ぶらぶら人生

心の呟き

幽けく生うる (キノコ?)

2007-06-27 | 身辺雑記
 知人のTさんから、不思議な植物があると聞いて、早速出かけてみた。
 昨日の朝のこと。
 日陰の花(?)が、妖しげな風情で、はかなげに咲いていた。(写真)
 本当は、所謂花ではなく、菌類、キノコの類かと思われる。細く、か弱そうな茎(?)の上にのって、花の如くに存在していた。ちょっとでも、指を触れれば、形をたちまち崩してしまいそうな感じであった。
 同種の、三つの白い植物が、物陰の、しっとりとした地面に、並んでいた。写真はその中の一つ。
 何であれ、これも命には違いない。
 幽けく生うる、はかない命だが、見捨てがたい命の姿である。
 私の庭でも、この梅雨どきには、折に湿気が生み出したかと思える、菌類、キノコの類を見かけることがある。が、こんな純白な妖精は見たことがない。
 改めて、命の形の複雑怪奇であることに驚嘆するばかり……。

 キノコ類をネットでいろいろ調べてみたが、同類を見つけ出すことはできなかった。

 (Tさんから、腐生植物ではあるまいかとのコメントをいただいた。いろいろ調べてくださっている様子。新たな発見があるかも……。) 
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6月の庭 (この木の花は? 「アベリア」と判明)

2007-06-27 | 草花舎の四季
 草花舎の庭で見かけた花の一つ。(写真 25日)
 お目にかかったことのある木花なのに、名前がわからない。あれこれ植物の本を繰ってみるのだが、判明しない。
 賑々しく咲いているのに、おとなしい雰囲気の花たちである。

 [追記 「アベリア」に間違いないだろう。7月16日に、再び投稿。]
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6月の庭 (この花は? サフランモドキ?)

2007-06-26 | 草花舎の四季
 朝の散歩のとき、野道でよく見かけるピンクの花が、草花舎の庭にも咲いていた。(写真 25日)
 Yさんと一緒に花の本を調べてみたが、あいにく出ていなかった。
 ありふれた花なのに、名前が分からないのは残念だ。

 今日も、時間をかけて植物の本をめくってみたけれど、相変わらず答えが出ない。
 残念至極!

 【6月29日 追記】

 「タマスダレ」ではと、コメントをいただいた。私の家にも、タマスダレは、いずれ咲くはず。それは白い花だったが…と思いつつ、ネットで調べてみた。
 ヒントを与えていただいたおかげで、「タマスダレ」と、同科、同属の「サフランモドキ」らしいと分かった。<ヒガンバナ科・ゼフィランサス属>
 草花舎の庭にも、また道野辺のあちこちにも咲く、このピンクの花は、おそらく「サフランモドキ」に違いないだろうと思う。
 帰化植物の一つらしい。やさしさが、日本の風土に合った花のようだ。  

コメント (2)
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6月の庭 (ムラサキカタバミ)

2007-06-26 | 草花舎の四季
 草花舎の庭は、ごく自然な、野趣に富んだ庭である。格式ばった気取りがないから、ひとりでに親しみがもてる。
 野道で見かける雑草の宝庫でもある。
 庭のあちこちに、気分をほっとさせる、「ムラサキカタバミ」も咲いていた。(写真 25日)
 紅紫の、えも言われぬやさしさ!
 子供のときから見慣れてきた、野に咲く花たちには、特に愛着を覚える。懐かしさが、しみこんでいるからだろう。
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6月の庭 (百日草)

2007-06-26 | 草花舎の四季
 花を見て、すぐ名前のわかる植物というのは、全体の何パーセントに当たるのだろう? 私の場合、1パーセントにも満たないのかもしれない。

 昨日、草花舎の庭に咲いていた花の前で、これは誰が見たって、百日草(ヒャクニチソウ)だと、旧知に会ったような懐かしさを覚えた。(写真)
 茎がすっくと直立し、頭上にやや乾燥したような花をつけている。百日草という名のとおり、枯れることなく咲き続けるためには、始めからカサカサに乾き気味で、水分は多すぎない方がいいのかもしれない。勝手にそんなことを思っていた。

 また、名前から、これこそ日本古来の花だと信じきっていたが、それも思い違いだった。百日草というのは和名であり、原産地はメキシコで、「ジニア」と呼ばれる花なのだそうだ。『洋花』という本を見ていてそのことを知り、いささか驚いた。
 
 格別の毀誉褒貶を受ける花ではなさそうだ。平凡といえば平凡、それがこの花のいいところだと思う。
 草花舎の夏の庭の一隅に、気負いもせず、在るがままに咲いていて、それなりにかわいい花だ。
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草花舎で (食事を終えて)

2007-06-25 | 草花舎の四季
 草花舎で、食事あとのデザートとコーヒーをいただき、今、展示中の銅版画の載っている本を手にとって一部読んだ。(写真 テーブルの上の本)
 『英国フード記 A to Z』という本。
 著者は、石井理恵子。その各章に、松本里美の銅版画が添えられているのだ。
 心憎いのは、英国のフードをAからYまで、アルファベット順に並べている、気のきいた試みである。Zは、<ZZZ…>と、眠りマーク(?)になっていて、フードの話が一段落した後の、筆者のあとがきのようなもの。
 添えられた絵には、食に満ち足りたらしい男性が、両腕を枕に仰向けに横たわり、傍に猫もお腹を見せて満足げである。二者の周辺には、食べ残しの食品が転がっていて……、といった具合である。
 <英国びいきで、毎年渡英している>という著者の、見たり味わったりした英国のフードが、気取りのない、しかし、達者な筆致で紹介され、ちょっと拾い読みしただけで楽しくなった。松本里美の銅版画も、本の一ページに印刷されたものではあっても、沢山の作品を身近に置いて楽しめる本となっている。

 私には、外国旅行に出かける体力がない。が、好奇心だけは衰えない。そこで、居ながらにして、英国のフードに触れてみようと、本を求めることにした。
 所変われば、食文化も、ずいぶん変わるものだと感心しながら、今はまだ、拾い読みを楽しんでいる段階である。
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草花舎で (憩いのひと時)

2007-06-25 | 草花舎の四季
 今日、草花舎へお昼をいただきに出かけた。
 今は梅雨のさなか、雨は降っていないが、大気がじっとりと重い。庭の草木は折々の雨に生き返った風情で、特に紫陽花が美しい。
 食事の準備ができるまで、今日も庭を歩いた。ちょっと立ち止まると、私の少ない血を蚊に吸いとられそうで、慌てて払いのけなくてはならなかった。それでも緑の中を歩くと、心が休まる。

 食事のあと、私の座席から前方を眺める。写真は私の視覚が捉えた風景である。
 目の前には、韓国の女性作家の作品が下がっている。これは、いっとき壁面に掲げてあった作品「コスモス」と同じ作者のものである。(今は、「松本里美 銅版画展」のために、取り外してある……)

 様々な色の、様々な形をした物体が、細い糸でつながれている。開放された窓からの、かすかな風に、ときおり揺らぐ。
 モビールの一つらしい。心地よい空間だ。
 モビールの創始者は、アメリカの彫刻家、コールダー(1896~1976)という人だとか。(広辞苑から得た知識)
 
 窓辺の壁面には、松本里美の銅版画の一部が置かれている。
 今日も、作品を見て歩く。幾度見ても飽くことがない。いただくとすれば、の観点からも作品を眺める。
 私の家の、どの位置に、どの作品が似合うだろう? など考えながら。

 窓の外は、初夏の庭の眺めである。
 写真では分かりにくいが、緑の木々が、それぞれの趣で佇んでいる。
 その中の、「クサギ」という木を、今日Yさんに教えてもらった。
 これから先、花や実が楽しめるらしい。
 いつのブログにのせることになるのだろう?
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百合の花

2007-06-24 | 身辺雑記

 読書らしい読書もせずに、今日の一日を過ごした。
 夕方になって、少し元気が回復し、開いた本は、馬場あき子著『かく咲きたらば』であった。歌人の書いた花のエッセイ集である。
 <百合>と題された文章の始めに、

 夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ

 という、大伴坂上郎女の有名な歌が引用されていた。
 清純な姫百合のイメージと、秘められた恋の、哀しく切ない思いとが、うまく重ねあわせて詠まれている。改めて、いい歌だと思い、繰り返し口ずさんだ。

 吾妹子(わぎもこ)が家の垣内(かきつ)の小百合花後(ゆり)といへるはいなといふに似る   紀 豊河

 について、著者は、
 <愛する女の家の垣内に咲いている可憐な花を「ゆり」とよぶことは、「後(ゆり)」といわれたようで、どうも婉曲に拒否された感じだ、とたわむれている歌である。>
 と記し、同音語(「百合」と「後」……どちらも「ゆり」と読む)の面白さを生かした歌として紹介していた。

 「後」は「ゆり」と読み、「のち。あと。」の意だったなあ、と薄れかけていた記憶を蘇らせた。最近は、古典を読むことからすっかり遠ざかっている。
 こんな言葉に接すると、古語の勉強もしたくなる。

 「百合」の種類は多いらしい。
 過日、知人の案内で、笹百合を見に行ったことは、すでにブログに書いた。
 実は、私の家にも、植えた記憶はないのに、昨年、今年と百合が咲いた。笹百合ほどの清楚さはないが、花の白さが、ひととき庭を清らかにしてくれた。(写真)
 鉄砲百合と呼ばれる類だろうか?

 歳時記には、「百合」の項に、次のような季語を掲げている。
 <山百合・鬼百合・天蓋百合・小鬼百合・菅百合・姫百合・黄姫百合・鹿の子百合・滝百合・笹百合・さゆり・透百合・鉄砲百合・さく百合・車百合・竹島百合・白百合・紅百合・黒百合・百合の香>

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ムラサキシキブの花

2007-06-24 | 身辺雑記
 かなり前から、「ムラサキシキブ」が、芥子粒のような緑の蕾をつけていた。しばしば覗いてみながら、開花を気にしてきた。
 今日になってやっと開いた。小さな白い花である。(写真)
 この木は、白い実をつけるムラサキシキブで、十数年前、草花舎から分けてもらったものである。
 それ以前から、わが家の庭にあって、紫色の実をつけるムラサキシキブも、少し遅れて、ただ今、沢山の蕾をつけている。花色は同じかどうか?

 長年、庭にある木なのに、蕾や花の時期を無視してきた。というより全く気づかずにきた。今年初めて、蕾が生じ、花となる経緯を眺めることができた。
 植物たちの静かな営みに気づくと、心が少しだけ幸せな気分になれるから不思議だ。
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雨の朝 

2007-06-24 | 身辺雑記

 このところ、疲れ気味である。天候不順のせいだろうか。
 働いていた、若いころも、思い出してみると、六月は最も苦手だった。食欲ががたりと落ち、夏痩せの始まる季節だった。
 今は、家でのんびり暮らしているのだから、季節の影響を受けることは少なくなったのだが、それでも老いの体には、むしむしした梅雨はこたえるのかも知れない。

 今朝も、散歩に出かけるつもりで支度はしたが、六時、外に出てみると、小雨が降っていた。歩くことは中止した。
 庭に下りたついでに、軒下の鉢に水だけはやっておこうと、小雨降る中、作業した。
 と、今までも気にはなっていたのだが、狭い庭に生い茂ったヤマボウシの木が、通せんぼうをして、歩くのさえままならない。特に雨の日は、濡れた葉が容赦なく体をぬらす。
 庭師に剪定してもらうのは、お盆前と決めている。
 それまで待てそうにないと思うと、妙に決断早く、剪定鋏を取り出した。人ひとり通れるだけの隙間を作ろうと、剪定を試みた。
 少し空間を広げただけで、ずいぶんすっきりした。すると、今度は、家前の花壇の、くたびれきったパンジーや傍若無人にはびこったノコギリソウが気になり、ついでに全部取り払うことにした。
 幸い、雨は気にならぬ程度の小降りになり、作業に支障はなかった。
 不要物を取り除くと、花壇もさっぱりした。うまく根付くかどうか分からないが、庭師に植えてもらった千両を中心に、キョウガノコの三本は残した。すきすきになった花壇に、キンギョソウのピンクの花がわずかに彩を添えているだけである。半円形の小さな花壇のシモツケも、思いっきり剪定した。
 さらに、家の横には、他の草花に混じって、蕗が丈高く伸びているのも気になった。これも処理しておこうと、ズボンの裾を濡らしながら、蕗を採取した。食ベられそうな気配なので、今晩のおかずの一品に加えることにした。(写真は取り残した蕗の葉)
 
 小雨の中の作業を始めたのは六時、終えたのは八時前であった。
 それでなくても疲れ気味な上に、朝の非日常的な過ごし方が、さらに疲れを増大した。少し変わったことをしただけで、一日の生活が台無しになってしまうとは、情けないことである。
 夕方になって、少し元気が出てきたので、ブログを開いた。
 
 「蕗」は、夏の季語。
 歳時記に、<秋田蕗は葉の直径が一メートル、高さが二メートルを越えるものもある。>と、書かれており、北海道を初めて旅した昔、大きな蕗に驚いたことを思い出した。あれも、秋田蕗の名で呼ばれるものなのだろうか。

 蕗の皮むきてひと日を終わりけり

 だらしない一日であった。

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