雪が、また降り始めて、この雪の降りかたはどうだろうか。本物か、途中で止まってくれるか、これが心配のタネになる。
ずっと梅の咲くはずのところを歩いている。それから、忘れていたが、ここにも昔ながらの梅があって、一つはもう完全にだめになってしまった。もう一つの、昔は日当たりが悪く、今もあまりよくない梅は、新しい枝だけを出している。この梅は、恐ろしく昔からあって、しかし昔がこれが梅であることは知らなかったし、また興味もなかった。思い出ばなし。
梅はというと、大体が、埼玉の越生の梅ということになる。その辺りに行かなくても、梅の花はあった、梅の木はあって、しかし、少し遠くに出かけてそこで見る梅が、ちょうどよかった。子供のような気持ちで電車に乗り、切符を買い、それで、乗換えをして越生の梅林まで歩いた。
なぜ越生かというとわからない。東部東上線が好きだったというわけでもないが、その線に行きやすいというのがあったのも事実だが、その越生の雰囲気がちょうどよかったことが大きい。昔においても、少し鄙びた感じがあるところと、そうでないところははっきりしていて、特に、なにもないようで歩いていると、ただ咲いている、なんだかわからない花が語りかけてくれるような感じがあって、それが一番よかった。
越生の西側は、奥武蔵の丘陵やら、低山に当たるから、そちらを先に歩いて、そこから見る先に、黒山の滝やら、それから越生の梅林があったようで、当時、その丘陵を歩いていて、これから、越生まで下るという健脚の方に出会った。こうゆうことは、なぜかよみがえってくる。健脚でもないが、小川町の駅から、笠山まで歩いたことがあるが、それくらいしか、ちょっとこれは歩いたというのは、思い浮かばない。
早いときには、2月の終わり、初めかも、に出かけた。そこには、少しだけ花が咲いている梅があって、あとはほとんが蕾であってしかし、もしかしたら、梅の香りがしたかも知れない。あれだけの梅の木があれば、その花の香りがしてもおかしくはないように思う。梅林の回りを、地図と観光案内のパンフレットを見て歩いていると、ほどほどの気分になれて、それもその当時だけのものかも知れない。
ちょうどお祭りのときにも、行った。しかし、そのときはさすがに人が多すぎた。もう梅の時期もおしまいという、4月の頭に行ったこともあって、これもなかなかよかった。まだかなりの梅は咲いていて、サクラと違って梅は長く持つものであることを実感した。
梅は、この辺りでは3月の半ばころに見ごろになって、ときにそれが4月にずれ込み、サクラと同時に満開になるということにもなる。まわりが、この梅とサクラで真っ白という感じである。また、黄色い花も、菜の花もレンギョウもこのころ咲いて、何とも奇妙な感触がただよう。この時期から、木の芽時というものがありそうで、遅かった春と、色付く自然に、ちょっと脳の方もめまいを起こすようである。木の芽時、なかなかいい言葉である、その前に花粉症が本格的になって、これらが同時に重なると、さて一体どうなるのだろうか。
小さく、あまり変化のない梅。
ちょっと元気で、早咲きの梅。日当たりがいい。これは、2月10日のもの。これを、そういえば見にいっていない。
これは、きのうのあるところの梅の様子。白梅だが、こちらの方が蕾は固い。ここの、紅梅に近寄ろうとしたら、なんと、ずぼずぼ雪が沈んでいってこれはかなりな雪の溜まり場を越さないと行けないことがわかった。たぶん25cmくらいは残っている、そうゆうところの先に紅梅はある。反対側からも見えるが、近くには寄れない。
ずっと梅の咲くはずのところを歩いている。それから、忘れていたが、ここにも昔ながらの梅があって、一つはもう完全にだめになってしまった。もう一つの、昔は日当たりが悪く、今もあまりよくない梅は、新しい枝だけを出している。この梅は、恐ろしく昔からあって、しかし昔がこれが梅であることは知らなかったし、また興味もなかった。思い出ばなし。
梅はというと、大体が、埼玉の越生の梅ということになる。その辺りに行かなくても、梅の花はあった、梅の木はあって、しかし、少し遠くに出かけてそこで見る梅が、ちょうどよかった。子供のような気持ちで電車に乗り、切符を買い、それで、乗換えをして越生の梅林まで歩いた。
なぜ越生かというとわからない。東部東上線が好きだったというわけでもないが、その線に行きやすいというのがあったのも事実だが、その越生の雰囲気がちょうどよかったことが大きい。昔においても、少し鄙びた感じがあるところと、そうでないところははっきりしていて、特に、なにもないようで歩いていると、ただ咲いている、なんだかわからない花が語りかけてくれるような感じがあって、それが一番よかった。
越生の西側は、奥武蔵の丘陵やら、低山に当たるから、そちらを先に歩いて、そこから見る先に、黒山の滝やら、それから越生の梅林があったようで、当時、その丘陵を歩いていて、これから、越生まで下るという健脚の方に出会った。こうゆうことは、なぜかよみがえってくる。健脚でもないが、小川町の駅から、笠山まで歩いたことがあるが、それくらいしか、ちょっとこれは歩いたというのは、思い浮かばない。
早いときには、2月の終わり、初めかも、に出かけた。そこには、少しだけ花が咲いている梅があって、あとはほとんが蕾であってしかし、もしかしたら、梅の香りがしたかも知れない。あれだけの梅の木があれば、その花の香りがしてもおかしくはないように思う。梅林の回りを、地図と観光案内のパンフレットを見て歩いていると、ほどほどの気分になれて、それもその当時だけのものかも知れない。
ちょうどお祭りのときにも、行った。しかし、そのときはさすがに人が多すぎた。もう梅の時期もおしまいという、4月の頭に行ったこともあって、これもなかなかよかった。まだかなりの梅は咲いていて、サクラと違って梅は長く持つものであることを実感した。
梅は、この辺りでは3月の半ばころに見ごろになって、ときにそれが4月にずれ込み、サクラと同時に満開になるということにもなる。まわりが、この梅とサクラで真っ白という感じである。また、黄色い花も、菜の花もレンギョウもこのころ咲いて、何とも奇妙な感触がただよう。この時期から、木の芽時というものがありそうで、遅かった春と、色付く自然に、ちょっと脳の方もめまいを起こすようである。木の芽時、なかなかいい言葉である、その前に花粉症が本格的になって、これらが同時に重なると、さて一体どうなるのだろうか。
小さく、あまり変化のない梅。
ちょっと元気で、早咲きの梅。日当たりがいい。これは、2月10日のもの。これを、そういえば見にいっていない。
これは、きのうのあるところの梅の様子。白梅だが、こちらの方が蕾は固い。ここの、紅梅に近寄ろうとしたら、なんと、ずぼずぼ雪が沈んでいってこれはかなりな雪の溜まり場を越さないと行けないことがわかった。たぶん25cmくらいは残っている、そうゆうところの先に紅梅はある。反対側からも見えるが、近くには寄れない。