河口の部屋に置いている本の一冊に、
『折々のうた 三六五日』(大岡信著)がある。
月ごとに編集されているので、月が変わると、その月の歌を読んでいる。
昨日は、9月1日〜30日までを読んだ。
9月23日の<うた>は、
橘曙覧の
『独楽吟』からの引用であった。
たのしみは小豆の飯の冷えたるを茶漬てふ物になしてくふ時
『独楽吟』は、「
たのしみは……………の時」という共通した形式で歌われている。
引用の歌は、その中の一首である。
気取らない作風がいいし、歌材は日常の些細な出来事である。
橘曙覧を知って、心の持ち方次第で、ささやかな楽しみはいくらでもある! と、自分の生き方を省みたりしたものだ。
作者の橘曙覧は、明治初期の人だろうと思い込んでいた。
が、実は幕末の人で、明治になると同時に亡くなっておられる。
そんな昔の人の歌とは全く感じられない。
大岡さんの言葉を借りれば、<博覧強記、和漢の学を修め、賀茂真淵、本居宣長の古学を継承>とあり、学者でもあるのだ。
大岡さんの本を読んで、もう一つ驚いたことがある。
人口に膾炙した橘曙覧の歌に、
たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
というのがある。
この歌を、1994年、訪米した天皇を歓迎する式典で、米大統領が引用し、人々を驚かせたという逸話が紹介してあったのだ。
<ほー!>と、驚き、嬉しい気分になった。
私は、その出来事の記憶がない。
1994年頃の大統領といえば、クリントン氏かなと思いつつ、インターネットで調べてみたところ、そのとおりであった。
詳細はわからないながら、心和む話である。