Yさんに、
「ヤマボウシの花、見ましたか」
と言われ、その木の在り処を教えてもらった。
「これ、黄金ヤマボウシなの」
見ると、花びら(正しくは総苞)が白色ではなく、黄色みを帯びている。黄金ヤマボウシと呼ばれるわけは、この色にあるようだ。
初めて見る種だ。珍種なのか、私の持っている本には出ていなかった。ネットで、「黄金ヤマボウシ」と記入して検索すると<該当なし>だった。そこで、「ヤマボウシ」で調べてみた。こちらは数が多すぎて、全部に当たることはできなかった。かなりの数を開いてはみたが、見た範囲には、「黄金ヤマボウシ」らしいものはなかった。
が、「黄金ヤマボウシ」の花は、普通に見かける「ヤマボウシ」と同じ形をしている。
ただ、Yさんの話では、総苞の色が違うだけでなく、冬になっても裸木にはならないのだそうだ。いわゆる落葉樹ではなく、紅葉もしないらしい。その点、普通のヤマボウシとはかなり違っている。
白い花びらに似た総苞の、その真ん中にあるのが花とは、全く花らしくない花である。
総苞が落ちると、花の部分だけが残り、やがて実になるという。
秋にはまた、この木を見上げる楽しみができた。
額紫陽花が、「草花舎」の庭には多い。
よく見ると、みな異なるのがおもしろい。
人間の顔に、全く同じなものがないように。道具立ては同じなのに、どうしてこうも異なるのだろう?
見えない部分の心だって、全く同じはないのだろう。だから、他人を自分の物差しで量ろうとすると、とかく厄介なことになる。
その点、紫陽花は、異なることを意識する気配もなく、共存して、美しく咲いている。
よく見ると、みな異なるのがおもしろい。
人間の顔に、全く同じなものがないように。道具立ては同じなのに、どうしてこうも異なるのだろう?
見えない部分の心だって、全く同じはないのだろう。だから、他人を自分の物差しで量ろうとすると、とかく厄介なことになる。
その点、紫陽花は、異なることを意識する気配もなく、共存して、美しく咲いている。
入梅はまだ先なのだろうか。今日も陽気な青空が広がっていた。
昼過ぎ、「草花舎」へ出かけた。
いつもの習いで、食事前のひと時、お庭を散歩する。植物との出会いを楽しみながら。
6月は、<紫陽花の季節>。が、前回4日に「草花舎」を訪れたときには、咲き始めたばかりで、ブログに紹介した紫陽花は2種類だけだった。今日は、お庭のあちこちに散在する紫陽花が、それぞれに花をつけていた。
今日目にした紫陽花(3~10)を、記録しておくことにする。
少しずつ異なる表情の、花の写真を添えて。
昼過ぎ、「草花舎」へ出かけた。
いつもの習いで、食事前のひと時、お庭を散歩する。植物との出会いを楽しみながら。
6月は、<紫陽花の季節>。が、前回4日に「草花舎」を訪れたときには、咲き始めたばかりで、ブログに紹介した紫陽花は2種類だけだった。今日は、お庭のあちこちに散在する紫陽花が、それぞれに花をつけていた。
今日目にした紫陽花(3~10)を、記録しておくことにする。
少しずつ異なる表情の、花の写真を添えて。