ぶらぶら人生

心の呟き

小説『切羽へ』

2017-09-16 | 寸感
9月15日
午後は、河口の部屋に帰り、
小説を読んだ。

過日(12日)のブログに、
「猫の話」と題して投稿した。
それは、『猫が見ていた』という短編集に因んで書いたものだった。

読み終えた文庫本を書棚に片付けようとして、
私が、気に入った3編として取り上げた作家の一人、
井上荒野さんの単行本があるのに気づいた。
『切羽へ』である。(下の写真)




<第139回直木賞受賞作>とある。
それを求めた記憶が蘇らない。
若い時には、必ず芥川賞受賞作は読んでいた。
(近年は、興味がわけば買い求めるという姿勢に変わってきた。)

以前から、直木賞受賞作には、関心が薄かった。
それなのに、『切羽へ』がある。
不思議な気がした。
「凶暴な気分」が面白かったのなら、これも読んで! と、本が訴えかけているような気がした。

河口の部屋では、自由な時間がたっぷりある。
昨日持参し、早速読んだ。

人間の不確かな心の揺れが、よく描けている。
心の機微がうまく捉えられている。
人間とは絶えず揺れ動くものだ。
大地も揺れ、人間も揺れる。
不動の世界など存在しない。
それを作者の確かな視点で表現する。
それが、味のある小説と言えるのだろう。

解説文を書くつもりはない。
そのとおりだ! と、印象に残った一文を引用しておく。

過ぎていくときが目に見えないのは幸いだ。でも、だかといってときが過ぎないわけでないのだ、と私は考えた。

私が求めた本は、初版の2か月後に出た2刷めである。
きっと評判がよく、読んでみる気になって求めながら、そのままにしていたのだろう。
作者の父君が井上光晴であることも、関心を高めたのかもしれない。

「凶暴な気分」を経て、『切羽へ』。
縁とは、不思議なものである。
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雑草の庭

2017-09-16 | 小庭の四季
9月15日
「困ったものですね」
と、独り言を言いつつ、
朝の庭を歩いた。
5月と11月の2回、
シルバー人材センターの方に、
草取りをしていただく。
が、今は雑草の庭。
時には、ひどく伸びた草を気まぐれに抜き取る。
しかし、そんなことでは間に合わない。
庭木の下の方には、
ヨモギが丈高く伸び、
蔓草が、市道にまではみ出しそうな勢いだ。

砂利の上には、
コニシキソウが、
自由自在に、
でたらめな地図を描いている。(下の写真)



「まっ、いいか。伸びたいだけ伸びてください」

雑草は見ないことにし、
二つ並んで仲良く咲いたノボタンを眺めたり、
一旦は咲きおさまったかに見えた
タマスダレが、再び清楚に咲いている姿を見て、
外出の支度をする。

台風18号が来る前に、
風水害の面で、
家よりは安全な、
河口の部屋に移動しておくために。




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海辺のA館・レストランで

2017-09-15 | 散歩道
9月14日
A館・レストランに、電話で昼食を予約し、
散歩に出かけた。
途中、かなりの急坂がある。
杖を持参すべきか迷ったが、
大きな日傘で代用することにする。
(往復4350歩を無事歩く。)

平気で歩けた、とは威張れない。
歩き姿は、自分にも分かる。
老女の頼りない歩き方だ。
でも、今回はとにかく
自分の足で歩けたという
安堵感は得られた。

テラスに出て高島を眺める。
磯に飛沫をあげて砕ける
波の音を聞く。

食事をしているうちに、
雲の領域が広くなった。
台風18号が接近中という。
影響が、徐々に出始めているのだろうか。








海鮮丼をいただく。
各種の新鮮なお魚が美味。




上2枚、廊下の活け花。
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海辺の散歩

2017-09-14 | 散歩道
9月14日
かつては、土田海岸を歩くのは、
日々の散歩コースであった。
今は、一年一度、決断を要する散歩。

初秋の心地よい大気の中を、
ゆっくり歩く。

磯づたいに、海岸の端まで歩きたかった。
が、帰途は海抜40余メートルの勾配を
徐々に上らなくてはならない。
その辛さを考えると、
端まで歩くのは諦める。

以下、海の光景。
日本海(石見の海)。












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初秋の野の花

2017-09-14 | 散歩道
足を弱らせてはいけない。
そう思いながらも、
歩く機会を作ろうとはしない。
怠け者の典型。
動かないから、食欲もわかない。
悪循環である。

初秋の大気は、散歩を促す。
目的を決めて、出かけることにした。
海を見ながら、食事をしてこようと心を決めて。

散歩の途中で出会った植物。


ツユクサ




上2枚、葛の花


(よく見かける花・名前?)


ニラの花


線路脇に咲き始めたコスモス


エノコログサ(ネコジャラシ)
私の好きな野の草
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ひっそりと

2017-09-14 | 小庭の四季
シオンの花は、昨日すでに咲いていたのだろう。
散歩から帰ってきたとき、
椿の蔭に、淡い花色を見た。
丈が低く、かくれんぼしている。
足場の悪い、溝をまたいで、カメラに収めた。





散歩の途中で、曼珠沙華の蕾を見つけた。(写真・上)
この花は、突如現れる感じだ。

家の庭にも、二種類の花が咲く。
帰宅して、曼珠沙華の咲く場所を確かめた。
昨日は、<まだだな>と思いつつ眺めたのに、
どちらも、確実に姿を現していた。(写真・下2枚)


赤の方は、まだ丈が短い。
それでも、茎の頂に赤がのぞいている。


クリーム色の花の方は、
木賊の間に、丈夫な茎を伸ばし、
開花の準備を着々と進めている。


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シュウメイギク、咲き始める

2017-09-13 | 小庭の四季
帰宅した庭にシュウメイギクが、
一つ咲いていた。
一日花ではないので、
いつ咲いたのかはわからない。



ムラサキシキブが、
多数の実をつけた。
少々見苦しすぎる?!



シロシキブは例年どおり。



庭に佇むと、
日差しは濃いのに、
大気が、秋を孕んでいる。
今年は、季節の移ろいが
早いような気がする。

秋という季節は大好きなのだが、
しんみりと寂しい。
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『独楽吟』

2017-09-13 | 身辺雑記
河口の部屋に置いている本の一冊に、
『折々のうた 三六五日』(大岡信著)がある。
月ごとに編集されているので、月が変わると、その月の歌を読んでいる。
昨日は、9月1日〜30日までを読んだ。




9月23日の<うた>は、橘曙覧『独楽吟』からの引用であった。

たのしみは小豆の飯の冷えたるを茶漬てふ物になしてくふ時

『独楽吟』は、「たのしみは……………の時」という共通した形式で歌われている。
引用の歌は、その中の一首である。
気取らない作風がいいし、歌材は日常の些細な出来事である。
橘曙覧を知って、心の持ち方次第で、ささやかな楽しみはいくらでもある! と、自分の生き方を省みたりしたものだ。

作者の橘曙覧は、明治初期の人だろうと思い込んでいた。
が、実は幕末の人で、明治になると同時に亡くなっておられる。
そんな昔の人の歌とは全く感じられない。
大岡さんの言葉を借りれば、<博覧強記、和漢の学を修め、賀茂真淵、本居宣長の古学を継承>とあり、学者でもあるのだ。

大岡さんの本を読んで、もう一つ驚いたことがある。
人口に膾炙した橘曙覧の歌に、

たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

というのがある。
この歌を、1994年、訪米した天皇を歓迎する式典で、米大統領が引用し、人々を驚かせたという逸話が紹介してあったのだ。
<ほー!>と、驚き、嬉しい気分になった。

私は、その出来事の記憶がない。
1994年頃の大統領といえば、クリントン氏かなと思いつつ、インターネットで調べてみたところ、そのとおりであった。
詳細はわからないながら、心和む話である。
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刻一刻と

2017-09-12 | 身辺雑記
9月12日の落日
秋の落日は、寂しい。
夏のような眩しさもなく、
有り余る光を海上に残すこともなく…。

火の玉となって、
刻一刻と生真面目に沈む
頼りない寂光。

9月とは、こんなに寂しい季節であったか?










4階のルーフバルコニーから。
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猫の話

2017-09-12 | 身辺雑記




人が一冊の本を手にする動機は、いろいろあるのだろう。
私が、上記の本を書店の棚から取り出して求めたのは、ふた月前だった。

眼光鋭い猫の視線の先には、何があるのだろう?
題名は、『猫が見ていた』
文庫本の帯には、<愛をこめて人気作家が贈る猫の小説アンソロジー>とある。
7人の作家の名前が出ている。
そのうち、名前を聞き知っているのは3人だけである。しかも、作品を全く読んではいないので、いずれかの作家に関心を抱いたわけではない。
それでも、購入したのは、<猫が作品の中に、どんな関わりをもって登場するのだろう?>
その程度の関心だけだったように思う。

<猫派><犬派>という言い方がある。
どちらかといえば、猫派と言えるかもしれない。
しかし、猫全般が好きなわけでもない。
本当に可愛いと思った猫は、私に縁のあった<ただ一匹の猫>であり、愛猫家というのには当たらないだろう。
ただ、猫的な生き方は、気に入っている。

媚びない、群れない、いい子ぶらない。
自由で、わがままである。
それがいい。
犬ほど賢くないのもいい。

60歳になる頃までは、犬はもちろん、猫も嫌いだった。
動物は今でも、みな味方ではないと思っている。
蟻、蚊、蝿といった小動物も、みな好きになれない。
蛇や百足、みな嫌いである。
人気のあるパンダも、格別可愛いとも思わない。
動物は、みな怖いのだ。
小鳥や蝶々、蜻蛉ぐらいならいい。
(季節を告げる鳴き声は好き。)
メダカや熱帯魚もいい。

猫も、なんだかコソドロのような狡さがあり、思いの外、獰猛でもあり、好きではなかった。
しかし、一匹だけ例外があった。
私の家に、母の死の直後、助けを求めるように入り込んだ子猫がいた。
目の上に怪我をしていた。
食べ物にも、愛情にも飢えた子猫であった。
その子猫(たちまち5キロもある大人になったけれど)が、私の猫観を変えたのである。

その猫(チャンと名付けていた)との、一年半の関わりを記せば、それこそ一編の短編小説になる。
が、今となっては、それを完成させる気力がない。

人との関わり合いの如何によって、猫でも犬でも、小説の中で存在感のある動物になりうる可能性は、十分ある。
この本に掲載された小説は、すべて猫に関わりがある。
<気楽に楽しく読めた>というような感想では、作者に失礼であろうか。
しかし、深刻に考え込むような作品はなかった。
ただ、現代を背景とした小説で、都会ではそういうこともあるだろう、と思ったり、ゲームの世界に登場する猫もいるのだと、感心したり……。
小説を通して、現代社会の一面を知るという楽しみはあった。

7編中、猫も人間も描けていて、私が面白いと思ったのは、

『泣く猫』(柚月裕子)<注•「鳴く」ではなく「泣く」に意味あり>
『凶暴な気分』(井上荒野)
『三べんまわってニャンと鳴く』(加納朋子)

の3編である。
参考になったのが、最後に載っていた『猫と本を巡る旅 オールタイム猫小説傑作選』(澤田瞳子)。
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