そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

たった7時間の”駆けつけ視察”でなにが判るか!

2016-10-11 | 集団的自衛権
まるで南スーダンへ、慰問に行ったようなウルトラ右翼の稲田朋美防衛大臣である。たった7時間視察しただけで、戦闘行為などなかったと、とんぼ返りして国会でのたまった。
南スーダンは、日本の面積の1.3倍近くある。7時間で何が判るかというものである。現地の自衛隊と政府関係者たちに聞いただけなのだろうが、アリバイ作りの”駆けつけ視察”でしかない。安倍晋三などは、南スーダンは戦闘状態にない、衝突があっただけと報告を受けたかのように言う。これで日本の自衛隊は兵器を持って、堂々と戦うことができるようになる。最初だけ野党が突っ込まれるが、その後、いつか慣れてしまう。これも日本の特性である。

南スーダンのジュバでは7月8日に激しい戦闘があったばかりである。首都で起きたのである。死者は150人ほどと、言われている。現地の人たちの話では、病院や市役所などの公的機関を襲ったのは、政府の紋章を付けていた戦闘員だったというのである。
8日の戦闘はマシャール副大統領とサルバ大統領のそれぞれの警護隊が、全面的に交戦したものである。この「戦闘」を「衝突」とす稲田と安倍は言いくるめた。衝突したから戦闘行為が起きたのであろう。これは「戦闘」ではなかった、というのである。150人もの死者が出ているのに、戦闘でないというのである。戦闘ちなら、自衛隊を派遣できないのである。民進党の柔らかな追及で、まともに回答していない。
安倍晋三などは政府とは交戦することないというのであるが、南スーダンではどれが政府かわからない状況である。二万キロ近く離れたところの、机上での判断がどれほど愚かなことかは、先の大戦が語っている。

日本は明らかに中国満州地域を侵略し傀儡政権を立てた。そこでの、中国人との戦いを日本は「満州事変」と言い続けた。更に、近衛文麿は中国を見下し、暴支を成敗すると兵を送ったのであるがこれは、「支那事変」と呼ばせた。その後の太平洋戦争を、ひっくるめて昭和天皇が、「先の大戦」と呼ぶようになったのである。たまに15年戦争ともいう。
明らかな戦争行為を、「事変」と矮小化して呼ぶことは、それ以後の戦闘拡大の意図を隠蔽する恣意的なものである。
今回の、南スーダンの戦闘行為を、単なる「衝突」と一段低いところにあるかのように呼ぶことは、明らかに次の拡大を狙うための恣意的、作為的な安倍晋三の誤魔化し行為でしかない。
憲法に抵触する安保関連法(戦争法)が強行採決されて、いよいよ駆けつけ行為という一段落とした呼び名の戦闘行為が可能になって、日本は戦争へと突き進むのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港