シリアのアレッポを訪れたのは、20年ほど前のことである。イスラム諸国の人はお酒を飲まない。夜はとても静かで、人々は総じて明るい。陽が落ちて無防備で外に出られるのも、イスラム圏の良いところである。
昼の暑さを忘れるために、夜になれば人々は外に出てくる。夜店の周りで何やらざわざわ騒いでいる。イスラム圏の男どもは、明るくおしゃべりである。どこかの国のように、グダグダと酔いに任せて愚痴を言うわけではない。女性はさすがに出てくることはないが、子供たちは宵っ張りである。大人と一緒になってそこにいて、話を聞いている。女性は家族ずれなら、外で敷物を敷いて何やら飲み食いしておしゃべりしている。
言葉が全く通じないのであったが、夜店で音楽のカセットテープをかった。数人に取り囲まれて、わいわい何やら言われていたが、お構いなく出来損ないの英語でしゃべっていたが、相手も解ってはいない。シリアでは男女が手を組んで歩くことがない。しかし、男性同士が仲良く手を繋いで歩くのを何度も見ている。こいつらオカマかと思ったものである。
多くの公衆トイレは男性の場合、つながったところで共通の溝にすることになっている。彼らはワンピースの服を腰までたくし上げて、用を足す。下着をつけているのを見たことがない。おしゃべりしながら用を足すのは、別れていないためかもしれない。兎に角彼らは明るい。そして女性は、目鼻立ちが整って例外なく美しい。
アレッポの町の中核になっているのは、2000年経つと言われているアレッポ城である。いろんな時代のお建物が混在していて、イスラム教が普及してからかなり変質したようで、綺麗なステンドグラスが印象的な複雑な形をした城だった。
中東随一と言われるモスクがあって、素足でしか入れず整理されとても美しかった。これにつながって世界一大きなスークがあった。そこで1930年代の懐中時計を買った。数人が価格交渉に加わって、楽しい一時間ほどの時間を過ごした。2万円ほどだったオメガの時計を、5000円ほどまで値切った。買った後はみんなの祝福を受けた。お前はラッキーだと言っているようだった。
イスラムでは戦争があっても、お互いのモスクは攻撃しないのが原則であった。シリアの内戦は、シリア第二の古都を真っ先に攻撃し、世界遺産になっていたアレッポ城もモスクもスークも焼き落してしまった。その後の底が見えない戦争は、悲惨を極める。
私が思い起こすのは、あれほど平和で明るかったアレッポの人々が銃を持ち人殺しに奔走し、町を破壊し、際限のない殺戮を繰り返す信じられない現実である。彼らが好んで戦をやっているとは到底思えない。
2000年以上にわたって築きあげてきたきれいな街を、好んで破壊するわけではなかろう。イスラム教が戦争を起こすとは到底信じることができない。様々な国を訪れた経験があるが、その中でもシリアは平穏で穏やかな国家の一つであった。トイレでお喋りをして、人のを覗き込んできた彼らが凄惨な戦争、人殺しを好んでやっているとはとてもじゃないが、いまだに信じることができない。彼らは巨大な力によって、銃を持ち引き金を引くのである。あの親しげで明るい彼らの意思では絶対ない。
戦争とは銃を持って人を殺すことであるが、銃を持つ人たちも殺されているのである。人格を亡くし人の尊厳をも見返ることがなくなってしまうのが戦争である。
そうした戦争の本質さえ論議することなく、日本の国会は憲法を無視して、安保関連法(戦争)を強行採決してしまった。”あいつら”が悪いという論理が、彼らが正当性を主張させるのであるが、あいつらにも正当性があり、際限ない戦いに陥ることになるのである。特にシリアは内戦と言いながら、アメリカとロシアそれに宗派間対立の代理戦争である。日本以外では表現されない言葉であるが、集団的自衛権の行使の典型的な例といえる。
自民党と公明党の議員は戦争がどんなものか、シリアに行って無差別に市民に飛んでくる”善良な人たち”が自衛権を主張して撃った弾丸の雨を、体験すればいい。
昼の暑さを忘れるために、夜になれば人々は外に出てくる。夜店の周りで何やらざわざわ騒いでいる。イスラム圏の男どもは、明るくおしゃべりである。どこかの国のように、グダグダと酔いに任せて愚痴を言うわけではない。女性はさすがに出てくることはないが、子供たちは宵っ張りである。大人と一緒になってそこにいて、話を聞いている。女性は家族ずれなら、外で敷物を敷いて何やら飲み食いしておしゃべりしている。
言葉が全く通じないのであったが、夜店で音楽のカセットテープをかった。数人に取り囲まれて、わいわい何やら言われていたが、お構いなく出来損ないの英語でしゃべっていたが、相手も解ってはいない。シリアでは男女が手を組んで歩くことがない。しかし、男性同士が仲良く手を繋いで歩くのを何度も見ている。こいつらオカマかと思ったものである。
多くの公衆トイレは男性の場合、つながったところで共通の溝にすることになっている。彼らはワンピースの服を腰までたくし上げて、用を足す。下着をつけているのを見たことがない。おしゃべりしながら用を足すのは、別れていないためかもしれない。兎に角彼らは明るい。そして女性は、目鼻立ちが整って例外なく美しい。
アレッポの町の中核になっているのは、2000年経つと言われているアレッポ城である。いろんな時代のお建物が混在していて、イスラム教が普及してからかなり変質したようで、綺麗なステンドグラスが印象的な複雑な形をした城だった。
中東随一と言われるモスクがあって、素足でしか入れず整理されとても美しかった。これにつながって世界一大きなスークがあった。そこで1930年代の懐中時計を買った。数人が価格交渉に加わって、楽しい一時間ほどの時間を過ごした。2万円ほどだったオメガの時計を、5000円ほどまで値切った。買った後はみんなの祝福を受けた。お前はラッキーだと言っているようだった。
イスラムでは戦争があっても、お互いのモスクは攻撃しないのが原則であった。シリアの内戦は、シリア第二の古都を真っ先に攻撃し、世界遺産になっていたアレッポ城もモスクもスークも焼き落してしまった。その後の底が見えない戦争は、悲惨を極める。
私が思い起こすのは、あれほど平和で明るかったアレッポの人々が銃を持ち人殺しに奔走し、町を破壊し、際限のない殺戮を繰り返す信じられない現実である。彼らが好んで戦をやっているとは到底思えない。
2000年以上にわたって築きあげてきたきれいな街を、好んで破壊するわけではなかろう。イスラム教が戦争を起こすとは到底信じることができない。様々な国を訪れた経験があるが、その中でもシリアは平穏で穏やかな国家の一つであった。トイレでお喋りをして、人のを覗き込んできた彼らが凄惨な戦争、人殺しを好んでやっているとはとてもじゃないが、いまだに信じることができない。彼らは巨大な力によって、銃を持ち引き金を引くのである。あの親しげで明るい彼らの意思では絶対ない。
戦争とは銃を持って人を殺すことであるが、銃を持つ人たちも殺されているのである。人格を亡くし人の尊厳をも見返ることがなくなってしまうのが戦争である。
そうした戦争の本質さえ論議することなく、日本の国会は憲法を無視して、安保関連法(戦争)を強行採決してしまった。”あいつら”が悪いという論理が、彼らが正当性を主張させるのであるが、あいつらにも正当性があり、際限ない戦いに陥ることになるのである。特にシリアは内戦と言いながら、アメリカとロシアそれに宗派間対立の代理戦争である。日本以外では表現されない言葉であるが、集団的自衛権の行使の典型的な例といえる。
自民党と公明党の議員は戦争がどんなものか、シリアに行って無差別に市民に飛んでくる”善良な人たち”が自衛権を主張して撃った弾丸の雨を、体験すればいい。