かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「風櫃の少年」から「懇丁の少女」へ

2016-11-17 01:40:37 | 映画:アジア映画
 昨日の夢、豆板醤の翳り
 今日の夢、水蜜桃の気配を示す
 歩き疲れた街角に、古ぼけたネオンが輝く
 切なくよみがえるデジャヴュの香り

 何か食べようと街を歩いていると、なぜか中華料理屋を探している。
 Chinese- dishes night Dejavu

 *

 佐賀の田舎に帰っている間は、長い留守の間に生い茂った庭の雑草取りと木の枝の剪定に追われた。慣れない労働に作業ははかどらないし、不用意にも裏庭の崖のような急斜面から滑り落ちて脚と頬に傷を負った。それに、いつの間にかあちこちに芽を出し成長する何本ものハゼ(ウルシ)の木を切った仕返しか、腕にカブレができたりと、散々だ。
 頬のかすり傷は可愛いもので、「カラーに口紅」か「頬のひっかき傷」と笑って済ませられるのだが。
 庭作業の合い間に佐賀バルーン競技大会を見に行ったが、2日連続空振りに終わったので見るのは諦めた。こんなこともある。

 11月4日、次の日東京へ戻るので、夜佐賀で食事をしようと佐賀駅に降りたった。
 佐賀市に来たときは、玉屋の裏通りにある中華料理屋「夜来香」が名前も気に入っていたので、贔屓にしていつも行っていたのだが、つい最近店を閉めてしまった。
 であるから、その後は餃子専門店の「南吉」に行くことが多い。この店は、星はないがミシュラン(福岡・佐賀版)に載ったように餃子は特別に美味しいが、僕のように食事(夕食)が目的だとメニューが限られている。今回は佐賀に来たすぐの日に行ったので、違う店を探すことにした。
 佐賀駅の構内には、バルーン競技開催期間中、バルーン競技と市内の観光案内を兼ねたテントが出ている。佐賀では珍しい光景だ。何人かいる案内人のなかには、外国人観光客のための名札を付けたガイドもいる。
 中国人留学生のガイドに、市内の美味しい中華料理店を訊いてみた。

 さっそく、彼女のお薦めの歓楽街の通りにできたという中華料理店「栄志」へ行った。落ち着きのある店だ。
 メニューを見て2品注文しようとしたら、店のママさんらしき女性が、量が多いので1人でしたら1品で十分だと思いますよ、と言ってくれる。
 しかし、ここのところちゃんとしたものを食べていなかったし、また腹が減っていたし、もともと痩せの大食いなので、四川風ナス炒めと、海鮮入りの煮込み豆腐、小籠包、それにライスを頼んだ。
 どれも美味しい。僕は四川風の辛い料理は好きなので、ここのナス炒めはお好みだ。それに小籠包も甘く肉汁が口に広がり美味い。
 店の可愛い小姐(シャオジエ)は大連出身で、ママらしい阿姨(アーイー)はハルピン出身だという。おう、両方とも去年の2015年、僕が訪れた旧満州、中国東北地方の街だ。
 「アカシアの大連」と言っても、今の若い小姐にはピンと来ないだろうね。今の大連の中心街にはアカシアなんかないしね。

 翌11月5日、午前中佐賀を発って東京に戻った。
 佐世保線の各駅停車で、鳥栖駅で博多に行く列車に乗り換える。その待ち時間に、ホームで駅弁を買う。博多駅では多くの駅弁が並んでいるのだが、老舗の鳥栖駅で買ってあげようという郷土心があるのだ。
 鳥栖駅では中央軒の「かしわめし」が有名だが、今回は「肥前路弁当」にする。典型的な幕の内弁当である。
 夕方6時過ぎに、新幹線列車で東京駅着。
 東京駅地下道の黒塀横丁で、学生時代の先輩と待ち合わせ、食事をすることになっている。和洋中と様々な食堂・レストランが並ぶ横丁の店をのぞき歩いてみるが、やっぱりよく行く中華料理の「天津飯店」に入ってしまう。
 この店はどれも安定した味で満足させるので、東京駅周辺ではついここになってしまうのだが、やはり新しい店も見つけないといけない。

 東京に戻った11月6日、午後から所用で銀座に出た。
 日が暮れたので、夕食をとって帰ろうと銀座から日比谷を歩いた。やはり、探すのはいつの間にか中華料理屋だ。日比谷のよく行っていた中華料理店が店替えしたので、この辺りではいまだ気に入った店が見つけられずにいる。
 しかたなしに、前にも行った有楽町の駅近くの大衆中国料理店に入る。有楽町イトシアの前にあるというのに、新宿の裏通りにありそうな雑然とした食堂である。
 八宝菜と餃子、それにライスを大盛りと頼んだら、係りのお姉さん(日本人)が大盛りは多いので普通でいいと思いますよと言うので、普通盛りにする。出てきた普通盛りのご飯は、確かに大盛りクラスだった。

 *

 11月8日、かつてより予定していた新百合ヶ丘に映画を見に行く。
 新百合ヶ丘は東京都に食い込んでいる神奈川県川崎市で、多摩市と稲城市のすぐ隣にあり、小田急線で10分余の近さである。
 ここには、映画評論家の佐藤忠男が学長を務める以前は映画の専門学校だった日本映画大学があり、この日、しんゆり映画祭が行われていた。そのラインナップのなかで、見たい映画が上映されていたのだ。
 見たい映画は、候孝賢の「風櫃の少年」。

 僕が候孝賢の映画が好きになったのは、「童年往事―時の流れ」(1985年)を見たときからで、その後の「恋々風塵」(1987年)、「悲情城市」 (1989年)と、僕の胸を熱くさせた。当時世界的に注目を浴びた彼の映画の先駆けともなったのが、「風櫃の少年」(1983年)である。
 「風櫃の少年」を見るのは、2度目である。
 風櫃(フンクイ)とは、台湾と中国大陸を跨ぐ台湾海峡にある小島の小さな漁村で、そこで育った3人の少年の物語である。
 島で喧嘩に明け暮れていた少年たちだが、仲のいい3人は島を飛び出し都会の高雄に行く。高雄のアパート先で、主人公の少年は年上の女性に出会うが、彼女にはすでに同棲している彼がいた。
 少年から青春期に移る時期の横溢する心の熱情と戸惑いが、画面にあふれている。それにもまして、海辺の鄙びた街の風櫃が旅愁をそそる。

 *

 1991年、僕は初めて台湾に行った。
 台北に着いた翌日、列車に乗って南に向かった。途中、台南に1泊して、さらに南の当時列車の終点の高雄に向かった。
 高雄に向かう列車の中から、僕は海のかなたの風櫃の風景を想像した。
 高雄に着いた時、風櫃に行きたいと思ったが、さらに南の方へ行くバスに乗った。恒春という町に着いたが、さらにバスを乗り換えて、台湾最南端の町、懇丁に行った。
 夏には海水浴客が来るであろう海辺の町の懇丁は、5月のこの時期は通りには人も見当たらず、静けさがただよっていた。
 雑貨屋の2階のホテルというより民宿の小部屋に荷物を置いて、海に行ってみたらカラフルな日傘が何本も砂浜に差されていたが、誰も人はいなかった。海の反対側には、オーストラリアのエアーズロックを小さくしたような愛嬌のある岩山が聳えている。
 何だか僕はこの小さな町が気に入っていた。宿の近くにある食堂のお兄さんたちとも、筆談ですぐに友だちになった。
 翌日も海辺に行くと、珍しく4人連れの少女がいた。中学生か高校生ぐらいの年頃である。彼女たちはじゃれ合っていたと思うと、そのうち手を取り合って、服を着たまま海へザブサブと入っていった。そして輪になって笑いながら踊った。
 まるで映画の一場面のような、「懇丁の少女」だった。(写真)
 今は屈託のないこの少女たちも、風櫃の少年のように、いつかこの町を出て都会の高雄や台北に行ってしまうのだろうかと僕は思いながら、海の中ではしゃぐ少女たちを見ていた。

 *

 しんゆり映画祭の「風櫃の少年」を見終ったあと外に出ると、新百合ヶ丘はもう日が暮れていた。
 この街の駅の周辺は、きれいに整理されていて清潔感があり何だか面白みに欠ける。混沌とした路地や雑居ビルに漂う猥雑さが持つ意外性が希薄なのだ。
 食堂を探して駅周辺を散策し、映画の会場近くのビルの一角にあるアジア料理「JASMINE」に入った。やはり、中華料理だ。
 沙茶醤(サーチャージャン)の台湾鍋と小籠包を注文する。

 いつになく中華料理が続いた。
 台湾を舞台にした映画を反芻しながら食べる、中華(台湾)料理はいい。



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