そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

新自由主義と決別を

2007-12-31 | 国際・政治

1980年代に、ソビエトなど社会主義国が次々と崩壊したのを受けて、サッチャー・レーガンによる資本主義の勝利が世界を市場原理へと追いやった。

社会主義の崩壊は資本主義の勝利と短絡するのが間違いであった。ソ連という歯止めのなくなったアメリカが、グローバリズムを掲げ暴走し始めたのである。世界は、何事もアメリカを軸に回転し始めたのである。

アメリカは世界の警察を自認するだけでなく、市場原理の恩典を最も受ける立場から、暴力国家として暴走し始めたのである。

民主主義と自由を標榜する暴力国家に、最近になってようやく経済成長を背景に中国やロシアが歯止め的存在になりつつある。それとて、たとえばそれぞれの国に抱える少数民族の独立運動を抑える必要から、反テロとしての動きは同調しつつあり、決定的な冷戦構造時代を再現するものではない。

その一方で、エネルギーをもつイランやベネズエラなどの中東や中南米の国々から、絶縁状をもらいつつある。

これらの国々から嫌悪されたアメリカは、冷戦以降最も暴走したブッシュは、そうした意味で正直にあるいは純粋にアメリカ的に戦場をいくつも創ったといえる。

資本主義が勝利したのかもしれないが、それは決してアダム・スミスの無計画な、市場原理主義の勝利を意味しているものではない。冷戦時代の、資本主義体制は社会主義の理念を導入することで、社会主義体制以上に社会主義的でもあった。

各種の福祉制度や年金や雇用保険など、とりわけ我が国の労働三法などは、労働者や弱者など低所得層の不満への歯止めとなり機能していたのである。社会主義体制では十分に機能しなかった、こうした体制が資本主義を根底から支えていたのである。資本主義体制が、ある意味謙虚な時代でもあった。

それを、資本主義万歳と高らかに傲慢に勝利を宣言した連中は、アメリカに追随することで、旨みを得たのである。こともあろうにこうした連中は、サッチャー・レーガンを高く評価し自らを「新自由主義」と呼ぶようになった。

我が国の、小泉・竹中路線がその最たるものである。イデオロギー的には、日本では国粋主義、アメリカではイスラエルに近い福音派として新保守主義(ネオコン)として、過激にブッシュを支えた。

市場原理から真っ先に外されたのが農業である。それに付随して、地方が疲弊し弱者が貧困層となるのである。

新自由主義や市場原理主義から脱却しない限りこの国の未来はない。2008年はそうした先駆けの年になって欲しいものである。

3刷目になった拙書を参考ください。

そりゃないよ獣医さん―酪農の現場から食と農を問う

コメント (1)
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