ぶらぶら人生

心の呟き

シオンの花数増えて

2017-09-23 | 小庭の四季
シオンの花の数は増えてきたが、
背景が、コンクリートとでは実に冴えない。
それに、今年は丈が伸びないし、
ひと枝につく花の量も少ないようだ。
崖がコンクリートで覆われたこととは
全く無関係なのかどうか?



塀の隅の曼珠沙華も、木賊の中に潜んで、
ひっそりと開いた。
曼珠沙華は、華やいでいるようで寂しい花だ。





…………………

大方は、昨日、書きたかったこと。


昨夜は、編集画面が急に異なったものに変わり、しばらくブログはお休みするしか仕方ないと思っていた。
あいにくの連休なので、ソコロシステムズに電話して、教えをこうわけにゆかないので……。

今朝、ダメだろうなと思いつつ、PCを開けたところ、いつもの編集画面に戻っていた。
ああ、よかった! と、嬉しくなる。
理屈は全くわからない。

実は昨日、初めての業者に除草をお願いした。
私のできないことを依頼したのだから、その出来栄えに不満を言ってはいけないと思いつつ、いい加減さにちょっと驚き飽きれた。
いつもは、除草はシルバー人材センターにお願いしている。(毎年、5月と11月に。)
窓拭きその他の掃除は、M社に。(8月と決めて。その他、随時、廃棄物の処理などお願いしている。)
いつも完璧な仕事をしてくださるので、それが当たり前のように思っていた。

今回の粗雑さには、ちょっと驚き飽きれた。

(シルバー人材センターやM社にお願いしなかったのは、事前に予約が必要だからである。今日明日に来てほしいとお願いするのは無理なことと分かっている。8月初旬の水害の折には、流水で汚れた犬走りの清掃を、無理を言って、日を経ずやっていただきたいと、M社にお願いした。
が、今回は、水害の後片付けのようなわけにはいかない。
雑草の見苦しさに我慢できなくなったのは、一昨日、帰宅してからのことであり、すぐやってもらえそうな便利屋さんにお願いしたのだ。)

3時間働いてくださった。
1時間が2000円。(広告通りの値段)
除草の片付けを含め、8510円を請求され、支払った。

が、私の気が済むような作業はしてもらえなかった。
昨日の夕方と今朝、さらに昼前の三度に小分けして、草を抜いてもらった後の片付けをした。
裏庭、前庭、そして歩道側と。
見かけは元気そうだと言われる私だが、労働力はゼロに近い。
しかし、飛び散った砂利やまだらに残った草抜き、さらには枯れ草拾いは、もう人に頼むわけにゆかない。
自分でするしかないと思い、作業した。
十分ではないけれど、一応は人の住んでいる家の庭らしくなった。

外で仕事をすると、道行く人との思いがけない出会いがある。
そして、久々の話を楽しむことができた。

現在も、町内は一緒だし、昔、同じ職場で働き、香港マカオの旅にも一緒に出かけた人なのに、数年ぶりに声をかけられ、一瞬、どなたかしら?と思った。
須臾の後、<あっ、Tさん>と気づき、近況を語り合った。
河口の部屋での生活などについても。

私より10歳若い人で、亡き夫人とも親しかった。
「私も今年のうちに、いよいよ後期高齢者の仲間入りです」
と。
鬼籍に入られた夫人も同年だったから、お元気なら75歳。

特に、夫人の方は、私のブログを熱心に読んでくださっていた。
感想を送ってくださったりもしたものだ。
永訣の日から、いく年がすぎたのだろう?
と、心のうちで思いつつ、生きているゆえの哀しみを覚えた。
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ヤブツルアズキの実

2017-09-22 | 小庭の四季

(私の手がいたずらしたらしく、いつものように文章や写真の位置を自在にレイアウトできなくなった。残念無念!)

横庭に、ヤブツルアズキの実を見つけたので、その写真のみ掲載しておく。

左下奥には、熟して黒ずんだ実もぶら下がっている。

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帰宅の日

2017-09-21 | 身辺雑記
9月21日
6時前の明けの空
朝に限らず、空の色は、
刻々変化していく。
河口の部屋からは、
広大な空がいつも見られ、
飽かず、空の変化を眺めて過ごす。



今朝は、バルコニーに出て、
高島のうっすら見える
海も眺めた。



最近、松枯れが目立つ。
<松樹千年>とはゆかないようだ。
松が害されるだけでなく、
風景も損なわれる。

朝食後、5号室のKさんと
メールアドレスの交換をする。
二人とも機器への知識が乏しく、
Tさん(施設の方)の手助けをいただいて、
やっと、アドレスの交換に成功。

10時過ぎ帰宅。
溜まっていた新聞をまとめ読みする。
(今日の仕事。)

庭の曼珠沙華が咲いていた。
群れてよし、一つでもよし。
(父は曼珠沙華を嫌っていたけれど……。)









秋海棠の愛らしいこと!



シモツケの花がまた咲いていた。
咲き時季の曖昧な花。



庭の雑草が気になり、<便利屋一番>(市の広報に紹介されている)に電話して、
除草をお願いする。

ムラサキゴテンのために、
蔓延するランタナを切りたいと思うけれど、
それもできないでいる。
花はとっくに終わっているのに、
長い茎が残ったままのギボウシの処理もしていない。
(去年は、できたことが、
今年はできない。)

私の場合、
老いの進行は、体力よりも気力のような気がする。
すればできそうでいて、
する気になれない。
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一茶の句

2017-09-20 | 寸感
それがしも其の日暮らしぞ花木槿 ( 小林 一茶)


倉島厚著『日本の空を見つめて』(気象予報と人生)を読んでいて、上掲の句に出会った。
この本は、河口の部屋に置き、気の向くままに、エッセイの拾い読みを楽しんでいる。
一茶の句は、「朝開暮落花」と題したエッセイに出ていた。

花木槿(はなむくげ)は、「槿花一日自ずから栄をなす」と、中国の詩人・白居易の詩に出ており、その花は、「槿花一日の栄」とも言われる。

木槿の花は、朝に咲いて、夕べには花びらをたたんで、地に帰る。
家にあった木は、数年前に枯れてしまったが、この夏も、草花舎の庭では、ゆっくり眺めたし、庭木として多く植えられているので、車窓からも、よく眺めた。

一日しかない命を、ただはかないと白居易は詠じているのではない。
木槿の花は一日の栄を楽しんでいる、というのだ。
松樹千年の長寿と対比し、松樹だけがめでたいわけではない、と。

小林一茶も、同じ境地を詠っているのであろう。
私も、いたずらに長く、ただ生きていることを望まない。
しかし、私の場合は、花木槿が朝からしぼんでいるような生き方であり、情けない気分である。

…………………………


【追記】夕方、5号室のKさんが、<梨狩りに行ってきた>と、梨を届けてくださった。



早速、食後にいただく。
半分いただいて、半分は明日の朝食後にと思っていたのに、美味しかったので一個みないただいた。
食欲がないと言いつつ、好きなものは食べられるということのようだ。

河口の部屋に来て、包丁やまな板を使ったのは、今日が初めてである。
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鴨島大橋まで

2017-09-20 | 散歩道
午前中、散歩に出かけた。
食欲不振の原因が、動かないことにあるのでは?
と、考えて。

今日は、川沿いを歩くことにした。
やっと暑気がおさまり、
バス停までさえ不安だった時期は過ぎた。
「暑さ寒さも…」の言葉どおりだ。
今日は、<お彼岸の入り>。

雨が近いのだろう、風景が霞んでいる。
山々も島々も見えない。
水平線も定かでない。
のっぺらぼうな風景だ。

スマホの天気予報によると、11時は雨のマークになっていた。
万一に備え、折りたたみ傘を持って出た。
雨には合わず、帽子をかぶって出なかったことを後悔した。
薄曇りながら、日差しが思いのほか気になった。

目的地を<鴨島大橋>の下までと決めて歩いた。
往復2500歩の散歩。
動かないよりはマシの歩数。


鴨島大橋


河口の眺め

途中に花壇と簡易ベンチがあり、
小公園の体をなしている。
花壇には、夏から初秋にかけての花が咲いている。


三つあるベンチの一つ。
今日は、腰掛けることをしなかった。
が、途中に一休みできる場所があるのは、
ありがたい。











他を圧して、見事な咲きっぷりをしているのは、鶏頭の花であった。
よくよく見ると、大胆そうで、細部に凝った花である。







川土手の曼珠沙華は、開花寸前の様子であった。
コンクリートと隙間に咲いているのはオオイヌタデ?



これは、イタドリ?


丈高い野草が、風にそよいでいた。
風情ある草だが、名前が分からない。

(午後3時半、ついに驟雨きたる!)
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久々の大塚散歩

2017-09-19 | 散歩道
夕食の前に、1000歩の散歩に出かけた。
曼珠沙華が咲いていた。
(家の庭にも咲いているのだろうか?)


道辺の花


施設の前に


民家の庭に
私の背丈より高いケイトウの花

朝日は美しかったのに、
日中は、重い雲の広がる一日となった。
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4階の住人

2017-09-19 | 身辺雑記
9月19日
十分寝たはずなのに、
朝から頭が冴えない。
目ざめると、カーテンの裾から
夜明けの兆しが入り込んでいる。

元気を奮いたたせて、
起き上がる。
(これが、家での生活と異なるところ。)
カーテンを開け、洗顔。
再び、窓辺に立つと、
朝日は、すでに山の端を離れていた。



河口の部屋にいると、
時間帯によっては、
深閑として、
ひとりこの世に生きている感じを覚える。

(肉声が聞こえないという意味では、
家の方が、もっと徹底しているけれど。)


8時過ぎから、施設の人が回って体調伺いなどしてくださる。
トン、トン、トンと、3回ノックして、
各部屋を回られる。

私は、声の聞き分けには、敏感な方だと思っている。
が、今朝の声からは、
訪問してくださる人をイメージできなかった。
ドアを開けると、初めてお会いする方だった。
名札をちらっと見て、
Yさんとおっしゃるのだな、と記憶する。

その後は、昼食を届けていただくまで、
人の声を直接聞くことは、まずない。

ただ、私の部屋のやや斜めの位置に、
ソファーが一つと、椅子3脚が置かれており、
そこで話す人の声は、耳に届く。
話の内容はわからないけれど。

4階の、社交場の一つである。(下の写真)






毎日、10時前後に、老女の話し声が聞こえる。
最近になって、10号室のOBさんと、OBさんの介助に来られる人との対話であることがわかった。
介助者は、廊下の散歩相手をしたり、話し相手になったり…、私の知らない諸々の援助をなさっているのだろう。

4階で、人の集える場所は、他にもある。
談話室もあるし、南廊下にはテーブルとソファー、椅子などが置かれている。
私自身、今では施設の生活に慣れ、そのテーブルまで、山陰中央新報を読みに行くことを日課にしている。

今日、新聞を読んでいるとき、人の気配を感じて目をあげた。
6号室のOKさんらしい、とすぐ分かった。
やはり付き添いの人と一緒だった。
(食膳棚に記名があるので、何号室に何という方がおられるというのは知っている。
けれども、いまだにお顔を知らない人がある。)

初対面の挨拶をし、お年を尋ねると、「3年生まれ」と答えられた。
昭和3年のことだろう。
私の亡き兄と同年である。

昨日、新聞を読み終えて、自室に戻ろうとしたところ、ソファーに15号室のNKさんが、端然と座っておられた。
「お久しぶりです。花火大会の日以来ですね…」
と言いつつ、座れと言われるままに、ソファーにかけて話す。
二人だけで話をするのは、初めてである。

NKさんも、介護の方にお世話にっておられるのだという。
見た目より、体調は、良くない様子である。

話しているうちに、同じ女学校に学んだことがわかった。
ただ昭和4年生まれと8年生まれなので、完全なすれ違いである。
私は終戦の年の4月に入学、NKさんは、その年の春に卒業されている。

「終戦までは大変でした。戦後しばらくも…」と話すと、
「私たちは、勤労奉仕ばかりで、何も勉強しなっかたの」
「青春時代は台無しだった」とも、語られた。

今の容姿から察して、女学生時代は、きっと爽やかな美少女だっただろう。
「転勤族の主人についてまわり、定年地に家を建てたの。でも、主人の実家、私の実家、夫婦で建てた家、3軒とも、今は空き家なの」とも、話された。
今の時代にはあり得る話だ。

一時代の歴史を背負って来られたような方だ。
この施設の4階の住人は、戦後生まれのKさんを除けば、戦前戦中を生きてきた人ばかりだ。
周囲を見ていると、様々な心身の苦痛を背負っておられ、<幸せな老後>とは言えそうにもない。

だが、この恵まれた施設で過ごせる感謝の気持ちは、入居者みんなの心にたたまれているに違いない。
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今日という日

2017-09-18 | 身辺雑記
9月18日
<敬老の日>とか。
至極、形式的な祝日だ。
しかし、私の住む県には、
100歳以上が673人もおられるとか。
驚きの数字である。
この中に、自立生活者が、幾人おられるのか?

テレビで、世界一長寿の117歳が、
鹿児島県知事から表彰を受けておられるのを見た。
喜ぶべきことなのだろうけれど、
もの悲しくなってしまった。

敬老の日とは、
老女にとっては、
先の見えない不安を意識させられる日だ。

台風18号の去った朝。
まだ怪しげな空であった。



テレビ画面の天気図では、
北上した台風は、
なお、本州と北海道の三つの半島の上にあった。
津軽半島・下北半島・渡島半島の上に。
勢力は衰えないまま、さらに北上中とか。
またしても、各地に多くの被害を残して。

当地は、晴れ模様となった。



いつもより、海が白波を立てている。

食膳を返した6時過ぎ、
海上には、厚い雲の帯があった。



雲の上の夕焼け。
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『短歌の不思議』

2017-09-18 | 身辺雑記
どんなご縁で、この本に巡り合ったのか思い出せない。
メモ帳に、私の乱雑な文字で、
<東>か<車>か判明し難い文字でメモしている。
名前は<直子>。
本の名前は、『短歌の不思議』。

アマゾンへ、題名で注文し、
著者は、<東直子>さんと分かった。
歌を詠まれる人なら、
みなご存じの歌人に違いない。

私は、歌を詠まない。
歌が詠めたらいいのにと、
長年思ってきた。
が、自作を試みても、気にいる歌ができない。
自己評価して、不合格作品ばかりだ。

ただ、短歌作品や短歌評論を読むのは好きなので、
この本も、早速味読。



東直子著『短歌の不思議』


私は、著者の歌を全く知らなかった。
この本の中に、多数の歌が紹介されていて、初めて読んだ。
かなり個性的な歌人であり、歌風は万人向きではないように思った。
少なくとも、私の好みではない。
が、いいと思う歌もあり、その中から2首引用。

てのひらにてのひらをおくほつほつと小さなほのおともれば眠る
(21 親子を詠む より)
中央線、南北線に東西線、どこへもゆけてどこへもゆかず
(♣️ 著者の一首 より)

歌をよく知る作者の解説は、帯の言葉にあるように、<必読入門書>という表現がオーバーではなく、よく吟味された解説書であり、短歌鑑賞も兼ねている。
話の進め方が論理的でもあり、表現力抜群。
語彙も豊かで、説得力のある文章に感心した。
歌人として著名なだけでなく、作家でもあるという。

この本の、一つの特色は、<演習問題>が、1〜5まで出ていることである。
たくさんの設問の中で、一首だけ正解することができた。
たまたまその歌を知っていたからにすぎないけれど……。

斎藤史さんの次の歌。

(かなしみの)遠景に今も雪降るに鍔下げてゆくわが夏帽子

( )の部分に入れる表現を考える問題である。

例題を、2首引用しておく。

地図にない離島のような形して( A )誰からも忘れられている < 杉崎 恒夫>

をり鶴のうなじ( B )折り曲げて風すきとほる窓辺にとばす < 栗木 京子>

答は、(A 足の裏) (B こきりと)である。
確かに、「足の裏」は、忘れらた存在である。
歩き疲れて痛くでもならないかぎり、思い出すことがない。
最近、折り鶴を折った経験から、確かに「こきりと」と折れば様になる。
歌人の表現力に脱帽する。

久しぶりに、テストを受けているような気分になった。
知っていることを改めて確認したり、確かにそうだな、と学ぶことも多々ある読書だった。
多くの現代短歌に出会えたのも、大きな収穫であった。
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嵐の予兆

2017-09-17 | 身辺雑記
9月16日の朝

台風18号は大型だという。
その予兆らしく、朝の空は曇っていた。
眼前の、南北に連なる山並みに、雲が低く下りている。



朝(16日)、カーテンを開けるため窓辺に立つと、
窓越しに冷気を感じた。
今までになかった冷ややかな大気に、
<秋>を実感!

暑からず、寒からずの今日こそ、
バルコニーの掃除をしておくことにした。
今まで、埃や羽虫の死骸を見て見ぬふりをしてきた。
掃除担当者が、
一週間に一度、部屋の掃除はしてくださる。
シンクや洗面台、
さらにトイレは浴室は、
いつも新品のように磨き上げてくださる。

(が、バルコニーは、居住者の仕事らしい。)
エアコンの室外機から出る水の溝も、
埃で黒ずんでいた。
掃いたり拭きとったりして、
実に清々しくなった。



9月17日の朝

台風18号は、
南九州に被害をもたらしながら
北上中である。
朝、8時の空。





小雨が、次第に激しく降り始めた。
(午後1時。)
昨日掃除した室外機にも、
部屋の窓にも、水滴が打ちつけられている。



防音装置はしっかりしていて、
風の音は届かない。
が、雨滴の溜まった窓越しに眺めると、
防風林(松林)も、栴檀や針槐の木々も、
大きく揺れている。

当地に台風が最接近するのは、
夕方から夜にかけてのようだ。

…………………………


河口の部屋に持参している数独の本(上級編)一冊の問題を
今日、終了した。
ここに帰ると、一日一問あるいは二問を解くことにしている。
この本には、111問が載っている。
問題を暗記などできないから、
幾度でも、使用できる。

頭の体操のつもりだが、
これほど集中力の高まる作業はないように思う。
解き終えれば、達成感もある。
一人遊びには最高である。



A4用紙の表裏に、問題と解答を書き込むための枠を印刷。
(これは、私流のやり方である。)
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