一茶の句
2017-09-20 | 寸感
倉島厚著『日本の空を見つめて』(気象予報と人生)を読んでいて、上掲の句に出会った。
この本は、河口の部屋に置き、気の向くままに、エッセイの拾い読みを楽しんでいる。
一茶の句は、「朝開暮落花」と題したエッセイに出ていた。
花木槿(はなむくげ)は、「槿花一日自ずから栄をなす」と、中国の詩人・白居易の詩に出ており、その花は、「槿花一日の栄」とも言われる。
木槿の花は、朝に咲いて、夕べには花びらをたたんで、地に帰る。
家にあった木は、数年前に枯れてしまったが、この夏も、草花舎の庭では、ゆっくり眺めたし、庭木として多く植えられているので、車窓からも、よく眺めた。
一日しかない命を、ただはかないと白居易は詠じているのではない。
木槿の花は一日の栄を楽しんでいる、というのだ。
松樹千年の長寿と対比し、松樹だけがめでたいわけではない、と。
小林一茶も、同じ境地を詠っているのであろう。
私も、いたずらに長く、ただ生きていることを望まない。
しかし、私の場合は、花木槿が朝からしぼんでいるような生き方であり、情けない気分である。
【追記】夕方、5号室のKさんが、<梨狩りに行ってきた>と、梨を届けてくださった。
早速、食後にいただく。
半分いただいて、半分は明日の朝食後にと思っていたのに、美味しかったので一個みないただいた。
食欲がないと言いつつ、好きなものは食べられるということのようだ。
河口の部屋に来て、包丁やまな板を使ったのは、今日が初めてである。