かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

黒部・立山の旅③ 初冠雪の立山連峰

2010-11-04 01:00:01 | ゆきずりの*旅
 10月26日、宇奈月の雨のトロッコ列車から帰った夜、富山市で1泊。天気予報によると、翌日の天候もよくない。
 喉の渇きで、夜目が覚めた。からからに渇いた喉の痰を吐き出すと、血が混じっている。やはり、すっかり喉を痛めたのだ。うがい薬で喉を洗って寝た。

 次の日の、10月27日、朝目を覚ますと、喉の出血はなく、夜中より少しは喉の調子はいい。
 早朝、富山からバスで立山駅に向かう。小雨だが、遠く立山連峰の方を見れば、空は明るい。もしかしたら、立山は晴れているかもしれないという希望を抱かせる。
 バスの中の情報掲示に、立山山麓マイナス2度、われわれが行く立山の入口である室堂はマイナス6度と出ている。室堂は標高2,450mであるから、そうとう高くて、気温も低い。

 立山駅に着くと、空を雲が覆っていたが雨は降っていなかった。ここから、「立山黒部アルペンルート」が始まる。
 立山山麓にある富山県の立山駅から、飛騨山脈の2つの連峰を越えて、というより連峰を貫き、長野県の扇沢に到るコースである。この2つの山並みの間に、宇奈月から続いている黒部峡谷があり、その谷間に黒部ダムがある。
 立山駅自体が標高475mである。この立山駅から標高977mの美女平までケーブルカーで行く。美女平は雪景色だ。
 美女平からバスに乗り換えて、立山の入口の室堂へ向かう。
 さらに高い連峰の麓へ行くのであるから、バスはチェーンを巻いて走る。バスの外の景色はすっかり冬で、道の周りの木々は樹氷で飾られている。
 蛇行する道を高く登るにつれて、視界が霧のように煙ってきた。雲の中に入っているのだ。
 50分後に室堂に着いたときは、真っ青の空が広がっていた。ここは標高2,450mだが、その向こうにさらに高い頂の真っ白な山並みが見える。雲が山の中ほどに、小さく浮かんでいる。(写真)
 剣岳、大汝山などの連峰だ。この標高3,015mの大汝山が立山だと知った。

 このあたりの連峰を北アルプスと呼ぶが、僕はどうして日本の山並みに、ヨーロッパの山脈の名前を名乗らないといけないのか常々疑問を抱いていた。正式な名前の飛騨山脈があるではないか。ちなみに木曽山脈が中央アルプスで、赤石山脈が南アルプスである。
 まだ、蝦夷富士とか津軽富士と称するのは同じ日本の地名で、日本一の富士山に敬意を表しているからいい。地方の盛り場や商店街を○○銀座というのと同じで愛嬌がある。しかし、いくら有名とはいえヨーロッパのアルプスを名のるとは、東京タワーを東京エッフェル塔と呼ぶぐらい卑屈ではないかと思っていた。
 フランスのシャモニーに行ったとき、本場アルプス山脈の大きさに感動した。高さも標高4,808mのモンブランをはじめ4,000m級が並ぶ壮大な山並みだ。それに比べ、日本アルプスと名乗っていても、比べものにならないのではと思っていた。
 しかし、この立山の麓から雪を抱いた連峰を見てみると、本場のアルプスより少し低いが、ぎすぎすと尖った感じがよく似ているではないか。それに、雄大だ。
 明治期にこの山並みを見たイギリス人の鉱山技師が、ここを日本のアルプスと称したのも頷けると思った。
 今まで恥ずかしくて日本アルプスと呼んだことはなかったが、これからは言ってもいいと思った。
 それでも、町の名前まで南アルプス市と変えたのはどうしたものかと思うが。

 雪の立山連峰を見ながら室堂の平を歩いていると、地元NHKのテレビ局の人たちが撮影・報道していた。取材班の人は、立山は今年初冠雪だと言った。
 初冠雪の山々は、銀色に輝いていた。
 冬山に登る人の気が知れないと思っていたが、雪山の美しさを見ていると登りたくなるのも分かる気がする。

 より高く、より遠くへ、あるいは人が誰も踏み込んだことのないところへ行きたくなるのは、人の持つ好奇心だ。
 冒険は、そして物語は、そこから始まる。

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