市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

八ッ場ダム推進でアブク銭にあずかりたい国交省職員の気持ちを体現した斉藤烈事件(その2)

2010-09-02 22:56:00 | 八ッ場ダム問題
■これらの資料に全て目を通した結果、斉藤烈事件の概要がおぼろげながら分かってきました。

 贈賄側の協立測量は阿部善宏専務の父親の阿部三善が設立し、息子の阿部専務は平成11年8月に同社の専務に就任しました。


国交省幹部役人の天下り先で、ワイロの殿堂として一躍脚光を浴びた協立測量は、この丸三ビルの4階に本社の事務所がある。

 本事件発覚当時、同社の代表取締役社長を務めていたのは海老原秀行でした。海老原は国交省建設局OBでいわゆる天下りです。このような贈収賄事件を経てもなお、現在も社長職に留まっているようです。

 被告の斉藤烈は、平成3年頃、横浜国道工事事務所に用地第三係長として勤務しており、当時、同工事事務所発注の測量と営業調査及び建物調査を協立測量が受注したため、業者として出入りしていた同社の阿部専務と面識ができました。

 平成12年又は13年、川崎国道事務所から用地補償技術委託業務契約請負で技術員を派遣していた時、協立測量の阿部はサービス業務として新石川立体交差店付近の営業調査算定業務の依頼時に、たまたま、川崎国道事務所の用地官として勤務していた斉藤烈と再開しました。そこで、阿部善宏は「何でも相談してください。力になりますから」と斉藤に話しました。一人でも多くの話しやすい親しい職員を作っておきたかったのがその理由だと平成18年7月10日の乙56号証で供述しています。

 その後、斉藤被告はほぼ2年毎に異動を重ね、首都国道工事事務所用地第二課長に昇進しましたが、平成14年4月に川崎国道工事事務所に転出するという内示が同年2月ごろにありました。異動するには、同僚や飲み屋の借金の清算が必要になり、それらの借金の返済や、借金の金利の支払を工面する必要が生じました。

 いろいろ悩んだ挙句、被告の脳裏に掠めたのが、協立測量の阿部専務が日ごろから「何か困ったことがあったら相談に乗るよ」と言っていた言葉でした。そこで、被告は平成14年2月21日に、禁断の電話番号をダイヤルしたのでした。

 このときの様子について、贈賄側の協立測量の阿部は、平成18年7月10日の供述調書で、「平成14年2月頃、『突然で申し訳ありませんが、150万円ほどお金を貸していただけませんか』と斉藤から電話があったので、『まだ斉藤さんは若い。これからどんどん出世するかもしれない。今後用地部門の職員と親しくしておけば会社にとって何かの時に役に立つのではないか?』と考えて、会長の阿部三善にも話して、150万円の金の工面についてOKをもらった」と証言しています。

 そして阿部は、みずほ銀行荻窪支店の協立測量株式会社名義の普通預金口座から150万円で阿部名義の仮払金として経理処理をして、斉藤の指定口座に振り込みました。さらに翌月の平成14年3月21日にも斉藤被告の要求に応じて、150万円を払込みました。

 一方、斉藤被告としては、電話で専務におそるおそる150万円の借金を申し入れたところ、専務はその場で快諾し、翌日指定口座に送金されてきたので、あとは歯止めがかかりません。2回目は、異動を直前に控えた同3月27日に再び150万円を専務から借りたのでした。

 平成14年4月1日に、斉藤被告が川崎国道工事事務所から関東地方整備局霞ヶ浦導水工事事務所の用地官として異動してからも、斉藤は「女房に残業手当が支給されていないと詰問されたので、残業手当分を都合つけなければならない。女房の口座の金を使い込んでいたことがバレて■■■■■してしまった。女房名義の口座の穴埋めをしなければならない。共済組合の財形がおりるので、まとめて返せますから」等と何かに理由をつけて金を借りたいと言ってきました。

 阿部は、その都度、「従来の返済期限が過ぎています」等と催促していたと供述していますが、結局、部下の社員の渡辺進に、会社近くの郵便局である杉並区役所近くの郵便局から毎月50万円、多い時は100万円を振込送金させていました。

 平成14年6月頃、期末決算月で、会社の会計帳簿処理担当の浅見達男会計事務所(現・税理士法人エイマック)の渡邊から、私名義の仮払金が多いことから、「課税される」と言われたため、阿部は、平成14年7月に、斉藤の借金が500万円になったため、斉藤に借用書を書かせました。阿部は渡邊に「公正証書にすべき」といわれましたが、斎藤が役人なのでその時は言えなかったと供述しています。

 その後も、斉藤烈からの借金の申し入れが続いたため、平成15年9月11日(木)に、阿部は、東京都千代田区永田町の首相官邸近くにある渡邊の会計事務所のオフィスを訪れ、このとき斉藤烈も一緒に連れて行きました。阿部はこのとき初めて、斉藤がサラ金から200~300万円借りていることを知りました。

 オフィスで渡邊が、阿部と斉藤に対して「きちんと公正証書を作成して、貸借関係の書類を作成すべき。きちんとした返済計画を立てるべき」とアドバイスするとともに、斉藤烈にサラ金の残高を教えてくれと伝えました。

 このころ、阿部は、東京駅大丸レストラン街の中華料理店で、その年に入社した、丸峰営業推進部長を斉藤烈に紹介していました。

 その後、平成15年10月に、斎藤烈が、サラ金4社の取り引き明細表を阿部に提示しました。

    アイク  残高  49万9434円
    マルマン 残高  49万8595円
    アコム  残高  99万9841円
    武富士  残高  99万9125円
    残高合計    299万6995円

 阿部はこの時の感想として「あらためて斉藤烈の金銭感覚の異常さに驚いた」と供述しています。

 その後も斉藤被告は、ずるずると借金を重ねていましたが、平成16年2月ごろには、借金の総額は1500万円近くになっていました。その頃、50万円を返していたことを斉藤烈が忘れて、「300万円、いや400万円を貸してほしい。ちょうど、2000万円になるのでどうでしょう」と言ってきました。阿部は「途中、50万円の借入分を返してもらっています。振込の控えを見ても1460万円になります」と返事をしました。

 そうした最中、平成16年3月に、今度は斉藤烈に、八ッ場ダム工事事務所の用地第一課長に就任の内示がでたのでした。

 平成16年3月上旬、関東地方整備局の人事異動の「滲みだし」と呼ばれている内々示の情報がが協立測量の阿部の耳にも入り、斎藤烈が霞ヶ関導水事務所用地間から群馬県にある八ッ場ダム工事事務所用地第一課長に昇任し、異動になることを知ったのでした。

 しかし、このような重要な情報について、斎藤烈のほうからは連絡が来なかったので、阿部は少々頭に来ましたが、「用地課長ともなると、管理職であり、用地化発注案件の責任者的立場で現物の実務の長で、八ッ場ダム勤務後は2年くらいで、いずれは当社と近い事務所の用地課長で戻ってくる。斉藤が頼りにしているのは協立測量しかない」と考えるようになったのでした。

 阿部は、平成16年3月11日、昇任のお祝いの挨拶と金銭借用証書を作成するという連絡の電話を斉藤にしました。また、内部資料提供についても、「課長ともなれば、入札関係の内部資料も入ってくるでしょう。資料は何でも送ってください。四半期に1回くらいでもよいですから」と斉藤に依頼したのでした。

 平成16年3月11日、荻窪駅北口の喫茶店ポッケで、阿部と斎藤の2人が出会い、証書を作成しました。丸峰が同席しました。阿部は、「540万円のうち400万円しか都合できなかった。これでサラ金の借金を返してくれ。140万円は後日渡す」と言って、現金400万円を斉藤にその場で渡しました。



 残りの140万円は平成16年3月24日に、同じく喫茶店ポッケで斉藤に渡しました。



 協立測量の阿部専務は、斎藤烈と会う前に、「それまでの精算として、一気にサラ金からの借金を清算するように」と考えて、さらにまとまったカネを被告に貸し付け、2000万円の借用書に署名させることにしました。斉藤からは「■■■■■■」と申し出があったので、2000万円の金銭借用書を作成することにしました。

 なぜなら、この直前には借金の総額は1460万円に達していたからでした。結局、川崎から霞ヶ浦に異動してから2年間で借金が1160万円増えたことになります。斉藤被告はサラ金返済時期のたびに専務からカネを借りたのですが、結局、返済してもまた借りる、という繰り返しで、借りた金を遊興費に使いまくっていたのでした。

 阿部専務は、丸峰に指示して、元金2000万円の借用証書を作成し、貸付金として処理することにしました。この公正証書の内容は次の通りでした。

・元金   2000万円
・返済   元利均等方式
・金利   年利4.35パーセント
・返済期間 20年

 この返済条件は、斉藤が当時42歳であり、返済期間が20年くらいだと年間100万円くらいの返済内容で可能と思われたため、阿部が設定したものでした。

 阿部はまた、丸峰に相談して、明治安田生命の保険外交員の山田に話して、公正証書記載の2000万円に見合った金額を保険でカバーしようとして、「奥さんに事情を話して保険で返済するように」と、斉藤に話したのでした。斉藤が了承したので、斉藤被告を被保険者として次の保険契約を結びました。

・被保険者  斉藤烈 ※しかし、阿部は、不正手続きと知りつつ、住所、返金先は協立測量本社の住所を記載した。
・保険契約者   斉藤烈
・保険金受取人  ■■■■(斉藤烈の妻)
・保険期間    10年
・保険料     10万7076円
・保険料払込期間 10年

 こうして、書類の準備が整ったので、平成16年3月11日に、阿部は斉藤を荻窪駅北口の喫茶店「ポッケ」に呼び、丸峰の立会いのもとに、400万円でサラ金から借りている借金の返済をするようにと言い渡しました。



 とりあえず260万円を現金で渡し、残りの140万円は後で渡すことになりました。そして、更に2000万円の借用書を斉藤に提示して、「大丈夫か?」と一応念押しをすると、斎藤は「OKです」と答えました。

 返済プランは上記のように、元金2000万円、20年払い、年利4.35%、元金均等方式、初年度月々15万6千円となっていたので、阿部が「大丈夫ですか」ときくと、斉藤は「大丈夫です」と答えました。

 阿部自身、この返済プランを見て、関東地方整備局の各事務所に長いこと出入りしており、斉藤の年齢での年収は約700~800万円で流山に1戸建てを購入し住宅ローンを払っている(3000~4000万円が相場)、そこで月々10万円前後の住宅ローンなので、月々15万円の返済は無理があるとは思ったが、返済可能だと勝手に判断したということです。

 一方の斉藤の供述によると、平成16年3月11日に、荻窪の喫茶店で会って、2000万円の金銭借用書を阿部から示され、このとき阿部から「生命保険を結んでもらいたい」という話が出たので、「命を担保に金を借りるんだ」と思いましたが、保険金額もろくに確かめずに「返済予定表として当初1年間毎月15万8000円返済」という借用書に目くら判を押しました。

 また、斉藤被告の供述によると、平成16年3月上旬に、専務から被告に転勤祝いの電話があったということです。この時はまだ、被告本人に対して、八ッ場ダム工事事務所への異動の打診があっただけで、内示さえ出ていない段階でした。しかも、本来、国交省の人事情報など知るはずのない一業者の専務から、なぜかタイムリーに電話がかかってきたのですから斉藤自身もビックリしました。どうも、国交省から協立測量に天下った海老原社長が、古巣の国交省とのコネを使って人事情報を得ていた可能性が高いと思われます。

 この転勤祝いの電話の中で、阿部専務は斉藤被告に「月に一度くらいは資料を取りまとめて私の自宅に郵送してください」と話し、未公開の諸経費率表や労務単価表の写しを自宅に郵送するよう持ちかけました。課長でしか入手できない資料を「月1回は送るように」という申し入れに、斉藤被告は「まずいな」と思いましたが、多額の借金をしている手前、被告は「出来るだけ何とかします」と専務に応えました。被告の供述によると、次第に専務の被告に対する口調が要求調となったそうです。

 阿部の携帯番号と斉藤の携帯番号は相互に連絡し合っていました。平成16年11月中旬~下旬ごろ、斎藤は電話で「寮費を使い込んでしまった。100万円ほど貸していただけませんか」と阿部に100万円の借金を申し込みました。その際、斉藤と阿部は次のようなやりとりをしています。

**********
斉藤「今、横壁地区と長野原地区の用地調査業務をしている。地元の住民の接待。八ッ場ダムの寮費の使い込みで金がかかってしまった。」
阿部「指名に入れたらいいですけどね。どうなんですか?」
斉藤「横壁地区のほうは、金額が高いが減額されるかもしれない」
阿部「横壁地区のほうがいいね。横壁地区の資料の指名にひとつお願いしますよ。資料でもあれば送って下さい」

 斉藤は、その言葉通り、平成16年横壁地区用地調査等業務(発注1500万円台)の設計費、特記仕様書の写しを阿部の自宅に郵送しました。さらに阿部の依頼に答えるために被告は「横壁は長野原よりは高い。指名に入れるようにやってみる。設計書なども送る」と約束しました。ところが、パソコン操作の苦手な被告は、協立測量を指名業者してパソコン操作でリストに入れるようにトライしましたが、自分でパソコン操作がやれず同僚に頼んだためうまく条件付けができませんでした。

 平成17年1月21日にも斉藤は阿部に100万円を送金してもらっています。このときも斉藤は「寮費を使い込んだ。100万円貸してほしい」と金を無心しています。

 その後も斉藤から借金の申し入れが続き、阿部は、平成17年6月30日に、300万円の借用書を喫茶店ポッケで斉藤に書かせて、金を渡しています。この時は、渡辺進(営業課長)の仮払い金として処理しました。



 平成17年10月14日にも、斎藤に10万円貸していますが、この時斉藤は「急ぎカネが必要になった。50万円ばかり貸して!」と言ってきました。阿部が返事をしぶると、「50万円なんとかなりませんか。いや40万でも。30万円でも」と斉藤が折れてきて、結局、最後は10万円になりました。

 こうした執拗な斉藤からの金の無心による心労なのかどうかわかりませんが、阿部は自宅で倒れ、平成17年11月30日から12月20日まで東京厚生年金病院に入院しました。この間は、斉藤には連絡をとっていない、と供述しています。

 阿部は、平成18年2月28日~3月11日にも、再入院しています。

 阿部の退院を待ちかねたかのように、斉藤から阿部に、300万円の借入申込がありました。そのため平成18年3月24日、喫茶店「葉山」で200万円を斉藤にとりあえず手渡しました。この時の様子を供述調書では次のように表しています。


当時、野村證券荻窪支店ビルの地下1階に喫茶店「葉山」があったが、今は存在しない。

**********
H18年3月24日、喫茶店「葉山」で200万円を斎藤にとりあえず渡した。斉藤からは300万円借入申込あり。
阿部名義で、300万円仮払い。とりあえず200万円。夕方、斉藤から、今荻窪に着き、北口のマクドナルドで待っている。事務の関口さんに200万円用意してもらった。斉藤も阿部もタバコを吸う。
阿部「なぜそんなに金がかかるのか?」
斉藤「地権者との用地交渉で、飲食代金がかかり地権者に立て替えて貰っている。それでも足りなく寮費を使い込んでしまった
阿部「今回200万円しか用意している。今日100万円用意しますから、これまでのカネもあわせて借用証書に署名してください。」
 100+100+100+50+50+10+200=610万円
 これを560万円で作成。
阿部「他の業者もこれくらいはやっているのだ」として、犯行をエスカレート。
***********

 そして、ついに、平成18年4月28日に阿部が逮捕されたため、高崎河川国道事務所の発注予定の案件を協立測量として入札を辞退しました。

***********
<資料1>
協立測量から斉藤の口座への振込記録

H14.02.21   150万円
H14.03.27   150万円
H14.05.13    50万円
H14.06.03    50万円
H14.07.25    50万円
H14.08.28    50万円
H14.10.01    50万円
H14.11.26    50万円
H14.12.11    30万円
H15.01.15    50万円
H15.02.05    50万円
H15.02.25    30万円
H15.03.11    50万円
H15.05.09   100万円
H15.06.23    70万円
H15.07.30    50万円
H15.09.01    80万円
H15.09.29    50万円
H15.11.05    50万円
H15.11.25    50万円
H15.12.17    50万円
H16.01.23    50万円
H16.02.13    50万円
H16.03.11   400万円
合計         2050万円

八ッ場ダム工事事務所へ異動後
H16.11.24   100万円
H17.01.27   100万円
H17.04.08   100万円
H17.07.06    50万円
H17.08.23    50万円
H17.10.14    10万円
H17.10.27   100万円
H18.03.24   300万円※喫茶店「葉山」において現金200万円を手渡し、残りの100万円は、平成18年4月5日、上荻の喫茶店シャノアール荻窪店で手渡した。


喫茶店「葉山」のあった地下1階は、テナントがいないことを示す表示板。

以上総計         2850万円

**********
<資料2>
斉藤から阿部への借用書

H14.07.26   500万円
H14.12.17   800万円
日付け無し      1000万円
日付け無し      1100万円
H15.06.19  1170万円
H15.07.18  1220万円
H15.07.30  1220万円
H15.09.27  1350万円
H15.11.05  1400万円
H15.11.21  1450万円
H16.01.26  1550万円
H16.02.12  1600万円
H16.03.23  2000万円

八ッ場ダム工事事務所へ異動後
H17.01.26  2200万円
**********

【ひらく会情報部・八ッ場ダム問題研究班】

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