朝のお天気、晴れ。ほぼ快晴だが、霞か、靄か、スモッグかというものがあって、どうも梅の咲いていたころの、青空がない。風はそよそよ。窓を開けて眠っていた。室温17℃。きのうが異常に暑かったので、この温度でも涼しい。何しろ、起きたばかりだし。
水道水を使いつつ、顔を洗うスタイルは変わらない。90パーセントは、そのまま流れて行く。もっとかも知れない。顔をなぜる水の量はわずか。水か、もともとは日本海の海水。それが、雪になって、山に積もってそれが雪解け水になって今の水道を流れている。どのくらい前のものだろうか。それから、窓越しに、ヒメジョオン、もしかしたらハルジオンの花の群生を眺めていると、ここもどこかわからない異国の地と思えなくもない。それで、緑と水がイッショクタンになったものはないか、というと、少し古くなるが、水槽の金魚とその中を揺れる藻の絵が浮かび上がった。
まだまだ誰かさんが小さかったころに、おばあさんである人と、その女の子はお祭りにいって、それで金魚一匹おまけにもらってきた。それでは、と、おばあさんは、その金魚の面倒を見ないといけないと思い、それからおじいさんに、水槽と酸素供給モータ、面倒になった、金魚飼育装置一式を購入するように命令した。あるときに、気が付くと、そのおうちには、金魚が泳いでいて、泡がプクプク出ていて、それから、なにか水車のようなものが回っていた。よき時代であった。その小さい、かわいい女の子はしかしもうすぐに、金魚に飽きてしまった。これまたよくある話し。
藻みたいなものは、ままきれいな水の中に揺れていると、かなり美しい。それから、その藻にも色々あって、似ているかどうか、ミドリムシなどが思い出される。水滴をグラスにたらして、顕微鏡に見えるその水の中の光景はなかなか美しく、虜にもなる。さらに藻の中に、光のエネルギを、化学エネルギに変換する能力を持つものもあって、この化学エネルギは、人の、あるいは一般の生き物のエネルギ通貨といわれる、ATP、のことである。
藍藻という言葉がときに思い出される。真水に生きているもののようである。この辺りはかなり、曖昧のままである。さらに、海水に生きる、藻というものもあるようで、この海水というのもその表面からある程度の深さまで光は届くようで、この生き物も小さいながら、世界中の海にいると、かなりの炭酸ガスを固定する。ガス、気体ではなく、これを、固体の有機物質に変えてくれているはずである。
再び、水槽の世界に戻ると、そのもはや誰も興味を示さなくなった金魚と水槽の藻は、しばらくの間は生きていた。ときに、年に数回水を替えた記憶もある。それは、その後姿を消した。夏には水に接する機会が増えるし、また、その水が不足することもしばしばである。水槽に、金魚は要らないが、藻の一つも泳がせてみるのもいい、ふと、パンを焼く間にそんなことも考えてしまった。
水道水を使いつつ、顔を洗うスタイルは変わらない。90パーセントは、そのまま流れて行く。もっとかも知れない。顔をなぜる水の量はわずか。水か、もともとは日本海の海水。それが、雪になって、山に積もってそれが雪解け水になって今の水道を流れている。どのくらい前のものだろうか。それから、窓越しに、ヒメジョオン、もしかしたらハルジオンの花の群生を眺めていると、ここもどこかわからない異国の地と思えなくもない。それで、緑と水がイッショクタンになったものはないか、というと、少し古くなるが、水槽の金魚とその中を揺れる藻の絵が浮かび上がった。
まだまだ誰かさんが小さかったころに、おばあさんである人と、その女の子はお祭りにいって、それで金魚一匹おまけにもらってきた。それでは、と、おばあさんは、その金魚の面倒を見ないといけないと思い、それからおじいさんに、水槽と酸素供給モータ、面倒になった、金魚飼育装置一式を購入するように命令した。あるときに、気が付くと、そのおうちには、金魚が泳いでいて、泡がプクプク出ていて、それから、なにか水車のようなものが回っていた。よき時代であった。その小さい、かわいい女の子はしかしもうすぐに、金魚に飽きてしまった。これまたよくある話し。
藻みたいなものは、ままきれいな水の中に揺れていると、かなり美しい。それから、その藻にも色々あって、似ているかどうか、ミドリムシなどが思い出される。水滴をグラスにたらして、顕微鏡に見えるその水の中の光景はなかなか美しく、虜にもなる。さらに藻の中に、光のエネルギを、化学エネルギに変換する能力を持つものもあって、この化学エネルギは、人の、あるいは一般の生き物のエネルギ通貨といわれる、ATP、のことである。
藍藻という言葉がときに思い出される。真水に生きているもののようである。この辺りはかなり、曖昧のままである。さらに、海水に生きる、藻というものもあるようで、この海水というのもその表面からある程度の深さまで光は届くようで、この生き物も小さいながら、世界中の海にいると、かなりの炭酸ガスを固定する。ガス、気体ではなく、これを、固体の有機物質に変えてくれているはずである。
再び、水槽の世界に戻ると、そのもはや誰も興味を示さなくなった金魚と水槽の藻は、しばらくの間は生きていた。ときに、年に数回水を替えた記憶もある。それは、その後姿を消した。夏には水に接する機会が増えるし、また、その水が不足することもしばしばである。水槽に、金魚は要らないが、藻の一つも泳がせてみるのもいい、ふと、パンを焼く間にそんなことも考えてしまった。