市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

不祥事続きの群馬銀行でトラブル・・・投信リスクの説明責任果たさず損失を顧客に押し付け

2011-09-04 20:45:00 | 国内外からのトピックス

■会員のかたから群馬銀行でまた不祥事があったという連絡が事務局にありました。9月2日付の読売新聞朝刊の群馬版に掲載されていた記事を読んで知ったのだそうです。さっそく調べたところ、なぜか、読売新聞しか掲載していませんでした。記事の内容は次の通りです。

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「投信で2億損」群銀を提訴 顧客「リスク説明なし」
 リスクの説明根氏に投資信託を勧められて購入し、財産上の損害を被ったとして、富岡市の会社役員の男性(69)が群馬銀行を相手取り、約2億3000万円の損害賠償を求める訴訟を前橋地裁高崎支部に起こした。提訴は8月4日付。
 訴状によると、男性は2007年1月、以前に投資信託を購入したことのある営業担当の男性から米金融大手の投資信託商品を勧められ、「世界各地に拠点を持っており、専門スタッフが対応するため、安心して投資できる」と説明を受けて5億円分を購入した。時価評価額の大幅下落に伴い、男性は同年10月10日、同行に解約を申し出たが、全額はできないと説明を受け、1億円の解約にとどまった。その後、約2億1000万円の損害が生じた。営業担当者から投資信託の危険性や仕組み、損失を回避する方法の説明はなかったという。
 原告側の代理人は「リスクのある商品はいらないと何度も伝えていたにもかかわらず、説明がまったくなく、説明責任を果たしていない」と話している。
 群馬銀行は「適切な金融商品の販売が行われたものと考えているが、個別事案であり、かつ係争中であるため、詳細のコメントは差し控えたい」としている。
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■いかにも群馬銀行が起こしそうな典型的な事件です。原因は同行の行員の資質にあり、そのような行員を野放しで雇用している群馬銀行の人事管理のずさんな体質にあります。

 我らが安中市には、群馬銀行の店が4か所(安中支店、原市出張所、磯部支店、松井田支店)あります。県内では、前橋市(19か所)、高崎市(18か所)、太田市(12か所)、伊勢崎市(9か所)について5番目に多いところです。

 その安中市では、1995年に市職員が群馬銀行安中支店から、公社理事長印と市長印を自在に操って作った借入証書を使って、合計48億円もの公金を引き出していました。(残りの3億円強は市・公社から横領)

 一見すれば見破れる偽造借入証書なのに、群馬銀行の安中支店長はじめ行員らは、市の職員だということですっかり安心し、盆暮れの付け届けをはじめ、行員の結婚式やゴルフにも招待し、子会社のローンでゴルフ会員権の購入も世話をするなど、こぞって、あれこれちやほやと元職員の接待に努めていたのでした。

 こうした行員らの責任を棚に上げて、群馬銀行は33億円協の損害賠償を安中市と同土地開発公社を相手取って提訴し、安中市の職員や公印の管理のずさんさを責めたのでした。その結果、和解という名目で安中市が敗訴し、総額24億5千万円という巨額の公金が、103年間にわたり、群馬銀行に支払われることになり、安中市は公社の連帯責任を取らされ、安中市民のために使われるべき公金を、毎年クリスマスの日に2000万円ずつ群銀に貢いでいます。

■その後も、行員による横領や不祥事件はあとをたちません。2004年1月~3月にかけて伊勢崎北支店で、支店長代理が3人の顧客の預金通帳から「投資信託用の口座を作るため」などとして、通帳と印鑑を詐取して現金を払い戻し、計1000万円を横領しました。このときは、顧客の苦情から不正が発覚しましたが、2004年5月までに全額を返済した、犯意を否定した、確たる証拠がないなどとして、同行は一旦行員の告訴を見送りましたが、後日、着服額が計1100万円に上り、着服したままの100万円分を告訴しました。

 このほか、前年の2003年には群馬銀行栃木支店で約8千万円の預金着服が発覚しており、上記を含め2004~05年にかけても顧客のカネの着服事件が合計4件発覚しました。そのため、2005年6月17日、関東財務局は、群馬銀行に対して、預金着服などの不祥事が多発したことを受けて、法令順守についての経営姿勢の明確化や不祥事再発防止の徹底などを求める業務改善命令を出しました。

 その後も支店長代理が顧客の預金を着服して業務上横領で逮捕されたり、昨年5月にはとうとう職場のストレス発散のため東京のゲイバーに通っていた部長クラスの職員が、覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまいました。

■ところが、群馬銀行は、これまでも不祥事を起こしながら、ホームページでは報告、謝罪をしてきませんでした。今回の投信ファンドで顧客に説明責任を果たさずに2億円強の損失をそのまま押し付けた事件でも、自ら公表するという姿勢は見えません。

 その言い訳として、同行は、個人の問題だから、と言うのでしょう。着服事件の場合には、群銀に限らず、金融機関の場合「着服金を返済したから」という言い訳が良くつかわれます。

■先日の群馬県信用組合(本部・安中市原市)の場合は、顧客に融資したカネの証文を、顧客が実際に返却したにもかかわらず、きちんと作成せずに着服し、あらためて証文を偽造し、二重、三重に返済を迫っている事件でした。

 そのため、怒った被害者が訴訟を立ち上げたのですが、同信組は弁護士を雇い、平気で法廷でウソをつき、証拠として偽造書類を提出するなど、なりふりかまわず着服職員や上司を庇いました。その後、別件で顧客から指摘されて着服がばれましたが、既に自主退職した着服職員に退職金まで支払っていたケースもあります。ちなみに群馬県信用組合の松井誠理事長は、1995年5月18日に発覚した安中市土地開発公社の51億円巨額詐欺横領事件で、群馬銀行安中支店の支店長をしていた人物です。

 銀行など金融機関で行員の着服等の不祥事が発覚すると、銀行は犯人の行員を総務部付などにして、被害者からはもとより、一般の顧客や同僚からも隔離します。そして、その動静は一切、外部には漏らさないようにして、ひたすら事件が風化するのを待つのです。

■今回の事件の報道も、読売新聞だけが報じているだけです。もちろん、群馬銀行のホームページに係争中の事件のことは出すはずがありません。

 読売の新聞記事を良く見ると、投信営業担当職員がリスク説明もせずに顧客の高利回りの安定商品という触れ込みで投信ファンドを強引に勧めたのが原因のようです。2007年1月に投信を交わされ、同年10月までに大幅下落したということなので、2008年10月に起きたリーマンショックとは関係なかったと思われます。

 その時に解約しておけば、その後のリーマンショックなどによって加算されたさらなる巨額損失は回避できたという無念の思いが被害者にあったのでしょう。

■記事に「米金融大手」という表現があることから、この投信商品を企画販売しているのは、JPモルガン・チェース、ウェルズ・ファーゴ、シティグループ、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス、バンク・オブ・アメリカの米金融大手6社のうちのどれかということになります。

■群馬銀行のホームページには、投資信託商品の紹介が掲載されています。
「投資信託」http://www.gunmabank.co.jp/kojin/unyo/fund/ 
「投資ファンドの一覧」https://www.wam.abic.co.jp/ap01/WAM

 これには過去3年間の運用実績も載っていますが、米大手金融扱いの商品がいくつかあります。(数字は3年間の累積リターン)

 国際株式:JPモルガン BRICS5/ファンド -12.93
 国際債券:DIAM ドルマネーファンド -28.50
 国際債券:フランクリン・テンプルトン米国政府証券ファンド<メイフラワー号> -13.25
 不動産投信:ネット専用 GS米国REITファンド<コロンブスの卵>Aコース(毎月分配型、為替ヘッジあり) -8.69
 不動産投信:同Bコース)毎月分配型、為替ヘッジなし) -36.47

 実際に、群銀の行員がどの商品を買わせたのかは不詳ですが、GS(ゴールドマン・サックス)の不動産投信は3年間の累積リターン(この場合はリターンでなく、ロスになる)は-36.47%。つまり5億円で購入した商品が、3.1765億円まで目減りすることになります。

■一方、群馬銀行の投資信託のホームページには、次のような記載があります。

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<投資信託の賢い投資方法>
1 いくつかのファンドをバランスよく購入(資産分散)
投資信託自身が、多種類の株式や債券などに分散投資していますが、購入するファンドを分散することによって、さらにリスクを抑えることが可能となります。また、その場合は投資対象が似たものよりも異なったファンド同士を組み合わせた方がより効果的です。
2 時間を分散して購入(時間分散)
一度にすべての資金で購入するのではなく、同じファンドでも時期をずらして購入することにより、購入価格を平準化することができます。
3 中長期保有
ファンドの価格変動は、投資期間が長期になるほどならされてきます。 比較的長い間運用可能な資金で、長期間保有することをおすすめします
<収益分配金に係る源泉徴収税率>
平成23年12月末までは10%(所得税7%、住民税3%)
平成24年1月からは20%(所得税15%、住民税5%)
<証券税制と特定口座に関するご留意事項>
特定口座のお申込みに関する最終的な判断は、お客さまご自身で決定していただきますようお願いします。
本ページは、「証券税制」および「特定口座」に係る制度的な概要を説明するためのものであり、投資勧誘を目的とするものではありません。
本ページは、信頼できると考えられる情報に基づいて作成していますが、内容の正確性や完全性を保証するものではありません。
本ページは、平成21年9月末時点で公布されている税法に基づき作成しています。今後の税制改正等により、内容が変わることがあります。
具体的な税務上の取扱い等につきましては、税理士や税務署等にご相談ください。
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 こうした注意事項を、きちんと顧客に説明したのかどうか、また、顧客からの解約依頼に対して、どのような説明をして解約に応じなかったのか、裁判の席で明らかになることが期待されますが、群馬県信用組合のケースでは、前述のように、金融機関は平気で偽造書類を作成して、高額報酬で雇った顧問弁護士を付けてくるため、銀行の内部資料や規則の入手や事情を知ることのできない一般顧客が、銀行が出してくるそのような証拠書類を、ウソだ、と証明する術がありません。また、裁判所も一般市民の主張に親身に耳を傾ける姿勢に乏しいのが気になります。この意味では、医療過誤の裁判にも共通しています。

 群馬銀行は、頭取の椅子を、日銀の天下りと群銀プロパーの交互でたらいまわしをしています。元頭取の吉田恭三前会長(高崎高・早大卒)は、2003年6月に頭取職を日銀出身の四方弘副頭取(東大卒)に譲りました。今年5月13日に齊藤一雄専務(新潟大卒)が6月に頭取に昇格する人事を発表され、6月24日の株主総会後の取締役会で正式に決定されました。

■もともと、地元の地方銀行として堅実な経営をしていた群馬銀行は、かつては群馬銀行に勤務しているというだけで、信頼の厚い人物だというイメージがついていました。しかし、バブルを経て、金融自由化後、銀行が証券業務に進出してからは、金融マンも普通の人になり、なかにはドロボーになる人物も含まれるようになりました。

 今回は、読売新聞しか、この事件を奉じておらず、群銀には記者会見をする気配がありません。裁判でも、高額な報酬を払っている顧問弁護士団に丸投げして、絶対勝訴を目指し、顧客に被害を与えたとされる職員のことは秘匿するに違いありません。また、群銀に、再発防止を願うのは無理だと思われます。

 被害にあわれた顧客のかたには、ぜひ裁判を通じて、群銀の体質を改めるような経過と結果を期待しています。

【ひらく会情報部】

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タゴが隠し通したお宝絵画等6点を岡田市長にこれ以上死蔵させないよう東京高裁に控訴

2011-09-03 12:34:00 | 土地開発公社51億円横領事件
■安中市土地開発公社を舞台に15年間も同一職場に配置されていた市職員が、ずさんな公金管理に目をつけて、長年に亘り公金を横領し、とうとう51億円を越える史上最大の横領事件となりましたが、事件発覚から16年4ヶ月が経過しようとしています。


控訴状に添付した甲第11号証のP1。
 当会では、事件発覚直後から、市民の英知を集めて、この史上稀に見ぬ大事件の真相解明に尽力してきました。その結果、市役所ぐるみの犯罪であることが分かりましたが、警察もその真相の実態が分かるにつれて腰が引けはじめ、容疑者側もそれまでカネをばら撒いてきた効果を最大限利用し、県内でも警察や検察に顔の聞く弁護士らを政治家たちから紹介されて、万全の防御を固めたのでした。

 その結果、当初は共犯と目されていた上司や、地元の金融機関にいた友人もお咎めを受けることなく、容疑者として元職員1名だけの単独犯行に仕立て上げられたのでした。

■元職員のタゴは、巨額の横領金の使い道を工夫し、親友の金融機関(当時の甘楽信金、現・しののめ信金)に勤める石原保(富岡市内在住)が、たまたま古物商の免許を持っていたことから、美術館計画を二人で考え出し、そのための陳列品の調達という名目で、県内外から古美術を買いあさり始めました。

 もちろん、タゴが直接買いまくったわけではなく、古物商の免許を持っている石原が、知り合いの骨董商や、近場で有名な古美術商と連絡をとって、骨董品を持ってこさせて、それをタゴの自宅に持ち込んで、二人で吟味しながら、合計900点近い骨董品を買い集めたのでした。

 タゴは群馬銀行に設けた安中市と地開発公社特別会計口座に、公舎の理事長印と市長印を駆使して偽造した借入証書で、毎年、群馬銀行から数億円単位でカネを振り込ませていました。口座の残高が余り高くなると、疑われるので、それを避ける為、毎週、群馬銀行の安中支店に赴き、袋に1千万円単位の札束を行員に詰めさせて、堂々と出入りしていました。

 1年に数億円ですから、毎日100万円以上使わなければなりません。ギャンブルやキャバレーで遊ぶと目立ちますので、骨董品の収集とは、よいところに目をつけたものです。

■美術館建設という触れ込みで買いあさっていたタゴとその親友は、平成7年(1995年)5月18日に事件が発覚したあと、いずれ警察の捜索を受けることになる為、集めた古美術品や骨董品のなかから目ぼしいものを選んで、隠しておこうと画策しました。

 警察の捜査が始まり、国道18号線沿いに妻のために横領金で作った喫茶店の裏手に作ってあった骨董品を入れておいた倉庫から、絵画等6点を持ち出し、親友が預かっておくことになりました。

 この親友は古物商の免許をもっており、父親も同じ職場の地元金融機関の住み込み用務員のようなことをやっていたので、絵画等6点はそうしたところでこっそり保管されていた可能性があります。

 事件が公になり、警察が、栃木県足利市島田町の古美術商「一品堂」の店主の小貫達を連れて、タゴの骨董倉庫を捜査したときは、既に絵画等6点はありませんでした。足利市の一品堂は、「タゴとは面識がなく、いつもタゴの親友の石原保に売り渡した商品は全て記録してあり、それらを全部警察に提出した」と証言していることから、タゴの親友の石原は別のルートから絵画等6点を購入した可能性があります。事実、一品堂は古伊万里や鍋島などの品揃えを得意としていたので、写楽をはじめ、江戸末期から近世に至る絵画等6点は、別の業者から仕入れた可能性があります。

■警察がタゴ骨董倉庫に足を踏み入れたときには、絵画等6点はもうありませんでした。警察は残された骨董品や古美術品の一覧リストを作成しましたが、まもなく安中市と公社と群馬銀行がそれぞれ委任した弁護士が集まって、さっさと換金してしまいました。900点近い骨董品を東京でオークションにかけて叩き売ったのですが、全部で4億円にも満たない結果となりました。

 警察は当然、タゴはもとより、親友の石原にも事情聴取をしましたが、それらの調書を裁判で送付嘱託して入手しようと裁判所に掛け合っても、これまで全て拒否されました。また、一品堂の小貫も言っているように、警察は「石原」の関与について他言無用として、事件関係者らに、当時、緘口令を敷いていました。

■警察の捜査資料を見ると、51億円の横領金の使途のうち、最大の骨董品・古美術品について、その購入額と販売額に大きな相違があることが分かります。

 購入額について、タゴは「足利市の一品堂から400点くらいのものを、10~12億円くらい買った」と供述しています。これはウソの供述で、実際には、親友の石原が買ったのです。

一方、一品堂の小貫は、「平成3年から、最後は、事件発覚の8日前の平成7年5月10日まで、平成3年は約5000万円、平成4年は約1億円、平成5年は9557万円、平成6年は9800万円、平成7年は4931万円。合計約4億円足らず」と警察に供述しています。ところが、警察では一品堂がタゴの親友に販売した金額の総計を約4億5000万円になる、として約5000万円水増ししています。

 次に、タゴの供述によると、「前橋市の佐藤から、1600万円くらい買った」と言っています。一方、前橋市駒形町の古美術仏法僧の運営者の佐藤洋一は「平成元年から2年にかけて刀剣・絵画等12点を合計810万円くらいで売った」と供述しています。ここでも、タゴの供述は、古美術店主の話より、790万円ほど水ぶくれしています。

 また、タゴは「館林市の小林紀一から、1300万円くらい買った」と供述しています。一方、館林市近藤町で美光会を主催する小林は、「平成2年に、鍋島の皿1個。掛け軸1軸1000万円、ダイヤモンドの裸石3個、七寸皿1皿を1000万円くらい売った」と警察に説明しています。タゴの供述のほうが約300万円多くなっています。

 こうして、警察がタゴの供述を合計して算出した合計は18億4496万5030円となり、警察が捜査で供述者らを取り調べて分かった総額13億0311万4946円に比べると5億円以上差があります。さらに、上述のように、単純に足し算しても、約5000万円違うことが分かります。すると、この事件で使途不明金は約15億円になります。

■事件から15年経過した昨年4月の市長選挙でめでたく2期目の当選を果たした後、まもなく、岡田市長のところに、タゴの妻から電話がありました。「タゴが捕まる前に、富岡市在住のタゴの親友に預かってもらっていた絵画等6点が返却されたので、公社の損害補填に使ってほしい」という趣旨の電話でした。

 通常であれば、「なぜ警察に分からなかったのだろう」と首を傾げるところですが、岡田市長をはじめ市の幹部はそのように思わなかったようです。タゴの妻が「タゴの親友にあずけていたものだが、本物かどうか分からない」と言ったのに、早速引き取ることに決めたのでした。

 こうして、かつて市職員だったタゴが、家から歩いて1分足らずのところにある甘楽信金安中支店に勤務していた親友に、美術館を作るという名目で、横領金を使って購入した本物かどうか分からない絵画等6点について、どんな図柄なのか、知りたいという市民は少なくないと思います。

 そこで、さっそく、当会が岡田市長に、安中市情報公開条例に基づいて、情報開示請求(安中市の場合は行政文書開示請求という)を行ったところ、岡田市長が安中市土地開発公社の岡田理事長に「市民が見たがっているので見せてやってほしい」と依頼したところ、岡田理事長が「公社の経営に支障があるので市民には見せられません」と返事したという理由で、「安中市には、市職員だったタゴが入手した絵画等6点は、現在、公社が持っているので、図柄の情報がないため、図柄を開示できない」として不公開としたのです。

 このような屁理屈では到底納得できない為、さっそく、異議申立を岡田市長にしたところ、安中市情報開示審査会に諮問されて審議された結果、「図柄くらい見せてやっても良いのでは」というコメントもあったのに、最初と同じ理由で開示が拒否されたのでした。

■そこで、やむを得ず、裁判の場できちんと審理をしてもらうため、平成23年6月13日に、岡田市長を相手取り、前橋地裁に公文書不公開処分取消請求を行ったのです。

 その前に、タゴの骨董品のオークションで世話になった中島誠之助氏が出演する「なんでも鑑定団」が安中で公開録画をするというので、岡田市長に出品を促しましたが、全く反応がありませんでした。そこで、当会が応募しようとしましたが、応募用紙を見ると、鑑定してもらいたい出品物の写真を添付する欄があったので、「市長対話の日」に岡田市長に写真の提供を再度要請しましたが、またもや拒否された、という経緯もありました。

 そして、平成23年7月20日に前橋地裁で第1回口頭弁論が行われましたが、内藤裁判長は双方の主張が出尽くしたとして、即日結審し、8月17日に判決文を郵送すると明言しました。判決文は、実際には8月19日に特別送達郵便で届けられましたが、判決結果は予想されたとおり、「原告の当会の請求を棄却する」とあり、安中市の岡田市長の主張を100%勘案し、当会の主張は100%無視した結果となっています。

 安中市の職員だったタゴが職務上、手に入れた絵画等6点だから、当然開示しなければならない、という当会の主張には全く耳を傾けてもらえませんでした。

■この51億円事件にアレルギーとなっている前橋地裁では、門前払い判決しか出ないため、東京高裁に控訴すべきかどうか、当会ではずっと迷ってきましたが、やはりきちんと高裁で審議してもらうことが、当会の目指す51億円事件の真相解明に資することだと、思いをあらたにしつつ平成23年9月2日、前橋地裁で、東京高裁宛の控訴状を提出しました。

 次に控訴状の内容をご紹介します。

**********
           控 訴 状
                      平成23年9月2日
東京高等裁判所民事部 御中
               控訴人    小川 賢 ㊞

      〒379-0114群馬県安中市野殿980番地
            控訴人    小川 賢
      〒379-0192群馬県安中市安中一丁目23-13
            被控訴人 安中市長 岡田義弘

公文書不公開処分取消請求控訴事件
 訴訟物の価格 160万0000円(算定不能)
 貼用印紙額   1万9500円
 予納郵券      6000円

           請求の趣旨

上記当事者間の前橋地方裁判所平成23年(行ウ)第10号公文書不公開処分取消請求事件につき、平成23年8月17日判決の言渡しがあり、控訴人は、平成23年8月19日判決正本の送達を受けたが、上記判決は全部不服であるから、控訴する。

           原判決の表示

1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

           控訴の趣旨

1 原判決を取り消す。
2 訴訟費用は、第1審、第2審を通じて、被控訴人の負担とする。

           控訴理由

第1 原判決の判示
 原判決は、「上記認定にかんがみれば,安中市長が本件文書を保有していないことは明らかであって,被告(安中市長)について本件文書は不存在であるといわざるを得ない。本条例24条2項は,実施機関(安中市長)が保有していないものの,一定の条件を満たす法人が保有する情報について,当該法人に対して当該情報を実施機関に提出するよう求めることができるとしているが,この規定は,当該法人に対して情報提出に関し任意の協力を求めることができる旨を定めたものであって,情報の提供について強制力はないから,当該法人の任意の協力が得られない以上,実施機関について文書(情報)が存在しないのは,やむを得ないところである。」として、「安中市長が本件文書を単に保有していないという理由から、不存在なのはやむをえない」旨判示した。(5頁)

第2 安中市情報公開条例(以下「条例」という。)2条2項を無視した原判決の誤り
 第一審原告は、「本件文書が情報として示す絵画等6点は、公社の経理を兼務していた被告の元職員が巨額の詐欺横領事件を起こし、その損害賠償の支払として、元職員の妻が公社に差し入れたとされるものである。この事件に関しては、元職員に騙されて融資を実行した群馬銀行が、公社とその経営母体の被告に対し民事訴訟を提起したところ、平成10年12月に和解が成立したが、公社と被告が巨額の和解金を最長103年の期間にわたって支払うという内容になっている。」と経緯を説明した上で、「元職員は懲戒免職前に上記の絵画等6点を取得したから、その情報を示した本件文書は条例2条2項が定める文書、図画及び電磁的記録に該当する」と主張した。(4頁)
 ところが、原判決は、第一審被告が「本件文書を単に保有していないという理由」だけを考慮して、「不存在はやむをえない」と勝手に決め付けたのである。(5頁)
 さて、原判決で、前橋地裁は、その判断の決め手として「本条例24条2項は、実施機関(安中市長)が保有していないものの、一定の条件を満たす法人が保有する情報について、当該法人に対して当該情報を実施機関に提出するよう求めることができるとしているが、この規程は、当該法人に対して情報提供に関し任意の協力を求めることができる旨を定めたものであって、情報の提供について強制力はないから、当該法人の任意の協力が得られない以上、実施機関について文書(情報)が存在しないのはやむを得ないところである」として、「不存在」にくわえて、「任意の協力が得られない以上、やむをえない」などと、ことさらに第一審被告の立場を擁護した判断をしている。事の本質を全く見極めようとしない異常な判断だ。
 第一審原告は、ここであらためて、「元職員は懲戒免職前に上記の絵画等6点を取得したから、その情報を示した本件文書は条例2条2項が定める文書、図画及び電磁的記録に該当する」との主張を述べるので、裁判所の正しい判断をお願いするものである。

第3 絵画等6点は元職員が在職中に入手した行政文書
 条例2条2項は、「条例において『行政文書』とは、実施機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該実施機関の職員が組織的に用いるものとして、当該実施機関が保有しているものをいう。」と定める。
 第一審原告は、本件開示請求情報は、条例第2条に定めた「実施機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう)資料に該当する、と主張した、その理由は、本件文書はもともと、元職員が、懲戒免職になる前に取得した図画であるからだ。
 今回、本件文書の絵画等6点を知人に預けていたことが明らかになった元職員は、平成7年5月17ないし18日に巨額詐欺横領事件が公社内部で発覚するまで、公社職員の立場で、「美術館を作りたい」などとして、大量の骨董品や古美術品類の買い付けを古物商を介して行っていたことは、警察の捜査資料から明らかである。(甲11号)
 また、元職員が懲戒免職処分を受けたのは平成7年5月31日であり、当時の安中市長小川勝寿が警察に被害について相談したのが同年6月2日午前であり、同日午後に元職員が警察に出頭し、取調べが始まり、同月7日に逮捕に至ったことから、元職員が、本件文書を知人に預けたのは、平成7年5月31日の懲戒免職日かそれ以前である可能性が極めて高い。そうであれば、公務員の身分を依然として残したまま、本件文書を知人に渡したことになる。
 しかし、元職員が、懲戒免職を通告された平成7年5月31日の夜から、安中警察署に出頭した同年6月2日午後の2日足らずの間に、知人に預けた可能性もゼロではない。だが、知人に預けた時期に関わらず、元職員が懲戒免職になる相当前から本件文書を、美術館建設のためだ、などと言って職員の立場で買いあさっていたことから、「実施機関の職員が職務上取得した文書、図画」であることに間違いない。
 したがって、そのビジュアル情報も当然開示対象となるはずだ。
 原判決では、安中市長である第一審被告が「保有していない」と言うことを真に受けているが、実際には、既に16年前に実施機関の職員が保有していたのである。しかも、この16年間、本来、安中市が保有すべきものであるのに、元職員が懲戒免職後も隠し持って、しかも、古物商の免許を持つ富岡市在住の元甘楽信用金庫(現在のしののめ信用金庫)職員だった友人に預けていたものである。もともと安中市の公金で購入したものであるから、本件文書は当然、行政文書のはずだ。
 ところで、第一審被告は、かつて安中市土地開発公社の理事や監事として公社の経営に深くかかわり、公社の金庫番として経理を15年間も担当していた元職員とは昵懇の関係であった。現在、元職員は藤岡市内に在住しているが、そのことを、第一審被告は良く知っているにもかかわらず、否定している。また、51億円事件の真相についても、第一審被告は全く語ろうとしない。
 疑問なのは、元職員が職員時代に買い集めた本件文書なのに、なぜ警察の苛烈な捜査でも発見されなかったのか、ということである。51億円事件が発覚したのは平成7年5月17日あるいは18日とされているが、元職員が懲戒免職となったのは同年5月31日であり、その間、約2週間の期間があった。元職員は、この期間内にいろいろ不透明な動きをしており、安中市役所でも、元職員と一緒にマージャンをしたり、競馬に行ったり、あるいは元職員から骨董品をもらったり、スナックのツケを肩代わりしてもらったりする輩がいたことから、この事件発覚直後は、連日連夜、てんやわんやだった。
 ところが不思議なことに、平成7年11月の出直し市長選で市民団体候補が敗れた直後に、警察は捜査の終結を市民団体に報告してきたのだった。その時、警察は市民団体に向かって「いろいろ情報提供をしていただいたが、調べた結果、元職員の単独犯行と言う形となった。いろいろ事件の枝葉はあったが、幹を切るだけが精いっぱいで、あとは手がつけられなかった」という趣旨の話をしていった。
 もともと、安中市民の公金で購入された本件文書は、市民の財産であり、すでに51億円事件は刑事時効を過ぎていることから、開示の支障になるような状況にはない。元職員の妻を通じて、元職員が公社に本件文書を返却してきたからといって、もともとこの絵画等6点は安中市の所有物であるはずだ。にもかかわらず、元職員の第一審被告が、「公社として元職員からもらったであり、安中市がもらったものではない。安中市が公社に頼んでも譲ってくれないのだから、安中市が保有しているのではないので、行政文書の対象ではない」などと屁理屈をこねても、それが前橋地裁では通用するのだから驚きだ。
 また、第一審被告は公社時代の旧知の仲だった元職員を、こうしていまだに庇おうとする態度をとり続けている。この背景には、よほど特別な関係と理由があるに違いない。
 よって、一刻も早く、安中市民の財産である行政文書でもある本件文書のビジュアル情報を開示するように、原判決を取り消してもらいたい。
                       以上
**********

■この他に、証拠として甲11号証を提出しました。

**********
公文書不公開処分取消請求控訴事件
控訴人(第一審原告)  小川 賢
被控訴人(第一審被告) 安中市長 岡田義弘
証 拠 説 明 書
                    平成23年9月2日
東京高等裁判所民事部 御中
                    控訴人    小川 賢 ㊞

号証:甲11
標目;有印公文書偽造・同行使。有印公文書変造・同行使・詐欺被疑事件に関する不正取得金の使途先の捜査結果について(写し)
作成月日:平成7年11月15日
作成者:中川伸、大須賀登
立証趣旨:元市職員が平成7年5月31日付懲戒免職になる前に、本件文書である絵画等6点を取得した事実等。不正取得金の使途先一覧表NO.1の1~3項の「骨董品・古美術品の購入」欄に、本件文書が含まれている。
**********

■東京高裁がきちんとこの史上最大級の横領事件の真相解明をめざす安中市民の気持ちを汲んで、絵画等6点の図柄情報を開示してくれることを期待したいと思います。東京高裁から連絡があれば、皆様に報告します。

【ひらく会事務局】

控訴状に添付した甲第11号証のP2。


控訴状に添付した甲第11号証のP3。


控訴状に添付した甲第11号証のP4。


控訴状に添付した甲第11号証のP5。


控訴状に添付した甲第11号証のP6。


控訴状に添付した甲第11号証のP7。


控訴状に添付した甲第11号証のP8。


控訴状に添付した甲第11号証のP9。


控訴状に添付した甲第11号証のP10。


控訴状に添付した甲第11号証のP11。


控訴状に添付した甲第11号証のP12。


控訴状に添付した甲第11号証のP13。

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港湾都市ナホトカの過ぎゆく短い夏の日(その4)

2011-09-01 22:21:00 | 国内外からのトピックス
■ナホトカ市内には日本人墓地があります。第二次世界大戦終結直前の8月9日に対日参戦したソ連は、8月15日の終戦後も8月下旬から9月初めまで戦闘行為を継続しました。ロシアは第2次大戦の終戦日は、米国戦艦ミズーリ号で降伏調印式が行われた9月2日だと主張しています。


ナホトカ港を見渡す丘にたつ戦没者祈念塔前で記念写真を撮る新婚カップル。夏場の週末は新婚カップルのシーズンだ。

 そして終戦から翌46年の夏頃までの間に、満州、北朝鮮、南樺太、千島に駐留していた旧日本人の軍人約65万人や民間人約40万人の合計105万人は旧ソ連、モンゴルに約1200カ所点在していた収容所に抑留され、約10年に亘り土木建築や鉄道建設、炭坑作業等の重労働を課せられました。抑留中に労役、病気、寒さ等の厳しい状況の中、多くの日本人が犠牲になりました。その数は6万人とも35万人とも言われています。

 ナホトカ市の日本人墓地では、2004年6月から同年9月まで4回に亘り日本政府が遺骨収集作業を行い、524柱を収集しています。同地区には石碑が建立されています。実際に場所を訪ねてみましたが、ナホトカ市民に場所を聞くと、一般の人はあまり知っていませんでしたが、近くに住む人はよく知っていました。場所は市の南部の高台にありますが、遺骨収集後はあまり管理が行き届いていない様子で、背丈ほどもある夏草が周囲を覆っています。鉄柵で囲まれた石碑の後ろ側には日本国政府により1972年7月に建立されたことが記されていました。ナホトカ湾にそって南に下る目抜き通りを進み、左に90度曲がる交差点の2つ手前にあるセニヤービン通りを700mくらい上った右側の建築中の家の前の草むらの奥の樅の木の下にあります。

 戦後65年を経過して、一般に、現在のナホトカ市民の日本への関心度は相当高く、レストランの名前にも日本語の名前を付けたり、スーパーの食品売り場には、日本製ビールや食品を沢山見かけます。自動車は、ウラジオストク同様、走っている自動車の95%は日本車です。しかもその大半は右ハンドルです。


牛の散歩で一時停止。ロシアの道路は冬は凍結、夏場は泥濘や冠水、そして凸凹という条件のため、四輪駆動車の人気が高い。写真は一番人気のトヨタのランドクルーザー(ランクル)。一方、三菱はロシアでは故障が多発するのだとか。理由を聞くとGDIとよばれる直噴エンジンだという。ロシアのガソリンは精製度がよくないので、直噴ノズルが詰まりやすいのだという。


ロシア製の車は外国車に比べると価格が安いが、乗り心地は比較にならない。

■ナホトカ市では、極東国立総合大学ナホトカ分校、国立ウラジオストク経済サービス大学ナホトカ分校をはじめとする教育機関で約120名(2008年11月現在)が日本語を学習しているそうです。


ナホトカの入口のT字交差点にある女神像。

 娯楽施設としては、ナホトカでもご多聞にもれずコンサート・ホール、映画館、ボーリング場、テニス・コート等があります。でも、やはり市民にとっては夏はアウトドアライフです。魚釣り、郊外の別荘(ダーチャ)での野菜作り、海水浴、キャンプ等、豊かな自然の中で過ごすことが主な娯楽となっており、夏場は彼らにとってベストシーズンです。


ナホトカ市内随一のボーリング場「TSUNAMI」。東日本大震災を契機に命名したのではなく、以前からこの名前だったとか。中にレストランもあり、日本食もメニューにある。

■ソ連崩壊後、ロシア経済社会は混乱の極みを経験しましたが、その後、石油ブームにのって、市民の生活程度は格段に良くなりました。光熱費や住居費が安いこともあり、夫婦共稼ぎなら、可処分所得は結構な金額になります。また、ソ連時代の遺産として、ほとんどの世帯が郊外にダーチャという土地付きロッジを所有しており、冬季以外の週末は、そこで農産物の栽培やレクリエーションを楽しんでいます。

 一方、ソ連時代の負の遺産としては、マフィアの存在があります。今回、取材に同行したレンタカーの運転手によると、「以前、ウラジオストクでも有名だった日本食レストランで働いていたが、オーナーがマフィアとのトラブルで居なくなって廃業を余儀なくされ、自分はコックだったが失業して、今の職に移った」というくらい、市民生活の中にマフィアの影が影響を及ぼしているのは事実のようです。


ナホトカ市民に人気の日本食レストラン「SAMURAI」。味はさほど問題ない。ロシア人の好む照り焼きソースが味付けの定番。

曜日で日替わりのランチメニュー。230ルーブル(約690円)。

ランチに付いてきた海苔巻セット。ワサビの量に注目!


ロシア料理なら、ホテルPiramide(ピラミッド)の1階にあるレストランPlamide。少し高いが、料理の味は太鼓判。なのになぜかガラガラだった。

 ショバ代や自動車泥棒、違法な輸出入(例えば花咲港でのロシア産のカニの取引き)など、役人を買収して営業許可を取得したり、国の事業を受注したり、巨大産業の民営化で甘い汁を吸ったりします。

 そして、通常の市民が悩まされるのがこのマフィア的な価値観の広がりです。通常、我々旅行者や一般市民がマフィア同士の抗争に巻き込まれることはほとんどありません。しかし不正行為にはときどき出くわせます。ロシアでの諸手続ではいろいろな関係する法律が頻繁に引用されますが、実際には袖の下で、“ウルトラC”が可能なのです。

■今回、ナホトカに行く途中、突然乗っている車の後ろについたパトカーがサイレンを鳴らして、停車を命じてきました。一瞬、パスポートチェックかと思いきや、停車した車に警察官がやってきて何やら話すと、車の登録証か何かの紙切れをもって運転手が後ろのパトカーに行き、10分くらい半紙をしていました。

 やがて戻ってきたので「いったいどうしたんだ」と訊くと、「後で話す」といって、財布から1000ルーブル(約3000円)を取り出し、再び後ろのパトカーに行きました。戻ってきてドアを閉めてエンジンをかけ、車でしばらく運転してから、落ち着いた様子になると運転手が口を開きました。「よくあることさ。連中は理由もなく呼びとめてワイロを要求するんだ」


1000ルピーをせしめて我々を追い越していったパトカー。

 運転手いわく、「こうしたことはしょっちゅうある」のだそうです。警察に停車を命じられ、違反をとがめられますが、ほとんどがいいがかりで、2000円から5000円の賄賂が目当てなのだとか。

 日本の警察官にはこのような行為をするものは殆どいませんが、そのかわり、ネズミ捕りはロシアより熱心です。また、警官によるワイロ要求のかわりに、組織的な裏金づくりが行われており、体質的にはどっちにも共通性があるといえるでしょう。

■ロシア人が日本人をうらやましいと思っていることの一つに、「先祖代々の家系」だとか「先祖代々の住居」があります。日本では、菩提寺にいけば過去帳が見られるし、田舎であれば墓地に行くと数世代前の先祖の墓で確認できます。

 ところが、ロシアの場合は、ソ連時代に共産主義思想にじゃまな宗教の弾圧があり、ロシア正教の活動は禁止されていました。また、居住の自由も奪われ、国家の都合で、家族が離れ離れになったり、ふるさとを離れて流浪の人生を歩まされました。そのため、先祖代々を遡れる環境にある日本人がうらやましいと感じる人がたくさんいます。また、先祖代々が済み続けている古民家にも憧れがあるそうです。


ナホトカの港を見下ろす丘の上に立つロシア正教のフラム・カザイスカヤ・ボージャ・マーチ(カザンの聖母教会)。

【ひらく会情報部海外取材班・この項おわり】

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