オススメポイント: 『ジャッリカットゥ 牛の怒り』(2019)が日本でも話題となった、リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ監督の前作品。南西インドのケーララ州の漁村を舞台に、あるキリスト教徒一家の家長が突然死したことで起きる騒動を描く。ほぼ丸1日の物語だが、その中で家族、村人たちの関係性や感情があぶり出されていく。原題『Ee.Ma.Yau.』は「Eeso, Mariyam, Youseph(イエス様、マリア様、ヨセフ様)!」の略で、聖家族に呼びかける祈りの言葉である。2018年の第49回インド国際映画祭、第23回ケーララ国際映画祭等で監督賞を獲得したほか、多くの賞を受賞している。
あらすじ: 夕暮れ時、老人ヴァヴァチャンがバスで帰ってくる。何日かぶりの帰宅だが、妻ペンナンマや嫁エリサベート、娘アグニサはもうあきらめ顔。息子イーシは父と酒を飲み、祖父の死亡時には荘厳な葬儀を行ったと自慢する父に、「父さんの時も立派な葬式をやるよ」と約束する。ところが、機嫌よく昔演じた劇をやってみせていた父は突然倒れ、そのまま帰らぬ人に。女たちの嘆きの声に、近隣から皆が駆けつけてきた。呆然とするイーシを励まし、村の議員アイヤッパンは医師を呼びに行かせ、親戚や神父への連絡などを手配するが、問題が次々と発生する…。(JAIHO 公式ウェブサイトより)
<2023年8月26日 JAIHO鑑賞>
1か月契約のJAIHOで、珍しい映画を鑑賞しました。この映画の題名は「イエス様、マリア様、ヨセフ様」で、インド映画なのにキリスト教?と思うのですが、そうなんです。インドにおいては少数派ではありますが、やはりクリスチャンのコミュニティが存在します。そこでのもろもろを描いた”ドキュメンタリーのような”映画です。
ある老人がふらっと帰宅します。しょっちゅういなくなる主人に対して、妻も文句たらたら。生活だって苦しいのです。息子が働いているからなんとか食べてゆけていますが、ちゃんと家にいて欲しいと思っています。しかし、風来坊な老人は妻の言うことなんて、どこ吹く風。そして、その夜息子と酒を飲んでいたとき、自分は父親に立派な葬式を出してやった、と自慢します。それを聞いた息子は「俺だって父さんに立派な葬式をしてあげるよ」と大きな空手形を切ってしまいます。しかしその夜、父は突然倒れて亡くなってしまうのです。
さぁここからが大変です。狭いコミュニティは大騒ぎ。次から次へと隣人を呼びに行き、皆が集まって来ます。ここで「早く病院へ連れて行けよ」とか「まず医者を呼ばなあかんやろ」と思ったのは、私だけ?本当に亡くなってるかなんて、プロが診ないとわからないだろうに。生きてたらどうするの、と思いました。まぁでも、地方の小さいコミュニティですから、病院がないのかもしれませんが。
村を挙げての混乱の様子が尋常ではなく、見ているほうは疲れてしまいました。皆が等しく自分勝手で、自己主張が強く、例えば老人の妻は、人がたくさん寄って来るほど大声で泣き叫び、そのわざとらしさはいやらしいほど。しかも、悲しんでるふりに乗じて、息子の嫁の両親には「結婚以来一度も来たことがない親戚が来てくれたよ」とか、「持参金があんなに少なかったのにあなたは寛容だった」とか、聞こえるように泣き叫ぶ。信じられない。そして、老人が発作かなんかで死んだだけなのに、事件性があると断定する奴、それに乗って「俺が行くまで触るな」とかいう威張った警察のえらいさん、なかなか来ない牧師、なければもういいと思うのに「約束したんだから豪華な葬式をあげないと」と金の工面に奔走する息子、それに乗じて実は安物の棺を高く売りつける棺屋。細かいことまで覚えてないけど、とにかくどいつもこいつも「自分が一番」の行動丸出しで、どんどん混乱が広がり、しまいに父親(老人)が実は・・・というドンデモ事実まで出てきます。そして、最後は本当に収拾がつかなくなってしまいます。
なんでこうなるのか全く理解できない。こういうコミュニティもあるってことですね。疲れたけれど、ある意味希少な映画に触れられてラッキーだったかもしれません。人にはおすすめしませんが。