正岡子規に惹かれ、著作に触れる。その中で、俳句は、やはり魅力ある17文字の世界だ。そこで、気になったのが、その言い方、つまり文語体だ。もちろん、子規は明治時代に生きたわけだから、文語体はしようがない。「日曜俳句入門」の吉竹純の勧めもあり、新聞の投句欄を見ると、皆、文語体なのだ。意味がわからない言い方もある。そこで、佐藤郁良の「俳句のための文語文法入門」平成23年(2011)を購入した。月刊句誌に平成20年200821年2009と連載されていた。
著者の佐藤は、1968年、昭和43年生まれ。自分より10歳年下だ。進学高校の国語教師。平成13年に2001年に生徒を俳句甲子園に引率し、自らも俳句をするようになった。教師なので、教える専門家だ。年も近いし、授業のような中身なのではと思い購入した。手ごわい。一応読んだ、いや、単に上っ面をかろうじて読んだだけ。ひと月かかった。
なぜ、俳句は、今でも文語仕様なのか。なぜ、文語の勉強はいるのか。そのうえで、例句を出し、問題もでてくる。演習付きだ。例句にルビがなく、つらいのと演習の答えが巻末なので、いちいち見なくてはいけない。ストレスだ。国語辞典や漢和辞典、古語辞典は必携だ。
文法なのでから、理屈ではない。決まりなのだ。こうなのだから、こうなのだで終わる。ある意味、心地よい。
多分、国語の文法で習ったのだろうが、記憶にない。しかし、未然、連用、終止、連体は覚えていた。三つ子の魂百までか。
言葉の構成を改めて、知ることができた。しかし、これで終わりではない。始まりなのだと痛感する。何回も開き、読みこなそうと思う本なのだ。
主語と述語。それをつなぐ、助詞。文を飾る形容詞と形容動詞。名詞・動詞に意味を添える助動詞。港に着いたのではない。これから、10の品詞の大海に漕ぎ出す気分にさせられた。荒波もあるだろうが、気持ちよさも伴う。不思議な感覚だ。
著者の佐藤は、1968年、昭和43年生まれ。自分より10歳年下だ。進学高校の国語教師。平成13年に2001年に生徒を俳句甲子園に引率し、自らも俳句をするようになった。教師なので、教える専門家だ。年も近いし、授業のような中身なのではと思い購入した。手ごわい。一応読んだ、いや、単に上っ面をかろうじて読んだだけ。ひと月かかった。
なぜ、俳句は、今でも文語仕様なのか。なぜ、文語の勉強はいるのか。そのうえで、例句を出し、問題もでてくる。演習付きだ。例句にルビがなく、つらいのと演習の答えが巻末なので、いちいち見なくてはいけない。ストレスだ。国語辞典や漢和辞典、古語辞典は必携だ。
文法なのでから、理屈ではない。決まりなのだ。こうなのだから、こうなのだで終わる。ある意味、心地よい。
多分、国語の文法で習ったのだろうが、記憶にない。しかし、未然、連用、終止、連体は覚えていた。三つ子の魂百までか。
言葉の構成を改めて、知ることができた。しかし、これで終わりではない。始まりなのだと痛感する。何回も開き、読みこなそうと思う本なのだ。
主語と述語。それをつなぐ、助詞。文を飾る形容詞と形容動詞。名詞・動詞に意味を添える助動詞。港に着いたのではない。これから、10の品詞の大海に漕ぎ出す気分にさせられた。荒波もあるだろうが、気持ちよさも伴う。不思議な感覚だ。