人が一冊の本を手にする動機は、いろいろあるのだろう。
私が、上記の本を書店の棚から取り出して求めたのは、ふた月前だった。
眼光鋭い猫の視線の先には、何があるのだろう?
題名は、
『猫が見ていた』。
文庫本の帯には、<愛をこめて人気作家が贈る猫の小説アンソロジー>とある。
7人の作家の名前が出ている。
そのうち、名前を聞き知っているのは3人だけである。しかも、作品を全く読んではいないので、いずれかの作家に関心を抱いたわけではない。
それでも、購入したのは、<猫が作品の中に、どんな関わりをもって登場するのだろう?>
その程度の関心だけだったように思う。
<猫派><犬派>という言い方がある。
どちらかといえば、猫派と言えるかもしれない。
しかし、猫全般が好きなわけでもない。
本当に可愛いと思った猫は、私に縁のあった<ただ一匹の猫>であり、愛猫家というのには当たらないだろう。
ただ、猫的な生き方は、気に入っている。
媚びない、群れない、いい子ぶらない。
自由で、わがままである。
それがいい。
犬ほど賢くないのもいい。
60歳になる頃までは、犬はもちろん、猫も嫌いだった。
動物は今でも、みな味方ではないと思っている。
蟻、蚊、蝿といった小動物も、みな好きになれない。
蛇や百足、みな嫌いである。
人気のあるパンダも、格別可愛いとも思わない。
動物は、みな怖いのだ。
小鳥や蝶々、蜻蛉ぐらいならいい。
(季節を告げる鳴き声は好き。)
メダカや熱帯魚もいい。
猫も、なんだかコソドロのような狡さがあり、思いの外、獰猛でもあり、好きではなかった。
しかし、一匹だけ例外があった。
私の家に、母の死の直後、助けを求めるように入り込んだ子猫がいた。
目の上に怪我をしていた。
食べ物にも、愛情にも飢えた子猫であった。
その子猫(たちまち5キロもある大人になったけれど)が、私の猫観を変えたのである。
その猫(チャンと名付けていた)との、一年半の関わりを記せば、それこそ一編の短編小説になる。
が、今となっては、それを完成させる気力がない。
人との関わり合いの如何によって、猫でも犬でも、小説の中で存在感のある動物になりうる可能性は、十分ある。
この本に掲載された小説は、すべて猫に関わりがある。
<気楽に楽しく読めた>というような感想では、作者に失礼であろうか。
しかし、深刻に考え込むような作品はなかった。
ただ、現代を背景とした小説で、都会ではそういうこともあるだろう、と思ったり、ゲームの世界に登場する猫もいるのだと、感心したり……。
小説を通して、現代社会の一面を知るという楽しみはあった。
7編中、猫も人間も描けていて、私が面白いと思ったのは、
『泣く猫』(柚月裕子)<注•「鳴く」ではなく「泣く」に意味あり>
『凶暴な気分』(井上荒野)
『三べんまわってニャンと鳴く』(加納朋子)
の3編である。
参考になったのが、最後に載っていた『猫と本を巡る旅 オールタイム猫小説傑作選』(澤田瞳子)。