ぶらぶら人生

心の呟き

百合の花

2007-06-24 | 身辺雑記

 読書らしい読書もせずに、今日の一日を過ごした。
 夕方になって、少し元気が回復し、開いた本は、馬場あき子著『かく咲きたらば』であった。歌人の書いた花のエッセイ集である。
 <百合>と題された文章の始めに、

 夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ

 という、大伴坂上郎女の有名な歌が引用されていた。
 清純な姫百合のイメージと、秘められた恋の、哀しく切ない思いとが、うまく重ねあわせて詠まれている。改めて、いい歌だと思い、繰り返し口ずさんだ。

 吾妹子(わぎもこ)が家の垣内(かきつ)の小百合花後(ゆり)といへるはいなといふに似る   紀 豊河

 について、著者は、
 <愛する女の家の垣内に咲いている可憐な花を「ゆり」とよぶことは、「後(ゆり)」といわれたようで、どうも婉曲に拒否された感じだ、とたわむれている歌である。>
 と記し、同音語(「百合」と「後」……どちらも「ゆり」と読む)の面白さを生かした歌として紹介していた。

 「後」は「ゆり」と読み、「のち。あと。」の意だったなあ、と薄れかけていた記憶を蘇らせた。最近は、古典を読むことからすっかり遠ざかっている。
 こんな言葉に接すると、古語の勉強もしたくなる。

 「百合」の種類は多いらしい。
 過日、知人の案内で、笹百合を見に行ったことは、すでにブログに書いた。
 実は、私の家にも、植えた記憶はないのに、昨年、今年と百合が咲いた。笹百合ほどの清楚さはないが、花の白さが、ひととき庭を清らかにしてくれた。(写真)
 鉄砲百合と呼ばれる類だろうか?

 歳時記には、「百合」の項に、次のような季語を掲げている。
 <山百合・鬼百合・天蓋百合・小鬼百合・菅百合・姫百合・黄姫百合・鹿の子百合・滝百合・笹百合・さゆり・透百合・鉄砲百合・さく百合・車百合・竹島百合・白百合・紅百合・黒百合・百合の香>

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ムラサキシキブの花

2007-06-24 | 身辺雑記
 かなり前から、「ムラサキシキブ」が、芥子粒のような緑の蕾をつけていた。しばしば覗いてみながら、開花を気にしてきた。
 今日になってやっと開いた。小さな白い花である。(写真)
 この木は、白い実をつけるムラサキシキブで、十数年前、草花舎から分けてもらったものである。
 それ以前から、わが家の庭にあって、紫色の実をつけるムラサキシキブも、少し遅れて、ただ今、沢山の蕾をつけている。花色は同じかどうか?

 長年、庭にある木なのに、蕾や花の時期を無視してきた。というより全く気づかずにきた。今年初めて、蕾が生じ、花となる経緯を眺めることができた。
 植物たちの静かな営みに気づくと、心が少しだけ幸せな気分になれるから不思議だ。
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雨の朝 

2007-06-24 | 身辺雑記

 このところ、疲れ気味である。天候不順のせいだろうか。
 働いていた、若いころも、思い出してみると、六月は最も苦手だった。食欲ががたりと落ち、夏痩せの始まる季節だった。
 今は、家でのんびり暮らしているのだから、季節の影響を受けることは少なくなったのだが、それでも老いの体には、むしむしした梅雨はこたえるのかも知れない。

 今朝も、散歩に出かけるつもりで支度はしたが、六時、外に出てみると、小雨が降っていた。歩くことは中止した。
 庭に下りたついでに、軒下の鉢に水だけはやっておこうと、小雨降る中、作業した。
 と、今までも気にはなっていたのだが、狭い庭に生い茂ったヤマボウシの木が、通せんぼうをして、歩くのさえままならない。特に雨の日は、濡れた葉が容赦なく体をぬらす。
 庭師に剪定してもらうのは、お盆前と決めている。
 それまで待てそうにないと思うと、妙に決断早く、剪定鋏を取り出した。人ひとり通れるだけの隙間を作ろうと、剪定を試みた。
 少し空間を広げただけで、ずいぶんすっきりした。すると、今度は、家前の花壇の、くたびれきったパンジーや傍若無人にはびこったノコギリソウが気になり、ついでに全部取り払うことにした。
 幸い、雨は気にならぬ程度の小降りになり、作業に支障はなかった。
 不要物を取り除くと、花壇もさっぱりした。うまく根付くかどうか分からないが、庭師に植えてもらった千両を中心に、キョウガノコの三本は残した。すきすきになった花壇に、キンギョソウのピンクの花がわずかに彩を添えているだけである。半円形の小さな花壇のシモツケも、思いっきり剪定した。
 さらに、家の横には、他の草花に混じって、蕗が丈高く伸びているのも気になった。これも処理しておこうと、ズボンの裾を濡らしながら、蕗を採取した。食ベられそうな気配なので、今晩のおかずの一品に加えることにした。(写真は取り残した蕗の葉)
 
 小雨の中の作業を始めたのは六時、終えたのは八時前であった。
 それでなくても疲れ気味な上に、朝の非日常的な過ごし方が、さらに疲れを増大した。少し変わったことをしただけで、一日の生活が台無しになってしまうとは、情けないことである。
 夕方になって、少し元気が出てきたので、ブログを開いた。
 
 「蕗」は、夏の季語。
 歳時記に、<秋田蕗は葉の直径が一メートル、高さが二メートルを越えるものもある。>と、書かれており、北海道を初めて旅した昔、大きな蕗に驚いたことを思い出した。あれも、秋田蕗の名で呼ばれるものなのだろうか。

 蕗の皮むきてひと日を終わりけり

 だらしない一日であった。

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