長・地方議会選挙もほとーんど「投票率、前回より○ポイント減」と伝えられている事実。
#あー、ちゃんとチェックなんかしてませんよー、たまたま目についたヤツだけですよー
#大阪府知事市長選くらいだったかなー、上がったんは

この未曽有の大災害を受けて、原発事故で次々に露わになる政治家とこの国の社会のダメダメさを見せつけられて、

絶対に投票率が上がるにちがいない!

と、思っていたのははたして儂だけだったのか!?

いや、ほんまに、
ここはちょっと分析省いちゃうけど
なんで投票率落ちた?

簡単に出てきそうな言い訳(敢えてイイワケって言っちゃう)としては

 震災の対応を見て益々政治家が信用できなくなったから、とか
 震災で大変なのに選挙なんて行ってられない、とか

政治家の不甲斐無さに、そう思うのも分からんではない。
くだらない政治ショーという三文芝居に付き合ってる場合じゃない、それもわかります。

でも、よー考えてみ。
あーたのその(選挙権を行使しないという)行動が、(政治と政治家をさらにダメにするという)事態の悪化にさらに拍車をかけているとは思いませんか? ってんだ。

不甲斐無い政治家が多いのは何故ですか?
政治がしょーもないショー(ダジャレだよダジャレ!)に成り下がったままなのは何故ですか?

端的に言います。
国民が許してるからですよね。

日本は(一応)民主主義の国です(とみんな信じてるし、システム的にはそうです)。
つまり、困った結果の責任も基本的には主権の存する国民にあるわけです。
ダメポンな政治家を野放しにしてしまっている責任も、その結果として酷い社会が生まれてきた責任も、儂ら国民にあるということです。残念ながら。。。orz

もーちょっと言いますよ。

政治がダメだから、政治家がダメだから選挙に行かない、は本末転倒です。
政治がダメだったら、政治家がダメだったら、なおさら選挙に行かないと、ヤツらもっともっと、ドンドンダメになるに決まっているじゃないですか。

国民が一番簡単に意思表示する(政治に参加する)事ができるのが選挙に行って投票する事。

簡単に言うと、儂らが政治家に対してモノ申す事ができる(唯一最大の)チャンスが選挙に行く事。

どーゆー事かっちゅーと、
選挙に行くという事は、儂ら国民が政治家に対して
「俺達、ちゃんと見てるぜ、だからちゃんとやんなきゃ承知しねーぜ」
というメッセージを発信する事なわけですよ。

逆に選挙に行かないとそういうメッセージがないから政治家は
「なーんや、国民の皆さんあんまり俺達の事チェックしてないんだね。じゃぁ好き勝手やっちゃおー。とりあえず、選挙の時だけ耳触りのいい事言ってそこそこ票集められたらいいや」
ってな感じになるって、想像つくでしょ?


勿論、そんな風に考えてみんなが投票に行ってくれるならば問題ない。

けれども今の日本人の政治離れは尋常じゃなくって、政治に関心を持つとか、それ以前に政治が今の自分の生活に直結しているとか、自分がこの社会で生きている以上本来は考えざるをえないものだとか、そんなあたりまえの考え方さえもしにくいような空気感を感じるわけです

分かりやすく言うとねー。

「はー、ナニ?おまえ。政治の話とか、うわっマジ?だっせー!」  みたいな雰囲気。
あるでしょ?ね、あるでしょ?

「真面目がカッコ悪い」
 みたいな意識がそもそもナンセンスな上に、
「政治について考えたり話したりする事=真面目」
 ってのもナンセンスなんだけど。
兎に角、この政治っつーものにきちんと向き合ってお互いに話す、という事についてのわけのわからんイヤイヤ感ってのがある。これに対して正面切って話をしたところで、相手はそもそも話を聞く、ってな事さえもイヤイヤなのでその労力、無駄とは言わんが百年河清を待つが如しでやんす。

だからね。
儂が考えているのは

「(政治に関心は無かったとしても、)選挙に行かないというのは恥ずかしい」

という風潮を作ってしまうというのはどうか?

っていう事なんです。

投票率が低いと > 選挙に行かなくっても平気
投票率が高いと > 選挙に行っていないと変?

みたいになるやん?
そんな風に空気感を変えた方が早いと思うわけです。

あんたバカぁ?
投票率が上がってもみんながちゃんと考えて投票しないと、人気だけでとんでもない人選んじゃう結果になるんだよ!例えば大阪の橋○徹とか東京の石○慎太郎とか!(意見には個人差があります)

あーそーね、そーね。確かにそーね。

正直に言うと、それもある程度は仕方ないかなと思っている。最初はね。
それに、その話は現に今、「投票に行く事が当たり前」じゃない現状でのお話じゃないですか。
大阪市長選なんか、ホントに(投票率が上がったのは)一時の事じゃないんですか?

こういう事です。
とにもかくにも投票率を上げる事によって
 1、社会の雰囲気が「とりあえず投票は行くでしょ?行かないと恥ずかしいでしょ」っていう空気になるようにする。
 2、ノンポリの人も選挙に行く以上、誰かに投票しなくちゃいけなくなるわけだから、多少なりとも関心を持たざるを得なくなる。
 3、中には選挙に行く事で今まで関心なかった、政治の事・社会の事を考えようという人が出てくる。
 4、そういう人が多くなってくれば、日常的にそういった話をする事に違和感がなくなる社会になる。
 5、政治家、ウカウカしていられなくなる。

と。

そんなウマい事行くもんか~!

まぁ、そんなにウマくは行かないかもしれない。
けど、本来はそうなってもらわなくちゃいけないと思うのです。


いいかな。

基本的に、幸せになりたくない、と思っている人はほとんどいないと思います。
良い世の中になってほしくない、と思っている人もほとんどいないと思います。

#いたらごめんなさい、選挙に行ってもらわないくて結構です。

残念ながら幸福を実現するような良い世の中にするために、社会を直接動かす為に大きな力を持っているのは政治家なのですよ。少なくとも現在のシステム的にね。

だから、酷い言い方をしますが、政治に無関心な方は今は無関心なままでも一向に構いません。
でも将来の自分の幸福の為に、投票率を上げる事には協力してもらいたいと思うのです。
それが、あなた自身の幸福に間違いなく繋がる行為だからです。

一年間にたったの数回、10分くらい自分の時間を割くだけで、自らと日本の幸福が手に入るいというのに、そのチャンスをみすみす逃す手は無いでしょう?
#なんかの宗教みたいだな。。。

ローカルで恐縮ですが、2月5日京都市長選挙です。

いいですね?これを読んでしまった京都市民のみなさん(えー、数えるほどしかいないと思いますが。。。)
選挙なんか興味ねーや、と今まで思っていたかもしれません。
でもね、悪い事言わないから、選挙に行きましょう。うん、悪いようにはしませんから
#なんか悪い奴みたいだ。。。

もちろーん、どっちの候補に入れていただいてもかまいませんっ!
#話の流れからはそうなる

余談ですが、今回の京都市長選挙、
現職の門川さんと対抗の中村さんという構図です。
なかなか分かりやすい構図なのでね、

儂的には
「行き詰まりの見えている旧来の経済システムの中で京都を活性化しますよー」とまだ夢見ているような事をいっている現職と
「新しいパラダイムに移行するために京都を変革するシステムを作りますよー」という夢を語る対抗
という図式に見えます(分析には個人差があります)

さぁ、あなたならどちらに投票しますか?

#ええ、あたしゃ中村和雄さんに投票しようと思っちょります。ぬほほほほーん
<いいのか?最後そんなに軽く終わって>儂




「2011年」に考えた事(まとめ)

2011-12-29 15:41:52 | 日記
あまりこちゃこちゃとした説明を書かないようにしようと思います。
はい、がんばります。

 →(無理でした、スイマセン)

今年、一番の出来事は、なんだかんだゆーてやっぱり震災とそれによって続く原発の事故。

でも、その陰に隠れて(隠れてないのもあるけど)置き去りにされた問題やら勝手に進んでる問題やらもたくさんあるのが不気味。
TPPとか、普天間・辺野古とか、消費税とか、武器輸出三原則とか。
いや、厳密に言うと関係なくは無いんだけれど、関係性の中で語られる事もなく、話ばかりが進んでいる感じが何とも不気味なわけです。

そんな事を念頭に置きながら、いくつか挙げさせていただきます。


 >日本人には、どうやら圧倒的に国語力が足りない。

コミュニケーション不全。
儂らは、こんなにも日本語での意思疎通が下手くそだったのか?
一体全体、小中高と学校で儂らは日本語の勉強を本当にきちんとしてきていたのだろうか?と思う事が何度あったか。

例えば、
「直ちに人体に影響を与えるレベルではない」(儂的今年の流行語大賞)と言った枝野さん。
ウソツキ呼ばわりする人がたくさんいましたが、別にウソついてませんよね?
枝野さんは「直ちに」影響は出ない(つまり、時間が経ったら影響出る可能性がある)、と言っているのだから。
儂らがきちんとあの発言を理解したら、少なくとも問題ない、とは言えない、という事に気付けたはずだと思うのです。

言葉をきちんと押さえる事はとても大事。
菅ちゃんだって最初「脱原発」って表明したと思ったら、いつの間にか「脱原発依存」になっていたし。
原発を完全に無くしちゃう脱「原発」と、原発残して比率を下げるだけの脱「原発依存」じゃぁ、雲泥の差なのに、そこらへんに言及してる人を見た事が無い。

最近だったら、行程表ステップ2の終了を宣言した時のニュース。
冷温停止しているのは危険な状態にある燃料の事じゃなくて、燃料が溶け落ちたとみられている「もぬけの殻」の原子炉の事だ、と新聞記事には書いてある(つまり、相変わらず危険な状態には変わりない)。なのに、「まだまだやばいじゃん、問題あるやん!」って言う声はネットの中からしか聞こえない。

多岐にわたる問題が出まくりで、議論百出、でも中身を見てみるとあちらこちらで噛み合わない議論の応酬。なーんも難しい話じゃないのに、質問に対しての答が、じぇんじぇん別の内容なんて、ホントにざらにあってビックリです。(まぁ、代表格は国会の論戦ですが。。。)

全く、
同じ言葉を喋っているのに意思疎通できないなんて!バベルの塔もないのに、一体どういう事なんですか?
#ハッ、もしかして「核」をいじった事が神の怒りにふれたということ!?

儂らは本気で言語によるコミュニケーション能力をちゃんと身につけた方が良いんじゃないかな。
小学校で英語必修化、とか言う前に、日本語をちゃんと勉強できるようにしてくれ~!


 >やっぱり、もっと歴史を勉強した方がいい。

って、別に 「いいゴム作ろう、保元の乱」<高校時代の友達が言っていた、とか受験勉強みたいなどーでもいい事覚えろっていっているわけではなくて、儂らがどんな変遷を経てきたのか、感覚的にとらえるだけで十分かなと思います。歴史を学ぶって事は同じ轍を踏まないようにするために必要な事だと思うのです。

だって、太平洋戦争のような悲劇を繰り返さないためには、そこに至った日本の歴史を知らなくてはいけないでしょ。
それに、人類の歴史をみれば、一時代の社会システムが永遠じゃない事に直ぐに気付くと思うのです。歴史の中では人々のパラダイムは変化し続けてきたわけで、常識だと思っていた事なんて直ぐに常識じゃなくなるのが常識(笑)なわけですよ。そこに気付ける人は、いろんなものから自由になれるんじゃないのかな、と思うわけです。

当然人々の経済活動も変化するのは当たり前なわけで、
例えば、原発推進派の人の主張に「原発を無くしたら原発で働く人が困る」というのがあるけれど、社会が変化していく中で原発が無くなるのであれば、それは必然。(あー、もちろんだからほっときゃぁいい、という話じゃないよ。為政者はなんか考えなアカンのやろな、と思いますけどね)

自動車が出てきた時代に、「儂らの働き場所が無くなるやないか!」と人力車夫が怒るからと言って自動車を禁止するのが正しいと思いますか?
#お、我ながら強引な例えだ☆


 >やっぱり、この国では人の命(尊厳)よりもカネ(経済)を優先する勢力が幅を利かせている

「日本政府は福島の子どもたちを助けることよりも経済を優先してるように見える」と発言したのはB級アイドル(^<^) の藤波心さん(中学3年生)。
(@kikko_no_blogさんのツイートで知る)

中坊にまで看破されてるわけです。(>_<)

金の亡者というのは蔑まれると言うのがこの国の道徳だと思っていたのですが、どうした事でしょう?

一年ほど前、たまたまゴールデンタイムにつけたテレビで「どういう結婚をすれば得か」という番組をやっててブッタまげた事がありました。
損得で結婚を語るなんて、ツレと酔っ払いながらする与太話やぞ!?ゴールデンでしたり顔で話すなんて恥ずかしくないんか!?勝○和代さんは?(伏字やしわからんやろ)

あー、特にあの「しんじゆうしゅぎけいざい」とか言うの?
アレ、ダメだと思います。はい。

99%に入る人のうち、自分が99%に入っているという認識を持っている人が99%にはるかに及ばないのは何故なのでしょう?わかりませんっ!
#いや、わかりますが。。。。


 >とにかく、儂らのイメージする力のなんと弱い事か

津波に襲われた町の事を、高度に汚染されてしまった土地の事を、故郷を失った人々の想いを、その当事者じゃない人間が100%理解する事はできません。けど、そこに想いを寄せる事は出来るのです。
3月11日の震災が「想像を絶する」災害、だった事は確か。だからといって考えなくて済む、っちゅー問題ではないですね。

あのねあのね、そもそも、想像する・イメージする事の必要性を感じていない人が多い気がするのです。
イヤな事からは目をそむける。人間だからそりゃぁ仕方ないんだけど、目を背けても何も物事はいい方向になんか向かっていかない、なんてことは誰だってわかりますよ。

「がんばろう」とか「つながろう」とか「いっしょだよ」とか。

口先だけで言うんやったら、そんなもん逆にしていらん。
本気やったら相手を、その先の未来を、そこから広がる世界にまでイメージを働かせていかないと。そこまで考える覚悟があって初めてその言葉に魂が宿るような気がします。

今、いろんな事に想像力を働かせることを、自分から止めてしまう事は、儂ら自ら自分たちの未来を閉ざしてしまう事にもなるんじゃないかと本気で考えます。


 >無責任がまかり通る国になった事の恐怖

この国のトップ(政治界だけじゃないよ)が無責任なままでいられるシステムという問題は、以前からあったのだけど、今年はその実態が儂らの目の前にあからさまになってしまったと思うのです。

事故を起こした東京電力、国策として推し進めた政治家、後押しした経済界、公僕である以前に自己保身の為としか思えない官僚、プロパガンダを垂れ流したマスコミ。
どれ一つとして、責任を取ったとは言えないでしょ。取ろうとしているようにも思えないし。

「無責任が罷り通る社会」
責任を取らないでいる人が、何の責めも咎もなくでかい顔をしている様子を目の当たりにしたら、子どもたち・若い人たちはどー思うでしょうね?

簡単な事です。
「なんや、やったもんがちやん。開き直ったもんがちやん。金を持っていたら何でもありやん。正直もんはバカだね。」

オー、セイギモドウトクモナイヨノナカニナルネ、キット!

いや、ならんとは思うけど、でもそう考えるのが当たり前の社会になる事は想像に難くない。
想像してみ、そんな考え方の人ばかりがうろうろしている世の中。これホントに怖い事だと思うよ。


 >問題なのは一つ一つの事象ではなく、この国のシステムだ

いや、一つ一つも問題やねんけど。。。

今の日本の状況が絶望「的」に感じられるのはここなんですよね。
問題はいくつもいくつもあって、その一つ一つが解決したところで表面的な対処療法でしかなく、根本のところ(システム)に問題があるから根本的な解決にはならない、という事。

既存のシステムを変えるっつーのは、コレ並大抵の事じゃぁ無いからにゃー。

まず、みんながその必要性にまず気付いて、社会全体が変えなくちゃいけないという方向に行かなければならないんだけど、今の日本のシステムは、みんながそれに気付く事さえも阻害する方向に機能しているから絶望「的」に感じてしまうんだな。
「絶望」に変えたくはないのだけれど。。。


 >兎に角、みんなで選挙に行く事から始めませんか?

儂的には、上記の問題の解決の為の一方策なんだけど。。。

なんにしろこれ、もうちょっとしたら書きます。 京都市長選挙までには書きたいんだけどな。


 >ツイッターの役割が変わった

使っておきながら何ですが、震災前まで儂ツイッタには批判的だったの。理由はここでは省略。
でも震災後、儂にとってはツイッターが強力な情報収集ツールに変身しました。
それこそ情報リテラシーがある事が前提なので簡単に言う事は出来ないけれど、ツイッターのお陰で、こんな大変な年に多くの情報ソースに出会えた事に感謝します。


 >九州新幹線のCMと猪苗代湖ズのPV

何度見ても。。。。
みんなが同じ方向に向かって繋がっていく、それを思うだけで涙がこぼれてきます。

今年の漢字「絆」。
いい言葉だけど、残念ながら実感できませんでした。

来年の漢字が希望に満ちた「繋」になるといいな。

ではみなさま、良い年を。
笑顔になれる年を。
そして、幸せになれる年を。



そうやって本当の「風評被害」が始まるんじゃないのか?

2011-11-24 15:19:15 | 日記
それを「風評被害」と呼んではいけない。

と、3月以降ずーっと言い続けてきた。

#え、どこでかって? あ、スイマセン。プライベートでです。(わかんねーよ、バカっ)

まったく、
これほどまでに「風評被害」という言葉を安売りした年は無かったのじゃなかろうか?

新聞でもラジオでも一時期連日のように踊る「風評被害」という言葉。

なんだかわけがわからない。

多分に言葉の使われ方が間違ったまま、新聞でもラジオでも当たり前のような顔をして「風評被害」と言われていた。

そうですよね?
ね?ね?ね?

>「風評被害」
>根拠のない噂のために受ける被害。特に、事件や事故が発生した際に、不適切な報道がなされたために、本来は無関係であるはずの人々や団体までもが損害を受けること。
(goo国語辞典よりコピペ)

根拠は。。。。あるでしょ、十分。( 一一)

間違いないのは
「風評被害」と言う時には、実際には「問題視されるような事象は存在しない」
というのが前提となる。

ところが、問題はありまくり。

もちろん、放射性汚染されたものを「必要以上に」危険視したり、実際には汚染されていないものまで拒否したり、偏見の目で見たり、という不合理な事になってしまう事にたいして警鐘を鳴らすというのはあってしかるべき事。
しかし、そこに相応しい言葉は絶対に「風評被害を広めるな」ではないという事。

んと、いろんなところで話も出てるし、冷静に考えりゃわかる事なんだけど、一応確認ね。

放射能に汚染されてしまった農作物、動物、地域があるのは事実。それが前提。
検査結果がNDでも、検出限界以下、という意味であって汚染されて無い、と証明しているわけではない。
#勿論、それでも低い検出限界が示され、その上でNDということであれば少なくとも危険だと思われるレベルでないという事は、社会的に受容されているとは思います。
全ての食材の放射能検査がなされているのであればまだ分かるけど、されていないのは明白。ならば、汚染されている食材が流通している可能性がある、というのはあたりま枝野クラッカー(誤変換が面白いので残しておく)。

ならば、現状で放射能に汚染された可能性のある場所の作物を避ける事も、放射性物質を取り込みやすいと言われる食材を避ける事も、当然であり、それで与える影響は「風評被害」ではなく「原発事故による実害」でしかない。

ですよね?

さて、今月になって
福島のお米から、暫定基準値500ベクレル/㎏を超える、630ベクレル/㎏という値が出てきた。

そのニュースを聞いて、
「うわー、マジか。また、テレビとかマスコミが『風評被害が心配』とかワンサカ言うんやで。だから、風評被害とか言ったらアカンって。実害なんだから」

と思ったが、なんかちょっと今回はしっくりこない。
なんだろう、とモヤモヤしていたのだけれど、そのモヤモヤは
「やっぱり、風評被害は起こるんじゃないか?」
という事のような気がしたのだ。

「風評被害とは違う、って言った舌の根も乾かないうちに風評被害と言っているよ、コイツは!」

いやいや、ちょっと待ってもうちょっと聞いて。

儂は、端っから、検査しているから大丈夫、なんて言葉を信用していなかった。

それは先に行われ、福島県知事が安全宣言を出したお米の放射能測定も勿論だけれど、他の農畜産・水産物についてもだ。
理由は先に書いたように、きちんと全てが調べられているわけではないから。
調査は基本的に抽出検査だし、調査の方法だって不十分、そもそも調査されていない食材だって多い。
汚染されているものが、物流の目をくぐって店頭に並ぶなんてのは十分想定内。まだ乳飲み子がいるウチみたいな家庭にその言葉を信じろなんて言うのは、正気の沙汰じゃぁござんせんよ。

が、しかしだ。

震災からすでに半年以上が経過し、測定機器を備えるところも増え、儂ら消費者にも知識が付いてきた。そして、流通業界も安全を売るために全量調査や、暫定基準値よりも厳しい独自基準をもうけるようなお店も出てきた。
つまり、徐々に信用できそうな条件が整いはじめているし、何よりも実際に放射能検査されて汚染されてないよ、と言えるレベルの食物はあるわけだし(その検査結果にまで疑いを持とうとは思いません)。実際にそんなふうに汚染をまぬがれている作物だってたーんとあるのだ。

身も蓋もない事を言ってしまえば、汚染されたのは決して東北と関東の作物だけではない。日本中の(ひいては世界中の)食べ物が既に多少なりとも汚染された現代に住むという諦めを持つのならば、ならばその中で極力汚染されてないと信用できるものを選択して食べるのが儂ら現代人に課せられことなんじゃないだろうか。

そして、その信用は供給する側の放射能調査の信頼性にかかっているのだ。

「安全ですよ」「汚染されていませんよ」、言葉だけでは信用に足らなかった状況が少しずつ改善され、多少なりとも信用してもよさそうな状況が醸成されつつあったと感じていたのだが、その信用が崩れたのだ。

いや、そこまで考えている人はどれだけいるのか?
フツーにテレビだけを観ている、といったような人たちには

 福島の米の調査をした > 県知事が安全宣言を出した > なのに630ベクレル/㎏が出た

という流れだけで十分なんじゃぁなかろか。

はい。
オオカミ少年の話をしているのです。

「狼が来たぞ!」 >「マジか!」 >「うっそぴょーん」 >「もう次は信じない。。。」
「安全ですよー」 >「良かった~」 >「ゴメンゴメンやっぱ汚染されてたわ」 >「もう次は信じない。。。」

3月11日以降、東京電力と政府のやっていた事も同じだ。

本当の事を隠し、後から後から
「建屋しか爆発してません」>「実は爆発してました」
「放射能漏れてません」>「実は漏れてました」
「メルトダウンしてません」>「メルトスルーまでいっていました」
「安全です」>「実は汚染されてました」

そんでもって

「身体に影響を与えるレベルではありません」>「実は影響、びんびんにありました!」

って言うんだぜ。
いやいや、もう芸が無いねー ( 一一)

信用できるか、あほ!

そう。
もう信用できないという状況が完全に出来上がってしまった。

極端に言いますよ。

おそらく責任逃れのためにそしてお金のために、為政者や東電をはじめとした当事者が、中途半端で無責任な対応や発言に終始したが為に。。。

 もう、どんなに間違いない情報が伝えられようが、信用されない。

 疑いが先行し、政府が言えば言うほど信じられない。

 そうして、本当の風評被害が始まるんじゃないだろうか。

 当然、全て、中途半端で無責任な政治家と電力会社と、そしてなによりマスコミの責任である。



「経済」という名の呪縛から、そろそろ解放されてもいいんじゃないかな

2011-11-04 14:44:25 | 日記
「日経MJ」を購読している。

が、

今日(これ書きはじめたのは11月3日)購読を中止することに決定♪

まぁ、別に大袈裟な話じゃないんだけどねぇ。

日経MJ
紙面自体は、キーワードにも書いているように面白いし、テレビを見ない儂としては流行や社会現象の重要な情報源でもあったわけだけど。

直接のきっかけは
11月2日の紙面での連載記事
伊藤元重氏の「ニュースな見方」の見出しに出ていた
「盛り上がるTPP議論」
という表現だ。

記事の内容にひっかかったわけではなく
この表現が引っ掛かったのだ。
#基本的に以前から原発に反対・新自由主義経済クソッタレ・TPP絶対イヤ!の儂とは根本的に相容れないのだけど、それはそれとしていつも記事はフツーに読んでふーん、で終わっているのよ

どう言ったらいいのかな。

なんかね、

シラケた☆

だいたいにして、「盛り上がる」ってなんだ?この表現。

軽っ! TPPの問題って、これからのこの国の行く先を左右する大問題だ。そんな大問題、国を挙げての議論にならなくちゃウソだろ?と思う。それは賛成派も反対派にも共通の認識だと思っていたが違うのか?「いやー、なんか盛り上がってるねー、いいねー」そんな感じか?主体性なしか?

「盛り上がる」ってなんだ?
なんだ、その他人事な表現は?外国の話してんじゃねーんだぞ?
仮にも日本を代表する大学の、しかも院の、さらに教授さん。影響力アリアリのその人が、なんだその他人事ちっくな表現は。

「盛り上がる」ってなんだ?
なんかのパーティかなんかかよ!


TPPの問題が、いろんなところで議論されているのは事実。それをどう表現したところで別に事実が変わるわけではないんだけれども、その表現にいままで引っ掛かっていたものが全部外れてしまった感じ。

引っかかっていたもの。。。
そう別にTPPに限らず、この「経済」というエラそうな立ち位置(主観です)から語る立場の、なんともいえない違和感についてだ。

いや、「パーティかなんかかよ!」とツッコんではみたものの、所詮彼らにとってはパーティなんじゃないのかなという気が薄々していたのだ。

経済は常に動き、社会情勢・国際情勢によって変化し、税制や国の経済施策といった政治的な事象とも密接に絡み、複雑で素人にはわかりにくい面も多々ある。そして、それがこの国の(ひいては世界の)将来さえも左右しかねない大きな要因となっている事はさすがに儂でもわかる。

なのに、経済の評論家っちゅーよーな感じの人(ホントに評論家とは限らないんだけど)が話をするのを聞いていると、何故だか視野が短期的でやたら「今のままじゃダメだ」的な切迫感を煽る感じがしてしょうがなかったの。将来どういう形になるのか、というイメージについて大きくは語ってくれるのだけど、それに繋がる具体的なプランを提示されるのは稀で、でもとにかくこのままでは置いていかれちゃうよ、早く早く、みたいに急きたてられている気がしてしまう。

なんだか、パーティで盛り上げて、その時の雰囲気で丸めこもうとしているみたいなのよ、なんだかさ。

そこには、この国と将来を左右する大事な問題、という意識が感じられないのだ。

いや、「経済」というからいけないのかもしれないな。「経済」という虎の威を借りた、「商売」という狐なのかもしれん。
#「商売」が悪いわけではなくってよ。ここは「経済」とはちょっと違うイメージを持ってくるため便宜的に使っております

わかってる。
わかってますよ。
だって、儂が読んでいるのは 「日経マーケティングジャーナル」 だもの。

分かりやすく言えば、学問的な「経済」という視点から語るのではなく、日常的な「流通・商売・市場」という立場が主導権を握っているわけです。
日々企業活動をしている側からすれば、経済を活発にさせる事によって社会を活気あるものにしていく事が至上命題なわけで(有り体に言えば、消費者の財布のひもが緩むようにあれやこれや宣伝活動してお金ががっぽがっぽ儲かるようにするのが至上命題なわけで)、その為には常に新しい情報を送りこみ、消費者を追いたてる事が必要になるわけだから、当然と言えば当然。祭りだ祭りだワッショッショーイ、ほりゃほりゃ、金使え~!
というのが、わかりやすーい理解のしかたですわな。

しかし、しかしだ。

結局、それが資本主義のどうしようもない方向性だとするならば、それがもう行き詰っている事についてはどう考えたらいいのか、という事なのだ。

単純に言えば、資本主義経済は成長し続ける事を前提としている(少なくとも多くの人はその前提の資本主義経済を信じている)。しかし、成長に限界があるであろう事は誰にだって容易に想像がつく。TPPだって、(穿って見れば)結局は自国では経済成長が見込めないから他から搾取しやすいようにしようやと言っているに過ぎない。反対派にとっては主語がアメリカで搾取される方が日本、賛成派は主語が日本で搾取される国にアジアを想定しているという違いですよねぇ?(違?)
結局残されたパイの取り合いをしているだけだ。
そこに「義」は全く感じられない。感じられるのは「偽」だけだ。

何が言いたいかというと、
この経済の成長というのを前提にして話をする人の言葉というのは、もうそれだけで全然信じる気になれない、というこの状況なのです。

社会が今のこの資本主義経済のままずーっと行くであろうというような思い込みは幻想でしかないのだけど、どうもその幻想に(多分多くの人は気付きながらも気付いてないふりをして)惑わされている人が多いように感じるのは、こういった、なんだか信じられないような言説が、どうやら多くの人に説得力を持ってしまっているという状況からして、あながち気のせいじゃないんじゃねーべか、と思うわけです。

そうだそうだ、
同じような状況がもう一個あった。

原発への賛否の議論をしていると、同じように経済を持ちだして来て原発を擁護する人がいるのも同じ感じがするのだ。
原発に反対する方は、「一番大事なのは生命を守る事でしょ!」と主張したりするんだけど(まぁ、これも言葉が足りないところはあるのだけど、一言でインパクトのある言い方をしようとするとこういう表現になりがちではある)、それに対して「何言ってるんだ、経済だって大事でしょうが、経済成り立たなかったら生活できないよ」なーんて反論してくる。

冷静に考えたらわかるんだけど、根本的に話がかみ合ってないからね。「命が大事」という人の「大事」の意味合いと「経済が大事」の「大事」の意味合いは全く違うんだから。同じ「長さ」を競い合ってるのに、片方は物の長さを誇って、片方は時間の長さを主張してるようなそんな感じだ(例えが悪いですか?)

今生きている儂らだけではなく、受け継がれさらに子どもたちに受け継いでいかなくちゃならない未来を含めた命の重さと、今という短い時間軸の貨幣経済の大事さと。比べるなんてナンセンスよナンセンス。おほほほほ。

しかし、なんだろう?
「経済」という錦の御旗を立てられるととたんに委縮してしまうようなこの空気は。異常に感じるのは儂だけか?

そもそも社会は変化し続ける。
変化しないでいられる社会よりも変化し続ける社会の方がフツーである事は、歴史を見ればわかる事でしょうが。

フランシスフクヤマの「歴史の終わり」とか読んだ時は「そうなんかなー」とかも思ったけれども、それでも現在のように行き詰るのであれば、それこそ歴史で習うようなドラスティックなものでなかったとしても社会の形が変わるのは必然だろう。今のまま経済成長が続くという幻想を信じている人は流石に少数派になったのだろうけど、今のままの経済システムがこの先も(破綻せずに)続くという幻想を信じている人はまだまだ多いのではないでしょうか?

社会の変化を恐れる人が多いのは分かる。
今までの常識や培ってきたものがご破算になる可能性だってあるのだから、それはコワイ事だ。
でも、変化せざるを得ない状況にもうなっているのに、古いパラダイムに固執して、自分の首を絞める事なんかないのにね。

「経済が大事」と声高な威しが聞こえると、「そうか、まだ今の経済システムが続くんだな」と安心し、その脅し文句に依存してしまう状況、そんな風に見えるのだけど違うかな。

もういい加減目を覚ました方がいいと思うで。
「経済」なんかと人としての「尊厳」を比べるなんてナンセンスや。

とりあえず、「経済」を声高に掲げてなんかかっちょいい事を言っている人がいたら、ペテン師かも、とあたしゃ疑ってかかる事にしますよん。



今、菅直人首相に関心があります!菅首相を支持します!

2011-06-16 16:18:44 | 日記
ちょっとタイトル、関心空間に媚をうってみました(苦笑)

いや、確かにね

「判官贔屓という感覚は全くない!」

とも言い切れないのですが。...

ここ一カ月程の菅首相おろしの大合唱にとてつもない違和感を感じていました。

自分としては、震災以降の政府の対応は十分に満足がいくものでもないし、原発事故の情報隠蔽と、愚民政策を表明して憚らない態度には本気で腹立たしく思っています。
そもそも、民主党が政権をとり、普天間問題でぐでんぐでんだった頃には気持ち萎え萎えやったし、第一、さいしょっから儂の中で民主党は、「自民党よりは若干マシ」というくらいの認識だったので支持するなんてありえなかったわけですよ。

#え゛、何度も言っていますが、支持政党は二院クラブです♪(しつこい?)

確かにツッコミどころはいくらでもある。
問題もたくさんある。
リーダーシップ? うーん、あまりないかなぁ。

が、しかし現状を冷静に見て考えるとどうなのだ?

仮に菅さんが問題なので不信任を通して新しい総理に誰かをたてるとしよう!

ん?、、、誰かをたてる?

、、、、、、誰?

某A元総理の読み違いを思い出すので使いたくないのだけれど、「未曾有」の災害と人災で、これまでになかったようなとんでもない窮地に立つ日本への対処が求められている今、一体、誰が国のトップに立ち、リーダーシップを発揮できるのか?
それに相応しい人って誰? ねぇ、誰よ?

いないのですよ。誰もイメージできないのですよ。
何人か名前はあがっていたけれど、どの人も確たるリーダーシップが発揮できそうもない(いや、主観です、失礼。でも、反論できる人がどれだけいるか)。人気があって名前が挙がっている人もいたけれど、総理が人気だけで選ばれるなんてこれ以上恐ろしい事は無い。

そんな無責任な状態で、内閣不信任をだして、後の責任はどうすんだ!?と考えたら、その内閣不信任を通そうとしている、無責任な人たちに政治を任せてしまった時の恐ろしさを想像して背筋が凍るのですよ。
いや、野党はもう内閣不信任を出すのが、恒例行事みたいなもんでしょうからまだ仕方ないとして、何故身内が。。。。
#とりあえず今はスルーするけど、ここが日本の政治のドロドロした問題点の渦巻くところよね、きっと

もちろん、菅さんがベスト、ともいえないのは確かですけんども。


さて、

日本人はどうも潔癖で、汚れの無い人、問題の無い人でないと嫌がる傾向が強いみたい。
だから、ちょっと声の大きい人が「あいつぁ、ダメだ」と言ってマスコミに取り上げられようものならば、一気にダメダメ辞めろコールが渦巻く。
いや、それが妥当な時もあるけどね。でも、それを利用して政敵を潰していく、そんな国民感情と離れたうんざりするような政治ゲームを儂ら、どんだけ見させられて来た?

政治に肝要なのは、最悪を選択しない事。

最近、儂が気になった言葉なんだけど、日本人は完璧を求めるがあまり最悪の政治を選択するという逆説に陥っていたのではないかと思うのですね。

菅総理、という選択肢がベストではない。
しかしながら、菅総理を辞任させ、代りに得体のしれない傀儡政権が生まれるという、最悪のシナリオを選ぶよりいいと思いませんか。

そんな事あるもんか!

え、そうですか?
首相が交代しても期待はずれだった事の方が多くありませんか?

いや、前置きが長くなりましたが
#って、ここまで前置きかよ!!!

>6月12日の自然エネルギーに関する懇談会
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/...
>6月15日の「エネルギーシフト勉強会」
http://www.ustream.tv/recorded/...

を見ました。

自由にのびのびと自然エネルギーについて熱っぽく語る菅総理。
いや、なんだろうこの情熱は?
政治家の仮面をつけている時には感じられない力強さ、時としてグダグダとしょうもない事を嬉しそうに一人で喋ってひんしゅくを買う近所のおっちゃんにも見えなくはないけれど、それはそれで親近感が持てるじゃないか!

儂らは期待したいのだと思う。

この2つの中継を見て、儂は菅さんに期待してみてもいい、と思ったのです。

元々市民派なんて言っていたけれども、首相が菅さんになったところで期待したような変化はなかった。
しかし、どうだ?今目の前で喋っているこの人は、ちゃんと儂らと同じ目線で喋ってくれているじゃないか!

そう、大事なのはきっとそこだ。(どうやら追い詰められているとはいえ)首相という政治力を持ちながら、市民レベルの話ができる、つまり、儂らの声が届くところにきちんといるこの菅直人という人を、みすみす首相の座から引きずり降ろしてしまうのは、儂ら国民にとって非常に勿体ない事だと思うのですよ。

菅総理を選択する事は、ベストではないかれど、少なくとも最低ではない。

いや、もうちょっと良く言っておこう(笑)
ベストではないかもしれないけれども、今考えうる限りベターな選択、だと。


儂らは、政治を諦めながらも、それでもこの国を諦めたわけじゃないやん。(多分)
でも、政治を諦めたら、この国も諦めなくちゃいけない事態になってしまう事が、ようやくみんなにも分かりやすい形で(残念ながら多大の犠牲を払って)起きてしまったのだから、そろそろ、諦めたくない人は未来に希望が持てる政治を選択しなくちゃいけないと思うのね。

うん、もちろん政治家任せにする事は出来ない。
でも、政治家に任せざるを得ない部分は大きいわけだ。
そして、その政治を選択する事は、儂ら国民にはできるわけだ。

だから、わざわざ声をあげてみようと思うのです。

「儂は、今、菅直人首相を支持する」と。

政治家は、何故にこんなに腰が重いのか?
政治家には想像を絶する手かせ足かせがあるらしい(保坂展人さんがそんな風に言っちょりました)。

その手かせ足かせをすこしでも外すことが出来、そしてこの理想を語ることのできる首相のほんのちょぴっとでも力になれるなら、恥ずかしながら不肖Pata、菅総理を支持すると声高に宣言する所存であります。

#一か月前の日記にも似たような事書いたけど、また何かあったら支持取り消すからねん
#(む、なにか上で言っている事と矛盾するような。。。。)