市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

日本の選挙の裏側を描いて世界で評判となったドキュメンタリー番組「選挙」を見て思ったこと

2010-08-14 23:32:00 | 国内外からのトピックス
■8月14日午前2時10分から3時5分まで、NHK教育テレビの番組で「“選挙”- Campaign! The Kawasaki Candidate」 (監督:想田和弘)という番組が放映されました。

 この番組は、民主主義とは何か?という共通テーマについて、世界42カ国の放送局が参加して制作したドキュメンタリー番組から10本を選んだものをNHKが放送したものです。

■初回放送は2007年10月19日だったので、既に3年近く経過しています。これまではBSや映画で何度が放送・上映されていましたが、今回、地上波で初めて放送されたとのことです。その前に、中国の子どもたちによる学級委員長の選挙を題材にした番組が面白かったので、つい最後まで見てしまったのですが、15年前の安中市長選挙に初めて出馬した時のことを思い出し、見入ってしまいました。

 主人公の男性候補者は、小泉内閣時に「落下傘候補」として立候補した山内和彦氏です。ストーリーは、2005年10月14日告示、同23日投開票の川崎市議会市議補欠選挙に公募で自民党から出馬した40歳の男性候補者に、選挙期間中密着して撮影した実録ものです。日本の選挙における、政党公認候補と、それをとりまく政党関係者、それに選挙民の関係を掘り下げ、いろいろ興味深いシーンがあります。

■この番組作りには、NHKは、企画元のステップス・インターナショナルにプロデューサーを派遣し、編集方針の構築、企画の取捨選択などに深く関与したそうです。欧州側から「アジアの視点、非欧米から見た民主主義へのまなざしを強くシリーズに反映させたい」という要望に基づくものだとしています。

 番組の中で、候補者は、駅前や街頭で演説やビラ配りをしますが、選対本部の選挙参謀から「とにかく名前を連呼すること。政策などをゴチャゴチャ言っても誰も聞かない」「歩行者の集中力はたかだか3秒。だから3秒に1回名前を連呼」「とにかく、目の前にあるものはすべて票だと思って、電柱にさえもお辞儀ができるようになれ」などと指導を受けるところは、日本の選挙の候補者の心構えの基本ともいえるものです。

■それにしても、自民党の選挙手法は、田舎でも都会でも殆ど同じだということがこのドキュメンタリー番組からよくわかります。選挙を題材とした映画としては、伊丹十三監督の「選挙」があり、地方選挙の裏事情をテーマに、日本の選挙の本質をコミカルに、かつ、シニカルに表現していました。私も、1995年に市長選に初出馬したとき、支援者から「はじめて選挙に出るのだから、これを見て参考にしておきなさい」とビデオを貸してもらい観賞したことがあります。

 伊丹十三監督の映画「選挙」は、フィクションですが、想田和弘監督の「選挙」は、ノンフィクションであり、全編、実写にもとづくドキュメンタリーです。

■ドキュメンタリー「選挙」では、選挙のための戸別訪問や企業訪問など、本来であれば選挙違反となる行為なども出てきますが、これらは、普通にみられる日本の選挙風景として描かれています。

 候補者の山内氏は、自民党の公募で川崎市議会補欠選挙に出馬したため、選挙運動には自民党が組織として支援しており、いわば選挙のプロが担いだ神輿に乗った存在として描かれ、候補者として街頭演説やチラシ配り、地域の有力者への挨拶めぐりなど、指示されるままに動いている様子が、視聴者には面白おかしく感じられると思います。しかし、一度でも同じような体験をした者には、全て身につまされるというか、その時の候補者の抱く気持ちが手に取るように分かります。

■私が15年前に初めて市民団体が擁立する候補として安中市の出直し市長選に出馬することになった時は、後ろ盾は何もありませんでしたが、支援者の中に選対の経験者がいたため、その人たちの指示のまま動きました。

 支援者には、自民党、公明党、社会党、共産党の各政党系の支持者や、いろいろな組織に所属する者がおり、政治色のまったくない私は、各政党・組織関係者から、いったいどんなヤツなのか、と思われたことでしょう。地元の各関係者に引き合わせられ、いろいろ聞かれました。それまで、まったく政治とは無縁だった私にとって、初めて接する選挙と政治の力学は、新鮮な驚きの連続でした。

■安中市土地開発公社を舞台にしたタゴ51億円事件の発覚で、安中市政がてんやわんやの状態に陥り、事件の処理で当時の市長が2期目の任期5カ月目で突然椅子を投げ出したため、急きょ出直し市長選が行われたため、私以外には、現職の県会議員(自民党福田派)と、現職の市会議員(社会党)、同じく現職の市会議員(自民党小渕派)が出馬しました。自民党の中曽根派は、タゴ事件に大きく関わっていたため、候補者の擁立を見合わせていましたが、タゴと関係の深い学習塾経営の現職市議が周囲の忠告を聞かずに出馬意向表明を出しましたが、間もなく撤回しました。

 市民団体として、当会の前身の「市政をただす安中市民の会」も急きょ立候補者を立てることで方針を決定しましたが、誰にするか、人選で難航し、結局、当初目されていた政治経験者の方々がみな辞退したため、事務局の手伝いをしていた私に出馬要請が来てしまったのでした。

■政治的な地盤(後援会組織など)、看板(知名度)、カバン(カネ)のない私としては、まず家族の了解を得ることが最大の問題でした。幸い、妻の理解が得られましたが、その際に最も課題だったのが、生活をどうするか、ということでした。私は毎日、高崎から新幹線で東京の新橋にある造船会社に勤務していたからです。出直し選挙の公示も迫り、3日ほど悩みに悩みに悩んだ挙句、とうとう会社を辞める決意を固め、始業直後に上司に「会社を辞めたい」と辞表を提示しました。

 ちょうどニューヨーク駐在から異動で帰国したばかりの上司は、突然の私の申し入れに対して、「いったいなぜ辞めるのか」と理由を聞いてきました。理由を告げたところ上司は「ちょっとまってくれ。調べてくる」と言って、しばらく中座しました。そして、戻るなり「辞める必要はない。休職扱いになるので、当選すれば、その後も休職扱い。落選すれば、これまでどおり出社すればよい。欧米でも選挙の出馬は公民権の行使であり、誰でも法律で身分保証がされている」と言ったのです。

■私は驚きました。支援者からは「首長選挙への立候補者は、兼業禁止のため、仕事を辞めないといけない」と聞かされており、「出馬には大変なリスクが伴うが、そのリスクを背負ってこそ、「背水の陣」で選挙戦に挑むことを有権者にアピールできる」と言いきかされていたからです。念のため、就業規則をチェックすると、労働基準法第7条に基づき、公民権行使についての権利が明記されていました。

 上司は「日本の労働基準法でも、欧米と同じく公民権行使については使用者は拒むことができないことが定めてあるので、安心して出馬すればよい。この辞表は結果が判明するまであずかっておく」と言いました。私は、このような法律があるのに、なぜもっと一般の給与所得者、いわゆるサラリーマンが政治参加しないのだろうか、と不思議に思いました。

■こうして、出馬に向けての大きな関門の一つがクリアになりましたが、次の関門は、選挙費用でした。それまでは、選挙というものはカネがかかり、田畑を売ったり、家や土地を担保に銀行からカネを借りたり、預金を全部投入して、破産覚悟で行うものだというイメージだったからです。

 選対の経験者に聞いても、市長選では預託金が100万円かかるほか、事務所の借り賃や光熱費、電話代、チラシなどの印刷費、ウグイス嬢や運転手その他運動員への報酬や飲食費、来客への接待のための費用など相当な出費があるので準備が必要だと聞かされていたからです。当時は小学生の子ども2人の教育費はさほどかからなかったので、妻と相談して、預金を全額充当すれば、200万円くらいなら何とかなると見込んでいました。

 実際には、預託金100万円だけは自分で出しましたが、選挙ポスターや選挙カーのレンタル料、ガソリン代は選挙公営で補助が出ることがわかり、事務所は支援者のツテで無償提供いただけることになりましたが、有効得票数が、有効投票数を候補者数で割った数字の1割を上回らないと預託金は没収されるため、いったいどれくらい得票できるのか、皆目見当がつかない私は、これもリスクとして開票結果を確認するまで脳裏にあったことは事実です。

 私の場合、自民党のお膳立てに乗った山内和彦氏と異なり、市民団体の活動を通じて知り合った支援者の協力だけが頼りで、4つどもえの首長選挙戦に突入したのでした。

■ドキュメンタリー「選挙」では、補選のため公募した候補者をかつぐ地元市議ら自民党陣営のどぶ板選挙の模様も、ナレーションやテロップ抜きで、しかも音楽も一切ない選挙観察番組として、客観的に表現されており、大変興味深く視聴しました。

 公募に応じた候補者に対して、次回の市議選では票の奪い合いになる先輩議員やその後援会員らに「協力は今回だけ」と言われ、選挙経験豊富な選対責任者には、前夜の集会時間に間に合わなかったとして「そんな心構えではせっかく集まった支持者が離れてしまうじゃないか」などと怒られたり、「相手と握手するときは、最後まで相手の目を見て、相手の手を両手でしっかり握りしめろ」といちいち細かい指示が浴びせられながら、一生懸命走り回る候補者が印象的でした。

■この番組の映画版が、世界各地で著名な映画コンクールで入賞し、話題になったのは、政治や選挙にそれまで縁のなかった一般人が候補者になったのと、東大卒という学歴でありながら定職につけず趣味の切手収集を商売にしていた、いわゆる「ニート」の状態にあった候補者のチャレンジ精神と自由奔放のキャラクターによるところが大きいと思いました。

 これが、百戦錬磨の政治家の選挙戦だったり、松下政経塾生の経歴を持つ政治的エリート候補の選挙戦をおった番組であれば、自民党の体質もこれほど浮き彫りにならず、話題性もいまいちのため、視聴者へのアピールも不十分になったことでしょう。

■候補者の山内氏とは東大のクラスメートだという想田監督は、「自民党の性質とは、近所づきあいの延長線上に組織票の基盤があって、保守政党の自民党を支える」と分析していますが、川崎のような都市型選挙でも、自民党がこのような選挙手法をしていて、しかも、この補選では山内氏を当選させることができた、ということに、私は驚きました。日本の民主主義を描くために、NHKがこのテーマを採用したことは、大変正鵠を得たと言えるでしょう。ディレクターの先見性は高く評価できます。

 しかし、私がチャレンジした地方選挙ではNHKをはじめ、マスコミの対応は非常に屈曲したものでした。

■4つどもえの出直し市長選が始まって4日目の朝、朝刊に、「共産党と政策協定を結んでいた」として私の記事をデカデカと載せたのでした。よく読むと、共産党が前日に記者会見をして政策協定の事実を公表していたのでした。

 市民団体にはいろいろな人たちがいます。既に述べたように、自民党系から共産党系までさまざまな支援者がいるなかで、あくまで無所属をつらぬくとともに、支援をもとめてくる政党や団体、組織の協力要請に対しては、全方位で対応する方針を取っていました。

■そうしたなか、共産党系の支援者から、「(私の)公約と一致する範囲で、政策協定を結んでほしい」という話があったときも、特定の政党との関係に抵抗がありましたが、共産党が「外野席で応援するから」というので応じたのでした。ところが、共産党は、勝手に約束を反故にして、記者会見で政策協定を公表したのでした。

 さっそく、政策協定の破棄を共産党に通告しましたが、NHKは、その日の午後6時45分の首都圏ニュースで、私のことを共産党推薦候補だと報道したのでした。この時、共産党の記者会見をうのみにせず、私に取材をして、きちんと真実の経緯を記事にしたのは産経新聞の若手記者のみでした。それ以外は、すべて共産党の記者会見だけをそのまま報じたのでした。正確に言うと、その他のマスコミでも、若手記者が私に取材してくれたところもありましたが、デスクと呼ばれる編集責任者に握りつぶされたことを選挙後知りました。

■1995年11月19日投開票の出直し安中市長選は、タゴ51億円事件の真相究明を掲げて7日間の選挙戦を経験しましたが、いろいろな出来事がありました。上記の共産党事件のほかにも、「高崎市の某所で、市民団体候補を抹殺したら2000万円という話が飛び交っている」などという物騒な情報があり、実際に、地元に3ナンバーの得体のしれない車がウヨウヨしている、という運動員からの情報もあり、毎晩、自宅のすべての照明を点けっぱなしにして、アイマスクをして就寝し、運動員も一緒に寝泊まりしてくれました。

 また、公明党系の関係者から、2000万円を支払えば票のまとめをしてもよい、などという根拠不明の情報がもたらされたこともありました。

 自民党系の関係者からは、自民党県連の名物事務局長から面会の要請があると伝えられ、実際に市内某所で直に面談したこともありました。おそらく、万が一私が当選した場合に備えて、面通しをするのが目的だったのでしょう。幸い(?)私が落選したため、自民党の不安は杞憂に終わったわけですが、地元の政治力学について、ずいぶん勉強になりました。

■山内和彦氏の選挙ドキュメンタリー番組では、いくつか印象にのこるシーンがあります。

 その一つが、候補者に対して選対責任者が「これだけ沢山の人が応援してくれていることを忘れてはならない。だから、当選しても決して造反することのないように。支援者を裏切ることのないように」と釘を指した言葉です。政党や派閥の力学で多数決で決まる市議会議員選挙では仕方のないことかもしれませんが、候補者本人の政策や公約が、所属政党の都合で歪められてしまうことになるため、候補者には選挙運動中から当選後のストレスとして無意識に刷り込まれます。幸い(?)自民党の場合は、当たり障りのない政策や公約しか打ち出せませんし、選挙期間中の遊説でも細かく政策を訴えるよりは、候補者の名前を有権者に少しでも多く覚えてもらうためにひたすら候補者名を連呼することが、基本だからです。

 二つ目は、山内氏の配偶者が、候補者に代わって選挙カーに乗り、連呼したり集会で挨拶したシーンもあります。日本の選挙では、実は候補者よりも候補者の妻の役割が非常に重要です。自民党は、もちろんそのことを熟知しているので、候補者の妻は、候補者以上に動きまわることが要求されます。私の場合も、妻と手分けして、限られた選挙準備期間内で関係先に挨拶をしました。いまでも妻は、わけのわからないまま、ひたすら頭を下げて「主人をよろしく」と挨拶に回ったことを思い出します。選挙期間中は、選挙カーには乗らず、選挙事務所内で運動員といっしょに接客やチラシ作りをしていましたが、候補者の配偶者というのは、やはり重要な存在であることは間違いありません。

 番組では、その日の選挙運動を終えて、妻と一緒に自宅にもどる候補者の車中での、夫婦の会話が印象的でした。支援者への挨拶の仕方、カネの工面の問題、当選した場合の生活のこと、落選した場合の身の振り方など、ドキュメンタリーならではの臨場感が味わえました。山内氏の場合は、配偶者が会社勤務で家計を支えていますが、選対関係者から「当選した場合には、奥さんの仕事はやめるべきだ」などと言われたため、納得のゆかない妻から相談を受けた山内氏が「とにかくハイハイと言っておけばよい」と言うやり取りが興味を引きました。私の経験でも、妻の理解が得られない限り、選挙に立候補することには非常な困難を伴います。

■こうして、この番組を最後まで見て夜更かしをしてしまいましたが、ふと考えたことがあります。山内氏が自民党候補として立候補した補欠選挙では、民主党候補、共産党候補、市民代替候補がライバルとして出馬していました。このとき一緒にライバル候補の様子も取材して、オムニバス形式、あるいは4部作として番組を作成すればさらに厚みのあるものになったかもしれないことです。

 その場合、膨大な編集となりますが、それぞれの選挙戦の展開の模様が比較できて、一層日本の選挙がどういうものかが、一般市民に理解されることでしょう。

 あるいは、この山内和彦氏を政党公募候補者として描いた想田監督は、自民党の選挙やり方が、典型的な日本の選挙手法であることを承知で、実は他の候補の場合でも、似たような手法であることを、このドキュメンタリーで示したかったのかもしれません。

 山内氏は、2007年5月2日川崎市議会議員としての任期を満了後、次期選挙には自民党の公認を辞退して出馬しませんでした。議員活動を続けたいという意思はありましたが、やはり自民党所属議員として、自分の本来の政策や公約とのジレンマがあったのでしょう。しかし、無所属での出馬は、補欠選挙で支えてくれた自民党や支持者への裏切りとなるため、出馬しなかったというのが理由のようです。

■本来であれば、もう一度、自民党から公認を得て、再挑戦すべきだったかもしれません。いくらジレンマでストレスがたまり、居心地がよくなくても、自民党所属議員として内部から改革できる機会があったわけです。

 しかし、それをあえてしなかった背景には、自民党の選挙手法そのものに根深い疑問があったものと思われます。4年間を経過してもしなくても、「裏切りだ」などという陰口は常につきまといます。自民党やその支持者の恩義など気にせず、次回2011年5月の川崎市議選には無所属で市民派として出馬し、正々堂々と選挙戦を戦ってこそ、この番組や映画を見て感銘を受けた多くの人たちの期待に応えることになるのではないでしょうか。そう期待する人は絶対に多いはずです。

【ひらく会事務局長】

※山内和彦氏のURL http://senkyo-yama.seesaa.net/

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