かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

田舎で迎える新年

2015-01-03 01:37:35 | 気まぐれな日々
 例年のことだが、年末に九州の佐賀に帰った。すでに父母が亡くなり、実家が住人なき家になってからも、その習慣は変わらない。
 毎年、大晦日と新年は一人実家の佐賀で迎えている。
 しかし、田舎は年々暮らしにくくなっている。街の商店街は年ごとにシャッターを閉めた店が増え、商店街にあったスーパーもなくなった。かつて賑わった街に往年の面影はなく、人通りもまばらどころか人が滅多に見当たらない。
 ちょっとした買い物は、大型スーパーがある隣町まで行かないといけない。であるから、車がないと買いもの一つにしても苦労する。電車やバスの公共機関は、東京などの都会に比べて極めて本数が少ない。
 頼りは自転車である。自転車は気候のいい春秋はいいが、寒い冬の季節は億劫だ。

 僕の田舎で迎える正月はいつまで続くのだろう。いつまで続けられるだろうと思うようになった。
 しかし、田舎での暮らしは静かで落ち着く。こちらにパソコンも置いてあるし、スマホだってあるのだから、情報を調べたりものを書いたりするのにはさほど不便を感じないだろうと思っている。

 物事は、往々にして予期せぬ時に起こる。
 大晦日の夜に、突然スマホが接続不能になった。こんなことは初めてのことなので戸惑った。
 実は、佐賀の固定電話を滅多に使うこともないのでと、先月解約したばかりだ。
 パソコンにおけるインターネット接続はスマホとのWi-Hi接続で可能だと、覚えたばかりの方法で試接続した直後の異変だった。
 スマホの画面は通常と変わらないのだが、肝心の電話やメールが繋がらなくなったのである。いろいろ設定項目をいじってみても直らない。
 電話もメールもできないし、誰からかかかってきても受け取ることもできない。
 この小さな町には、それを直してくれるサービス機関や店舗はないし、明日は正月だからそのような店を探しても休みの可能性が高い。
 正月を迎えるにあたって、まるで陸の孤島にいるかのように孤立感に襲われ、途方に暮れてしまった。
 現代人は不便なものである。そして、脆弱なものである。スマホ、もしくは携帯電話の故障一つで、手足を奪われたように身動きできなるのだから。
 携帯電話が一般的に普及したのは1990年代だから、つい最近まで、こうまで携帯モバイルやインターネットに依存していなかったのだが。
 パソコンは勿論、電話がなくても平気だった時代は、どこへ行ったのだろう。
 約束のデイトの時は、直前の変更の時は、どうしていたのだろう。今思えば、30分や1時間は待っていたし、しばしば擦れ違いもあった。遠い昔のことのようだ。
 時間も心も長閑(のどか)で、優(やさ)しかったのだ。

 *

 電話やメールが繋がらなくとも、新年はやってくる。2015年が始まった。
 雪が降るかもしれない予想だったが、降ってはいない。しかし、今にも降りそうな曇り空である。
 まずはお節料理を設えなくてはならない。材料は、前日の大晦日に買ってあるし、今年は手抜きである。
 黒豆、蒲鉾、竹輪、卵、昆布巻きを並べるだけで何となくお節料理らしくなる。田作り(ごまめ)は店になかったので、少女子(こうなご)にする。似たようなものである。
 筑前煮をと思っていたのだが面倒に思ったので、鶏肉とタマネギ、ピーマン、シイタケの野菜炒めにする。野菜はもう一品、ホウレンソウのお浸し。
 これに、刺身(カンパチ)を並べれば、もう正月気分である。(写真)

 酒は、正月にだけ飲む日本酒。
 普段は「窓の梅」を買うのだが、たまたまスーパーに置いてあった限定品という佐賀の酒、特別純米酒「佐賀の穣(みのり)」を物珍しくて買ってみた。見るからに変わっているというか手作り感丸出しで、720㏄の瓶は新聞紙(佐賀新聞であった)で包んであり、その新聞紙にラベルが貼ってあり、ロットナンバーも447/670と附ってある。
 今年は残念なことに屠蘇を入手するのを忘れてしまったが、この純米酒を猪口で飲む。
 
 午後から雨が降ってきた。風も強い。
 お節の料理のあと、雑煮をつくる。
 ダシは鳥ガラで、丸餅である。

 夕方、雨は止んだ。
 近くの神社とお寺に行ってみる。

 *

 スマホはとりあえず直ったが、原因はわからない。いつ再発するかもしれない。
 あまり依存してはいけないと痛感した。
コメント
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