今日6月22日は夏至の日だと、先ほどテレビが報じていた。
朝から雨が降り続いた。
午後のひと時、雨が上がった様子なので、庭に下りてみた。
背高く伸びた擬宝珠(ギボウシ)の花が、雨にぬれて咲いていた。薄紫の花で、花そのものの趣は悪くない。だが、何しろ花茎の丈が伸びすぎるので、ピンと姿勢を正して咲くことができず、すぐ倒れてしまうのが難点である。(写真)
擬宝珠には、種類が多いらしく、こじんまり咲く花もあるようだ。
わが家のそれは、植えた記憶もないのに、玄関近くの一番いい位置にはびこって、私の好きな藪柑子を駆逐しかねない勢いである。
でしゃばりすぎなのが、気に食わないが、それでも折角咲いたのだから、夏至の日の記念に残しておくことにしよう。
久しぶりに雨らしい雨が降った。
こんな日は、なんとなくもの憂い。お天気がよければ、花壇の始末でもするのにと、雨の日を恨めしく思ったりする。が、お天気がよければよくて、こんな暑い日は無理だと、今度は照りつける日差しを理由に、おそらく庭に下りることもないだろう。
雨の日は、内省の時間を持ち、思索すべし、と自らに命じて、少々こむずかしい本、『時間と人間』(中埜肇著・講談社現代新書)を取り出して少し読んだ。
バイオリズム、日周性の問題など、少しばかりおもしろく読んだが、まもなく疲れて、今度は歳時記を開いてみた。実に気まぐれである。
今日は夏至と聞いたので、その項を見る。
<夏至の雨>という季語もあった。梅雨のさなかなので、その日に雨が降ることが多いのは、当然だろう。
昨年の夏至の日がどんな日であったか、記憶にない。
一昨年はどうであったか、それも思い出せない。
過去に遡って、日記帳を繰ってみれば、多少は懐かしい思い出につながる日があるかもしれない。が、記念日にしたいような、特別な思い出はないように思う。
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ
なぜともなく、島崎藤村の詩句が口をついて出てきた。
頭の中を巡る取りとめのなさに、自らあきれ返るばかり……。
今年の夏至の日は、かくて過ぎぬ。
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