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ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

孫崎享講演会@キャンパスプラザ京都(自分用メモ)

2012-11-16 23:48:35 | 日記
憲法記念、秋の集いにて、自分メモ。
話を聞いて思った事、気づいた事など。

 >小松浩さん(立命館大学)

・今回の選挙の争点として、消費税、原発が小異、改憲が大同だと言う人がいる、その理屈がわからない。

・09年の同質的二大政党による政権交代で変わらなかったことへの失望が広がっている。(第三極って言っているけど、同質的なものをそう呼んじゃっていいの?)

 >孫崎享さん

・鳩山由紀夫は徹底して叩かれている、しかし、普天間について最後まで頑張っていたのが鳩山さん、イランに行ったのだって日本が行く必然性がある、その道義に基づいて行っている。

・鳩山さんだったら、原発の再稼働なんか認めなかった、TPPに参加するなんて言わなかった、消費税も上げなかった、

・野田さんはひどかった、でも安部さんはもっと酷い。今日本は今まで一番ひどい状況にある、でもこれからもっと酷くなる恐れがある。

・尖閣問題について、
 尖閣は日本の固有の領土?1895年先取の法理?
 ポツダム宣言、日本の領土については四島が日本の領土、その他の島々は連合国が決める、と書いてある。<つまり、ポツダム宣言を無視しない限り、尖閣や北方四島が日本固有の領土であると主張することはこの時点で出来ない事になる。
 同じくポツダム宣言にはカイロ宣言を遵守する、と書いてある。
 カイロ宣言には、日本が中国から奪った全てを返す、と書いてある。
 新聞でもテレビでも、そして教科書でも「日本固有の領土である」と冠をつけて言う、主張できないことを主張して洗脳するまやかしが横行。
 アメリカは尖閣についてはどこの領土か明確に表明しない立場を取ることを決めた。
 サンフランシスコ平和条約では日本は千島列島を放棄、吉田茂は国後択捉は南千島である、と発言。(ん?だから千島じゃないという理屈では?南千島は千島という理屈?)
 ダレスの恫喝、「北方四島を日本が得ることは許さない、そんなことをすれば、沖縄は返さない」
 領土問題は米国に意図的に作り出されている、日ソがいがみ合うことで、アメリカは漁夫の利を得る。
 1979年日中間で尖閣については難しいから棚上げをして触れないのがいいことなのだ、という社説が読売に出ている。
 尖閣不況はもう起きている。経済が大事と言って原発を推進したがる輩は多いが、経済は大事と言って尖閣を棚上げしようという主張が出てこないのは何故だ?
 「日本が戦後餓死するものがいなかったのは、アメリカの食料支援のおかげである」と言われる、が実は戦後すぐの国家経費の30%が米軍経費として使われていた。そんなものに使わずに食料調達経費に回していれば食料支援なんかいらなかった筈。
 アメリカと共に繁栄したのは1985年まで。それ以降はアメリカに追従していることで逆に凋落している。
 沖縄米軍基地に最初に切り込んだ芦田均は昭和電工事件で検察に「あなたは政治家を辞めたら無罪にします」と言われた。それがそもそも米軍に作られ米国に忠誠を尽くす検察の正体。小沢事件も一緒。
 日本が(GHQの命令に全て従うとした)降伏文書に調印した日、同時に言語を英語にする、通貨をアメリカドルにする、裁判権を譲る、という要求を突きつけたが、重光葵(まもる)が退けた。が、二週間後に重光は解任された。

・9条を変えようと言っている人は自主を唱えながら、アメリカに追従するものにしようとしている。

うーん、とりあえず孫崎享さんの本は読まないとマズイな。。。

原発の再稼働に反対する、関西電力本社前での抗議活動に参加してきたわけです。

2012-06-01 00:33:50 | 日記
と,普通の文章みたいなタイトルにしたのは,相応しいタイトルを考える事が出来ない儂の低い日本語能力のなせる技です♪

まぁ何というか、今回、何が言いたいかというと,
この抗議活動に行ってきたのだけど、なんとも虚しさを感じてきた,という話なのです。

いやいや最初に言っておかなくちゃいけないな。
その抗議が無駄だといっている訳ぢゃないのよ、むしろ十分に意義があるものだし、儂らはもっと声を上げていくべきだと思う、やり方に(まぁ、それがベストかどうかは分からないけれど)問題があるわけでもない、その事は間違いない。そして、儂自身、時間が許す範囲でまた参加するし、別の形でも声を出し続けますよ。

良いでしょうか。誤解なきようお願い申し上げ候>各位

まぁ、言ってみればちょいとした弱音です。
#なーんじゃ?それは?

この日。
実は別の用件を考えていたのだけど,大飯原発の再開が、どうやら現実になりそうなここ2、3日の動きを見て、いややっぱこれ関電に抗議しとかなアカンやろ!と思い立ち、急遽渡辺橋を目指した訳です。

6時過ぎくらい,現地到着。
どうだろ,この時にもう200人くらいいたのかな。

正面の方ではスピーカーを使ってのスピーチが行われていて、裏口?の方では既に絶え間ないシュプレヒコールが行われていました。
抗議に来ておきながら,ここ数日喉の調子が良くない儂はがんばって声を上げている人たちに多少申し訳なさを感じながら正面側のスピーカーでの呼びかけを聞いていたのですね。

表口でも裏口でも(そして,正面、道をはさんだ歩道では「右から考える脱原発」の方々も)声を上げる人たちの語気は強く熱を帯びたものです。
それに対して、関電の建物から出てくる人たちのシラーッとした顔と後ろで腕を組み無表情に構える警備員さんのさめた感じ。
その様子を見ていたら、とても気分が悪くなってきた。

ここで働く、関西電力(若しくはその関連の企業)の人々はいったいどう思っているのだろうか?
どう思っているも何も無い。そんな問いかけをするスピーカーさんもいたけれど、本当のところ、原発の実際・原発の是非については個人的な意見を持っている社員さんがいる事は容易に想像がつくけれど,そんな事を言ってみてもここでは全く意味がないのである。(別のところでは意味がある)
実際問題として関電の社員にしてみれば,こんな抗議活動はあらためて原発の事を考えるきっかけ以前に迷惑以外の何者でもない。営業妨害って言われたってしかたない。
#まぁ、ここで実質的な売り買いの商売をしているわけじゃないし、ここに営業にくる取引先各社にとっちゃ折り込みずみだろうか実害はないだろうけど

別に儂らだって、ここで、シュプレヒコールと冷たい視線に耐えながら退社する社員さんを責めたい訳ではないのだ。
何が儂らの虚しさかと言えば、実質的に声を聞いて欲しい人、声を届けたい人(ぶっちゃけ、関電のオエライサンの事です)がそこにはいない、いや、正確に言うと、そこに彼等の存在が感じられないことなのだ。

そりゃあ、建物の中にはいるにかもしれない(イナイカモシレナイ)。が、顔が見えない以上儂らはあの冷徹などでかいビルと無表情な警備員&一介の社員さんに向けてシュプレヒコールを続けるしかない。

これは「祝の島」の感想に書いた事と全く同じだ。

儂らは声を大にして訴えたいのです。
訴えたいのに、その声を届けたい相手に辿り着くのは至難の業なのです。どうにもこうにも。

仕方がない。
儂らに今出来る精一杯は、この無愛想な関電関係者と、怒りの対象のシンボルであるどでけービルに向かってあらん限りの声を振り絞る事だけだ。

なんだろう、この虚しさは。
根本的にどっかおかしい。

おそらくそれは強固なシステムに素手で抗おうとする儂らの無力感なのではないかしらん。

それでも儂らはめげてはいけない。

今までなら、この無力感に打ちひしがれて、「そんなん、やったって無駄無駄~♪」なんてシニカルに構えたふうで、逃げている自分を正当化していたかもしれない。

でも、さすがにそういう訳にはいかなくなってきた。
この国の(いろーんなもんが)流石に崖っぷちだ、という危機感がね、いや冗談じゃなくありますよ、もうホント。

まずは声を上げる事から。
大丈夫。現に輪は広がりつつある。
考え方を深めていく動きだって確実に起こりつつある。

少しずつでも、この国があらまほしき方向に向かってくれるよう、儂らはあきらめちゃならんのよね。



あれから一年。~311

2012-03-11 21:40:22 | 日記
一年がたってしまった。

悔しい。
くやしいなぁ。

一年前のあの震災があり、それに続く原発事故があり、それに対する国の動きがあり、それを報じるマスコミの様子を見てきた。

そして、儂はこの国は変わるのだと思っていた。

残念ながら、一年後の今日。
まだ変わる兆しは見られない。

まぁ、でも諦めるのはまだもう少し先にしよう。

昨日は京都であったデモに参加してきた。
今日は一日、各地であったイベントやライブの中継を見てた。
そして黙祷。


さて、
この一年間、いろいろ考える。そのだいたいのところは年末の日記に書いたので(まぁ、十分じゃないんだけど)、もう一つ考えた事を。


震災後、命の事を考えている。

簡単に言うと、人間て簡単に死んでしまうのだなぁ、という事。
#いや、なんかイヤな言い方で苦手な人もいると思うので、そういう方はスルーしていただいて結構でござんす♪

当たり前の事なんだけど、人間は死ぬのだ。
良く言われる言い方でいえば、自然の猛威の前で人間は本当に非力で、今回の震災では2万人近くの尊い命が失われてしまった。
亡くなった方の多くは直前まで死ぬなんて思っていなかっただろう。死は唐突に予想もしないところから訪れるのだ。

儂も去年一子を授かった。
その事もあるかもしれない。

震災で子を亡くした方の話はもうそれだけで涙があふれてくる。やだねー、元々涙もろいのにさ。

さらにイヤな事を言うが(ヨメに読まれたらハンゴロシだろう)、自分の子だって突然に命を奪われる事が(どんな理由によっても)ないとは限らないんだ。
このイメージは堪らない。しかし、それが現実となる事がある。
中国の四川で大きな地震があった時、学校の多くが倒壊し、子供がたくさん犠牲になった。一人っ子政策の為に一人っ子世帯が多かったという。このレポートは堪らなかった。

勿論、子供だけの話じゃない。大人だって同じだ。
勿論、肉親だけじゃない。友達や知人だってそうだ。
誰だって、人が死ぬのは嫌だ。

でも死んでしまうのだ、あっという間に。予期出来ないような事で。

だからこそ、儂らは命が大切だという。かけがえのないもんだという。
少なくとも市井の儂らにとってはそれが常識だと思っていた。

だが、違ったのだ。この日本では。

それが分かった2011.3.11。

儂ら一般の人間と違って、経済(お金)の方が大切だ、と考えている人達。儂ら国民のいのちよりも自分たちの地位を守る事に必死な(そして責任も取らずに平気な)人達。儂らの国を牛耳っている人たちには(少なくとも自分以外の人の)命は大切でも何でもなかったのだ。
残念ながらそれが現実。

さぁ、儂らの常識をこの国の為政者の常識にする為にはどうしたらいい?



本日、京都市長選挙投票日です!!!

2012-02-05 16:53:59 | 日記
この日記を見た人(京都市民)は今スグ投票に行くやうに!

#もう行ったよー、という方、おつかれさまです<m(__)m> 開票速報を待ちませう





この際、どっちに投票してもかまわない。
投票率を下げる愚だけは避けよう。

儂は中村さんに一票を投じてきた。
彼の方が未来をきちんと見据えてると確信したから。

あ、大丈夫大丈夫、門川さんに入れても儂怒らないから(恨むかもしれないけど)。

だから、お願い、忘れずに投票。 ねっ。