そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

安全保障と自衛あるいは報復

2014-01-19 | 安倍晋三

アフガニスタンでもイラクでも自動車に仕掛けられたり、女性や少年たちの自爆テロが際限なく繰り返される。宗派間の対立とアメリカなどのへの報復である。
「報復」テロと報じられる以上は、同類の行為があるはずである。その報復である。
昨年流行った言葉に「倍返し」というのがあった。これは報復行為である。暴力的な行為ではないのが救いであるが、受けた方は勝手に暴力まで拡大解釈するものである。
国家が行う報復は、「自衛」のためと必ず説明される。相手に対する報復、戦闘行為であるが、必ず相手が悪く自衛の行為とされる。
近代になっての戦争は、すべて自衛のためである。武器をとった国家が自らをの行為を、決して侵略とは言わない。自衛の理由がなければ、作り出す。ブッシュが、大量破壊兵器とスカッドミサイルがロンドンを狙っているので、止む無く自衛のためにフセインをやっつけた。ウソである。
共産国からの防衛のために、朝鮮戦争もベトナム戦争も行われた。共産圏の理由は、帝国主義者からの防衛である。心情的には報復と呼べるものである。
こうした自衛のために国家が準備するシステムを、安全保障と呼ぶ。安全を保障するのであるが、英語ではたんに警備(security)としか呼ばれてはいない。セコムと同じで、拡大解釈しても専守防衛と言える内容である。
安倍首相が、お友達に討論させて集団的自衛権の容認を引き出すつもりであるが、いかにもきな臭い。安倍は結論が用意された「ユーシキシャ」たちの、報告を待っている。
集団的自衛とは、
他国の戦闘行為に対する報復行為と言える。これまで多くの国が、言い訳してきた自衛のための戦闘行為を、第3国を巻き込んで、さらに拡大するのである。これは自衛の範囲を逸脱している。あえて呼ぶなら、集団的報復と言える。集団的報復権を平和憲法を持つ日本が主張するのである。
それを安全保障と呼ぶのなら、戦争への一本道へと言える。

コメント (2)
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