ぶらぶら人生

心の呟き

知人宅を訪ねて (猫のオークレちゃん)

2007-06-23 | 散歩道

 訪ねた知人のTさん宅で、夏ツバキの蕾を眺めたり、屋敷内の草花について話したりしていると、飼い猫もニャンニャン鳴いて、出迎えてくれた。本当は、私の来訪などどうでもよく、飼い主のTさんに、「あたし、ここにいるんだよ」と話しかけただけだったのだろうけれど。

 なかなか毛並みの美しい、見目麗しい猫ちゃんだ。
 名前はと聞くと、「オークレ」とのこと。その名の由来は、子猫のときも、母猫になってからも、とかく、することなすことが幼稚で、他に比べ<遅れ>ていたことから、少々揶揄的に、<遅れ><オークレ>となったらしい。
 今は、立派な一人前の猫ちゃんである。
 しかし、もうかなりのお年らしく、目が薄くなっているとのことだ。が、一見したところ、そんなふうには見えなかった。
 私もTさんに倣って、「オークレ、オークレ」と呼んでみたが、近づこうとはしなかった。かといって逃げ出すでもなく、不即不離を保っている。
 Tさんが、好物の炒り子をもってきてくださった。
 炒り子で釣ると、やっと近づいてくれ、カメラに収めることもできた。

 オークレには特技があるのだそうだ。
 Tさんの子守唄を聞くと、腕の中で、目がとろんとなり、やがてすやすや眠るらしい。
 今日は、得意技を見せてくれなかった。
 「このおばちゃんの前では、だめ、だめ」
 と、言いたげであった。初対面なので、緊張していたのかもしれない。
 やがてどこへともなく姿を消していた。あの気ままさが、猫のいいところだ。


 開花した夏ツバキを眺め、猫と遊び、お土産に蜆までもらって、帰ってきた。
 早速、朝食は蜆汁。その美味だったこと、なにか訳ある特選の蜆だったのだろうか?

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知人宅を訪ねて (夏ツバキ)

2007-06-23 | 散歩道
 雨上がりの朝となったので、散歩のコースを変更して、知人宅を訪ねた。
 過日、夏ツバキの一輪を届けてくださったTさんから、またの機会に、木に咲いた花を見に来てください、と言われていたので。
 訪れた時間が早すぎて、花はまだ莟んだままだった。
 Tさんと、宅地内の草花や木々を眺めたり、飼い猫と遊んだりしているうちに、お日様が高くなった。
 再び、夏ツバキの木の下に行ってみると、自らの短い命をいとおしむかのように、朝日とともに花開いていた。昨夜の雨滴を溜めて。(写真)
 花びらの白、蕊の黄、葉の柔らかな緑、すべてが調和し、気品に満ちている。

 二三滴雨のこりゐる夏椿  福田甲子雄 (「歳時記」より)
 
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ダリア 3

2007-06-23 | 散歩道
 近所の老女が、早朝から畑で働いておられた。
 散歩の帰り、挨拶して立ち止まると、その傍に、白いダリアが咲いていた。(写真)
 残念なことに、花は盛りを過ぎていた。
 すべてのものに、永劫はないのだから仕方ない。
 花茎だけは、ピンと伸びている。堅い蕾をつけていて、花はなお咲き続けるらしい。

 「白い小菊も咲いて…」
 と、眺めていると、
 「仏さんに供えてください。お父さんやお母さんが懐かしゅうございますでね。ずいぶん世話になりましたけえ」
 と、小菊を数本、鎌で切り取ってくださった。
 父も母も、亡き人となって、十数年がたった。

 よく耕された畑には、様々な季節の草花と野菜とが同居していた。
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ダリア 2

2007-06-23 | 散歩道
 ダリアは、すべて姿勢がいい。
 だれた姿を見たことがない。

 写真のダリアも例外ではない。
 散歩からの帰り道、海を背にして、坂道を登っているとき、縄張りのしてある畑の中に咲いていた。
 <入るべからず>の標識に違いないとは思いつつ、眺めるだけですからと言い訳して縄を越え、ダリアの花にご挨拶。
 よくある色のようでありながら、咲き群がる花々のまとまりが、美しかった。
 
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ダリア 1

2007-06-23 | 散歩道

 この夏、初めて見たダリア。(写真)
 私の家から遠からぬ畑に咲いていた。
 人目につかぬところで、ひっそりと咲き、私をひたすら待っていてくれたのかも知れぬ、そんな思いでいとおしく眺めた。
 咲き満ちた姿には、ほほえましい緊張感がある。

 「ダリア」は、歳時記では、晩夏の花になっている。
 思い出してみると、昨年の九月、散歩を始めたころにも咲いていた。
 花期の長い花なのだろう。
 「天竺牡丹」、「浦島草」の呼び名もあるようだ。

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夏至の雨 (擬宝珠の花)

2007-06-22 | 身辺雑記

 今日6月22日は夏至の日だと、先ほどテレビが報じていた。
 朝から雨が降り続いた。
 午後のひと時、雨が上がった様子なので、庭に下りてみた。
 背高く伸びた擬宝珠(ギボウシ)の花が、雨にぬれて咲いていた。薄紫の花で、花そのものの趣は悪くない。だが、何しろ花茎の丈が伸びすぎるので、ピンと姿勢を正して咲くことができず、すぐ倒れてしまうのが難点である。(写真)
 擬宝珠には、種類が多いらしく、こじんまり咲く花もあるようだ。
 わが家のそれは、植えた記憶もないのに、玄関近くの一番いい位置にはびこって、私の好きな藪柑子を駆逐しかねない勢いである。
 でしゃばりすぎなのが、気に食わないが、それでも折角咲いたのだから、夏至の日の記念に残しておくことにしよう。

 久しぶりに雨らしい雨が降った。
 こんな日は、なんとなくもの憂い。お天気がよければ、花壇の始末でもするのにと、雨の日を恨めしく思ったりする。が、お天気がよければよくて、こんな暑い日は無理だと、今度は照りつける日差しを理由に、おそらく庭に下りることもないだろう。

 雨の日は、内省の時間を持ち、思索すべし、と自らに命じて、少々こむずかしい本、『時間と人間』(中埜肇著・講談社現代新書)を取り出して少し読んだ。
 バイオリズム、日周性の問題など、少しばかりおもしろく読んだが、まもなく疲れて、今度は歳時記を開いてみた。実に気まぐれである。

 今日は夏至と聞いたので、その項を見る。
 <夏至の雨>という季語もあった。梅雨のさなかなので、その日に雨が降ることが多いのは、当然だろう。
 昨年の夏至の日がどんな日であったか、記憶にない。
 一昨年はどうであったか、それも思い出せない。
 過去に遡って、日記帳を繰ってみれば、多少は懐かしい思い出につながる日があるかもしれない。が、記念日にしたいような、特別な思い出はないように思う。

 昨日またかくてありけり
 今日もまたかくてありなむ
 この命なにを齷齪
 明日をのみ思ひわづらふ

 なぜともなく、島崎藤村の詩句が口をついて出てきた。
 頭の中を巡る取りとめのなさに、自らあきれ返るばかり……。
 今年の夏至の日は、かくて過ぎぬ。 

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店先で (ペチュニア)

2007-06-21 | 身辺雑記

 今は、「ペチュニア」の花が多い。色とりどりに咲いている。
 草花舎で、花の名を教えてもらったのに、またその名が意識の遠くに霞み、しばし佇んで考えた。レストランの店先で。
 今日は比較的短時間で、突如、思い出すことができ、ほっとした。

 最近は、脳のボックスに入っいる知識を取り出すのに、やたらと時間がかかる。諦めてしまったころに、何の脈絡もなく、ひょっこり思い出したりする。
 やっかいな話である。だが、今は、そんな自分を戯画化して、慰めるしかない。

 この鉢のペチュニアも、群がり咲いて美しい。ごくありふれた種かもしれないけれど。(写真)
 和名は、「ツクバネアサガオ」というそうだ。
 花言葉は、「あなたといると 心がやすまる」、だとか。
 この花言葉は、多くの花に当てはまりそうな気がする。

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店先で (オランダイチゴ)

2007-06-21 | 身辺雑記
 今日は、歯科の定期検診日。かつて、数本のインプラント治療を受けたので、ひと月に一度程度、予後の検診を受けている。
 その治療のおかげで、今のところ、自分の歯の如く、食事を味わえるのは、幸せなことだと思っている。

 治療後、友人と食事に出かけた。
 出かけたレストランには、<振り替え休日>と、張り紙がしてあって、あいにくのお休みであった。
 店先の鉢に、イチゴが熟していた。
 私が、鉢の前にしゃがみこんで眺めていると、通りがかりの女性から、「おいしですよ。食べてごらんなさい」と、声をかけられた。まるで自分の所有物であるかのように。

 鑑賞用のイチゴなのだろう。店頭のイチゴに比べ、粒が小さかった。
 緑の葉と赤い実の調和がいい。
 栽培用のイチゴは、ほとんどオランダイチゴだと、ネットの説明にあった。ノイチゴやヘビイチゴのように、球体ではなく、円錐形をしていた。
 <可食部は花托の発達したものであり、表面に分布する粒粒がそれぞれ果実である。>(「ウィキペディア」より)
 花托花床花柄の頂端にあって花の諸部分を着生する部分。(「広辞苑」より)

 日ごろ、ただ「イチゴ」と表現しているものを植物学的に説明すると、上記のようになるらしい。使いなれない専門用語が出てくると、忽ちこむずかしくなってしまう。
 なるほど、とは思ったが、正直な話、私にとってイチゴは、目には美しく、口にはおいしければ、それで十分である。
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茨木のり子著 『ハングルへの旅』

2007-06-20 | 身辺雑記

 草花舎のYさんから借りて、『ハングルへ旅』(茨木のり子著)を読んだ。
 この本は、1986年、朝日新聞社から刊行され、さらに1989年、朝日文庫に形を変え、多くの人々に読まれたようだ。私が借りて読んだのも、後者の文庫本である。

 茨木のり子の作品については、かつてのブログにも書いたが、詩集『倚りかからず』(1999年、筑摩書房刊)と、没後に出版された『歳月』(2007年2月、花神社刊)を読んだに過ぎない。それ以外では、初期の詩の幾編かとエッセイの二、三編を読んでいる程度で、名前はよく知っていても、その実を知らない詩人といっていい。

 1975年、ご主人と死別。その後、長い歳月をひとりで生きた人であることなども、『歳月』を読むまでは知らなかった。したがって、ハングルとの関わりなど、知る由もなかった。
 このたび改めて、『歳月』に付された<茨木のり子著作目録>に目を通し、『ハングルへの旅』の出版後に、『韓国現代詩選』<訳編>(1992年、花神社刊)という、ハングルに関連した著作のあることも知った。

 この本は、茨木のり子の、50代から学び始めたハングルが、生半可なものではなかったとことの証のような著作である。
 『ハングルへの旅』は、ハングルを学び始めて10年後に書かれた本である。
 <隣国語の魅力、おもしろさに、いろんな角度から光りをあてて、日本人、特に若い人たちに「私もやってみようかな」と、ふと心の動くような、いわば誘惑の書をかきたかったのである。>
 と、作品を書くに至った経緯や意図を「あとがき」に述べている。

 すでに、<日暮れて道遠し>の年齢に至った私自身は、改めて隣国語を学ぼうと誘発されることはなかったが、それでも、この本は十分読みごたえがあった。一番近いお隣の国なのに、あまりにも知らなさ過ぎることが多いことにも気づかされた。
 言語の問題に限らず、生活習慣、文化に至るまで……。
 例えば、表紙カバー(写真)の装丁は、韓国の指貫をあしらったものだという。
 私の学生時代に使った指貫とはまるで違う。実に可愛らしくて、お裁縫も楽しくなりそうだ。(が、具体的な使い方はよく分からない。どんなふうに、この指貫に針を当てるのだろう?) 
 これなどは、実に些細なことなのだが、この一例をもってしても分かるように、国が違えば、あらゆる面で、みなそれぞれ異なるという当たり前なことを、新たな驚きを伴って知ることができた。
 数え上げればきりがないほど、異文化の魅力に触れることができた。
 生活習慣(例えば食事作法や行儀作法)などの違い等々。
 こうした違いは、どれがよくてどれが悪いといった問題ではないだろう。それぞれの伝統の違いに過ぎないことに対しても、かつては、自国の価値基準で他を律しようとする非を重ねてきた。そんな歴史のことなども思い起こさせ、考えさせる書でもあった。
 
 中国、韓国、日本など、表記の母体が漢字という共通点を持ちながら、それぞれが大きく異なるのもおもしろい。
 例えば、「工夫」という表記一つをとってみても、韓国では<勉強>の意であり、中国では<時間、暇、腕まえ>を表し、日本では、<いろいろ考えてよい方法を得ようとすること>といった具合に、字面が同じでも、読み方も意味も異なるという事実。
 作者は、<日本語とハングルの間>の章で、具体例をたくさん挙げ、相通じる面や異なる面を教えてくれている。

 私にとっては、ハングルの、あの記号的な文字が、実に煩瑣に思えるのだが、本来は発音記号として、世宗大王によって、約500年前に考案され、文字化されたものであるという。それによって、それまで無知蒙昧とされた多くの人たちが、読み書きできるようになったというのだから、世宗大王の業績は大きい。そうした歴史を知るのも嬉しいことだった。
 中国の簡体字の歴史の浅さから、同じように新しい表記法かと勝手に思っていたのだが……。

 読み物としておもしろかったのは、<旅の記憶>や<こちら側とむこう側>などの章だった。詩人の感性や鋭い目で捉えた世界が、詩人の豊かな表現で記されていてるので、読んでいて飽くことがなかった。
 作者が最後に取り上げた詩人のことは、忘れられない。
 罪もないのに、悲しく短い生を強いられた詩人<尹東柱(ユンドンジュ)>。
 その名も、その生涯も初めて知って、ひどく胸が痛んだ。
 幾つかの詩が紹介されてはいたが、もっと多くの詩を読んでみたい。1984年に伊吹郷氏によって完訳された、全詩集『空と風と星と詩』(記録社)があるという。
 入手可能なら、ぜひ読みたいと思っている。


 私的なことだが、この本を読みながら、ただ一度、朝鮮の一家と身近に暮らした日々のことを思い出した。遠い昔、小学校の低学年のころのことである。
 その一家には、私より二、三歳年上の、学齢の異なる同級生の女の子がいた。その兄はすでに上級学校の生徒だったが、優秀な人だと聞いていた。二人の子供は、私たちとなんら変わるところがなかった。が、その両親は、子供の目からも、いかにも異国の風習を生きる人に見えた。
 私の母が妹を出産した後のことだったと思う。
 その当時の、とある日のことが忘れられない。
 隣家の母親が、私の母の体調を案じ、たどたどしい日本語で、
 「オクサン、コレ ノメ。 エット、ジョウニナル」
 (奥さん、これをお飲みなさい。非常に滋養になるから。)
 と、山羊の乳を届けてくださったのだ。今でも、言葉の響きとその場の光景を鮮明に覚えている。母はその好意を喜び、いただいた山羊の乳を嬉しそうに飲んだ。それを見届け、隣の人は帰ってゆかれた。
 十歳にならぬ前のことなのだが、ほのぼのとした思い出として、しっかり心にとどまっている。
 今思えば、母は、他人に対し、差別や偏見を持たない人間だった。それだけに、隣人からもやさしさを送られていたのだと思う。

 それだけでなく、日ごろから、母は、隣家の生活を見て、いいと思うもことは、自分の生活に取り入れたりもしていた。
 例えば、洗濯の方法。今のように、洗濯機のない時代、母は、あの波型の洗濯板で、大家族の衣類を、ごしごし洗っていたのだが、あるときから隣家の洗濯法をまね、これは効率がいいと、以後長く実践した。それは洗濯物を棒でたたいたり、足で踏んだりして汚れを落とす方法であった。

 その家族と隣り合って生活したのは二年だけだった。父の転勤で、私の一家が引っ越した後、戦中戦後を、どのように過ごされたのか知る由もないのだが……。
 偏見差別が当たり前であった時代、理不尽な言動を見聞きするなかで、それを全くしなかった母から、子供ながらに、私はひとつの生き方を学んだように思う。――そんな自らの思い出も心に去来させながら、この本を読んだのだった。

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6月の庭 (ヘリクリサム)

2007-06-19 | 草花舎の四季
 草花舎の庭の一角にあって、群生している植物が、前々から気になっていた。
 葉の形や色に特色のある植物で、葉こそ命、の植物なのだろうかと思っていた。が、最近茎の頂に蕾をつけ始めた。(写真 18日)

 Yさんに、その名を尋ねた。
 「ヘリクリサム」だと思うのだが、同名の植物でかなり異なるものもあるようだ、と話しておられた。
 草花舎の庭には幾種類もの植物が、それぞれの歴史を刻み、盛衰を繰り返してきたようだが、この植物は、そのなかでも古参の植物なのだそうだ。

 「ヘリクリサム」を手がかりに、ネットで調べてみた。
 確かに「ヘリクリサム」と名のつく植物は様々だ。それは属名らしく、ヘリクリサムのあとにつく、「ヘリクリサム・○○」という呼び名によって、異なる種となるらしい。

 草花舎の植物は、「ヘリクリサム・ペチオラレ」というのではあるまいか。
 この名の植物は、銀緑色やライムグリーンの葉のものがあり、フェルト生地のような手触りの感触などが特色で、花も咲くけれど、花より観葉を主とした植物である、と説明したものが多かった。
 花は淡黄色の小さなもので、鑑賞の価値なし、とまで書いたものもあったが、要は花よりも葉を楽しむ植物であることの誇張表現であろう。
 草花舎の白い蕾が、開花後、果たして鑑賞の価値なきものであるかどうか?
 次回の訪問時に、確かめてみることにする。
 
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