■群馬高専の西尾典眞(にしお よしちか)前校長は、その4年間にわたる任期において、アカデミックハラスメント事件や寮生連続不審死事件、そしてそれらに対する悪辣な対応の数々など、列挙するとキリが無いほどのありとあらゆる災禍を、学内外に撒き散らしました。その挙句、後始末と責任を後任の山崎現校長に押し付けて、今年3月末に校長職を辞し出向元の文部科学省に逃げ戻っていったことは既に当会のブログでご報告したとおりです。
↑西尾典眞前校長が文科省を平成25年3月31日に辞職したときの人事異動通知書。↑
↑西尾典眞前校長が文科省に平成29年4月1日に再度採用されたときの人事異動通知書。↑
以後、西尾前校長のその後の動向、そして人間性に問題のある彼のような人物を校長に据えてしまった文科省から高専機構への「出向」の実態について探るべく、市民オンブズマン群馬では多方面から調査と情報開示請求を行ってきていました。
そして調査の結果、校長の交代劇から半年が経過した現時点で、大きく次の2つのことがわかりました。
〇2017年10月19日:アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…文科省開示文書から紐解く西尾前校長の群馬高専就任と離任の顛末↓
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2442.html
その1
西尾前校長の現在の文科省での役職名は「高等教育局国立大学法人支援課国立大学運営調査分析官」であること。
その2
文科省から高専機構への「出向」は、文科省の籍を消して行われる無期限のものであり、事実上の移籍であるということ。
■では、得られたこれらの情報をひとつひとつ検討してみましょう。
西尾典眞氏の現在の職名である「国立大学運営調査分析官」を見て最初にオヤッと思うのが、明らかに管理職ではないポストに就いている、という点です。
ではこのポストが一体どのようなものであるのか、それを示す参考となる報道記事があります。
**********J-CASTニュース 2013/9/25 19:04
https://www.j-cast.com/2013/09/25184639.html
「不当降格」訴訟のキャリア官僚 推定年収「800万円」は民間より恵まれていないか
農林水産省の男性キャリア官僚(57)が、管理職を外され「専門スタッフ職」への異動となったことを不服として、国を提訴した。
男性官僚はこの人事を「民間の判例をみても不利益」な不当降格だと主張し、異動の取り消しや人事制度そのものの見直しなどを求めているという。この「専門スタッフ職」、そこまでに酷なものなのだろうか。
★「天下り」削減のため2008年度に導入
課の同僚たちから、遠く離れたフロアの一角にその個室はある。入省30年あまり、農政一筋に勤しんできた男性に与えられたのがこの職場だ。働くのは自分1人しかいない。国の不当を訴えながら、男性は黙々と、調査研究の仕事を続ける――
朝日新聞は2013年9月25日付朝刊で、そんなベテラン官僚の姿を報じた。
記事によれば、男性官僚は1980年に東大法学部を卒業して入省、本省課長などを歴任してきたが、2011年1月、非管理職の「政策情報分析官」への異動を命じられたという。
これは、「天下り」防止のため導入された「専門スタッフ職」の1つだ。中央官庁ではポスト不足などの問題から、「事務次官レース」に敗れたキャリア官僚が定年を待たずに退職する慣行があり、これが天下りにつながっていると指摘されてきた。
これを是正するため、管理職からは離れるものの定年まで勤務が可能な専門スタッフ職が2008年度から導入された。男性の政策情報分析官を始め、
「××検査計画官」「××分析専門官」「××法制研究官」
といった具合に各省庁にポストが置かれ、現在200人余りがこの職にある。知識や長年の経験を生かし、専門分野のプロフェッショナルとして国を支える――そんな役割が期待されるポストだ。今回の訴訟をいち早く報じた朝日新聞も、創設当時は「当然であり、遅すぎたぐらいだ」(07年8月12日付朝刊社説)と歓迎している。
★事実上の「窓際族」「問題職員の隔離」?
しかし男性はこの制度を、国家公務員法が制限する「降格人事」と主張する。男性は自分には降格されるような落ち度はないとし、人事院にも審査を求めたが門前払いにされたという。朝日新聞の取材に対しても「このような制度を乱用されると上司にモノが言えなくなる」と憤りを隠さない。
近年では民間企業での「追い出し部屋」が相次いで問題化していることもあり、男性への同情的な声も目立つ。一方で人事院によると、諸手当を含む専門スタッフ職(平均年齢55.1歳)の平均給与月額は約54万円だ。これから見ると、2割減ったといっても、年収はおよそ800万円に達すると推測される。キャリアなのでもう少し高いかもしれない。
対して50~60歳前後の従業員を管理職から外す「役職定年」を設けている民間企業では、約8割が給料の「75~99%カット」を実施しており、「50~74%」まで下げる例も2割に及ぶとされる(人事院調べ)。
専門スタッフ職制度に関しては、2010年、当時の菅内閣がこの枠の拡大を目指している。この際には自民党などから、「高給の窓際族」(小泉進次郎衆院議員)といった批判があり、結局断念に見舞われた。
**********
■この記事は、農林水産省のキャリア官僚が、管理職を外され「政策情報分析官」への異動を命じられたことについて、正当な理由のない不当降格だとして提訴したことを伝えたものです。
この記事を読むと、主に以下の2つのことが伺えます。
◆「政策情報分析官」はじめ、xx検査計画官、xx分析専門官、xx法制研究官etc……といったポストは、非管理職の「専門スタッフ職」と呼ばれること。
◆管理職から専門スタッフ職への異動は事実上の降格あるいは左遷を意味すること。他方、専門スタッフ職が「高給取りの窓際族」として、天下り削減の補完として機能していること。
「専門スタッフ職」がどのようなものであるかは、参考資料として人事院が公開している次のpdfファイルもあわせてご覧ください。
http://www.jinji.go.jp/kenkyukai/telework/sankou0605.pdf
これを見ると、専門スタッフ職の目的について、「在職期間の長期化に対して人事管理の複線化で対応する」といったことが書かれています。噛み砕いて言うと、「天下りが長年世間の批判に晒されて縮小を余儀なくされたため、省内で子飼いにしておくための増設窓際ポスト」ということです。
■話を戻すと、西尾典眞氏の現在の役職「国立大学運営調査分析官」も明らかに専門スタッフ職であることがわかります。これは取りも直さず西尾氏が事実上窓際族状態であることを意味しています。
ここで、2001年以降の同氏の経歴を改めて列挙すると、次の通りとなります。
国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部長(01~03年ごろ)
文部科学省研究開発局・地震・防災研究課長(03~06年)
日本私立学校振興・共済事業団参与(06~10年ごろ)
信州大学医学部付属病院・理事(10~11年)
信州大学環境マインド推進センター副センター長・理事(11年ごろ)
国立特別支援教育総合研究所・理事(11~13年)
群馬工業高等専門学校・学校長(13~17年)
これを眺めてみると、10年以上前に文科省で管理職を務めて以降、彼が外部機関の上位役職を転々としている様子がわかります。その時点で文科省の出世レースからは身を引き、天下りで美味しい思いをして生きていく方向に舵を切っていたのかもしれません。
しかし鶏頭牛後と言うとおり、理事や参与、果ては学校長まで務めた華々しい経歴の先が、舞い戻って左遷ポストというのでは、バランスが悪いと誰もが感じる所であると思われます。詰まるところ、「何らかの事情で」急遽文科省に引き取られざるを得なかった西尾前校長に用意できるマトモなポストなど無かったということでしょうし、それでも西尾前校長は「何らかの事情で」戻らざるを得なかった、ということがここから読み取れるわけです。
■では、文科省と高専機構との関係に焦点を移してさらに分析を続けてみましょう。
今回、高専機構への「出向」の実態は事実上の「移籍」である事実が判明しました。このような各省庁から他機関への出向形態は「現役出向」と呼ばれます。
これに関して、折しも文科省から国立大学法人へのキャリア官僚による「現役出向」がいま非常に問題視されています。出向それ自体に伴って退職金は出ないものの、高給ポストを占領し、しかも民間への天下り規制の網をくぐり抜け、さらに「即日退職」という手段によって出向が事実上の天下り的再就職として機能している面があるからです。参考として次の記事を御覧ください。
**********東京新聞2017年2月21日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017022102000114.html
「出向」の名で「天下り」か 復職翌日に再就職が8年で26人
文部科学省の天下りあっせん問題を巡り、国家公務員の再就職規則が変わった二〇〇八年末から昨年九月末までの間に、文科省の管理職経験者二十六人が大学などへの「現役出向」から戻った当日に文科省を退職し、翌日に大学などに再就職していたことが分かった。うち四人は出向先の大学に再就職しており、出向が事実上の再就職だった可能性もある。 (山口哲人)
文科省が政府に届け出た再就職報告を本紙が集計した。四人はそれぞれ国公立大学に教授などとして出向。特定の所管業務を持たない「大臣官房付」として文科省に復職した日に退職し、翌日に出向先と同じ国公立大学に再就職して教授などの職を得た。四人が出向、再就職したのは名古屋大、大阪大、岩手県立大、奈良県立医科大。
二十六人のうち十五人は国立大の理事を務めた後、一時的に復職し、翌日に別の学校法人に事務局長などとして再就職。七人は独立行政法人などから復職し、国公立大や学校法人に再就職した。
「現役出向」は官僚が一時退職し、民間や独法などで勤務する。出向時や出向先を離れる際に退職金は出ない。出向先で公務員の知識や経験を生かし、コスト意識を学ぶ狙いだが、復職当日の退職では、出向経験を省庁で生かせない。
文科省再就職等問題担当室は、出向者の一日だけの復職は「退職金を受け取るためだ」と説明。二十六人が再就職する際に文科省のあっせんがあったかどうかについては調査中だとしている。
国立大に教授などで出向する場合、一般的には「密接関係法人」へのあっせんを禁じた「独法通則法」が適用されるものの、国家公務員法の適用外となる。内閣府が事務局を務める再就職等監視委員会の監視対象からも外れ、ルールに反した再就職の有無が見えにくくなる。
今年一月現在、文科省官僚二百四十一人が全国の国立大に出向。河野太郎前行革担当相は一月の衆院予算委員会で「文科省の植民地になっている」として出向をやめるよう求めている。
組織不祥事に詳しい同志社大の太田肇教授(組織論)は「文科省と大学の癒着を生じさせないため、法律で利害関係先への再就職を禁止している。現役出向時には適用されず骨抜きになっていないか懸念がある」と指摘している。
<国家公務員の再就職規制> 2008年12月施行の改正国家公務員法で、現役職員による再就職あっせんが全面的に禁止された。現役職員自らが利害関係先に求職活動することも禁じられた。管理職経験者は、退職後2年間の再就職を内閣官房内閣人事局に届け出なければならない。法改正前は、退職前5年間に在職した部署の利害関係先への再就職が退職後2年間禁じられただけで、あっせん禁止の規定はなかった。
**********
■このように国立大学は「文科省の植民地」と揶揄されるような惨状を呈しています。しかし国立大学は一応にも高度な自治権が認められ、一般に学長は教授陣から立候補して投票で決められます。さらに主に「現役出向」の餌食となっている各国立大学の理事のポストですが、こちらは国立大学法人法でしっかり任期を定められています。
しかし、高専機構・高専の場合は、自治など皆無で、校長は文科省からの天下りあるいは機構のブラックボックスの中で決められた人物で、極めつけに天下り校長の任期が事実上無期限という有様で、国立大学をはるかに上回る悲惨な状態となっています。
植民地どころか、上に行くに従い少なくなっていく文科省のポストを埋める、いわば「第二文科省」と形容しても過言ではない実態であるといえます。
キャリア官僚からしてみれば、批判の集中する民間への天下りに比べて、文科省の官僚として戻る権利を残したまま、校長としてお山の大将気分で居座り定年を迎えることもでき、更に高専機構・高専への移籍中は天下り規制の網をすり抜けて再就職先を自由に探せるため、メリットも多いといえます。定年退職した竹本元校長もこのパターンです。
■ですが視点を変えると、無期限で長期にわたり校長職に居座ってきた群馬高専歴代校長の中にあって、たった4年で校長職を辞した西尾前校長の異端さがなおさら際立ってきます。
やはり、西尾校長就任後に起こった群馬高専での一連の重大事件が彼の進退に影響を及ぼしたことには、ほとんど疑いの余地がないと考えられます。
西尾前校長本人が責任追及を逃れるために自ら文科省への復帰を望んだのか、追及が飛び火するのを恐れた文科省または高専機構が彼を事実上更迭させたのかは、依然として不明です。
■悲劇を拡大再生産するばかりの西尾体制に自ら、あるいは鶴の一声で終止符を打ったことについては一定の評価を与えてよいのかもしれません。
しかしいずれにせよ、西尾前校長の下で起こった悲劇の数々に対して未だに建設的な解決を行おうとしないまま、むりやり幕を下ろそうと試みているわけですから、言語道断であることに変わりはありません。
特に西尾校長退陣が文科省や高専機構の意向である場合、彼らは群馬高専の一連の問題について十分認知しているのであり、それについて何ら介入して建設的な対応を取ろうとせずに校長だけをすげ替えてお茶を濁そうとする態度は断じて許し難いと言うほかありません。
更に山崎新校長の我々オンブズマンに対する訴訟継続に象徴されるとおり、依然として強硬な態度や措置が見られます。こうした実状を見る限りでは、山崎新校長がまかり間違っても「独自行動」など取らないよう、西尾前校長や高専機構が相当強く釘を指している様子が伺えます。
その意味でも西尾校長の退陣は問題をウヤムヤにしようとする意図しか見えず、やはり良い評価を下すことはできません。
■結局のところ、問題が複雑化しただけでほとんど何も解決していない以上、我々オンブズマンとしては、山崎体制下の群馬高専や機構に加えて、文科省に逃げ戻った西尾典眞氏への追及も継続して行っていく必要性があると考えております。
ですが、西尾前校長への追及を行うことに関しては、わずかながら光明もあります。
少なくとも西尾前校長が、群馬高専の諸問題をみごと封殺して乗り切った功績と豪腕を買われ、文科省に凱旋したなどという訳でなかったことは確かだからです。言い換えれば、文科省としては西尾氏を持て余して仕方なく左遷ポストに放り込んでいる状態であり、彼を大して重用していないことが伺えます。
つまり今後、一連の事件に関して西尾前校長の責任が問われるような事実が判明した場合、省をあげて彼を庇うような事態になることは考えづらいといえます。そうなれば、西尾体制下で発生した数々の事件の全容解明は、存外スムーズに行くかもしれません。
■それにしても、高専への「現役出向」といい、「専門スタッフ職」といい、文部科学省が批判の多い民間への天下りに変わる新たなポストを創ろうと腐心している様子が見てとれます。
群馬高専に関わる一連の問題は、当初は単に一学校で発生した事件だと考えられていましたが、その枠を遥かに超えて、国レベルでの深刻な問題が背景にある非常に根の深い事件であることが改めて浮き彫りになってきました。群馬高専での一連の事件が新たな局面に差し掛かり、行政を本分とするオンブズマンの本領発揮が問われることになります。
当会としても、オンブズマンとして全身全霊をもって事件の全容解明と解決に向けより一層奮起していく所存です。
【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
↑西尾典眞前校長が文科省を平成25年3月31日に辞職したときの人事異動通知書。↑
↑西尾典眞前校長が文科省に平成29年4月1日に再度採用されたときの人事異動通知書。↑
以後、西尾前校長のその後の動向、そして人間性に問題のある彼のような人物を校長に据えてしまった文科省から高専機構への「出向」の実態について探るべく、市民オンブズマン群馬では多方面から調査と情報開示請求を行ってきていました。
そして調査の結果、校長の交代劇から半年が経過した現時点で、大きく次の2つのことがわかりました。
〇2017年10月19日:アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…文科省開示文書から紐解く西尾前校長の群馬高専就任と離任の顛末↓
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2442.html
その1
西尾前校長の現在の文科省での役職名は「高等教育局国立大学法人支援課国立大学運営調査分析官」であること。
その2
文科省から高専機構への「出向」は、文科省の籍を消して行われる無期限のものであり、事実上の移籍であるということ。
■では、得られたこれらの情報をひとつひとつ検討してみましょう。
西尾典眞氏の現在の職名である「国立大学運営調査分析官」を見て最初にオヤッと思うのが、明らかに管理職ではないポストに就いている、という点です。
ではこのポストが一体どのようなものであるのか、それを示す参考となる報道記事があります。
**********J-CASTニュース 2013/9/25 19:04
https://www.j-cast.com/2013/09/25184639.html
「不当降格」訴訟のキャリア官僚 推定年収「800万円」は民間より恵まれていないか
農林水産省の男性キャリア官僚(57)が、管理職を外され「専門スタッフ職」への異動となったことを不服として、国を提訴した。
男性官僚はこの人事を「民間の判例をみても不利益」な不当降格だと主張し、異動の取り消しや人事制度そのものの見直しなどを求めているという。この「専門スタッフ職」、そこまでに酷なものなのだろうか。
★「天下り」削減のため2008年度に導入
課の同僚たちから、遠く離れたフロアの一角にその個室はある。入省30年あまり、農政一筋に勤しんできた男性に与えられたのがこの職場だ。働くのは自分1人しかいない。国の不当を訴えながら、男性は黙々と、調査研究の仕事を続ける――
朝日新聞は2013年9月25日付朝刊で、そんなベテラン官僚の姿を報じた。
記事によれば、男性官僚は1980年に東大法学部を卒業して入省、本省課長などを歴任してきたが、2011年1月、非管理職の「政策情報分析官」への異動を命じられたという。
これは、「天下り」防止のため導入された「専門スタッフ職」の1つだ。中央官庁ではポスト不足などの問題から、「事務次官レース」に敗れたキャリア官僚が定年を待たずに退職する慣行があり、これが天下りにつながっていると指摘されてきた。
これを是正するため、管理職からは離れるものの定年まで勤務が可能な専門スタッフ職が2008年度から導入された。男性の政策情報分析官を始め、
「××検査計画官」「××分析専門官」「××法制研究官」
といった具合に各省庁にポストが置かれ、現在200人余りがこの職にある。知識や長年の経験を生かし、専門分野のプロフェッショナルとして国を支える――そんな役割が期待されるポストだ。今回の訴訟をいち早く報じた朝日新聞も、創設当時は「当然であり、遅すぎたぐらいだ」(07年8月12日付朝刊社説)と歓迎している。
★事実上の「窓際族」「問題職員の隔離」?
しかし男性はこの制度を、国家公務員法が制限する「降格人事」と主張する。男性は自分には降格されるような落ち度はないとし、人事院にも審査を求めたが門前払いにされたという。朝日新聞の取材に対しても「このような制度を乱用されると上司にモノが言えなくなる」と憤りを隠さない。
近年では民間企業での「追い出し部屋」が相次いで問題化していることもあり、男性への同情的な声も目立つ。一方で人事院によると、諸手当を含む専門スタッフ職(平均年齢55.1歳)の平均給与月額は約54万円だ。これから見ると、2割減ったといっても、年収はおよそ800万円に達すると推測される。キャリアなのでもう少し高いかもしれない。
対して50~60歳前後の従業員を管理職から外す「役職定年」を設けている民間企業では、約8割が給料の「75~99%カット」を実施しており、「50~74%」まで下げる例も2割に及ぶとされる(人事院調べ)。
専門スタッフ職制度に関しては、2010年、当時の菅内閣がこの枠の拡大を目指している。この際には自民党などから、「高給の窓際族」(小泉進次郎衆院議員)といった批判があり、結局断念に見舞われた。
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■この記事は、農林水産省のキャリア官僚が、管理職を外され「政策情報分析官」への異動を命じられたことについて、正当な理由のない不当降格だとして提訴したことを伝えたものです。
この記事を読むと、主に以下の2つのことが伺えます。
◆「政策情報分析官」はじめ、xx検査計画官、xx分析専門官、xx法制研究官etc……といったポストは、非管理職の「専門スタッフ職」と呼ばれること。
◆管理職から専門スタッフ職への異動は事実上の降格あるいは左遷を意味すること。他方、専門スタッフ職が「高給取りの窓際族」として、天下り削減の補完として機能していること。
「専門スタッフ職」がどのようなものであるかは、参考資料として人事院が公開している次のpdfファイルもあわせてご覧ください。
http://www.jinji.go.jp/kenkyukai/telework/sankou0605.pdf
これを見ると、専門スタッフ職の目的について、「在職期間の長期化に対して人事管理の複線化で対応する」といったことが書かれています。噛み砕いて言うと、「天下りが長年世間の批判に晒されて縮小を余儀なくされたため、省内で子飼いにしておくための増設窓際ポスト」ということです。
■話を戻すと、西尾典眞氏の現在の役職「国立大学運営調査分析官」も明らかに専門スタッフ職であることがわかります。これは取りも直さず西尾氏が事実上窓際族状態であることを意味しています。
ここで、2001年以降の同氏の経歴を改めて列挙すると、次の通りとなります。
国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部長(01~03年ごろ)
文部科学省研究開発局・地震・防災研究課長(03~06年)
日本私立学校振興・共済事業団参与(06~10年ごろ)
信州大学医学部付属病院・理事(10~11年)
信州大学環境マインド推進センター副センター長・理事(11年ごろ)
国立特別支援教育総合研究所・理事(11~13年)
群馬工業高等専門学校・学校長(13~17年)
これを眺めてみると、10年以上前に文科省で管理職を務めて以降、彼が外部機関の上位役職を転々としている様子がわかります。その時点で文科省の出世レースからは身を引き、天下りで美味しい思いをして生きていく方向に舵を切っていたのかもしれません。
しかし鶏頭牛後と言うとおり、理事や参与、果ては学校長まで務めた華々しい経歴の先が、舞い戻って左遷ポストというのでは、バランスが悪いと誰もが感じる所であると思われます。詰まるところ、「何らかの事情で」急遽文科省に引き取られざるを得なかった西尾前校長に用意できるマトモなポストなど無かったということでしょうし、それでも西尾前校長は「何らかの事情で」戻らざるを得なかった、ということがここから読み取れるわけです。
■では、文科省と高専機構との関係に焦点を移してさらに分析を続けてみましょう。
今回、高専機構への「出向」の実態は事実上の「移籍」である事実が判明しました。このような各省庁から他機関への出向形態は「現役出向」と呼ばれます。
これに関して、折しも文科省から国立大学法人へのキャリア官僚による「現役出向」がいま非常に問題視されています。出向それ自体に伴って退職金は出ないものの、高給ポストを占領し、しかも民間への天下り規制の網をくぐり抜け、さらに「即日退職」という手段によって出向が事実上の天下り的再就職として機能している面があるからです。参考として次の記事を御覧ください。
**********東京新聞2017年2月21日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017022102000114.html
「出向」の名で「天下り」か 復職翌日に再就職が8年で26人
文部科学省の天下りあっせん問題を巡り、国家公務員の再就職規則が変わった二〇〇八年末から昨年九月末までの間に、文科省の管理職経験者二十六人が大学などへの「現役出向」から戻った当日に文科省を退職し、翌日に大学などに再就職していたことが分かった。うち四人は出向先の大学に再就職しており、出向が事実上の再就職だった可能性もある。 (山口哲人)
文科省が政府に届け出た再就職報告を本紙が集計した。四人はそれぞれ国公立大学に教授などとして出向。特定の所管業務を持たない「大臣官房付」として文科省に復職した日に退職し、翌日に出向先と同じ国公立大学に再就職して教授などの職を得た。四人が出向、再就職したのは名古屋大、大阪大、岩手県立大、奈良県立医科大。
二十六人のうち十五人は国立大の理事を務めた後、一時的に復職し、翌日に別の学校法人に事務局長などとして再就職。七人は独立行政法人などから復職し、国公立大や学校法人に再就職した。
「現役出向」は官僚が一時退職し、民間や独法などで勤務する。出向時や出向先を離れる際に退職金は出ない。出向先で公務員の知識や経験を生かし、コスト意識を学ぶ狙いだが、復職当日の退職では、出向経験を省庁で生かせない。
文科省再就職等問題担当室は、出向者の一日だけの復職は「退職金を受け取るためだ」と説明。二十六人が再就職する際に文科省のあっせんがあったかどうかについては調査中だとしている。
国立大に教授などで出向する場合、一般的には「密接関係法人」へのあっせんを禁じた「独法通則法」が適用されるものの、国家公務員法の適用外となる。内閣府が事務局を務める再就職等監視委員会の監視対象からも外れ、ルールに反した再就職の有無が見えにくくなる。
今年一月現在、文科省官僚二百四十一人が全国の国立大に出向。河野太郎前行革担当相は一月の衆院予算委員会で「文科省の植民地になっている」として出向をやめるよう求めている。
組織不祥事に詳しい同志社大の太田肇教授(組織論)は「文科省と大学の癒着を生じさせないため、法律で利害関係先への再就職を禁止している。現役出向時には適用されず骨抜きになっていないか懸念がある」と指摘している。
<国家公務員の再就職規制> 2008年12月施行の改正国家公務員法で、現役職員による再就職あっせんが全面的に禁止された。現役職員自らが利害関係先に求職活動することも禁じられた。管理職経験者は、退職後2年間の再就職を内閣官房内閣人事局に届け出なければならない。法改正前は、退職前5年間に在職した部署の利害関係先への再就職が退職後2年間禁じられただけで、あっせん禁止の規定はなかった。
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■このように国立大学は「文科省の植民地」と揶揄されるような惨状を呈しています。しかし国立大学は一応にも高度な自治権が認められ、一般に学長は教授陣から立候補して投票で決められます。さらに主に「現役出向」の餌食となっている各国立大学の理事のポストですが、こちらは国立大学法人法でしっかり任期を定められています。
しかし、高専機構・高専の場合は、自治など皆無で、校長は文科省からの天下りあるいは機構のブラックボックスの中で決められた人物で、極めつけに天下り校長の任期が事実上無期限という有様で、国立大学をはるかに上回る悲惨な状態となっています。
植民地どころか、上に行くに従い少なくなっていく文科省のポストを埋める、いわば「第二文科省」と形容しても過言ではない実態であるといえます。
キャリア官僚からしてみれば、批判の集中する民間への天下りに比べて、文科省の官僚として戻る権利を残したまま、校長としてお山の大将気分で居座り定年を迎えることもでき、更に高専機構・高専への移籍中は天下り規制の網をすり抜けて再就職先を自由に探せるため、メリットも多いといえます。定年退職した竹本元校長もこのパターンです。
■ですが視点を変えると、無期限で長期にわたり校長職に居座ってきた群馬高専歴代校長の中にあって、たった4年で校長職を辞した西尾前校長の異端さがなおさら際立ってきます。
やはり、西尾校長就任後に起こった群馬高専での一連の重大事件が彼の進退に影響を及ぼしたことには、ほとんど疑いの余地がないと考えられます。
西尾前校長本人が責任追及を逃れるために自ら文科省への復帰を望んだのか、追及が飛び火するのを恐れた文科省または高専機構が彼を事実上更迭させたのかは、依然として不明です。
■悲劇を拡大再生産するばかりの西尾体制に自ら、あるいは鶴の一声で終止符を打ったことについては一定の評価を与えてよいのかもしれません。
しかしいずれにせよ、西尾前校長の下で起こった悲劇の数々に対して未だに建設的な解決を行おうとしないまま、むりやり幕を下ろそうと試みているわけですから、言語道断であることに変わりはありません。
特に西尾校長退陣が文科省や高専機構の意向である場合、彼らは群馬高専の一連の問題について十分認知しているのであり、それについて何ら介入して建設的な対応を取ろうとせずに校長だけをすげ替えてお茶を濁そうとする態度は断じて許し難いと言うほかありません。
更に山崎新校長の我々オンブズマンに対する訴訟継続に象徴されるとおり、依然として強硬な態度や措置が見られます。こうした実状を見る限りでは、山崎新校長がまかり間違っても「独自行動」など取らないよう、西尾前校長や高専機構が相当強く釘を指している様子が伺えます。
その意味でも西尾校長の退陣は問題をウヤムヤにしようとする意図しか見えず、やはり良い評価を下すことはできません。
■結局のところ、問題が複雑化しただけでほとんど何も解決していない以上、我々オンブズマンとしては、山崎体制下の群馬高専や機構に加えて、文科省に逃げ戻った西尾典眞氏への追及も継続して行っていく必要性があると考えております。
ですが、西尾前校長への追及を行うことに関しては、わずかながら光明もあります。
少なくとも西尾前校長が、群馬高専の諸問題をみごと封殺して乗り切った功績と豪腕を買われ、文科省に凱旋したなどという訳でなかったことは確かだからです。言い換えれば、文科省としては西尾氏を持て余して仕方なく左遷ポストに放り込んでいる状態であり、彼を大して重用していないことが伺えます。
つまり今後、一連の事件に関して西尾前校長の責任が問われるような事実が判明した場合、省をあげて彼を庇うような事態になることは考えづらいといえます。そうなれば、西尾体制下で発生した数々の事件の全容解明は、存外スムーズに行くかもしれません。
■それにしても、高専への「現役出向」といい、「専門スタッフ職」といい、文部科学省が批判の多い民間への天下りに変わる新たなポストを創ろうと腐心している様子が見てとれます。
群馬高専に関わる一連の問題は、当初は単に一学校で発生した事件だと考えられていましたが、その枠を遥かに超えて、国レベルでの深刻な問題が背景にある非常に根の深い事件であることが改めて浮き彫りになってきました。群馬高専での一連の事件が新たな局面に差し掛かり、行政を本分とするオンブズマンの本領発揮が問われることになります。
当会としても、オンブズマンとして全身全霊をもって事件の全容解明と解決に向けより一層奮起していく所存です。
【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】